園遊会~十の御社とお客様~
※こちら三章二話目です。一話目を同日投稿しております。閲覧の際はご注意ください。
春の終わり、間もなく梅雨がやってくる皐月の下旬、よく晴れたその日にその女性は十の御社の前にいた。
金糸雀色のふわふわの髪に雛菊の髪飾りで留めて、お日様のような橙色のクリクリとした瞳を持つ愛くるしい少女のような女性――雛菊だ。手には風呂敷に包んだ土産、肩には月のような淡い黄色い羽毛を持つ鳥の神獣のみたらしが鎮座している。
大きな十の御社の門を数度叩くと、やがて門が小さく開き、中からひょっこりと女性が現われる。
癖一つない真っ直ぐな漆黒の髪を高い位置で括ったいつもの髪型。前髪は少し伸びてきているようだが、今日も綺麗に切り揃えてある。漆黒の丸い瞳に、左目の端に泣き黒子。
「いらっしゃいまし、雛ちゃん、みたらし様」
十の御社の神子補佐役の紅玉が柔らかな笑顔で挨拶をした。
今日の紅玉の装いは青い矢絣の着物に濃い紫の袴。それに合わせて髪に飾り付けている紐も藍色だ。
日差しが強く照りつけ、暑くなってきた今日この頃に相応しい爽やかな装いに、雛菊も心穏やかにさせられる。
「こんにちは、紅」
『御機嫌よう、神子の姉君』
「さあ、どうぞお入りください」
「お邪魔します」
十の御社の敷地内に一歩足を踏み入れると、温かな日差しはそのままだが、爽やかな風が通り抜け心地良さを感じた。
「はあ……涼しい……気持ちいい」
「最近は随分と暑くなってきましたからね。翡翠様にお願いして、十の御社中に涼しい風を送り込んでもらっているので、ここでは快適に過ごせると思いますよ」
「流石は神様ね……規格外」
神域で暮らし始めてもう間もなく二ヶ月が経つ雛菊だが、神子や神の摩訶不思議な力には未だ驚かされてばかりだ。
(見た目は普通の人間と変わりないのにねぇ~)
そう思う雛菊も鳥の神獣を従え、以心伝心の異能を持つ随分と摩訶不思議な存在ではあるのだが。
紅玉に先導されて御社の庭園へやってくると、そこにはすでに大勢の神や人が各々楽しんでいるようだった。
ある者は食事を楽しみ、ある者は酒を交わし、ある者は談笑をし、子ども達(と言ってもれっきとした神)は一緒に輪になって遊んでいた。
輪になって遊んでいる子ども達の中には研修の時に世話になった真昼や雲母やれなもいたので、思わずそちらに視線が向いてしまう。
「「「「「山に住んでる鬼さんの~、退治に神子さんやってきて~」」」」」
現世の人間なら一度でも口ずさんだ事はあるだろう遊び歌を歌いながらくるくると回って遊ぶ子ども達を見て、雛菊は懐かしさを覚える。
(弟と妹達とよく一緒にああやって遊んだっけ)
鬼と神子に纏わる遊び歌の丁度「神子さんはだあれ?」という歌の締め括りとなり、真ん中でしゃがんでいる子どもが背後に立つ誰かを当てるところであった。
「雛ちゃんが来ましたよ~」
紅玉にそう言われ、雛菊は慌てて視線を前に戻す。すると、紅玉の声に振り返った十の御社の住人達が各々雛菊に手を振っていた。
「ようきたのぅ、菊ちゃん!」
木の幹のような茶色の柔らかそうな髪と黄色と緑の混じった瞳を持った男神の槐がニカリと笑って手を振る。
「姫、いらっしゃ~い! あとで一緒に飲もうぜ!」
酒を片手にそう言うのは白か銀かという絶妙な色合いの髪と真っ白な毛で覆われた耳と尾を持つ男神の遊楽だ。
他にも見目麗し過ぎる神々からの熱烈な歓迎に、雛菊は思わず目を細くする。
(ま、眩し過ぎる……っ!)
