空と二十の神子、そして研修担当者
「由々しき事態ですね」
那由多ははっきりとそう言い、頭を押さえた。
ここは二十の御社内にある応接の間。先程の広間ではなく、狭い六畳ほどの部屋で空は那由多と冬麻と話し合いをしていた。
那由多は鞄から書類を取り出した。それは冬麻が書いた報告書らしい。
「てっきり報告書では、特定の神との恋仲説があるように思ったのですが……」
「申し訳ありません。言葉不足でした。百合様は二十の御社の神全員と非常に関係が良好で、どの神とも距離感が近く、最近それがより顕著になってきたと感じましたので……」
「……報告書はもっと丁寧に詳しく書くように」
「申し訳ありません」
那由多の指摘に冬麻は平謝りだ。
「かつて多数の神と関係を持ち自らも破滅に導いてしまった色欲の神子の再来とならないように、今後もより一層監視をするように」
「はい」
色欲の神子――そう呼ばれる神子の事は空もよく知っている。あまりにも有名な話だからだ。
皇帝による「神の託宣の儀」ではなく、とある職員によって「推薦」された少女神子。しかし、その神子は我儘放題の遊興三昧で不品行な生活を繰り返し、最後は邪神に成り果てた己の御社の神々に無惨に喰い殺されてしまったそうだ。
「色欲の神子が引き起こした事件がきっかけで神域に邪神が溢れ出し、最終的には『藤の神子乱心事件』を招いてしまったとも言われているのですから。厳重に警戒してください。複数の神と関係を持つなどと言語道断です」
那由多の言葉の重さを十分理解している冬麻は神妙な顔で「はい」と頷く一方で、空は疑問に思っていた。
(何ですでに関係者の神様と『関係を持つ』って言うっすかね?)
空は「関係を持つ」という言葉の本当の意味をまだ知らないのだ。
空が十二歳くらいの頃、紅玉に質問してみた事があるが――「もう少し大きくなってから教えてあげますね」――とにっこり微笑むだけで決して教えてくれなかった。
「あと、神隠しにも厳重警戒をしてください。その色欲の神子と同時期に消失した前三十五の神子は神隠しにあっているのですから」
「…………」
神隠しにあった前三十五の神子――空はその神子の事もよく知っていた。実際に会った事があるからだ。
誰もが振り返る程、とても美しい容姿を持つ女性だった。占いが得意でよく当たり、母がよく世話になっていたし、自分も世話になっていた。あと舞も得意で、母が生きていた頃に共に参加した宴で彼女が舞を披露してくれた事をよく覚えている。狐の面を付けた女性と息の合った舞はとても美しく魅力的で――。
「空君」
「っ! はいっ!」
前三十五の神子の思い出に浸っていたせいで、思わず返事が那由多への大きくなってしまった。
しかし、那由多は気にした様子も無く、淡々と告げる。
「あなたは再度神子と一対一で話をして、情報を掴んできなさい」
「えっ! いいんですか?」
「研修の一環です。神子にも臆せず話せないようでは、神子管理部は務まりませんよ」
「なるほど。わかりました。いってきます」
「私は冬麻さんと話していますので」
こうして空は二十の神子の百合と話をする事になった。
二十の神子は執務室にいた。
許可をきちんと貰ってから入室したが、空は思わずギョッとしてしまった。
そこには神子の百合と、その百合にしな垂れるように寄りかかっている男神と、百合の口に菓子を運ぶ男神と、百合の髪をひたすら整えている男神と、百合に代わり白紙の書類を整理している男神がいたのだから。
(なんか人が多いっす……あ、人じゃない。神様っす)
「あ! さっきの新人君ね。何か用?」
百合が微笑んで尋ねたので、空は正直に話す。
「神子百合様とお話がしたいです。大変畏れ入りますが、神々の皆様には一度退室をお願いしたく存じます」
「「「「はあ?」」」」
空の言葉に地を這うような恐ろしい声を発したのは他でもない四名の男神達であった。
しかし、空は怯まない。
「手短に済ませます。どうかご容赦を」
紅玉直伝の丁寧な言葉遣いに乱れ一つない礼に心からの言葉に、男神達はしばし空を睨みつけていたが、渋々と退室した。最後まで空を冷たい視線で睨んではいたが。
空はホッと息を吐くと、百合と向かい合った。
「無理を言って申し訳ありません」
「いいのよ。なかなか他の職員さんと交流が持てないでしょう。せっかくだからお話ししてみたいなぁって思っていたの」
「うふふ」と百合はふわふわ笑いながら、空を見つめる。
「やっぱりカッコいいとうよりは可愛い顔立ちをしているのね」
「いえいえそんな」
「でも、顔は整っているから、現世ではアイドルになれたかもしれないわね」
「いえいえそんな」
「将来有望ね~」
「いえいえそんな」
