神域警備部部長にして本家、そして父
紅玉を縛り上げていた禁術の紋章は――発動する事無く、霧散した――。
「…………は?」
辰登は驚くほど間抜けな声を上げる事しかできなかった。そして、混乱する。
「な、んで……? 術式は完璧だったはず……」
その一方で、紅玉は悔しげに顔を歪めていた。
「一生の不覚です……っ! まさか現世まで後を付けられて、真名を調べられているとは……っ! その執念は流石に恐れ入りました」
「な、んでだ? 何で術が発動しない!?」
未だに混乱しきりの辰登に紅玉は告げる。
「単刀直入に申しますと、それはわたくしの真名ではございません」
「なっ!?」
辰登は驚きが隠せない。
「ちゃんと、お前の書いた絵馬を見て、名前を確認したっていうのに……!」
「……そんなことなさったのですか?」
流石の紅玉も肌が粟立つ程だ。
「あはは~、人間としての底辺行ったね」
幽吾はそう言いながら、術式を発動させる――現れたのは真っ黒な毛並みを持った地獄の番犬だ。
『グルル……』
「ぶぎゃっ!?」
番犬の前足に踏み潰され、辰登はおかしな悲鳴を上げてもがく事しかできない。
「はい~、捕獲~」
「おい! 幽吾! ちゃんと神力封じの手錠かけろよ! 危ねぇだろうが!」
轟がそう叫びながら、辰登の手首に神力封じの手錠をかけた。
そんな轟に幽吾はへらりと笑って言った。
「大丈夫、大丈夫。こんな小心者に自爆する勇気なんてないよ~」
「それもそうよねぇ。人質とって脅してきたくらいだし。しかもよりにもよって、うちの可愛い紅ちゃんを……」
世流はそう言いながら番犬に踏み潰されている辰登へ近付くと、その頭を鷲掴みにした。
「いっそ自爆した方がましだと思うほど痛め付けたろかごるぁあああっ!!」
「ひっ、ひいいいい!」
美しい顔が一転、般若のような形相の世流の響くような低い声に、辰登は悲鳴を上げる事しかできない。
そんな世流を見ながら幽吾は笑う。
「わあ、世流君、すごいおっさ~ん」
「誰がおっさんじゃ! ぼけぇぃっ!!」
「いや、おっさんだろ」
「ああっ!? ンだとぉ、馬鹿鬼! やるってンのか!? ごるあああっ!!」
「俺様に八つ当たりすんな!!」
ぎゃあぎゃあと喧嘩を始めてしまった男達三人を紅玉は呆れたように見つめた。
「紅殿っ」
背後から聞こえてきたその声に紅玉はハッとする。
「蘇芳様!」
慌てて振り返れば、天海に支えられながら紅玉の元へ駆け寄ろうとする蘇芳がいた。
紅玉は慌てて蘇芳に駆け寄り、天海と一緒に蘇芳を床へと座らせる。
「もう! まだ傷が塞がっていないのですからじっとなさって!」
「貴女という人は……! また無茶をして……!」
蘇芳のその言葉に紅玉はむっとなる。
「蘇芳様に言われたくありませんわ」
眉を顰めてそう言う紅玉に、蘇芳も色々言いたい事はあったものの、何事も無く無事な紅玉を見て、ホッとしてしまい、身体から力が抜けてしまう。
蘇芳は思わず紅玉の肩に額を預けた。
そんな蘇芳に紅玉は慌ててしまう。
「蘇芳様!? やっぱりまだ具合が良くないのですわ! 安静になさって!」
「良かった……貴女が無事で、本当に良かった……」
「もう……わたくしの事よりご自分の事を考えて!」
そんな紅玉と蘇芳の様子を、天海は微笑ましく思いながら見ていた。
そして、天海は少し離れた位置で呆然としながら事の行方を見ていた砕条と星矢に気付き、二人に告げる。
