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大和撫子さまのお仕事  作者: 小茶木明歌音
第三章
136/346

海の死、紅玉の不安




 その日、十の御社に侵入者が入り込んだ。

 その侵入者は現世で横行していた誘拐事件の容疑者のある男性職員であった。


 ある職員と当時神子であった焔に追い詰められ、十の御社に無理矢理逃げ込んだのだ。

 そして、男性職員は追い詰められたせいで狂ったのか、自らの罪を次々と暴露していった。


 それは聞くも(おぞま)しい内容だったらしい。




 現世から自分好みの美しい娘達を攫ってきた事。

 彼女達の記憶を消し去り逃げられないようにした事。

 そして、己の欲望をただ満たす為だけに娘達を慰み物にした事。




 それ聞いて怒り狂ったのは、正義感が人一倍強い焔だった。




 焔の異能が暴走し、火焔が男を飲み込んだ。

 火達磨になった男は大絶叫しながらのたうち回り、やがて断末魔をあげて倒れた。


 そして、運悪く、その場所は御社の縁側だった。


 神子が生み出した火焔は神をも飲み込む強力なもので、神も必死に逃げ惑うしかなかった。しかし、火焔が燃え移った御社の中にはまだ神が残っていたらしい。




 海は考えるよりも先に身体が動いてしまう女性であった。故にその時も彼女は先に身体が動いてしまったのだ。




 火焔に飲み込まれそうになった神を助ける為に、海は身を呈して火焔から神を守り、その身を火焔に焼かれてしまった――。




 十の御社の異変に気付いた紅玉と蘇芳が辿り着いた時には、海は見るも無残な姿だった。

 全身真っ赤に焼け爛れ、口から大量の血を吐き出して、刀の神の腕の中で息絶えていた。




 あの時の刀の神の慟哭が未だに耳に残っている――。




*****




 海が亡くなったあの日の事件を紅玉は思い出していた。


「海ちゃんが亡くなった切っ掛けになってしまったあの事件……聞けばただの不運な事故だと思われていますが……わたくしはどうしても当時の御社配属職員の配置に問題があったとしか思えませんの」

「それは……」


 蘇芳も思っていた。

 そもそも男性職員の御社への侵入を一体誰が許してしまったのか――。


「……後になって知ったのですが……当時十の御社の護衛役は買い出しで不在だったそうです。そして、神子補佐役であった那由多は海ちゃんの傍にいて、生活管理部の職員は御社の門の前で掃除をしていたそうです……門の鍵をかけ忘れて」

「えっ!?」

「御社の門は侵入者を決して許さない為に、常時門の施錠の義務があるにもかかわらず……その日に限って門の鍵をかけ忘れてしまったそうなのです」

「それは…………」


 あまりに杜撰な管理だと蘇芳は思った。

 御社配属の職員になってまず教えられることは、この門の施錠の重大さについてだ。鍵のかけ忘れがあった日には、始末書で済めばまだマシな方だろう。下手をすれば、減給処分や懲戒処分が下る重大な過失である。


「……容疑者の侵入を許してしまった当時の生活管理担当者は懲戒処分。別仕事のため任を離れていた護衛役は異動しましたが、後に自責の念から自主退職しております。そして、神子補佐役の那由多も火焔の異能から身を守るので精一杯で責任はないとされ、異動となりました」


 そこまで言うと、紅玉は俯いてしまった。僅かに肩が震えている。

 蘇芳はそっと紅玉の肩を撫でる事しかできなかった。


「……わかっております。彼女に責任はありません。彼女を恨んでいるわけではありませんわ。わかっております。わかっておりますわ…………でも…………もしあの時あの場にいたのがわたくしだったら、身を呈してでも海ちゃんを守ったのにって……つい悔しくて……何度も思ってしまいますの……」


 大切な幼馴染。小さな頃、己を救ってくれた大好きな幼馴染。守りたかった大事な存在を失ってしまった紅玉の悲しみは測り知れない――だが――。


「……すまん、紅殿……貴女は怒るだろうが……やはり、あの時あの場にいたのが貴女でなくてよかったと思ってしまった……」


 蘇芳はついそう思ってしまう。

 もしあの時あの場にいたのが那由多ではなく、紅玉だったのなら、間違いなく命を落としていたのは海ではなく、紅玉であったに違いないのだから。


「……ふふふ、酷いですわ、蘇芳様」

「…………すまん」


 それでも蘇芳は思ってしまうのだ。

 海よりも紅玉の方が大事だから。


 紅玉だって、蘇芳の気持ちが分からないわけではない。

 もし逆の立場だったら――蘇芳があの時あの場所にいなくてよかったと思ってしまう――だが、やっぱりそれでは海を救う事は出来ないから――。


 考えても、考えても堂々巡だ。


(分かっています……もしも、だなんて考えても……ありさちゃんは永遠に帰ってこない……)


