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大和撫子さまのお仕事  作者: 小茶木明歌音
第二章
131/346

【番外編】とある生活管理部の災難

本編より過去のお話です。

時期は紅玉入職一年目の師走二十九日。「藤の神子乱心事件」のすぐ後くらいです。


今回のメインは残念なイケメン紫です。




(なんでこんなことになっちゃったんだろう……)


 (ゆかり)は大きく溜め息を吐いた。


 つい数日前、神域は邪神で溢れ大混乱に陥った。「藤の神子乱心事件」と呼ばれる神域史上最悪の大事件――。


 神子も神も命を落とし、職員に至っては死亡者が百人届くとまで言われている。


 そんな中、何とか生き残った紫だが、彼にとっての悲劇はこれだけに留まらなかった。


(なんで大事件の首謀者の神子様の名前が「藤紫(ふじむらさき)」なんだろうねぇっ!?)


 藤紫――藤の神子乱心事件の首謀者であり、神域史上最悪の神子で悪女とまで呼ばれるようになった元二十七の神子。

 その藤紫とよく似た名前を持つ己――紫。


 それから紫の日々は散々だった。

 やれ縁起が悪いだの、悪女の名を継いでいるだの、女を誑かす悪い男だの、悪口を吹聴される陰湿な虐めと冷ややかな目で見られる日々に紫はすっかり疲弊してしまっていた。


(……いや最後のは身に覚えあり過ぎなんですけれど……)


 紫自身、女性関係に少々派手だった事もあり、その事が更に火に油を注いでしまったようだった。今までの身の振り方に関して心底後悔してしまう程に。


(でも、女の子達、みんな可愛いんから……ほっとけないんだよなぁ……)


 紫が高身長で、紫水晶の如く煌めく切れ長の瞳と、さらさらと滑らかな髪を持つ見目麗しい男性だったこともあり、女性達が自ら寄って来てくれたので交遊関係に苦労した事がない。

 一時の共有の時間を過ごすのも楽しかったし、短期間だけ交遊関係を続けるのも楽しかった。長くは続かなかったが。


 しかし、今回それが仇になってしまったとなると笑えない。

 挙句、過去の女性達は皆、困っている紫に手を差し伸べてようとしてくれなかった。


(世の中って世知辛い……)


 虐める側の気持ちも分からないではないのだ。あれほどの大事件が起き、なんとか邪神を退け平和を取り戻せたとはいえ、未だに神域は混乱状態だ。

 そして、全職員、大きく変わった環境に加え、人員不足などに毎日多忙の日々である。

 首謀者の藤紫は生死不明の行方不明。この不満や鬱憤をぶつける相手がいないのだ。


 その結果、その矛先として向いたのが、紫だったというわけである。


(いい迷惑だよ……ホント……)


 今やもううろ覚えになってしまった元二十七の神子の藤紫に心の中で悪態を吐いた。




 そして、紫もついには陰湿な虐めに耐えきれなくなり、退職を考えることにした。せっかく神域管理庁という就職難関で高給料の職場で働く事が叶ったのだが、やはり疲弊される日々に疲れ切ってしまっていた。

 そこで先程、直属の上司である生活管理部の艮区主任に退職願を提出したところ、なんと主任からこんな打診をされたのだ。




「私の愛人になってくれたら、退職しないで済むように守ってあげるわ。でも、私の要求を無視して退職したら……現世で生活できないようにしてやるから」




 紫は本日何度目になるか分からない溜め息を吐いた。


(愛人……愛人ってあれですよね? 夜のご奉仕しろっていうあれですよね……? しかも僕に選択肢ないじゃん。退職したら現世で平穏無事に暮らせなくなっちゃうんでしょ~……)


 紫もよくは知らないのだが、あのババ――女性主任はどうにもこうにもそこそこやんごとない家の御生まれらしいのだ。


(詰んだ。僕の人生マジ詰んだ)


