客間にて
「なんか……見苦しいもの見せちゃってごめんなさい……」
「気にすんなって!」
「そうですぅ。むしろボク達を思って泣いてくれるなんて嬉しいくらいですぅ」
「……うん」
(うぅ……可愛い……可愛いんだけど……子ども達の前ではしたなく泣いて恥ずかし過ぎるーーーーーーっ!! 穴があったら入りたいーーーーーーっ!!)
感極まり泣いてしまった事を激しく後悔する雛菊であったが、終わった事は仕方ない。
そして、再び四人で御社巡りをしていた。一階はほとんど回り終わったところで、真昼達は雛菊を二階へと案内する。
「二階の部屋のほとんどは神子さんや俺達、あと紅ねえや蘇芳さんとか、十の御社に住んでいるみんなの部屋があるんだ!」
二階に上がると、広く長い廊下が伸びており、どうやらその両脇ともが居室のようであった。
「雛菊さんが使う客間もここにありますよぉ」
「春の間……」
「春の間は、右手の一番手前の部屋!」
確かに廊下の右手側にある一番近い部屋の入り口には「春の間」と書かれてある。
「ちなみに隣の部屋は紅ねえのお部屋ですから、困った時は紅ねえまでぇ」
「それは助かるわ」
「……入ってみる?」
「じゃあ、せっかくなので」
雛菊は春の間に扉に手をかけ、ゆっくりと開ける。
「あ、お疲れ様。お茶淹れようか? 疲れたでしょ?」
「…………え、どちら様?」
まさか客間に人がいるとは思わず、雛菊は目を見開く。
そこにいたのは、すらりと長身の男性だった。筋肉が程良く付いており、細すぎず太すぎず、絶妙である。切れ長の瞳は艶やかな色合いで染まる紫水晶の如く煌めき、蕩けるような溢れる魅力を放っている。髪もさらさらと滑らかで、前髪の一部が紫色に染まっていた。
一瞬、神と混同した雛菊だったが、髪に漆黒が混ざっている事に気付き、この男が人間だと分かった。
(にしても、超イケメン! ザ・大人のお兄さんって感じの超イケメンだわ! 男性アイドルっていうよりは超イケメン俳優って言った方が近いかも。てか、この御社の人間組、美形ばっかだよ! 紅玉さんの普通っぷりが逆に親近感わいて安心するわ!)
思わず男に見惚れていると、真昼が驚くべき事を言った。
「紫さん、何でここにいんの?」
(えっ!!?? この人が紫さん!? 「ゆかり」っていうからてっきり女性とかと思っていたけど、男性だったんだ。この御社の主婦……じゃなくて、生活管理部の人)
雛菊は改めて目の前にいる生活管理部の先輩に当たる紫を見る。紫は人の良さそうな笑みを湛えてこちらを見ていた。
しかし、一方で子ども達が若干険しい顔つきだった。
「まさか待ち伏せしてたのか? 紅ねえに叱られても俺達知らねぇぞ」
「やだなぁ、真昼くん、待ち伏せだなんて人聞きが悪い。僕はただ同じ生活管理部配属の後輩ちゃんに挨拶したくってさ」
「それでもお客様のぉ、しかも女の人が使う予定のお部屋に勝手に入るのはよくないですぅ」
「あ、あははは、雲母くんも手厳しいなぁ」
「厳しくない。常識。出てけ」
「れ、れなちゃん……」
子ども達に厳しい事を言われ、紫という男はたじたじである。
(え、なんで子どもちゃん達、紫さんにこんなに厳しいの?)
「俺達、紅ねえに雛菊さんのお世話役任されているんだ」
「その際、紅ねえにぃ、紫さんに会わせないでぇって頼まれているんですぅ。なので困りますぅ」
「だから邪魔。出てけ」
(あ、紅玉さんの言いつけを守るために紫さんに厳しいわけね。そこまではわかるんだけど……)
何故「紫に会わせてはいけないのか」、それがよくわからない。
「ええ、紅ちゃんも真昼くん達もヒドイなぁ。後輩ちゃんに挨拶くらいさせてくれてもいいのに」
すると、紫は紫水晶の瞳がきらりと煌めかせ、雛菊を見つめた。
瞬間、雛菊の胸が高鳴り、美し過ぎる紫水晶の瞳が雛菊の心を捕らえて離さなくなる。
(えっ!? ちょっ、ちょっと待って! ちょっと待って!? なんか胸のトキメキが止まらないんですけど!?)