「砕条隊長に星矢副隊長、あなた方にも後程聴取などを受けていただきますので、お覚悟を」
天海の言葉に砕条は顔色を悪くしながらも頷く。
「わ、かった……対応しよう」
一方、星矢は砕条よりも悪い顔色で何も答える事ができない。
そんな星矢に幽吾は告げる。
「星矢副隊長、残念だけど、辰登は八大準華族の『山の一族』……当然だけど、家の方に何のお咎めも無いってわけにはいかないからね。相応の罰は覚悟するように」
幽吾のその一言で、星矢の顔色は更に悪くなってしまう。
そんな星矢を砕条は心配そうに見つめた。
「あと、主犯は分家の人間とはいえ、『本家』としても『警備部の部長』としても今後の対策考えていただきますからね――韋佐己部長」
幽吾のその一言に、蘇芳は肩を震わせた。
幽吾の呼びかけで現れたのは、濃い赤紫の髪を持つ強靭な肉体を持つ隻眼の中年男性であった。
金色の鋭い右の瞳と太く雄々しい眉が誰かを彷彿とさせる――。
「父、さん……!」
蘇芳のその呟きに紅玉はハッとした。
現れた男性は、確かに蘇芳――というよりは、蘇芳の兄である金剛によく似ていたからだ。
そして、思い出す――この男こそ、幼き蘇芳に残酷なまでの修行を課し、その幼気な心に深い傷を負わせた人物の一人だと――。
紅玉は思わず男を睨みつけてしまう。
その一方で蘇芳は己の父の登場に驚きを隠せないでいる。
そして、それは砕条と星矢もそのようであった。何せ二人にとっては、本家の人間の登場であるのだから、動揺しきりである。
すると、幽吾は申し訳なさそうな顔をして蘇芳に言う。
「ごめんね、蘇芳さん。流石に八大準華族の不祥事だから、報告しないわけにはいかなくて」
「……っ、いえ」
そして、幽吾は再び韋佐己の方を向く。
「あなたも見ていたから、もう説明は不要だと思いますが……分家とはいえ、血族がした落とし前、きちんとつけてくださいね」
幽吾の言葉が言い終わらぬ前に、韋佐己の身体は動いていた。
辰登をギロリと睨みつけると、韋佐己は大股で辰登に近づく。
「我が一族の血を汚す愚か者め!!」
韋佐己の轟音のような声に辰登は完全に怯んでしまう。
「恥を知れっ!!!!」
「がふっ!!」
辰登の顔から歯が砕ける音と骨が圧し折れる音が鳴った。
傍にいた世流が思わず息を呑む程、その勢いは凄まじく、辰登は叩きつけられるように床へと倒れ伏した。
鼻や口からは血が止めどなく溢れている。
韋佐己が更に追い打ちをかけようとするのを幽吾が手で制して止める。
「韋佐己部長、申し訳ありませんが、彼の身柄は影の一族で預かるのでそれ以上は」
「……うむ、仕方ない。命拾いしたな」
もう意識も無い辰登を見下ろしながらそう呟くと、韋佐己は星矢を睨みつける。
韋佐己に睨みつけられた星矢は、蛇に睨まれた蛙の如く身体を硬直させた。
「そもそも『山の一族』全体が問題のようだな。兄弟間の醜い争いに身勝手な父親がいなければこんなことにはならなかっただろうに」
そう低い声で言いながら、韋佐己は大股で星矢へ近付いていく。
「本家次期当主! お待ちください!」
そんな星矢と韋佐己の間に割って入ったのは砕条であった。
「彼もまた被害者です! どうかご容赦を!」
「さ、いじょう……」
韋佐己はしばらく砕条と星矢を見つめていたが、やがて呟く。
「……それもそうだな……」
しかし、次の瞬間、鈍い打撃音と共に、砕条の腹部に強い衝撃が走る――!