すると、雛菊に向かってくる小さな姿が目に入る。
「雛っち~~~~」
それはこの御社の神子にして紅玉の可愛い妹の水晶であった。
ふわりと波打つ輝く白縹の髪を揺らし、透き通る程白い肌の細く小さな両腕を雛菊の方に必死に伸ばし、とてとてと駆け寄ってくる姿はあまりに健気で思わず受け止めてあげたくなる程の可愛さだ。しかもぱっちりとした水色の瞳をキラキラと輝かせ、頬を桃色に染めて、笑顔で駆け寄って来たのなら、誰もそれを拒む事は赦されないだろう。
雛菊は思わず両手を広げ水晶を受け入れようとする――が、間にさっと紅玉が割って入り、右腕を伸ばし水晶の額を抑えつける。
「……貴女の考えている事なんてお見通しですからね」
「……うみゅ」
紅玉のその一言に雛菊はハッと我に返り、広げていた両腕をすぐに胸の前で交差させ防御姿勢を取っていた。
そして、思い出す。
この水晶、初対面の女性に対してもその胸部の柔さと大きさを確かめる為に、遠慮なく他人の胸部を両手で鷲掴みする恐るべき少女であった事を。
将来美人間違いなしの容姿の持ち主であるにもかかわらず、その中身が非常に残念な美少女であった事を。
「空さん、鞠ちゃん。雛ちゃんを安全な場所へ案内してあげてくださいな」
「おっす!」
「Yeah!」
紅玉にそう言われ、すぐさま空と鞠が駆け寄ってくる。
「いらっしゃいませっす、雛ちゃん! ご案内するっすよ!」
空はそう言ってニカッと笑った。
あどけなさがまだ残るその笑顔はかっこいいというより可愛い。そして、名前と同じ天に広がる空と同じ色をした髪と青と藍が混じる美しい色合いの瞳は陽の光を浴びて輝いている。髪に留めた飾り二本もキラリと光った。
「ヒナちゃん、Welcomeデース! こっちデース!」
鞠もまたニコッと笑って言った。
星屑のように煌めく金の髪を綺麗に編み込みまとめあげ、緑と淡い青を混ぜた美しい色合いの花緑青の大きな瞳はまるで宝石のよう。妖精の如く美しい少女だ。
そんなキラキラ輝く若い少年少女に両脇を抱えられ、雛菊はさらに目を細くする。
(まっ、眩し過ぎる……っ!)
そんな事を考えている雛菊を余所に空と鞠は(ほぼ持ち上げるような形で)雛菊を案内する。
すると、みたらしは雛菊の肩からパタパタと飛び立つと、近くの樹の枝に止まっていた己の分身達の元へ行き、「ピチチ」「ピヨピヨ」と挨拶をしだした。
やがて雛菊が案内された先には見知った顔がたくさんいた。
それは空の父であり、海のような鮮やかな青い髪と水面から深海へと移り変わる青と蒼が混じる瞳を持つ竜神の蒼石だったり、闇に溶け込むような薄墨色の長い髪と茜色の瞳を持つ男神の日暮だったり――。
しかし、その中で雛菊は真っ先に目に入ったのは、燃え盛るような赤と橙の混合色の強そうな瞳とは裏腹に、肩に着く程になった銀朱の髪の先は少し跳ねて愛嬌がある女性だ。
「やあ、雛菊さん」
「焔さん! お久しぶりです!」
「研修の時以来だったかな?」
「その節はお世話に……!」
「いやいや気にしないでくれ。元気そうで何よりだ」
焔はそう言って笑う。
焔もまた笑うと可愛いなぁと思う雛菊であったが、耳元と髪の毛と首元を飾る鈍く光る黒曜石のような宝石は正直あまり似合わないなぁと思ってしまった。
すると、空が雛菊に声をかけた。
「雛ちゃん、何飲みたいっすか? お酒もあるっすよ」
「お酒!」
雛菊は愛くるしい容姿とは裏腹になかなか酒好きな女性である。
「あ……でも、昼間からお酒はやっぱり……」
今日は休日とはいえ、昼間から酒を飲む事に気持ちが憚られるのだ。
「遠慮しないでいいっすよ。だって――」
「おーい! ひっなちゃーん!」
空が何か言いかけたその時、遠くから己を呼ぶ声が聞こえてきて、雛菊は思わずそちらを向いた。
「ははははっ! 元気ですかああああっ!? ぎゃははははっ!!」
酒を片手に大声を上げていたのはなんと八の神子である金剛であった。
酔っ払っているせいなのか元々そうであったのか分からないが、ボサボサの赤銅色の髪に酔っ払って視点が定まらない金色の瞳に緩みまくった太い眉。極めつけに着ている着物は大分着崩れて乱れている。
もう一度言おう。この男、八の神子である。神子である。
雛菊の顔から表情が抜け落ちた。
そんな雛菊に鞠が言う。
「コンゴーさん、フライングベロベロデース」
「そうね……」
視線の先で酔っ払って笑い声を上げている金剛を蘇芳色の髪を持つ大男が「止めろ! 兄貴! 恥を晒すな!」と叱り付け、押さえ込んでいるのが見えた。
雛菊は思わずその大男――金剛の弟である蘇芳――に心の中で手を合わせる。
そして、雛菊は遠慮を捨て、空に言った。
「じゃ、大和酒、お願いします」
「おっす! 用意するので待っててくださいっす。お父さん、雛ちゃんをよろしくっす!」
空にそう言われ、蒼石は「うむ」と答えると空の頭を優しく撫でる。すると、空は嬉しそうに笑った。
(相変わらず仲良し親子ね)
空と蒼石親子の微笑ましい場面を見守っていると、空は雛菊の酒を準備する為に走り去っていった。