 現世で苦労して生きていくくらいなら、ババ――生物学的条には女性で、デ――少々ふくよか過ぎる、ブ――顔の造形が個性的な人の下で、給金を貰いながら生活する方がマシか、と麻痺した考えが浮かんでくる。


 とぼとぼと力なく生活管理部事務所を歩いている時だった。


「あの、すみません」

「はいっ、こんにちは!」


 条件反射でつい女性の声に反応してしまい、思わず笑顔で応えてしまう紫。

 そして、声をかけてきた女性を見て驚いてしまう。


 その女性は髪も瞳も漆黒のままで神力の色を持たない〈能無し〉の紅玉(こうぎょく)だったのだから。


(まさか話題の彼女に直接お会いするとは……!)


 紅玉が神域で話題になっている理由としていくつかあるが、まずは先日の「藤の神子乱心事件」で現れた大量の邪神を一気に祓った新しく降臨した神子――十の神子の水晶(すいしょう)の姉であり、そのまま神子補佐役という重要な役職に就いた事で、上層部から反感を買いまくっている事。それに加え、その事件の首謀者の藤紫の幼馴染の最後の一人であるという事。

 それらの理由が原因で紫以上に悪目立ちしている存在であった。


(見た目は普通の女の子なのにね~)


 紫の評価では可もなく不可も無い。普通である。平凡、地味、素朴といったそんなな顔立ちで、装いも神子管理部職員がよく着ている着物と袴で華が無い。胸の大きさも平均くらいだ。


(素材は良さそうだから着飾れば……)


 そんな野暮な事を考えてしまったせいだろうか、目の前の紅玉の顔がみるみる氷の如く冷たい表情になっていった。


(えっ、ええええええええっ!?)

「これはこれは……まさか貴方様にお声かけしてしまうとはとんだ失敗でした」

「えっ、えっ? 初対面なのにすごい失礼な態度なんですけど」

「ああ、これはこれは大変失礼しました。出来る事であれば貴方とは一生関わりたくなかったのでつい本音が」

「うん。失礼極まりないね」

「ですが、声をかけてしまった以上、仕方ありません。初めまして、紫様。十の御社神子補佐役の紅玉と申します」

「あ、えと、初めまして――ってちょっと待って。僕の名前」

「あら、貴方様の事なら嫌というほどお噂はかねがね。魅了の瞳という女性のみに効く変わった異能をお持ちで、異能が無くともその麗しい容姿で様々な女性を魅了し、虜にした女性は数知れず。すごい時は毎夜違う女性と交友関係を結ぶそれはそれは女誑しの男性職員であると」

「…………」


 ぐうの音も出ない。

 そんな噂を聞いていれば初対面から失礼な発言も飛び出すに違いないだろう。実際噂などではなく、ほぼ真実でもあるし。


 居た堪れなくなって紫は思わず紅玉から視線を外す。


「まあそれはそうとしまして、生活管理部の艮区の主任は今どちらにいらっしゃいますか?」

「え、ああ、多分奥の自分のデスクにいると思うよ……」


 何せ先程自分と話をしていたのだから。愛人になれ云々と。

 嫌な事を思い出してしまったせいで思わず声が暗くなってしまった。


「……そうですか。ありがとうございます」


 紅玉は軽く頭を下げた。

 あれほど厳しい言葉を並べていた相手に対してもしっかり礼を言ってくる紅玉の姿勢に紫は思わず目を剥いてしまった。


(ありがとう……ね)


 多分、目の前にいる紅玉は紫が今まで出会った女性の中で、最も品があり、最も優しい心を持った女性だと思った。

 今まで出会った着た女性達はみな、紫に対して誘惑する言葉や甘い言葉しか囁いてこなかったから――。


(だから僕も必要以上求めなかったし、去ろうとしても追わなかったし、女の子達に対して感謝も無かったし、逆に感謝された事も無かったし……)


 思わず自嘲してしまう。これはきっと己の行動を顧みようとせず、のらりくらりと生きてきた己への罰なのだと。

 極悪人と名前が似ている――それだけで崩れ去ってしまった己の人生。


(大人しく受け入れよう……これは報いだったんだ)


