十の神子の力
やがて全員が寝静まった深夜――客間に音も無く入ってくる人影があった。
幽吾も世流も天海も右京も左京も文も――誰も気づかない――唯一その存在に気付いたのは轟の周りを浮遊していた三つの鬼火達だった。
淡く光る白縹の清廉な神力を纏わせて部屋に入って来たのは、ふわりと靡く柔らかな白縹の長い髪と穢れ無き水色の瞳を持つ美しい少女――水晶だ。
真っ白な部屋着の裾をひらめかせ、裸足で音も無く轟に歩み寄ると、轟の顔を見て、轟の近くを浮遊する鬼火達をじっと見た。そして、水晶は口を開く。
「……元はといえば轟が原因なのかもしれないけど、君達も真実を黙っていたのは頂けないと思う。君達は自分達がもうこの世の者でないことはきちんと理解しているんだから、ちゃんと轟に伝えないと」
水晶の言葉に鬼火達の炎が少し小さくなった。
それを見て、水晶は鬼火達に手を翳す。
「――というわけで轟と腹割って話をしなさい」
瞬間、白縹の神力が部屋を満たす――ふわりふわりと輝きを増す白縹の光に包まれる――。
「――いくよ」
水晶はそう呟くと、轟の手に触れた。
和一はハッとした――気づけば、そこはまるで夜空の中に放り込まれたような空間であった。真っ暗な空間の中、星のような光があちこちでわずかな光を放っている。
「えっ!? うえっ!? ここ、どこ!?」
和一が驚きに声を上げると――。
「わあ……綺麗だなー……!」
「すっげぇっ! なんかSF映画みたいな世界だー!」
聞き覚えのある声がしたので振り返ると、雄仁と剣三もいた。
二人の姿を見て、和一は己の身に起こった異変に気づく。
「お、おい! 雄仁に剣三! 俺達、鬼火じゃねぇぞ!?」
「あれ!? ほ、本当だ……!」
「おおーっ! 手もある! 脚もある! 顔もあるー! 燃えていないー!」
驚きに声を上げる三人の後ろで溜め息が聞こえた。
「うみゅ、マイペースか、鬼火のにーちゃん達」
その声に振り返れば、そこにいたのは白縹の髪を持つ十の神子こと水晶だった。
水晶は三人を見ると言う。
「時間無いから説明ちゃっちゃとすると――轟の心の中の世界みたいなとこ」
「と、轟の心の中の世界ぃっ!?」
「そ、そんなことどうやって――」
「うみゅ、我神子ぞ、神子ぞ。なめないでもらえる? 鬼火其の一、其の二」
「鬼火其の一ぃ!?」
「其の二ぃ!?」
あまりにも適当な呼び名に和一と雄仁は愕然とする。
「うみゅ、晶ちゃん、にーちゃん達の名前知らんがな」
しかし、剣三は思い出す――先程の紅玉からの説明の際にも、水晶は同じ部屋にいて話を聞いていたと――。
「あの、紅玉からの説明……」
「そんなの右から左へスルーしてるわ、鬼火其の三」
「ひどっ!」
剣三も愕然としてしまう。
しかし、そんな事に構う事無く、水晶は夜空のような空間を進みながら言う。
「うみゅ、時間無いんだから、はよぅせい、鬼火トリオ。ちゃっちゃっと轟にビンタ食らわせにいくよ」
「え!? ビ、ビンタって!?」
「ちょっと! 神子様! 待って!」
「轟の心のライフはもうゼロだって!」
三人も慌てて水晶を追いかけて夜空のような空間を進んでいく。
ようやっと水晶の追いついた和一はやや乱れた息を整えながら水晶に言う。
「き、君、本当に紅玉の妹さん?」
「そーだよ」
「いや、なんか、紅玉の妹にしては全然似てないなぁって……」
雄仁の言葉に剣三も頷きながら付け加える。
「見た目も中身も」
すると、水晶は立ち止まってくるりと振り返って三人を見て言った。
「――それが何か?」
「「「はい、すみませんでした」」」
白縹の神力の圧に、魂だけの存在の彼らが敵うはずも無かった。
溜め息を吐きながら、水晶は再び足を進める。
「……まったく、もうちょっと己の立場も考えてよね、にーちゃん達」
「え?」
「『鬼火』という異能に魂を縛られていたら、にーちゃん達は転生できないんだよ? それがどういう事か分かっているの?」
「え、ええっと?」
「――転生できないという事はつまり輪廻転生ができないということ――」
大和皇国では死した魂は再び巡り、またこの世に生まれてくる――そう信じられている――。
「今生に魂を縛られたままでは、にーちゃん達の魂は巡る事ができない」
「う、うん……」
「それすなわち、輪廻転生が今生で終え、ただ消えるだけの存在となってしまうんだよ」
水晶の言葉に誰も何も返す事ができない。
今は――まだ轟も、紅玉もいる――自分達を覚えてくれる存在がいる。
だが、百年後は? 二百年後は?
