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大和撫子さまのお仕事  作者: 小茶木明歌音
第二章
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父の訪問




 蘇芳の父である韋佐己の突然の来訪を聞き付け――姉を傷つけられた事で韋佐己に恨みを持つ水晶が突撃しかねなかったので――むしろ突撃寸前であった――空と鞠に水晶を押さえてもらい、紅玉と蘇芳はとりあえず応接室に韋佐己を案内した。そして、入口に厳重に結界を張る。


 これで水晶の突撃は免れるであろう――後々が怖いが。


 一息ついたところで、韋佐己を長椅子に座らせ、蘇芳と紅玉もその向かいにある長椅子に腰掛けた。

 そして、紅玉は持ってきた急須や茶葉で来客用の茶を用意する。


「――どうぞ」

「頂こう」


 そう言って、韋佐己は茶を一口啜る。


「……うまいな」

「あ……ありがとう、ございます……」


 まさか褒め言葉を貰えるとは思わず、紅玉は逆に警戒してしまう。というのも、紅玉は先日この韋佐己に喉を絞められ呼吸困難にさせられたばかりだ。

 そんな緊張した面持ちの紅玉を見て、蘇芳は韋佐己を睨みつける。


 すると、韋佐己は言った。


「……そんな怖い顔をするな、蘇芳。今日は彼女に何もしない」

「今後も紅殿に手を出すな。関わるな」


 怒気と微かな殺気を孕んだ声に紅玉は思わず蘇芳の腕に触れる。


「蘇芳様」

「だが、紅殿」

「いけません」


 首を振る紅玉に蘇芳は納得がいかないように唸るも、怒気と殺気を鎮めていく。


 そんな二人のやり取りを見た韋佐己は口角を上げていた――ほんの一瞬――しかし、間違いなく紅玉はそれを見た。


 すると、韋佐己は言った。


「今日は報告があって来た。私は先日の神域警備部の不祥事の責任を取る為に、神域警備部部長の任を辞任した」

「然様ですか」

「警備部部長の後任は弟が務める」

「然様ですか」

「ヤツも真面目一辺倒だ。今後問題が起きる事はないだろう」

「然様ですか」


 あまりにもそっけない蘇芳の返事に、紅玉は横で聞いていてハラハラしてしまう。


「そして、私は正式に盾の一族の当主を継ぐことになった」

「はあ」

「……そして、盾の一族次期当主として――蘇芳――お前を指名しようと思う」


 その言葉に蘇芳は僅かに目を見開いた。じっと目の前の韋佐己の目を睨み、真意を探ろうとするが――韋佐己は真っ直ぐ蘇芳を見つめるだけである――全く真意が読めない。


「…………祖父が……当主が許すはずがないと思いますが?」

「父は私が説得しよう。もうすでに当主の権限は俺にある。それにお前は『初代盾の再来』だ。お前以外に一族を継ぐのに相応しい人間はいない」

「………………」

「十の御社の神子護衛役の後任はこちらで用意しよう。勿論、優秀で信頼の置ける人物を推薦しよう」

「………………」

「我が一族にはお前が必要だ。私と共に来てくれるな? 蘇芳」


 蘇芳は思い出していた――過去の事を――父に、祖父に、家族に認めて欲しくて褒めて欲しくて、死に物狂いで血反吐を吐いて努力した日々が蘇る。


 二十年以上もの時を経て、ついに蘇芳の努力が報われる。その事に紅玉は歓喜に震えた。


 しかし。


「お断りします」

「蘇芳様っ!?」

「自分は最早盾の一族とは何ら関係のない存在だと思っています。そのお話は辞退させて頂きたい」


 それはあまりにもあっさりとした返事だった。

 かつて蘇芳は、身体にも心にも大きな傷を負ってまでもそれを求めていたはず――。

 しかし、たった今、蘇芳は、それを自ら放棄したのだ。紅玉は驚きが隠せない。


 一方の韋佐己は冷静だ。ジロリと蘇芳を見ると言った。


「ほぉ……私がお前を認めようと言うのにか? あれ程にまで私からの評価を欲していたと言うのに、それを辞退すると言うのか?」

「貴方がそれをおっしゃいますかっ!?」


 思わずカッとなって立ち上がり叫んでしまう紅玉の腕を蘇芳が優しく引く。


「紅殿、いい」

「蘇芳様……っ! ですがっ――」

「いいんだ」

「……っ……!」


 蘇芳はただそれだけ言って、優しく微笑んだ。

 あまりにも蘇芳の笑顔がさっぱりとしているものだから、紅玉は何も言えない。大人しく蘇芳の腕に引かれるまま長椅子に腰掛けた。


 そんな様子を見ていた韋佐己はクスリと笑った――紅玉を嘲笑ったものか、蘇芳を馬鹿にしているものかは分からないが――それに気付いた蘇芳は韋佐己を再度睨みつける。紅玉を見つめる時とは打って変わって、鋭く射抜くような目だ。