 〈能無し〉と罵られながらも真っ直ぐに凛と生きる紅玉を見ている内に、己が今までどれだけ非道な事をしてきたのか思い知らされる。


(きっとこれから先、もっと酷い人生が待っているんだろうけど……ま、いっか)


 そんな諦観の境地に達したところで、紅玉に言う。


「よかったら案内しようか?」

「まあ、それは助かります。ありがとうございます」

「構わないよ。さ、お手をどうぞ、お嬢さん」

「…………」


 紅玉は紫の手を華麗に無視した。




*****




 紅玉が主任を訪ねた理由はこうだった。


「十の御社に配属される生活管理部の職員を、わたくし自らが決めても良いと人事課より許可を頂きましたので、艮区の生活管理部職員の参道町配属の職員の名前を知りたくて。名簿をお借りできないでしょうか?」

(なるほど)


 十の御社の神子補佐役は紅玉が就き、確か噂では神子護衛役に就いたのは神域最強と呼ばれる男性職員だったと聞いていた。

 紅玉のこの口振りからすると生活管理部の席はまだ空いているようだと、紫は察する。


(それにしても……人事課から人事の許可を貰うって……この子何者?)


 主任から名簿を受け取る紅玉を見ながら、紫は驚いてしまっていた。


「お借りします」


 紅玉はそう言って主任に頭を下げると、立ち去っていった。




「……紫」

「あっ、はい」


 紅玉の姿が見えなくなったところで主任が声をかけてきた。


「あの件、考えてくれた?」


 主任は真っ赤な口紅を塗ったやや大きめの唇を不気味に弓なりにさせて微笑んだ。ついでに言ってしまえば、興奮しているのか鼻の穴も膨らんでいる。


「……はい。決めましたよ」


 紫の心は決まっていた。


「主任、退職させてください」

「……あなた、私に逆らうとどうなるかわかっているのかしら?」

「うん、まあ……苦労はしますでしょうね、今後。それでも俺、今後は真面目に生きるって決めたんで」


 例えそれが酷い苦労をする険しい道だったとしても、今までの事を反省し真面目に生きてみようと、今日紅玉に出会ってそう思ったのだ。


 〈能無し〉と蔑まれても、背筋を真っ直ぐ伸ばして凛と立つ彼女がかっこよく見えたから――。


「だから、主任、退職させてください」

「ふざけないでちょうだい。退職なんて許さないわ。私があなたを――」

「――お取り込み中、失礼します」


 紫はハッと振り返った。そこにはなんと紅玉がいたのだ。


(……会話、聞かれてないよね?)