硬直する雛菊を余所に、紫は恭しく雛菊の手をとると、まるで西洋の紳士がするような礼をした。
「初めまして、可愛らしいお嬢さん。僕は紫。君と同じ生活管理部所属です。どうぞよろしく」
「ひっひひひ、ひなぎくですっ! はじめまして!」
「ふふふ、君のような可憐で可愛らしいお嬢さんが後輩だなんて、僕は幸せ者だな。愛らしい小鳥と同じ色の髪がとても美しくて、太陽のような瞳もなんてキュートなんだ。君に見つめられたら、僕の心はドロドロに溶けてしまいそうだよ。よかったらこの後の僕と一緒にお茶でもいかがかな? 君のこと、もっと知りたいな――。」
「っっっ!!??」
紫の胸やけのするような甘い言葉の数々に雛菊の頭が大混乱を極めている。
(えっ!? なに!? あ、あたし口説かれてんの!? ここまであからさまに口説かれるのなんて初めてだし、ていうか口説かれているで合ってる!? 社交辞令ってやつ!? なんか言い方もめちゃくちゃ恥ずかしいんだけれども! ていうか、なんなのさ!? この胸の高鳴りは!? え!? 嘘!? あたし、初対面の紫さんに恋しちゃったの!?)
雛菊が目を回しそうになった瞬間――。
スパーーーーーーンッ!!!!
綺麗な音を響かせて、紫の頭が揺れた。
雛菊がハッとして我に返ると、いつの間にか紅玉がハリセンを片手にその場に立っていた。その表情はいつもの如く柔らかな微笑みを湛えているはずなのに、その目は紫を酷く冷たく射抜き、背中からは凍てつくような恐ろしい気配を漂わせていた。
紅玉の只ならぬ気配に雛菊は思わず肩を揺らした。
(ひぃっ! 怖い!)
「あーあ、俺しーらね」
「自業自得ですぅ」
「……因果応報」
子ども達は腰を抜かしそうになる雛菊を支えながら、紅玉と紫から素早く距離を取った。
「紫様、女性と分かればすぐそうやって言葉巧みに魅了しようとする悪癖……これで叱るの何度目だと思っているのですか。ふふふふふっ!」
「べ、紅ちゃん!? いっ、いつの間に……!」
最早、紅玉のその雰囲気は悪役そのもの。紫はさしずめ悪役に追い詰められた憐れなねずみだ。
雛菊は二人を交互に見ながら、その様子を窺う。
「ふふふ、まったく、一体どうやったら治るのでしょうか? 言葉で説明して駄目ならば、もう身体に訴えかける他ありませんかねぇ?」
「紅ちゃん! 暴力反対! 暴力ダメ絶対っ!」
ころころと笑う紅玉の微笑みにやや黒いものが漂い、紫の顔がさらに青く染まっていく。
「貴方のその悪癖、いえその『異能』、自らで調節は可能でしょう? 何故いつもそれを怠るのです?」
「い、いやぁ、女性には優しく褒めちぎれっていうのが我が家のポリシーだからさ、それを加減するのは僕のモットーに反するというか」
「貴方様のお家の方針も、貴方様の座右の銘も、言い訳になりませんっ!!」
「はいっ! すみませんっ!」
紫の家の方針や彼の座右の銘は、どうでもいい情報だが、それよりも雛菊は気になる事があった。
(紫さんって〈異能持ち〉の人なんだ)
雛菊は就職説明会での事を思い出す。
〈異能持ち〉とは〈神力持ち〉に次いで強い神力を持つ者のことだ。〈神の仕者〉とも呼ばれ、神域管理庁に就職できる者は大概異能に目覚めることが多いという。そして、その異能の形は千差万別だ。
「紫さんの異能って……」
「それについては自分から説明を」
「っきゃあっ!!??」
背後から急に声をかけられ、雛菊は思いっきり肩を揺らしてしまう。
気づけばいつの間にか、仁王か軍神かという容姿の蘇芳が雛菊の後ろに立っていたのである。
「蘇芳さん!! ビックリしました!! 驚かせないでください……!」
「も、申し訳ありません。つい癖で気配を消してしまって……」
まだ脈打つ心臓を押さえながら、蘇芳のそれも立派な悪癖だと雛菊は思った。
蘇芳は申し訳ないと雛菊に頭を下げつつ、説明を始める。
「紫殿は『魅了の瞳』という異能を持っており、紫殿の瞳を見た女性は忽ち紫殿の虜になってしまう、というものです」
蘇芳の説明に、雛菊は紫の紫水晶のような瞳を思い出していた。
「はい、すごくよくわかりました。身を以って体験しましたしね」
「ちなみに男性には効かないそうです」
「……その情報は必要ないです」
しかし、つまりは紫に魅了されそうになっていたことがわかったので、雛菊は逆に安心した。
(あーーー、よかった……一瞬本気であんなクサイ台詞言う人に一目惚れしてしまったのかと思って、あたし頭がおかしくなったのかと思ったわよ)
ほっと息をつく雛菊を見て、蘇芳は苦笑した。
「……貴女もなかなか辛辣なようで」
「……はい?」
雛菊と蘇芳がそんなやり取りをしている一方で、紅玉と紫は、ずっと言い争い(と言っても、紅玉の一方的な説教だったが)を続けていた。
「貴方様のその下らないこだわりの元、貴方様が取られてきた行動で、一体何人の女性が貴方様に魅了され、一体何人の女性が貴方様を巡って争いを起こしたり、一体何人の女性が嫉妬に狂い刃傷沙汰に及んだり、果ては一体何人の女性が貴方様を一目見たいが為に御社への不法侵入を謀ろうとしたり、わたくしをはじめ一体どれだけの人間、神、神子が迷惑を被っているのか、再再再再再度言い聞かせる必要があるようですねぇ? ふふふふふっ!」
「ああ、あは、ははは、あはははぁ、ははははぁ……」
最早笑って誤魔化す領域を飛び出る勢いの実害の数々であった。
(あっ、これアウト! 完全にアウトだ! ポリシーとかモットーとかで済まされる問題じゃないよ!? そりゃ紅玉さんも黒い笑顔で静かに怒り出すわけだわ!)