「まだ何か?」

「……蘇芳……これを読んでもう一度考えてくれないか?」


 そう言って、韋佐己が取り出したのは大量の手紙の束だった。


「……これは?」

「私と妻から……お前に宛てた手紙だ。長年、金剛経由でお前に送っていたのだが……突き返されてしまったそれだ」

「っ!?」


 韋佐己の言葉に蘇芳は動揺を隠せない。

 蘇芳は知らなかったし、兄の金剛から何も聞いていなかった――そんな手紙の存在など。


 韋佐己は言葉を続ける。


「私も……妻も、お前には申し訳ないことをしたと思って反省をしている。親としてお前にもっと愛情を与えてやらなければならないのに……それができなかった。しようとしなかった。お前が『初代盾の再来』だから、それに見合う戦士に育て上げようと厳しくする事こそがお前への愛情だと思い込んでしまった……」

「…………」

「どうか私達を許してくれないか? そして、次期当主の件、どうかもう一度よく考えてくれないか?」


 韋佐己はそう言って深々と頭を下げた。そんな父――韋佐己の頭を蘇芳は見つめる。

 そして、差し出された手紙の束を見る。随分と年季の入った手紙であった。


 恐らく韋佐己の言っている事は本当なのであろう。自分に心からの謝罪と跡を継がせたい思いは本気なのだと、理解した。


 理解した上で、蘇芳は手紙を韋佐己へと押し返す。


「……お引き取りを。貴方がたに対して謝罪を求めてなどいない……だが、思うこともない。盾の一族とはもう金輪際関わらないし、次期当主の座も欲しくなどありません」


 僅かに目を見開いた韋佐己の金色の右目を真っ直ぐ見て、蘇芳ははっきりと言い放つ。


「自分には関係の無い話です」


 それはあまりにも真っ直ぐ過ぎる絶縁の宣言であった。蘇芳の金色の瞳には一切の迷いなどなく、両親に対する思いなど微塵にも残ってなどいない。


 一言添えるのであれば、蘇芳はただひたすらに「無関心」であった。


 そんな息子――蘇芳の言葉に、韋佐己は僅かに眉を下げた。


「………………そうか」


 たった一言そう発すると、韋佐己は手紙の束を引き取った。


 蘇芳と韋佐己のやり取りを見守っていた紅玉だが、思わず蘇芳を見上げてしまう。そんな紅玉の眉も下がっていた。

 そんな紅玉の様子に、蘇芳は胸が温かくなっていくのを感じる。


「あの、蘇芳様……」

「紅殿、もういいんだ」

「でも……」

「貴女が気に止まなくてもいい。俺にはもうすでに大切なものが抱えきれない程たくさんある。それだけで、俺は十分だ」


 蘇芳の優しい笑顔に、紅玉は泣きそうになってしまう。


 ああ、どこで道を違えてしまったのだろう……。

 両親からの手紙を蘇芳が受け取れないように金剛が隠してしまった時だろうか。

 蘇芳が真の力を発揮したその時だろうか。

 蘇芳が家族から「厳しい修行」という名の「虐待」を受けるようになってしまった時だろうか。

 それとも蘇芳がこの世に生まれ、「初代盾の再来」と呼ばれるようになってしまった時からだろうか。


 だとしても、紅玉に出来る事など何もない。出来るはずなどない。

 紅玉こそ、盾の一族に何の関係も無い人間なのだから。


 でも、それでも、悲しくなってしまう。

 純粋に親の愛情を求めていた幼い蘇芳が、結果報われなかった事が、悲しくて、悲しくて堪らない。それが例え、蘇芳自らが選んだ道だとしても、あまりにも辛く悲し過ぎる結末になってしまった事に無力感を感じてしまう。


(遣る瀬無い……です)


 ジワリと視界が歪むのを感じ、紅玉は視線を自分の膝の上の両手に落とし、拳を握った。

 そんな紅玉の手を蘇芳は優しく撫でる――握り過ぎると傷になる――と、窘めるように。


 紅玉はもう一度蘇芳の顔を見る為に、顔を上げた。そこには優しく微笑む蘇芳がいた。その笑顔は仁王や軍神の影など一切感じさせず、金色の瞳はまるで蜂蜜のようで、蕩ける程に甘いものだった。


(ああずるい……そんなお顔をなさるなんて……)


 切なさと愛おしさが入り混じり、胸がギュッと締め付けられる。


(許されるのであれば、今すぐこの方を抱き締めてあげたい……)


 目の前に韋佐己がいるからそれは叶わないが――いなければきっとすぐにでもそうしていただろう――それほどまでに蘇芳が愛おしくて堪らない。

 抱き締められないかわりに、紅玉は精一杯微笑んでみせた。


「わたくしは蘇芳様の味方であり続けますわ」

「ありがとう、紅殿」


 かつて、欲しくて、欲しくて堪らなかった「両親からの愛情」――今はもう必要などない。


 はっきり断言できる。蘇芳は今が一番幸せであると。紅玉の目の端に光る滴を見て、改めてそう思う。


(俺を大切に想ってくれる貴女がいるだけで俺は十分幸せだ)