 紫だけでなく、主任も少し顔色が悪かった。


 しかし、紅玉はそんな二人の事を気にした様子も無く、にっこりと微笑む。


「名簿、ありがとうございました」

「ああ、いいのよ。そんなのコピーくらいいっぱいあるんだから」

「いえ。大体把握しましたので」

「……それで艮区にあなたの御眼鏡にかないそうな職員はいたのかしらね」

「誰でも構いませんか?」

「ええ、構わないわよ」

「でしたら――」


 紅玉は主任を見つめたまま、己の隣を指し示す。


「こちらの紫様にお願いしたいと思います」

「えっ?」

「はっ?」


 寝耳に水とはまさにこの事。紫も主任も思考回路が追い付かない。一方の紅玉はにこにこと微笑むだけである。


「だ――だめよ! 彼は!」

「あら、ですが主任。先程は誰でも構わないとおっしゃったではありませんか」

「で、でも、彼はダメよ!」

「あら? 何故でしょう?」

「か、彼は、退職するからよ!」

「まあ、そうなのですか? 紫様?」

「え、ああ、うん、まあね」


 主任は退職を反対していたはずなのだが……と思っていたせいか、返事が曖昧なものになってしまう。


「紫様」

「はい?」

「でしたら、年明けの三が日までで構いません。十の御社のヘルプに入って頂けませんか?」

「それは全然構わないと思うけど……いいですよね? 主任」


 退職日が多少伸びるくらいだろう。そう思いながら主任を見ると、崩れた顔がますます醜く崩れていた。思わずギョッとしてしまう。


「フンッ! いいわよ。そのかわり、三が日までよ。それ以降になったら、アンタは退職だからねっ!」

「は、はい」


 「うっわ、こっわ」――という本音が出そうになったのを何とか堪えた自分を、紫は自画自賛した。


「ご了承頂きありがとうございます。それでは失礼します。さあ、参りましょう、紫様」

「あ、はい。よろしく」


 紫は紅玉の後について生活管理部事務所を後にした。最後まで主任のねっとりとした視線は気になったものの――主任と会ったのはこの日が最後となってしまった。







 生活管理部艮区主任の女性職員は夫と子どもがいる身分でありながら、複数の愛人を囲っていた事実が公の元に晒されてしまい、社会的に抹殺されることになり、年越しの前にひっそりと神域管理庁を去ったという。


 一方の紫は、その料理の腕前が十の御社の神子と神々に大変気に入られ、正式に十の御社生活管理部御社配属に就任し、退職を取り消す事になった。


 これは余談話になるが、紫をどうしても手にしたかったある女性職員が紫の悪い噂を吹聴し、陰湿な虐めを裏で手引きしていたという。

 神域史上最悪神子の藤紫と名前が似ていた事も虐めが拡大してしまった一因であった。

 まあそんな不幸が重なり、かつて縁があった女性達に冷たく突き放されてしまっていたのだ。


 その事を紫は知らない……。




**********




 年が明けて数週間後、見事御社配属という名誉ある役職に就いた紫の元には今日も今日とて山のようにそれが届く――。


「……まあ今日も何て数のラブレター」


 紅玉は積み上げられた手紙の山を凍てつく瞳で見つめた。

 この山のほとんどが神子宛てではなく紫宛てというのだから驚きだ。

 紫は山の中から適当に手紙を引き抜き、送り主を確認する。


「う~ん……ほとんどが昔付き合った事のある女の子達だねぇ~」


 名前を見ただけで大体分かるらしい。


「手紙には何と?」


 そう尋ねたのは神子護衛役の蘇芳(すおう)だ。


「ええっと…………うん、大体が、私はあなたを信じていたとか、また仲良くして欲しいとか、会いたいとかそんなんばっかだね」

「うみゅ、燃やしてしまえ。そんなもん」


 水晶がそう言えば、年少組の神々が手紙を回収し始める。

 紅玉も手紙の回収を手伝いながら、溜め息を吐く。


「まったく……女性陣も今更図々しいと言いますか、神経が図太いと言いますか」

「……紅ちゃん、今度のお休み、女の子達に会いに出かけてきてもいい?」

「ふふふっ、貴方様もま~ったく懲りないと言いますか、いや馬鹿なのですか?」

「ええええっ!? ば、ばかっ!?」


 今日も今日とて紅玉は絶対零度の微笑みと氷の刃のような言葉を紫に向け、一切容赦がない。


「だ、だって、せっかくまた仲良くしたいってこうして手紙までくれるんだから、ありがたいし、会ってあげたいなぁ~って」

「こんな魂胆がみえみえな手紙に感謝など必要ありませんっ!」

「はいぃぃいいっ!!」




 こうして手紙は一通残らず燃やされてしまった訳なのだが、この時紅玉達はまだ知らない。


 かつて紫と交友関係にあり魅了された女性達が、十の御社に押し掛けたり、御社の前で殴り合いの喧嘩を始めたり、刃傷沙汰にまで及んだり、果ては御社の不法侵入まで図ろうとする者まで現れたりと、とんでもない厄介事を巻き起こす事になる事を――。




 まったく、災難な男、紫である……。





来週から三章が開始します。

どうぞよろしくお願いします。


今年も「大和撫子さまのお仕事」を閲覧頂きありがとうございました!

細々長々と続きますので、来年も是非よろしくお願いします。


皆様、良いお年を。

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