蘇芳へのお説教
客間で朔月隊が緊急の「ツイタチの会」を開いている一方で、水晶からの呼び出しを受けた蘇芳は応接の間にいた。
事前に紅玉から「水晶から説教がある」とは聞いていたものの――蘇芳は周囲を見渡す。
応接の間の両脇には御社の神々が無表情で佇んでおり、応接の間の上座には水晶が白縹の神力を湛えて鎮座している。
(ただの説教にしては物々しいような……)
特に水晶の冷たく鋭い視線が恐ろしいと感じていた。そして、水晶がこんなに怒るということは紅玉絡みとしか考えられない。
(自分は一体何をしたのだろうか……?)
――そんな風に蘇芳が思っていると――。
「蘇芳……」
「――は、はいっ!」
水晶の静かな怒りを湛えた声が響き、蘇芳は思わず背筋を伸ばす。
水晶は言葉を続ける。
「あなたが無茶をした事に関しても本当はお仕置きするつもりでいたけど……事情が変わったからそれは省略させてもらうわ」
「は、はい……」
つまり水晶は別の事で怒っている。そしてそれは紅玉絡みであろう。
水晶に言われる前に、蘇芳は深々と頭を下げた。
「父から紅殿を守りきれず、紅殿に被害が及んでしまった事を心の底から謝罪します」
「……それもそうだけど……私が怒っているのはそれじゃない」
白縹の神力の圧が強くなり、冷気が肌を刺すのを感じる――。
しかし、蘇芳は怯む事無く、水晶を真っ直ぐ見て言った。
「神子、自分は察しが悪い方です。はっきりおっしゃってください。自分は――紅殿に一体何をしてしまったのですか? 知らない内に紅殿を傷付けるようなことをしていたとするのなら、自分は自分が赦せません。どうか教えてください」
「………………」
蘇芳の真っ直ぐな言葉に水晶は神力の圧を緩めていく。
そして、少し間を置いて、口を開いた。
「……蘇芳、あなたの好きな人は『灯』だと姉が言っていたわ」
「……はっ!?」
予想外の言葉に蘇芳は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしてしまう。
「それは本当?」
「ちっ、違います! あり得ません! 自分の想い人は灯殿……藤紫殿ではありません!」
「でも、姉は『灯』だと言っていたのよ」
「誤解です! 全くの誤解です!! 自分の想い人は紅殿です!!」
蘇芳の叫びが応接の間に響き渡った瞬間――神々から笑いがどっと起こる。
「神子さん! 神子さん! その辺で勘弁してあげて!」
「清々しいくらいの真っ直ぐだのぅ!」
「あー! おっかしいー!」
「しかし、よく言ったぞ! 蘇芳!」
神々からの拍手喝采を受け、蘇芳は己が物凄く恥ずかしい告白をしてしまったことに気づき、真っ赤になってしまった。
「まあそもそも蘇芳の想い人が紅ねえ以外っていうこと自体があり得ないとは思っていたから」
「紅ねえの甚だしい勘違いだとは思っていたけど」
「まさかずっとこんなに誤解されていたとは……」
「蘇芳さん、かわいそう……」
同時に神々からの同情を受け、蘇芳は居た堪れなくなってしまい、俯くしかない。
すると、何時の間にやら水晶は(どこから取り出したのか)好物の芋の菓子をパリポリと食べていた。そして、蘇芳に言う。
「うみゅ、我が姉ながら鈍感通り越して最早アホだわ。お姉ちゃんにも大きな原因はあるけど、すーさんがお姉ちゃんに自分の気持ちを伝えていないのも悪い。このすれ違いバカップルめ。爆ぜろ」
水晶の止めとも言える言葉に、蘇芳は全く何も言い返せなかった。
水晶は芋の菓子を食べきると、言った。
「さてと、すーさん、報告してもらいましょうか」
「……ほ、報告ですか?」
「うみゅ、お姉ちゃんをストーキングしていたヤツから得た情報についてだよ」
「あ、はい――」
唐突に話題が変わるのは水晶の悪い癖だなぁと思いつつ、蘇芳は報告をした。
――萌に禁術を教えたのは辰登ではなかった事。
――新たな存在が判明した術式研究所の関係者と思わしき「謎の女」
――聖女にかけられた呪いと萌の呪いと同じものが、矢吹にかけられていた可能性。
蘇芳からの報告を聞き終えて、真っ先に声を上げたのは槐だ。
「……話が混雑してきたのぅ……」
「……結局、その『謎の女』は誰なんだ?」
鋼の質問に蘇芳は首を振る。
「朔月隊も見当がつかないため、地道に調査をしていくそうです」