百合はまた「うふふ」と笑いながら、本気か冗談か分からない言葉を連ねていく。
一方の空は「ははは」と笑顔で対応する。紅玉直伝の――返答に困った時は笑って誤魔化せ――の技だ。
さて、いい加減話を切り出さないと、百合の雰囲気に呑まれてしまう――空は話が切れた一瞬で仕掛ける。
「それにしても神子様と神様達は本当に仲良しなんですね」
「うふふ、仲は良いわよ~。御社内の空気がギスギスするなんて嫌でしょ? だから、み~んなで仲良くっていうのがうちのモットーなの」
「そうなんですね。素晴らしい考えだと思います。特別に仲が良い神様とかいらっしゃるんですか?」
「んん? みんなと仲良しよ」
キョトンとしながら答える百合に、空は少し違和感を覚えながら更に問いかける。
「でも、特に会話が多い神様とか、特に一緒にいる事が多い神様とかいらっしゃるのでは?」
「うふふ、空気がギスギスするのが嫌だって言ったでしょ? そうならないようにちゃんと今日の神子側仕え担当を順番で決めているの」
「ああ、なるほど」
十の御社でも日番や夜番などの神々の仕事に日毎の担当を決めている。まあむしろ仕事の割り振りなので、やらなければ間違いなく神々の間で喧嘩が勃発してしまうからなのだが……。
二十の御社でも似たような事をしているのだろう。言い方は「神子側仕え担当」と印象が大きく異なるが。
しかし、あっけらかんと答える百合の姿に、空の中で違和感が拭えない……。
空は思わず聞いてしまう。
「……神子様にとって神様はどういう存在ですか?」
「み~んな仲良しのお友達よ」
「…………本当に、それだけっすか?」
「ええ、そうよ。だから、安心してね?」
「うふふ」と笑ってそう言う百合は可愛らしいと思った。そう、可愛らしい。純粋に可愛らしいのだ。
ただただ可愛らしい――ただ、それだけ。
そして、空は確信する。
(この神子様に恋仲の神様はいないっすね)
ずっとあった違和感の謎が解けてスッキリした半面、思ってしまったのは不安感――。
「あの、神子様――」
「――時間だ」
襖が開けられる音と同時にかけられた言葉に空はハッとする。
振り返ればそこには先程の四名の男神達が冷たい視線で空を睨んでいた。今にも貫かれてしまいそうな恐ろしい視線である。
空はすぐさま立ち上がり、百合に頭を下げた。
「お話し頂き、ありがとうございました」
「私も楽しかったよ。研修頑張ってね」
「失礼します」
そうして、空は神子の執務室を後にする――。
「――あの子は我のモノだ」
耳元で囁かれた恐ろしい声に空はゾッとした。
「――手を出せば命はないものと思え」
空にしか届かない小さな声で、だが身体を突き刺すような恐ろしい言葉に、空は思わず身体が冷えていくのを感じる。
去り際に思わず男神達を見たが、彼らはすでに空への興味を失っており、己の愛する神子の百合を見て顔を綻ばせていた。
あれは幻聴だったのかと、一瞬勘違いをしてしまう程だ。
だが、空は間違いなく聞いた。男神の脅迫とも言える言葉を。
そして、空は知っていた。神々の執着心の強さを。その恐ろしさを。
「…………」
故に空は不安に思う。神子の描く理想的な御社が崩壊した時、神子は、神は、どうするのだろうかと……。
**********
神子管理部事務所に戻った際、空は那由多に百合との会話で思った結果を報告した。
「二十の神子様に特定の恋仲の神様はいないと思います」
「それは何故?」
「神子様が望むは全員が仲良く過ごせる御社です。特定の神様と仲良くすることで御社の空気を悪くするのが嫌だともおっしゃっていました」
「……なるほど」
空の報告に那由多は納得した様子で頷いていた。
空は神子と話した内容を嘘偽りなくありのまま報告した。どうやら那由多にも納得できるような報告ができたようで空はほっとする。
一方で感じた違和感についての報告はやめておいた。あくまで空の主観での話で、勘や第六感といった表現に近い感覚からの不確定要素の意見でもあったからだ。
同時に感じた不安感についても――。
そんな考えを巡らせている空を余所に那由多は言った。
「念のため、今後しばらくはこの御社の様子を注意深く見張る事にしましょう。研修の内容としても丁度良いですし、あなたもしばらくは二十の御社の動向を注意深く観察するように」
「わかりました」
そう返事をしたものの、空にはもう一点気になる事があった。
それは二十の御社の神子補佐役である冬麻の事である。
(随分とお疲れの様子に見えたっす……)
それは二十の御社からの帰り際顕著であったように感じた。
それまで冬麻は那由多と二人で話していたはずである。
(報告書の件で怒られただけっすかね……?)