「ごふっ!?」
「砕条!!」
気づけば韋佐己が砕条の腹部に拳を入れていた。
「……砕条、隊長であるお前の監督不行き届きもまた一因。処罰は音沙汰を待て」
韋佐己の言葉に星矢は青褪める。
「そ、んな! 部長! 砕条は悪くありませんし、関係ありません!」
「それが上に立つものの責務だ。責任は取ってもらう」
「そ、んな……!」
絶望する星矢に、韋佐己は宣言する。
「勿論、私自身も責任を取る」
「――っ!?」
「本家として、部長として、当然のことだ。俺も覚悟を決めよう。そして、砕条、お前も覚悟をせよ」
「…………」
しばらく韋佐己の言葉に耳を傾けていた砕条だったが、姿勢を正し、韋佐己に頭を下げた。
「はっ! 次期当主の仰せのままに!」
そんな韋佐己と砕条のやり取りを見ていた紅玉は思う――。
(韋佐己部長の判断は少々厳しいものかもしれません。ですが、上に立つ者として正しいご判断なのでしょう。この真面目さと厳しさと冷酷さが四大華族として認められ、皇族の盾として在り続けられる強さの一つなのかもしれません……)
恐ろしくも感心してしまう程の厳格さである。
「そうだ。貴殿らには罰を受けてもらわねばな……」
韋佐己はそう低く呟くと、天海を睨みつけた。
その次の瞬間、天海の身体は吹き飛ばされ、壁にぶつかり、大きな音が響き渡る――!
天海はその場に崩れ落ち、腹部を押さえ、呻き声を上げていた。
「っ!?」
「天海っ!!」
息を呑む紅玉と叫ぶ轟を余所に、いつの間にか天海がいた位置に韋佐己が拳を握り締めて立っていた。
そして、韋佐己は紅玉と轟を睨みつけると言った。
「神域警備部特別班所属、天海及び轟――そして、神子管理部所属、紅玉――貴殿らには神域警備部詰所への無断侵入および器物破損、職員への傷害罪がある。本来であれば処罰対象だが、今回は私の拳一つで許してやろう」
「っ!」
「なっ!?」
韋佐己の言葉に幽吾が焦りの表情を見せた。
「韋佐己部長、彼らは僕の指示で動いていただけであって、器物破損も職員への傷害も致し方ない事だ」
「……貴殿が命じたのは騒ぎを起こして警備部の気を引くことだろう。詰所への無断侵入や錠破壊は命令の一つではない。また気を引くためとはいえ、職員に危害を加えた事も赦してはいけない罪だ」
韋佐己の言葉に轟と世流が噛みついた。
「おっさん! むちゃくちゃだな!」
「真面目もここまで来ると病的よ!」
しかし、そんな言葉如きで怯む韋佐己ではない。
「覚悟せよ、残り二名」
拳を握り紅玉と轟を睨みつける韋佐己の姿を見た蘇芳は、顔を青くさせ紅玉の身体を押した。
「紅、殿! 逃げろ……っ!」
「し、しかし、蘇芳様――」
「貴女が父の攻撃に耐えられるはずがない……っ! 頼む逃げてくれっ!」
「っ!」
息も絶え絶えに必死に叫ぶ蘇芳に紅玉も思わず息を呑む。
すると、韋佐己は淡々と告げる。
「加減はしよう。全治一ヶ月程度でな」
その言葉に轟は内心舌打ちをしながら思う。
(俺様や天海は妖怪の先祖返りだから攻撃は耐えられるだろうが……いくらなんでも紅には分が悪すぎる!)
轟は武器珠から金棒を取り出すと、韋佐己の前へ飛び出していた。
「おっさん! 俺様が相手だぁっ!」
「ガキン!」と轟の金棒を韋佐己は防具で受け止めた。
「どうだ!? 鬼の先祖返りである俺様の金棒はよぉっ!?」
轟は金棒を振り回し、韋佐己へ打ち込んでいく。金属同士がぶつかる激しい音が鳴り響いた。
最後の一撃をなんなく受け止めた韋佐己は轟を見て思い出したように呟く。
「鬼の先祖返り――そうか貴殿はあの鬼火達の主人か」
「あ? 鬼火?」
韋佐己の言葉を聞いた天海はハッとして身体を起こし叫んでいた。
「轟ぃっ!! 耳を貸すなぁっ!!」
「あ、まみ?」
普段無口の天海のあまりにも焦った声に轟は思わず驚いてしまう。
しかし、韋佐己は構わず言葉を続ける。
「そうか、貴殿は心を病んで忘れているのだったな。あの鬼火の正体を」
「は?」
「韋佐己部長!! やめてくれぇっ!!」
天海の声も聞かず、韋佐己は告げた。
「あの鬼火は貴殿の異能によって封じ込められた魂だ。三年前の邪神大量発生により殉職した貴殿の友人らのな」
「…………は?」