術式研究所の生き残り
「武器を収めろ!!」
大声が響き渡り、紅玉が振り返ると、そこにいたのは第三部隊の隊長である砕条だった。
「武器を収めろと言っている!!」
「…………」
紅玉は砕条をジッと見たまま、大人しく脇差を武器珠に収めた。
「これは一体どういう事だ!? 貴様、一体何をした!?」
砕条は辺りを見渡しながら叫ぶ。
そこには自分の部下達が地に沈められていたのだから――。
「大丈夫かい!? 一体何があったんだい?」
星矢は近くにいた部下に声をかける。
「う……そこの〈能無し〉が詰所に無断で立ち入ったらしく、捕縛命令が下って、捕らえようとしたら、逆に攻撃を……」
砕条と星矢は驚きを隠せない。
「おい、貴様、不法侵入に加え、傷害罪だ! それ相応の罰を受ける覚悟はあるのだろうな!?」
砕条の怒鳴り声に紅玉は不機嫌そうに眉を顰めた。
「もう少し周囲をよく観察されてからお考えになったらいかがです? 砕条隊長」
「……なに?」
砕条は眉を顰めるが、星矢は気づく――紅玉の後ろに、同じ神域警備部の轟と天海に支えられている血塗れの蘇芳がいる事に――。
「え――す、おうさん?」
「蘇芳……だと?」
砕条のようやっと蘇芳の存在に気付く――そして、蘇芳の状態にも。
砕条は思わず目を見開く。
そして、紅玉は言い放つ。
「報告します。十の神子護衛役の蘇芳を、坤区第三部隊所属隊員三名が監禁および暴行行為を行ないました」
「かっ、監禁!? 暴行だと!?」
「神域警備部特別班、轟、及び天海も証人です」
紅玉の言葉に轟と天海は頷く。
「紅の言っている事は本当だぜ、砕条隊長さんよぉ」
「蘇芳先輩はこの坤区第三部隊の詰所の地下の尋問部屋にて、神力封じの拘束具を付けられた状態で一方的に暴行されていた。俺達が突入した時には身体に複数の刀が付きたてられたままの酷い状態だった」
あまりにも残酷な報告に星矢は思わず顔を顰めてしまう。
「わたくしの罪を暴くのは十分に結構です。ですが、我が十の神子護衛役の蘇芳への暴行に関しては決して赦しません。坤区第三部隊に断固抗議申し上げます」
紅玉の言葉に砕条と星矢はたじろいでしまう。
「ちなみに実行犯三名は『上の命令で実行した』と証言しています。命令をしたのは――砕条隊長、貴方ですか?」
あまりにも鋭い漆黒の瞳に睨まれ、砕条は思わず緊張してしまう――が、首を横に振る。
「違う。俺ではない」
すると、紅玉は星矢を睨みつける。
「では星矢副隊長、貴方ですか?」
「いいえ、僕でもありません」
星矢も首を横に振った。
「では一体誰の指示で蘇芳様はこんな酷い目に遭ったというのです!? 隊長及び副隊長の命令でなくても、これは立派な監督不行き届き! 及び坤区第三部隊の立派な不祥事! わたくしは絶対に貴方達を赦さない!!」
紅玉の声に第三部隊全員が怯んでしまう。
すると、そこへ――。
「は~い! 全員動かないでね~!」
のんびりとした口調で庭に降り立ったのは、地獄の番犬に跨った幽吾と世流であった。
「き、貴様! 何者だ!?」
砕条と星矢が構える。
そんな二人に幽吾は心情の読めない笑顔を見せると言った。
「僕は中央本部人事課の幽吾。あ、今日ここに来たのは人事課のお仕事の為じゃなくてね……『影の一族』の使いってって言えば、お察しいただけるかな? 八大準華族の諸君」
「『影の一族』だと……!?」
「四大華族の……! 皇族の『影』……!」
幽吾のその一言で砕条も星矢も察したようで、幽吾の前で跪いた。
「話をすぐに分かってくれて助かるよ。あ、ついでに言うと、後ろの世流君とそこにいる三人も僕の協力者だから手を出さないでね」
そう言いながら、幽吾は番犬から降りる。
「……さて、今日ここに来たのは、とある確かな伝手からもらった情報で、この第三部隊にかつての犯罪集団『術式研究所』の関係者と思われる人物がいると推測されてね」
「術式研究所だと!?」
「あの、禁忌を犯した……!」
「そう――それで、僕らは秘密裏に調査をしていたんだ」
そして、幽吾は申し訳なさそうな顔をして言う。
「少し卑怯かとは思ったんだけど、ゴタゴタを利用させてもらって、第三部隊の詰所に証拠を物色させてもらいました~」