いつか轟も紅玉もいなくなってしまい、自分達の事など忘れ去られた世に魂だけ取り残される――それは最早消滅と同等である。
三人は言葉を失った。
黙ってしまった三人を見て、水晶は言う。
「……轟の事が大切なのは分かる。だけど、にーちゃん達は――もうこの世に留まっていてはいけないの。にーちゃん達は来世に――轟は未来に――目を向けなくちゃいけない」
自分たちよりもずっと年下であるはずなのに、水晶の言葉には非常に重みのあるものだ。
そして、三人はそんな水晶の話を黙って聞く事しかできなかった。
「……いた」
水晶の呟きに顔を上げると、目の前に硝子のような透明な棘でできた檻がそこにあった。その硝子のような棘は美しくも儚く、決して人を寄せ付けない鋭さも持っている。
そして、その檻の中に轟はいた――両膝を抱えて、顔を膝に埋めるようにして閉じ籠っていた。
その姿は、眠りについたまま現実から目を逸らし続けている轟と全く同じだった。
三人はそんな轟の姿を見て、悲しげに顔を歪めた。
しかし、一方で水晶は檻へ近付くと、硝子の棘を迷いなく掴んだ。
「パキン!」――硝子の棘が砕け散る。
「ってええええ!?」
和一は目を剥いた。
そんな和一の叫びも気に留めず、水晶は硝子の棘を掴んでは砕き、掴んでは砕いていく。砕け散った硝子の破片がキラキラ煌めいて幻想的だが、水晶の手から滴り落ちる赤は――あまりに痛々しい。
「神子様! 血! 血ぃっ!」
「うみゅ、これくらいどーてことない」
雄仁の声も気にせず、水晶はどんどん硝子の棘を破壊していく。
「神子様豪快過ぎ! でも、お願いもう止めて!」
「やめない」
剣三の必死の制止も無視である。
「神子様止めて!」
「俺達転生できなくてもいいよ!」
「どうしてそこまでするのさ!?」
三人の叫びに水晶はギッと睨みつけた。
「にーちゃん達が! 轟が! お姉ちゃんの大切な友達だからに決まっているでしょ!?」
「「「っ!!」」」
「私は、お姉ちゃんが大切にしている人達を助けたい――それだけっ!」
そう叫んで水晶は最後の硝子の棘を砕いた。
「パキン!」――その音に轟が顔を上げる――。
「誰だ……? 勝手に俺様の領域に踏み込む愚か者は……?」
ただでさえつり上がった山吹色の瞳が、相手を射殺さんばかりに睨みつける。
そんな轟の眼光に、友であるはずの三人も思わず恐れ戦く程だ。流石は鬼の先祖返りと言ったところだろう――だが。
ヒュッと風を切った瞬間――「ぱっちーん!」――というまるで小さな風船が破裂したような可愛らしい音が響いた。
轟は目をパチクリさせる――驚くほど痛みがなくて。
三人は口をあんぐりとさせる――鬼の形相にも恐れる事無く轟に平手打ちをした水晶に驚いてしまって。
そして、水晶も驚く――。
「……うみゅ、ビンタって己へのダメージがおっきい」
水晶はジンジンと痛む右手をひらひらと振る。
「ああああ轟の馬鹿防御力がああああっ!」
「神子様のかわゆいおててにダメージをおおおおおっ!」
「うわああああんっ! 神子様しなないでええええっ!」
「死んでおらんわ」
しれっと響く声に轟は再び目をパチクリとさせる。
「……おま、紅の……」
「うみゅ、目覚めた?」
水晶の言葉に轟は頷く。
「お前、何してんだ?」
「説明は後回し。それより轟は向き合わなくちゃいけない事があるよ」
水晶はそう言うと、後ろを振り返る。
そこにいたのは、和一、雄仁、剣三だ。
轟は目を見開き、顔を輝かせた。
「和一! 雄仁! 剣三! おめぇらやっぱり生きていたんだな!」
「と、どろき……」
「えっと……あのな……」
「俺達は、な……」
嬉しそうに駆け寄って来た轟に三人は何も言えなくなってしまう――しかし――。
「ぱっちーん!」――再びその破裂音が響く。
「――ってぇ! 何すんだよ!?」
「うみゅ、轟のおばか。人の話を聞けい」
「んだとぉっ!?」
「「「神子様豪快過ぎです!」」」
しかし、怒る轟にも声を揃えて叫ぶ三人にも気にせず、水晶は告げる。
「いい加減、みんな目を覚ます時だよ。夢は、いつまでも続かない――」
そして、水晶は残酷な現実を突き付ける。
「本当はわかっているんでしょ? このままじゃいけないって――にーちゃん達も――」
穢れ無き水色の瞳にその者を映して告げる。
「…………轟も」
邪気がない故に残酷、残酷故に嘘偽りがない、その水色の瞳で見つめられ、轟は思わずたじろぐ。
「な、何の話だよ?」
「大丈夫。怖がらないで。ちゃんと向き合って。ちゃんと受け入れて。現実を、真実を、その思いを――」
水晶はそっと轟の背中を押す――少しよろめいて、轟は和一と雄仁と剣三と向かい合った。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
