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大和撫子さまのお仕事  作者: 小茶木明歌音
第三章
141/346

調査と任務~その壱~




 まもなく梅雨を迎える水無月の少し強い日差しの中、紅玉は神域参道町を目指して歩いていく。最初の目的地は十の御社からほど近い場所にある小さな茶屋だったからだ。

 ものの数分も歩けば目的地が見えてくる。「お団子」と書かれた幟がはためき、軒先に吊るした風鈴が「チリン」と涼しげに鳴り、畳と木製の卓と椅子が懐旧の情緒を醸し出す紅玉も気に入りの店だ。

 紅玉はふと気付く。「よもぎ」と書かれた看板の横に置いてある椅子にちょこんと座る高年の女性がいる事に。


 髪は高年に相応しい白鼠。清々しい程までに全ての髪がこの色に染まっていて、逆に美しいと思う程だ。顔にはいくつも皺が刻まれており、頬も目も垂れ下がってしまっているが、その様も愛らしい。草色の小さな瞳が垂れ下がった瞼の間から覗いている。少しくすんだ黄色の着物を着て、真っ白な前掛けを付けて、のんびりと茶を飲んでいた。


「まあ! よもぎおばあちゃん、お久しぶりです!」

「おやまあ、紅ちゃん。久しぶりだねぇ。息災にしておったかい?」

「はい、恙無く」

「そりゃ良い事だよ。ほっほっほ」


 おっとりと笑うよもぎの様子に紅玉は頬を綻ばせる。


「よもぎおばあちゃんもお元気でしたか? ここしばらくはお店に出ていらっしゃらなかったから……」


 よもぎというこの高年の女性――名前を聞いて察した人も多いだろうが、この茶屋よもぎの立派な店主なのである。現在は文と手伝いの雛菊が店の切り盛りをしているが、神域商業部の登録ではよもぎが正式な店主だ。