すると、入れ替わりでやって来たのは紅玉だ。
「すみませんね、雛ちゃん。うちの妹が相変わらず失礼を」
先程の胸鷲掴み未遂の件だろう。
「あはは……お変わりなさそうで安心したわ」
そこは変わりなくて、良くはないだろう。
すると、雛菊は姿勢を正して言った。
「えっと、園遊会に招待してくれてありがとう」
「ふふふ、皆様、雛ちゃんに会いたいっておっしゃったものですから。お越し頂きありがとうございます」
そう、今日は十の御社の園遊会だ。
もうすぐ本格的な夏が始まる前に皆で園遊会をしたいと言い出した水晶の発案だった。水晶や神々の希望もあり、多くの友人達を招待する事となり、雛菊も招待される事になったのだ。焔も招待された内の一人である。
どんどん増えていく招待状の数を思い出し、紅玉は思わずころころと笑ってしまった。
「あ、これ、文からの差し入れです」
雛菊はそう言って、風呂敷に入った土産を渡す。
「まあ、わざわざありがとうございます。文君も来られたらよかったのですが……」
文も招待客の一人であったが、勤務の関係上参加できないと連絡があったのだ。
文の勤める「茶屋よもぎ」には、実質職員は文しかいない。雛菊が文の店に手伝いで入っているものの、雛菊はあくまで神獣連絡部であるのだ。雛菊だけで店を開けるわけにもいかない。なので、文は園遊会不参加になったという訳だ。
しかしながら、雛菊はこの正当な理由以外にも文が園遊会参加を見送った理由を知っていた。
「文ったらこう言っていましたよ……『ウザ神達がいなければ行ってあげなくもない』って」
「あらぁ……」
男性にしてはかなり可愛らしい顔立ちの、しかし冷たさを孕んだ新緑と黒の混じりの瞳と黒混じりの淡い杏色の癖のある髪の毛を持つ人物の毒を吐く姿が思い浮かぶ。
すると、神々が「ええええっ!!」と抗議の声を上げ出す。
「文ちゃん、ひっどーい! ようしっ! 後で絶対お店まで行って絡み酒に行ってやっるぞーっ!」
酒を片手に陽気に叫ぶのは猫のようなつり上がった黄色の瞳と淡い薄茶の髪を持つ男神のなずなだ。男神であるものの、装いが色鮮やかで派手である。そして、十の御社酒豪神の一人だ。
そして、もう一人の酒豪神である鼠色の髪と白と黒が入り混じり煌めく色合いの瞳を持つ男神のまだらも酒を片手に叫ぶ。
「おーい! 後で文のお店まで行くヤツ~!?」
その声に賛同する神々が「はーい!」と勢いよく手を挙げる。
「ふふふっ、おやめなさ~い」
瞬時に絶対零度の微笑みに場が凍りつき、一気に静かになっていった。
場をあっという間に諌めてしまった紅玉の手腕に雛菊は相変わらず感心してしまう。
「あはは……紅も神様達も相変わらずね」
「それにしても……」と雛菊は呟き、そして思う。
何故十の御社の神々はそんなにまで文を気にするのだろうか――と。
雛菊の異能は「以心伝心」という自身の思った事を相手に伝え、逆に相手の考えている事を読み取るというものだが、制御が出来るようになって以来、自身の考えが筒抜けになった事は一度も無い。
しかし、雛菊はそれ以上に、考えている事が顔に出やすい女性であった。
そして、今回も雛菊の顔を見た焔が察知し、雛菊の心に思った疑問に答えていく。
「実は、私と文も、雛菊さんと同じように十の御社で研修を受けたから、未だに十の御社の神々には気に掛けてもらっているんだ」
「あ、なるほど! そういうことなんですね!」
疑問が解決し、すっきりする雛菊ではあるが、考えが顔から読まれている事に関しては気付いていないようだった。
すると、空が飲み物や食事を載せた盆を持ってやって来た。
「お待たせっすー! 大和酒っすよ!」
「あっ! ありがとーっ!」
待ちわびた酒の登場に雛菊は思わず満面の笑みとなる。
「あ、で、焔ちゃんのは――」
何か言いかけた空の横から焔の前に飲み物が突き出される。
焔が驚いてそちらを見ると、鈍色の髪と氷のような薄青の瞳を持つ男神の鋼が無表情で焔に飲み物を差し出していた。
焔は驚きを隠せずにいるが、恐る恐る差し出された飲み物を受け取った。
「……あり、がとう、ございます」
絞り出すように言えた言葉を聞き届けると、鋼はそのまま何も言わず立ち去っていった。
複雑な顔をして鋼の背中を見送る焔に鞠はそっと言う。
「ホムちゃん。ハガネさん、オコッテませーん。ダイジョーブ」
「……ああ、大丈夫だ。わかっている。でなければあの方は私と目を合わせようともしてくれないだろうから……」
「鋼さん、焔ちゃんの分は自分が持っていくって言ったっす。大丈夫っすよ」
「……そうかっ……!」
空の言葉に返事をした焔の声は少し震えていた。
雛菊は非常に察しの良い女性でもあった。
以前聞いた焔の過去――罪を犯したという壮絶な過去――と何か関係しているのだろうとは思ったが、それ以上の詮索は焔にも鋼にも良くない事と察したので、雛菊はただ焔を慰めるように肩を優しく叩いてあげた。
〈補足〉
鋼と焔。
前十の神子に仕えていた神とその神子を死に追いやってしまった女性。
複雑な関係性。