 だけど、思い出してしまうのだ。


 幼き頃のありさが自分に手を差し伸べている姿とか。

 道場着姿のありさが竹刀片手に男子訓練生を倒した勇ましい姿とか。

 学生服を着たありさが豪快な笑顔で手を振っている姿だとか。

 紺碧の髪と透き通るような青い瞳を持った神子の海の堂々たる姿とか。

 あまりにも無惨で痛ましい最期の姿とか。


 はらり――それは最早無意識だったのだろう。


 それに気付いたのは紅玉ではなく、蘇芳だった。


「紅殿っ……!」

「え?」

「すまん。すまない。無神経だった。本当にすまない」

「えっ、と……?」


 蘇芳に頬を拭われ、紅玉はようやっと自分が涙を零している事に気付く。


「あらいやだっ……! わたくしったら……なんで……こんな……っ……!」


 慌てて顔を擦ろうとする紅玉だったが、それを蘇芳が阻む。そして、そのまま蘇芳は己の胸に紅玉を優しく押し付けて、ゆるゆると頭を撫ではじめた。


「……っ……!」


 そこから、もう駄目だった。まるで決壊したかのように瞳からは涙が溢れ零れ落ち、口からは嗚咽が漏れていく。

 身体を震わせ泣きじゃくる紅玉を蘇芳は優しく抱き締めた。紅玉が泣き止むまで頭と背中をあやすようにずっと撫で続けることしかできない己を不甲斐無く思いながら――。




 そうしている内に、紅玉が落ち着きを取り戻し、ゆるゆると蘇芳から身体を離した。まだ目が潤んで赤いものの、蘇芳を見て困ったように微笑んだ。


「……すみません……また、すがってしまって……」

「いや、いいんだ……」


 まだくずくずと鼻を啜っている紅玉の頬に残る涙を拭いながら蘇芳は言う。


「貴女は泣くことを我慢する悪癖がある。俺でよければすがって泣いて欲しい。俺には……それしかできなから……」


 神域最強の戦士と謳われながら、蘇芳は己自身が不甲斐無くて仕方なかった。紅玉の悲しみを取り除く事など永遠に出来ないのだから。

 それでも悲しみを少しでも軽減させる事ができるのなら、とは思う。それに――。


「……泣くことを我慢して苦しそうな貴女を見る方が辛い」

「は、はいっ……」


 何とか蘇芳の言葉に返事をしながら、紅玉は一瞬心臓が止まるかと思った。

 真剣な表情で頬を撫でながら、恋慕している相手にそう言われたら――。


(かっ、勘違いしそうになりますっ!)


 しかも蘇芳は一見すると仁王のように恐ろしい容姿だが、よくよく見ればその顔立ちは非常に整っており、それこそ神々にも匹敵する程だ。

 残念ながら、御社の外では常に厳つい表情をしており、身体も大き過ぎるせいで、その事に気付いているのは親しい間柄の極少人数だけなのだが。


 すると、蘇芳は紅玉から手を離すと首を傾げた。


「ところで、話が逸れてしまったが、那由多の何が気になるんだ?」

「あ、ああ……」


 海の思い出話を始めてしまったせいで、すっかり話の主軸から逸れてしまっていた事に気付いた。

 そして、紅玉は改めて蘇芳に不安に思っている事を話し出す。


「……実は彼女……神子反逆罪の疑いをかけられたことがありまして」

「神子反逆罪だと?」


 それは穏やかな話ではないと蘇芳は思う。


 守るべき神子への反逆行為は、それこそ罪深い行為であり、下手をすれば神域もしくは現世へも影響を及ぼす事だってあるのだ。

 時代が違えば懲戒免職の処分だけでは済まされない。それこそ切腹させられていただろう。


「あくまで疑いであって、結局明確な証拠はありませんでしたので処罰などはありませんでしたが……」

「……何故、神子反逆罪に問われたんだ?」


 紅玉は少し辺りを見回し、誰もいない事を確認すると、小さな声で話し出した。


「……御社配属の神子補佐役は神子の素行を各区の主任に報告する義務があるのですが……那由多は十の神子であった海ちゃんの報告を艮区の主任ではなく、別の区の主任に報告していたらしいのです。これだけなら注意だけで済んで特に問題視される事はなかったのですが……」


 紅玉が話した内容は確かに大した問題ではなさそうだが、どうやら他にも原因があるようだと思いながら蘇芳は紅玉の声に耳を傾ける。


「……彼女、参道町配属になってから、自分の担当外の神子の素行を勝手に調べたり、接触したりすることがしょっちゅうあったそうです。神子の抗議によって判明した事実です」