 ただ米寿という大変高年の為、店先に立つ事が非常に少なくなってきている。紅玉だって店先でよもぎに会えたのは約一月前の皐月の上旬だった。

 それでも文からは元気にしているらしいと話は聞いているのだが、やはり姿を見ないと心配にもなる。


「大丈夫だよ。これでも丈夫な方だからね。ちょっと足は遅くなってしまったけど、まだまだひよこちゃん達には負けないつもりだよ。ほっほっほ」


 皺を更に深く刻みながら微笑むよもぎの姿に紅玉もまた微笑んでしまう。


 すると、よもぎは紅玉の姿をじっと見つめておっとりと言う。


「それにしても紅ちゃんはますます別嬪さんになったねぇ。うんうん、まるで恋するお嬢さんだねぇ」

「えっ!?」

「ほっほっほ。ところで蘇芳君は元気かい? おばあちゃんが元気な内に、紅ちゃんのおめでたい話が聞きたいねぇ」

「おっ、おばあちゃん……っ!」


 恋するお嬢さん、蘇芳の名前――おっとりと言いながらも、紅玉の敏感な箇所を的確に突いて指摘してくるあたり、このよもぎという女性は非常に侮れない部分もあった。

 紅玉はすっかり顔を赤くして慌ててしまう。


「おばあちゃん、紅さんをからかうのもそこまでにしてあげなよ」


 そう言って、店の中から現れたのは、可愛らしい顔立ちの、しかし冷たさを孕んだ新緑と黒の混じりの瞳と黒混じりの淡い杏色の癖のある髪の毛を持つ男性だ。


「あ、文君……!」

「どうも」


 たった一言の愛想の無い挨拶だが、相変わらず綺麗な声だなぁと紅玉は思う。


「ほっほっほ」

「笑って誤魔化さない」

「ほっほっほ」

「だから、笑って誤魔化さない」

「ほっほ、最近耳が遠くてねぇ」

「その台詞は、俺には効かないからね」


 茶屋よもぎの店主と店員のやり取りも相変わらずだなぁと思いながら見ていた紅玉だったが――。


「紅さん、アイツが待ってるよ」


 文の言葉にハッとする。


「ああっ、ごめんなさい! すぐに参ります。よもぎおばあちゃん、申し訳ありませんが、失礼させて頂きますね」

「ほっほっほ、またね、紅ちゃん」


 手を振って見送るよもぎに小さく礼をすると、紅玉は茶屋の中へと入っていく。

 まだ午前中も早い時間帯なので、客がほとんどいなかった――否、たった一人、その人物は席に座っていた。


「やあ、おはよう、紅ちゃん」

「幽吾さん、お忙しいのに遅くなってしまってごめんなさい……!」


 紅玉が慌てて幽吾の向かい側に座ると、幽吾は誰も見た事の無い瞳を更に細くしてにっこりと微笑んだ。


「いいんだよ。僕、お土産によもぎみたらし団子欲しいなぁ~」

「……お支払いさせて頂きます」

「わあい、ありがと、紅ちゃん。太っ腹~」


 ちゃっかりもいいところである。


「――さて、冗談はこの辺にしておいて……話って何かな?」


 幽吾がそう尋ねると、幽吾だけではなく、文も幽吾の横に立って話を聞くようだ。紅玉も二人に聞こえるように話を切り出す。


「幽吾さんは二十の御社について、何か噂や情報などは知っていますか?」

「二十の御社ねぇ……うーん、特にこれといって噂とか報告とか聞いていないな~」


 幽吾に同意するかのように文も首を横に振っている。


「……そうですか」

「二十の御社がどうかしたの?」

「実は、空さんが研修で訪れた御社なのですが、そこの神子補佐役が二十の神子様の自由奔放ぶりにお困りみたいなのです」

「二十の神子が自由奔放ね……」


 腕組みをしながら、幽吾はチラリと文を見る。

 文は顎の下に指を添えると言った。


「二十の神子は巽区だから、あまりこの店に来ることはないけど……巽区の茶屋の店員が二十の神子の事を知っているかもしれない。情報仕入れとくよ」

「よろしくね」

「すみません、文君。お手数をおかけします」

「別に……」


 紅玉からふいっと視線を逸らしぶっきらぼうに言う文だったが、紅玉は知っている。この子はとても心根が優しい子だという事を。


「僕の方はもう少し詳しく御社の内部事情探ってみるよ」

「ありがとうございます」

「気にしないで。空君が言うんだから、よっぽどのことだし、その為の我々朔月隊だからね」

「はい……っ!」


 朔月隊の使命は大和皇国の平穏を守る事。その為、大和皇国の平穏を乱す全ての事を排除するのが信条であり、例えどんなに些細なことでも動くのが当たり前だ。

 しかし、紅玉は例えそれが当たり前であったとしても、空のたった一つの心配から仲間達がこうして動いてくれる事が嬉しくて堪らなかった。また空の証言を信じてくれているという事実も、姉代わりとしては非常に誇らしくもある。