「……すーさん……呪いって、『彼の者』は関係してくるの?」
「……恐らく、は……いえ、わかりません」
曖昧な蘇芳の返事に、水晶は首を傾げる。
「……歯切れが悪いね」
「……確証がありませんので……それに…………いえ、何でもありません」
尚も曖昧な発言を繰り返す蘇芳に要が首を傾げる。
「大丈夫かい? 蘇芳さん」
「……申し訳ありません」
そんな蘇芳に水晶は尋ねる。
「すーさんも『謎の女』についてとか『呪い』についてとか調査していくの?」
「出来る範囲ではありますが、自分も動くつもりでいます。少しでも紅殿の力になれればと」
「……そう……無茶はしないでね。今回みたいな事になったらイヤだよ?」
「はい」
水晶の気遣いに蘇芳は顔が綻ぶ。
「あ、そうだそうだ。忘れるところだった」
水晶は蘇芳の元へ近付くと、紙に神力を込めて、蘇芳へ渡す。
蘇芳が受け取ったその紙は只の真っ白な紙である。
「……あの、神子、これは?」
「そこにお姉ちゃんをストーキングして挙げ句すーさんをぼっこぼこに虐めたすーさんの親戚の野郎の仮名とお姉ちゃんを虐めたすーさんのお父さんの仮名、そこに書いてぷりーず。そっこーで呪うから」
「神子! 神子神子神子神子! 水晶殿!!」
あまりにも可愛らしい笑顔で言うものだから、蘇芳は思わず叫んでしまった。
水晶は可愛らしい顔をキョトリとさせ、首を傾げる。
「うみゅ? なあに?」
「さらりと恐ろしいことをおっしゃらないで頂きたい! そして、貴女は神子! 人を呪うなどいけません!」
「だってだってぇ~お姉ちゃんとすーさん虐めた~」
身体を左右に揺らして駄々をこねる姿は愛らしいが、要求している内容はあまりにも恐ろしいものである。
「自分達はもう気にしません! 辰登は相応の罰を受けますし、父も今回の件で責任は逃れられません! それでもう十分です!」
「不十分でーす。晶ちゃん、絶対にゆるしませーん」
水晶が怒るのも無理はない。何せ被害者は大好きな姉なのだから――だからこそ、蘇芳は真剣な眼差しで水晶を見つめて言う。
「神子……人を呪わば穴二つです。貴女の身にもしものことがあれば、誰より悲しむのは紅殿です。どうかここは怒りを沈めてくだされ」
「…………」
蘇芳の金色の瞳と、水晶の水色の瞳がぶつかり合い、沈黙が流れる――。
やがて水晶は溜め息を吐いた。
「……すーさん、自分も被害者ってこと忘れてない?」
「自分は……もういいのです。紅殿もきっと同じです。むしろ、自分の為を思って怒ってくれる水晶殿がいるだけで、紅殿は十分かと」
そう言葉にしながら、蘇芳は思わず微笑む。
姉が大好きな水晶同様、紅玉もまた妹が大好きである。思い思われる姉妹の関係が蘇芳には微笑ましく、眩しいものだ。
そんな微笑む蘇芳を見て、水晶は言う。
「……すーさんは本当にお姉ちゃんが好きね」
「……はっ!?」
己より十五以上も年下の少女に不意打ちを突かれ、蘇芳の声はひっくり返ってしまっていた。
不意打ちが成功した水晶は思わずニンマリと笑いながら言う。
「ちゃんとお姉ちゃんに自分の気持ち、さっさと伝えて誤解を解いてよ」
「け……検討します……」
「検討」――その言葉に女神達が舌打ちした。
「蘇芳さんの意気地無し」
「蘇芳さんの根性無し」
「蘇芳さんの草食系男子」
女神達の鋭い言葉に、蘇芳は全く何も言い返せなかった。
「あーあ、せっかくとびっきりの呪い考えておいたのにな~」
「お止めくだされ、神子……」
「はいはーい、わかってますよーだ」
そして、水晶は口を尖らせて、わるあがきのように言った。
「いっそあっちから十の御社飛び込んできてくれないかな~」
言葉には魂が宿るとは言ったもので――その数日後、予想外の事態が起きた。
紅玉と蘇芳が御社の勤務状況を確認し合っているところに、紫がやってきたのだ。そして、紫はおずおずと言った。
「あの~……紅ちゃん、蘇芳くん……君達にお客さんなんだけど……」
「お客様ですか?」
紅玉の記憶では本日来訪者の予定などなかったはずだ。蘇芳も首を傾げている。
「えっと、どちら様ですか?」
そう尋ねた紅玉に紫は言い淀みながら答えた。
「えっと、その……神域警備部の韋佐己部長なんだけど……」
「はっ!?」
「えっ!?」
蘇芳の父である韋佐己が突然十の御社に来訪してきたのだった――。