「なるほど……確かにそれは問題だな」


 神域警備部だって、極力担当区以外の神子との関わりは避けるべきだと教わっている。勿論、命令があれば担当区以外にも出向く事はあるかもしれないが、基本的にはそう言うことはあり得ない。神子本人が望んだり、担当区の職員が許可を出していたりすれば話は違うが、どうやら今回はそういう問題ではないようだ。


「……それで、その……その抗議をしたという神子というのが……」


 紅玉は物凄く言い辛そうに、そして物凄く小さな声で言った。


「空さんのお母様の(はる)さんなのです」

「っ!?」


 空の母――晴は、前二十二の神子である。予想外の人物の名前に蘇芳は目を剥くしかなかった。


「……空さんは恐らく那由多のことを知りません……ですが、那由多がもし空さんのことを調べるために晴さんと接触していたらと考えると……」


 紅玉は思わず両手を握り締めてしまう。


「空さんの研修先だけ良い候補が見つからなかったらしくて……幽吾さんも頑張って手を回してくれたのですが……結局、那由多の部署になってしまって……」


 紅玉の手の甲に爪が食い込む。


「……嫌な予感がしてならないのです……」


 若干顔色の悪い紅玉の手をゆっくりと解きながら、蘇芳は言った。


「紅殿、俺も空殿の身に何か起きないよう力になる。大丈夫だ。貴女も空殿も一人ではない。幽吾殿も何かあれば力を貸すと言ってくれたのだろう?」


 蘇芳の問いかけに紅玉はこくりと頷く。


「なら大丈夫だ。恐れる事は何もない」


 蘇芳は紅玉の手を握り、真っ直ぐ見つめて言った。


「だから約束してくれ。決して一人で抱え込まないと。無茶はしないと」


 そう言って、もう一度紅玉の手を握る。


 大きな手のぬくもりに、優しいその声に、真っ直ぐなその瞳に、紅玉の中に燻ぶる不安が消えていくのを感じた。


「はい、約束しますわ」


 紅玉もまた蘇芳の手を握り返して言うと、二人の右小指に刻まれた契約の紋章がふわりと淡く光った気がした。




「さて、もう休もうか」

「はい」


 湯呑みを洗って片付け、台所から出ていく二人は、ついに気付く事はなかった。


 流し台に残る僅かな水を通じて、二人の会話を盗み聞きしていた存在など――。




〈おまけ:お風呂上がり〉


「あら」

「あ」


 大浴場の入り口、紅玉と蘇芳は鉢合わせをした。丁度二人とも湯上りだった為、頬がほんのりと赤く染まっている。


「蘇芳様もお風呂上がりだったのですね」


 紅玉はそう言いながら蘇芳を見た。


 蘇芳も寝間着は浴衣愛用者だ。だが、今日は甚平を着ている。紺色の布地に縞模様の入ったしじら織の布地はとても涼しげだ。下衣の丈も短めで膝より下が見えており、逞しい脹脛の筋肉が主張している。短い蘇芳色の髪はまだ濡れて水が滴り落ちており、思わず乾かしてあげたいと思ってしまった。


「俺はついさっき入ったところだったんだが、紅殿はいつから入っていた?」

「う~ん……一時間程前でしょうか」

「湯中りしていないか?」

「ふふふっ、大丈夫ですわ。女性は入浴が長くなるものですよ」


 そう言ってころころと笑う紅玉を蘇芳は見た。


 紅玉も寝間着は浴衣の事が多いが、今日はゆったりと長い丈の白地に花柄の部屋着を着ていた。襟は布が首元の邪魔にならないように大きく開いており、鎖骨が見える。袖は七分ほどで、布も軽く柔らかいのだろう。紅玉が歩く度に裾がひらひらと揺れた。髪は十分に乾かされており、軽く結われて左肩から胸の方へと流されている。いつも巻いているはずの晒しは巻かれていないようだ。


 そんな事を話している内に互いの部屋の前に辿り着いた。二人の部屋は廊下を挟んで向かい同士である。


「それでは、おやすみなさい。蘇芳様」

「おやすみ、紅殿」


 二人は挨拶をすると、揃って扉を閉めた。




 そして、その瞬間、紅玉は部屋の入り口で蹲った。


(甚平ぇええええっ! 甚平可愛いっ! 甚平を着ている蘇芳様が可愛いっ!! 大人なのに膝丈って、なんて狡い……っ! ああどうしましょう明日も早いのに眠気が吹き飛んでしまいました……っ! どうしましょう……っ)




 一方蘇芳も部屋の入り口で口元を手で覆い、しゃがみ込んでいた。


(ネグリジェっ!! なんてけしからん! 良く似合っていた、いや違う! 白地に花柄が可愛い、いやダメだ! なんであんなに襟ぐりが開いている!? 谷間が! 胸の谷間が! 項が! 良い香りがした……って違うっ!!)




 二人揃って難儀な夜を過ごしたそうな。


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