「じゃ、そんな感じで。文も分かったら報告頂戴ね」

「はいはい」

「よろしくお願いします」


 すると、幽吾はパチンと指を鳴らす。すると、どこからともなく書類がぬっと出現し、紅玉と文は思わず目を剥いた。


「一応渡しておくね。二十の御社の職員三名の経歴」

「……いろいろ言いたい事はありますが……流石は人事課ですと褒めておきますわ」


 この幽吾、中央本部人事課の職員でありながら、個人情報の持ち出しがあまりに多く、一体どんな手を使っているのか気になってしまう。


「……ところで紅ちゃん、今日仕事は?」

「お休みを貰いましたわ。流石に一日私用で御社を空けるわけにはいかなかったですから」


 受け取った書類を鞄にしまいながら素直にそう答えた紅玉だったが――。


「あはははは、私用って。紅ちゃん、休みの日はちゃんと休んで~」

「ふふふっ、きちんと休んでおりますわ。ほらぁ」


 紅玉は立ち上がると、水色の洋服の裾を掴んでみせた。ふわりと裾が揺れると同時に、文が呆れたように溜め息を吐いていた。

 すると、幽吾がニヤニヤしながら尋ねる。


「ところで~、今日は、蘇芳さんは一緒じゃないの?」

「蘇芳様は御社でお仕事ですわ。流石に空さんと鞠ちゃんもいないのに、これ以上御社から欠員を出すわけにはいきませんので」


 蘇芳ならば絶対に一人で働かせるなんて酷な事はさせないが、紫一人が馬車馬のように働いても、何ら罪悪感もない。ただ紫の場合は別の心配が浮上してくるので、一人で働かせるわけにはいかないのだ。


 主に女性問題とか女性問題とか女性問題とか――。


 脳裏に、紫水晶の煌めく瞳と蕩けるような美しい容姿を持つ紫の笑顔が思い浮かび、紅玉は思わずイラッとした。


「な~んだ、今日はデートじゃないんだ~」

「……へっ?」


 幽吾の言葉に現実へ引き戻された紅玉は思わず抜けた声が出てしまっていた。そんな紅玉の様子に幽吾はニンマリと笑う。


「前は蘇芳さんと手を繋いでデートしていたんでしょ~? おめかしして」


 その一言に紅玉の顔が一気に真っ赤に染まった。


「でっ、ででで、デートだなんてそんな畏れ多い……!」

「でも、一緒にお出かけして、ランチもしたんでしょ? デートだよね?」

「ちっ、違いますっ! あの日っ、蘇芳様はっ、わたくしのっ、お守りをしていただけであって!」


 否定すればするほど、体温が高くなっていくのを感じる。頬が熱くて堪らない。


「へえ~、おてて繋いで?」


 止めとばかりに発せられた言葉と幽吾の悪い笑顔に、紅玉は限界だった。


「もうこの話はおしまいですっ! それではっ! 調査の件、よろしくお願いします! わたくしは先を急ぎますので!」


 紅玉は勢い良く立ち上がると、脱兎の如く店を飛び出してしまっていた。


 幽吾が満足そうにニマニマ笑っていると、文が呆れたように睨む。


「……幽吾、あまり紅さんをからかうと怒られるよ? 神域最強に」

「僕としては、紅ちゃんと蘇芳さんにはさっさとくっついて欲しいから、力添えをと思っているだけなんだけどな~」


 悪びれた様子など一切無いように幽吾はそう答え、茶を啜る。


「……無理だよ……」


 そう発した文の声は綺麗なのに、酷く真剣で悲しい色合いで――幽吾は思わず笑みを消す。

 そして、ゆっくりと文を見て、反省した。


 うっかり忘れていたのだ。彼が、紅玉が大切にしていた幼馴染みの実の弟であった事を。


 文の顔は悲しみに満ちた表情だった。


「あの人の中に……姉さん達への思いが残っている以上、あの人は……己の幸せを絶対に選ばないよ」

「…………そうだね」


 幽吾はそっと文の背を優しく撫でるしかできなかった。




**********




 紅玉に課せられた任務――直接その目で御社の現状を把握する事。


 研修生という身分を使い、空は思う存分二十の御社を視察していた。

 勿論、他にも回るべき御社はあるので、限られた時間の中でいかに情報を集めるかが勝負だったが、神子管理部として働く紅玉の姿を幼い頃から間近で見てきた空にとって、それは難しい事ではなかった。時々、冷たい視線で睨んでくる神々は少々怖くはあったが。


 しかし、肝心の心配の種である神子補佐役の冬麻とはまだ会話できていなかった。

 その冬麻というと、ある時は書類を抱えて東に走り、またある時は洗濯籠を抱えて西に走り、またある時は桶と雑巾を持って北に走り、はたまたある時は大量の書物を抱えて南へ――という感じで、ずっと忙しそうに動き回っていて捕まえられないのだ。

 やっとのことで書類をめくりながら立ち止まっている冬麻を見つけた際、声をかけようとしたが、上官である那由多に先を越されてしまう始末。


(神子補佐役多忙すぎるっすっ!!)