傍から見れば、紅玉が悪役で、紫が憐れで仕方のない状況なのだが、最早庇護する気も起きなかった。
(なんか紫さん、すごくイケメンなのに、すごく残念な人認定されつつある……)
「いやっ! ちょっ! 紅ちゃん、落ち着こう! 落ち着こう!? 冷静になって!?」
「わたくしは十分冷静ですわ。ふふふふふっ!」
「ひいっ! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! もう二度としません!」
「という台詞も何度聞いたことでしょうかねぇ?」
紫、万事休す。
蘇芳や子ども達は、紫に向かって合掌をしていた。雛菊もそれに倣う。
「ですが、せめてもの情けです。事前に身体のどこにどうやって折檻するかお伝え致しましょう」
「そんな情けいらない……」
「ではまず、腹筋に力を込めてくださいませ。回し蹴りをしますね」
「えっ!? 待って! 蹴り!? まさかの鳩尾!? そこはもっと可愛らしく『歯を食い縛って』からの平手打ちじゃないの!?」
「ご安心くださいまし。鳩尾の後に、ご希望に沿ってその台詞を申しますわ。」
「全然安心できないっ! そんな希望してない!」
「あと、わたくし、平手打ちできるほど可愛らしくないので、拳で参ります」
「グーパンッ! まさかのグーパンッ!?」
「それではお覚悟を」
「うわあああああっ!! 待って待って本当に待ってっ!!」
紅玉が構え、脚を振り上げようとした瞬間――。
「お姉ちゃ~ん、ちょっと待って~」
そう間延びした声が響き、水晶が現われた。
紅玉の脚は、紫の腹部手前ぎりぎりを捕らえていた。
「……何ですの? 晶ちゃん」
「うみゅ、悪いんだけど、今日ゆかりん働けなくなっちゃったら、雛っちの歓迎会の準備できなくなるから、今日の所は勘弁してあげて~~~って、みんなが」
みんなが――すなわち神々が――紫の処罰をやめてあげてほしい、と言っているというのだ。これには立派な理由があった。
神は総じて楽しい事と酒が大好きで、何かと理由をつけては宴会を開きたがる。そして、本日宴会を開く理由――雛菊という研修生がやってきた――すなわち歓迎会ができるのである。しかし、十の御社の料理番である紫がいなくなれば、歓迎会の準備ができなくなってしまう。宴会好きの神々にとっては由々しき事態である。つまり神々は宴会をしたいがために紫を庇っているだけなのだ。
しかし、神にそう乞われたら、紅玉に選択肢はない。何せ相手は神なのだから。
紅玉は思わず溜め息を吐いた。
「…………わかりました。本日の所は見逃します」
「「「「「やったーーーーーーっ!!!!」」」」」
「「「「「宴会だーーーーーーっ!!!!」」」」」
紅玉がそう言った瞬間、宴会好きの神々がどこからともなく現れ、諸手を挙げて大喜びし、もうすでに祝賀会状態になってしまっている。
「た、助かった……っ!」
命の危機が去り、紫はその場にくずおれた。
しかし、只で見逃す程、紅玉は甘くない。
「……紫様?」
「はいっ!」
しゃきっと立ち上がった紫に、紅玉はにっこりと微笑みかけた。
「お分かりかと思いますが、馬車馬のように働いてもらいますからね。ええもう、馬車馬のように」
「…………はい」
ころころと笑う紅玉があまりにも恐ろしく、紫は青くなって、ただただ頷くしかできなかった。