しばし無言のまま向かい合っていた四人だが――ようやっと和一が口を開く。
「轟、あのな……俺達、お前のこと全然恨んでなんかいねぇから」
「…………え?」
「俺達、轟と一緒の班で良かったし、轟が班長で良かったと思っている」
「な、なに、を……」
「それどころか轟にはすげぇ感謝しているんだ。俺達の亡骸、守ってくれて……本当にありがとう」
「な、何言ってんだよ……! 亡骸とか不吉なこと……!」
泣きそうになる轟の腕を雄仁が掴む――そして、言う。
「轟、現実を見て。お前は前に進まなきゃならない、そして、俺達は逝かなきゃならない」
「い、く……?」
「お前が心病んでしまったから俺達もずっと黙っていたけど……でも、お前だって本当はわかっているはずなんだ……俺達はもうこの世の者じゃない。三年前のあの事件で俺達は、死んだんだ」
「嘘だぁっ! なんでっ? なんでお前らまでそんなこと言うんだよぉっ!?」
喚く轟の両肩を剣三が掴み、轟と目を合わせた。
「ごめんっ……! ごめんなっ、轟……!」
「な、んで、あやまる、んだ……?」
「……今までずっと嘘吐いてて……轟の事を騙してて……ずっと轟の事を縛りつけてて……ごめんっ! 本当にごめん!」
「……っ……」
「でも……いやだからこそ……俺らは逝かないといけないんだ」
「いっ、やだ! いやだあっ! だってお前ら悪くねぇっ! だって、だって、だってっ、お、おれぇっ……!」
轟が思い出すのは三年前のあの日――。
自信満々に、高らかに、胸を叩いて言った己の言葉――。
「班長の俺様がおめぇらの事を守ってやんよ!」
その約束は果たされる事無かった――。
轟の瞳から大粒の涙が溢れる――。
「俺はぁっ! お前らのこと守れなかったああああああああ!!!!」
泣き崩れる轟を剣三が支え、和一が頭を撫で、雄仁が抱き締めた。
「ごめんな、轟……本当にごめん」
「お前がその約束を大事にしすぎるあまり、お前をずっと苦しませた」
「いいんだよ、轟……お前は悪くない。悪くないんだ」
轟は泣いた――大声を上げて泣いた。
仲間を守れなかった事、約束を守れなかった事、班長としての責務を果たせなかった事――その重さに轟は耐える事ができなかった。
そして、怖かったのだ――約束を守れなかった自分を、班長として仲間として守り切る事ができなかった愚かな自分を、仲間達は死の間際に恨んでいるのではないかと――そう思うと、怖くて、怖くて仕方なかった。
だから、優しい仲間達の言葉にやっと救われた気がした――やっと重荷から解放された気がした――。
轟は三人にしがみ付いて号泣した。涙はとめどなく零れ落ち、ずっと子どものように泣きじゃくった。
「轟、俺達を大事にしてくれて、ありがとう」
「和一……」
「お前は、俺達がいなくてももう大丈夫だから……」
「雄仁……」
「だから……俺達逝くわ」
「剣三……!」
また泣きそうな顔になる轟に三人は笑って言う。
「大丈夫だって。轟だってわかっているだろ?」
「お前には、お前を決して見捨てないで、ずっと傍にいてくれた仲間達がいるだろ?」
「だから、前を進んで行け! 俺達の分まで! 我らが班長!」
「……っ……」
轟は腕で雑に涙を拭う――そして、ニッと笑って犬歯を見せると、轟は拳を前に突き出した。
「おうっ!!」
晴れやかな笑顔だった。
その笑顔を見て、三人はようやっと心の底から安心できた。
すると、夜空のような空間で白縹の光の粒子がキラキラと煌めき始める――。
時間が来たのだと、三人は察した。
「そろそろ逝かなきゃな……これで本当にお別れだ、轟」
「和一!」
「俺達の分までちゃんと生きてくれよな、轟」
「雄仁!」
「轟、ちゃんと婚約者さんのこと思い出してやれよ。そんで、幸せになれよ!」
「剣三!」
白縹の光が強くなっていく――光の粒子がふわりふわりと舞い上がり、三人の身体を包んでいく――。
己の身体が薄くなっていく最中、和一は言う。
「轟――お前は本当にすごいヤツだ。本質を見抜くその目は、最早すごい異能だ」
「え?」
和一の言葉に雄仁と剣三も重ねる。
「お前のその力は必ず困っている人の力になるから」
「だから、轟――お前は自分の勘を信じて、お前の信じるものを信じ抜け」
三人の言葉の意味が全く分からない轟だったが――迷いなく頷く。
「わかった。お前達のその言葉、肝に銘じておく」
やがて夜空のような空間が一転、眩い白縹の光が覆っていく――。
もう和一も雄仁も剣三の姿も見えない。
しかし、強い光の向こうで三人の声がはっきりと聞こえた。
「「「轟! 愛しているぜ!!」」」
涙を溢れさせ、轟は光に向かって叫ぶ。
「ありがとう!! ありがとうなっ!! 和一! 雄仁! 剣三! ありがとおおおおおおおおっっっ!!!!」
轟の意識は白縹の光に導かれ、上へ上へと昇っていく――。