 紅玉を見ていれば分かっていた事なのだが、まさかここまでとは思わず空は自分の考えの甘さを痛感した。

 チラリと那由多と冬麻を見れば、二人の会話はまだまだ終わらなさそうであった。


「昨日申し上げた提出書類は……」

「あ、はい、こちらです」

「…………これ、神域警備部の書類では?」

「えっ!? あっ! 間違えました! すみません! 取りに行ってきます!」


 冬麻はそう言うと、慌ててバタバタと走っていく。


「まったく……手際が悪い人ですね」


 呆れたようにそう言うと、那由多は歩いて冬麻の後を追った。


 どうやら冬麻の用事はまだまだ終わらなさそうである。


(仕方ないっす。もう少し御社の様子を観察するっす)


 空は冬麻達が向かった方向とは逆の方を進んだ。


 二十の御社にも立派な庭園があり、長く続く縁側から祈りの舞台らしき場所も見える。やがて縁側の端に差し掛かると、柔らかな日差しと風の通る場所で干されたばかりの洗濯物がはためいているのが見えた。下着類は干されていないようだったので、空はまじまじと洗濯物を観察する。

 可愛らしい服は恐らく神子の物だろう。他にも着物や袴といった職員の物も一緒に干されている。あとは大判の手拭いなども風に靡いている。まだ湿気を帯びていて重そうだ。


 ふと、空は縁側の端に置かれていた桶と雑巾が目に入った。そうして目線を上げれば、真っ直ぐ伸びる長い縁側。


(この縁側の掃除は大変そうっすね)


 きっと神術を使うのだろうと空は思う。十の御社の生活管理部である紫だって、仕事の効率化の為に遠慮なく神術を使っているのだから。


(…………あれ?)


 胸の中で芽生えたのは小さな違和感だった。


 その違和感が何かを探ろうとして――空は気付く――近くの部屋から誰かの話し声が聞こえてくる事に――。


「なん…………神子管理部……察に……い………? めんど………」

「あの女、余…………ったん…………でしょうね?」


 なんとなく会話の内容が悪意を感じる事も――。


 空は忍び足で声が漏れ出ている部屋へ近付いていき、そして耳をすませた。


「俺達がなにしたってんだよ。あの那由多っていう女、俺らを見下すように見てて、こええよな」

「ホントに! 不愉快だわ!」


 声の主はどうやら二十の御社の神子護衛役と生活管理部の職員のようだった。


(確か、岩源さんと兎乃原さん……)


 空は先程も会って話を聞いた職員二人の名前を思い出していた。


「神子は神子様なんだから、好き勝手させておけば安泰だっていうのに。何が気になる事ありますか~? よ。知らないわよ、そんなの!」

「ああもう腹立つな! あの女! 余計な事、報告しやがって!」

「まったくよ! 休憩時間が削られて嫌になるわ」


 二人の会話を聞いて、空は思う。


(あの女って……冬麻さんの事っすかね?)


 神子補佐役が定期的に報告書を提出する事は義務である。余計な事ではない。


「ホントめんどくせぇ女」

「頭が固すぎのよねぇ」

「手も足も太くて硬そうだもんな」

「あっ、ひっどーい!」


 と同時に聞こえてきた嗤い声に、空はそれ以上聞くのが耐えきれず、そっと離れた。


「……ふぅ……」


 小さくため息を吐くと、縁側の端に置かれた桶と雑巾、そして未だ湿って重そうな洗濯物を見つめた。

 そして、ぼそぼそと聞こえてくる岩源と兎乃原の嗤い声。


 先程芽生えた違和感が何か、空は気付き始めていた。




 そして、空は雑巾を手に取った。





<おまけ>


「うりゃああああああっ!! 廊下掃除っすぅーーーーっ!!」


 廊下は見事ツルツルピカピカになりましたとさ。


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