「報告書はもっと丁寧に詳しく書くように」――と言われた以外にも不備があったのかもしれない。
(……いや、それだけじゃないような気が……)
薄々違和感はあった。そして、今になって思えば、その違和感はどんどん大きくなるばかりで――。
「あの、見ているだけですか? こちらから何か手伝えることとかあるならと思ったんですが」
思わず那由多に申し出ていた――しかし。
「参道町配属職員の仕事は外から神子を見張ること……言わば抑止力です。御社外の人間が直接的介入は許されません。その役目は御社配属の補佐役の役目です。管轄外の仕事までしている余裕なんてありません」
正論で返されてしまい、空はぐうの音も出なかった。
那由多の言う事は正しい事なのは頭でわかっている。わかっているのだが、納得できない自分がいた。
本当はこうすべきだとか、こうしてあげるべきだと思う事もたくさんあり、声を大にして言いたい。
しかし、現実はそう簡単に許してはくれないだろう――たかがそんな小さな事で。
所詮、空は新人でただの子どもなのだ。子どもがどんなに叫んだところできっと何も変わらない。力になってくれる先輩の大人達は自分の仕事こなす事で精一杯なのだから。
バタバタと忙しなく動き回る事務所内の足音を聞きながら、空は悔しさに唇を噛み締めるだけだった。
そんなモヤモヤとした思いを抱えたまま、空の研修一日目が終了した。
〈おまけ:十の御社の執務室にて〉
「まず神子の日誌を書きましょう。あと二十五の神子様と四十の神子様からお茶会のお誘いが来ています。こちらのお返事も書かなくてはなりません。それと豊作祈願の御札と晴天祈願の御札と無病息災の御札作成依頼がたくさん来ています。こちらもなるべく急いで作らねばなりませんので、キリキリ働いてもらいますわよ」
紅玉は水晶の執務室の机の上に、書類やら手紙やら和紙やらが次々と積んでいく。
堆くなっていく仕事の量に水晶の顔が若干引き攣っている。
「あら、どうしました? 十の神子。これしきの仕事なんて余裕でしょう?」
にっこりと微笑む紅玉に水晶は何も反論ができない。
何故ならば、紅玉の後ろにはあの新人女性職員がキラキラとした目で水晶を見つめていたからだ。
「お姉ちゃんの鬼ぃっ!!」と叫びたい一心をぐっと堪え、水晶は筆を手に取った。
「このように神子様は一日に数多くの仕事をこなされるのです」
「すごいです! 神子様!」
紅玉の説明に新人女性職員はますます水晶に尊敬の目を向けた。
キラキラの目線を浴びながら、水晶は必死に微笑みを保つ。「ふふふふ」という優雅な笑い声が若干乾いている気がするのは気のせいではない。
「さあさあ神子様。まだまだお仕事はたくさんありますから励んでくださいね。まあ貴女様でしたら、これくらいの仕事量、何も問題ないとは思いますが」
「ええ、当然です」
一見すると、にっこりと微笑み合う仲良しな姉妹だろうが――実際は全く違う。
(今まで溜めに溜めてきたお仕事を何が何でも今日中に仕上げて頂きますからね)
(鬼ぃっ! お姉ちゃんの鬼ぃっ! 仕事の鬼! 社畜ぅ~~~~っ!!)
水面下ではそんな会話が繰り広げられている。
微笑みの下でそんな争いが繰り広げられているなど、新人女性職員は知る由もない。
蘇芳は何とも言えない顔でそれを見守るしかなかった。