 そう思いながら、蘇芳は紅玉の涙をそっと指で拭った。




「…………蘇芳、これは必要となるものだから受け取ってもらおう」


 韋佐己の声に、紅玉と蘇芳はハッとし、慌てて身体の向きを変えた。

 見れば、韋佐己が何かを台の上に置いたところだった。


 紅玉と蘇芳のやり取りに関しては何も言ってこない――見て見ぬふりをしているのか、単純に気付いていないのか、わからないが――二人は思わずホッとしてしまう。


 そして、改めて韋佐己から差し出されたそれを見た。


 それは大和皇国の伝統的な手法で作られた紙だった。ただ一点普通の紙と違うのは、何かの紋章が入っている事だ。

 折り重なるように描かれた太陽と月とそれを囲う四つの星と星を繋ぐ線が描かれた紋章――紅玉はその紋章に見覚えはなかったが……。


「これは!」


 蘇芳は紋章を見た瞬間、驚きの声を上げ、思わず韋佐己を睨みつける。


「こんなもの、いつ必要になると言うのですか? 自分は盾の一族とはもう関係ないと言ったはずで――」

「――最後まで話を聞け」


 蘇芳を窘めながら、韋佐己は言葉を続ける。


「お前は必ずこれを必要とするだろう――彼女の為に」

「っ!」


 韋佐己に見つめられ、紅玉は一瞬息を呑む。まさか言葉が自分に向けられるとは思わず、紅玉は思わず動揺してしまう。


「わたくし、ですか?」

「ああ」


 韋佐己は頷きながら言う。


「この神域で真名を知られることは魂を握られるのも同義……ただのお伽噺と思っていては痛い目を見るぞ――()()殿()

「――っ!!」


 驚きのあまり紅玉は全身の血が冷えていくような感覚を覚え、声を出す事が出来なかった。


「部長、一体どういう意味ですか!?」

「……詳細は彼女から直接聞くといい。それの使い方は知っているな?」


 それだけ言うと、韋佐己は長椅子から立ち上がった。


「それでは私はこれで失礼しよう。見送りは結構だ」

「え、あっ、部長!?」


 蘇芳の声にも足を止めず、韋佐己は応接室から出ていってしまった。


 紅玉と二人きりになったが、紅玉はまだ黙ったままだ。顔色が酷く悪く見えた。

 蘇芳は紅玉の隣に腰掛けると、紅玉の手を握る――酷く冷たいので、擦ってやる。


「紅殿……部長の言っていた意味がわかるか?」


 蘇芳の問いに紅玉は小さく頷いた。


「俺に……話してくれるか?」


 紅玉は少しうろたえつつも、ゆっくりと頷き、口を開く。


「あの時……辰登が言った『千石紅子(せんごくべにこ)』という名は確かにわたくしの真名ではありません……ですが、それはあくまで読み違いであって……辰登が見たのは間違いなくわたくしの真名なのです」

「なっ!!」

「……辰登が読み間違えてくれて本当に助かりました……でも……」


 でも、つまり、下手をすれば辰登の禁術は正式に発動し、紅玉の魂は辰登に掌握され、辰登の言う事しか聞かなくなる操り人形になるところだったのだ。

 そして、辰登は操り人形になった紅玉を蘇芳の目の前で……。


 そこまで考えて、紅玉はゾッとした――身体が震え出す。


「い、一歩間違えば恐ろしいことになっていました……っ……!」


 震えた紅玉の声に、蘇芳は堪らず紅玉の身体を抱き締める――小さく震えて、血の気が引いているのか少し冷たかった――紅玉の身体を温めるように、蘇芳は紅玉の身体を撫で擦る。


「すまん……! すまない紅殿……! 俺のせいで……!」

「……何故、蘇芳様が謝るのです? 蘇芳様は悪くありませんわ」

「いや、俺がいつまでも盾の一族に執着していたせいで、貴女に恐ろしい思いをさせてしまった……」

「もう……そんなこと、お気になさらずともよいですのに……」


 でも、自分の為に心を痛めてくれる蘇芳の優しさと身体の温もりが心地良くて、紅玉は安心してしまう。

 少し蘇芳から離れると、眉が下がり切っている蘇芳の頬を撫でた。


 その手はまだ冷たいと、蘇芳は思った。


「大丈夫です。あの時、わたくしの名前を聞いた人だって、もしかしたらもう忘れているかもしれませんわ。悪用される心配はきっとありませんわ」


 言葉では気丈に振る舞っている紅玉だが――やはりどことなく不安げな様子に見えた。


 誤った情報とはいえ、紅玉の名はこの神域で出てしまっているのだ。悪用される可能性も低いかもしれないが、どこかで情報が漏れて悪用される可能性だって無きにしも非ずである。


 蘇芳は少し思案して――目の前に置かれた紋章が描かれた紙を見て――韋佐己の言葉を思い出す。




 お前は必ずこれを必要とするだろう――彼女の為に。




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