ゴタゴタとは紅玉の大立ち回りの事である。
「なっ!? 不法侵入だぞ!?」
「『影の一族』の辞書にはそんな言葉は載っていませ~ん」
ああ言えばこう言う男――幽吾である。
「まっ、その甲斐もあって――じゃっじゃじゃーんっ! こうして無事にご丁寧に本棚の裏に隠されていた証拠を見つける事ができました~」
そう言って幽吾が取り出したのは手作りの綴じ本だった。
そして、それを手に幽吾は見つめた――。
「君の部屋の本棚の裏にあったよ……神域警備部坤区第三部隊副隊長、星矢君」
幽吾の言葉に星矢は目を剥いた。
「この中に書かれた術式の紋章は全て、書き換えのされた禁忌の紋章だった。これは三年前に禁忌を犯し紋章の書き換えを行なった術式研究所のものと同じだった。間違いなく、君の部屋の本棚から見つかったものだよ。つまり君が術式研究所の最後の関係者だ」
「ぼ、僕は、そんなものは知りません……! 僕は術式研究所と何も関係はありません……!」
「知っているとは思うけど、紋章の書き換えは神への冒涜にあたりご法度……術式研究所の末路を知らないほど馬鹿じゃないよね?」
「違います! 本当に違うんです! これは何かの間違いです! 本当にこれは僕のものではありません!」
信じられないと言った表情で青くなる星矢に世流は言う。
「でも、アナタの部屋からこれが出てきたのよ? それに調べさせてもらったけど、アナタは小さい頃からお兄さん達に虐げられてきて、つら~い思いをしていたはずよ。直接お兄さん達にもお会いしたけど、アナタの事、随分と見下していたわよ。だから、アナタはお兄さん達に復讐する為に術式研究所に協力した……違う?」
「違います! 確かに兄達は僕に意地悪ばかりしてきましたが、僕は僕なりに必死に頑張ってきたんです! 信じてください! 僕は術式研究所と関係ないし、罪を犯してなんかいない!」
「う~~~ん、でも、物的証拠はあるから……」
世流がそう言いかけた時だった。
「待ってくれ!!」
そんな叫びが響いたと同時に、星矢の前に出て幽吾と世流の前に立ちはだかる人物がいた。
それは、砕条だった。
「これは何かの間違いだ! もう一度調べ直してくれ!」
「砕条……!」
砕条の申し出に幽吾と世流は困ったように首を捻る。
「うーん……そう言われてもなぁ……実際にこの数日で禁術が使用された痕跡があって、重大な物的証拠も見つかったから見過ごすわけには……」
「ワタシも完璧に調査したつもりなんだけどぉ~」
「頼む! 星矢はそんな事をするような男ではない!」
砕条の言葉は非常に真剣だった。
そんな砕条を見ながら、幽吾は溜め息を吐く。
「君の頼みを聞いてあげたいのは山々なんだけど、彼は命を狙われているようだから、一刻も早く保護したいんだよね」
「は?」
「え?」
「命を狙われているだと……!?」
「うん。そう」
「え……何故、僕が?」
幽吾の言葉に砕条は驚きを隠せない。
そして、星矢に至ってはその心当たりが全くなく、動揺してしまう。
「彼の命を狙っているのは他でもない術式研究所さ。何せ、三年前の術式研究所が壊滅した際、唯一逃れる事ができた生き残りだからね」
そう言いながら幽吾は一冊の古びた書付を取り出す。
「これは術式研究所の所長だった男の手記。ここにはその男が書いた彼に関する事が書いてあるんだ。そして、彼の命を狙っている事もありありと書いてある……読み上げるよ」
そして、幽吾ははっきりと大きな声で読み上げる。
「『生け贄候補その三――八大準華族の血族の男。術式研究所の資金を援助してくれる男だが、ここの資金源を失っても研究所存続には問題なし。神力量は中の下と大した量ではない。四大華族の血脈であることに期待したいが、能力的に見るとあまり期待できないか。己は大して能力が高くないにも関わらず、プライドばかり高く、兄弟や親類の悪口ばかり言う男。人間としても男としても底辺。生け贄にすることに躊躇いがないのが唯一の利点か――」
「――矢吹、っざけんなっ!!!!」
突如響き渡った怒声に、全員そちらを振り返った――そこには顔を真っ赤にさせ般若の顔をしながら怒る男がいた。
「生け贄にすることに躊躇いないとか馬鹿にしやがって!!」
そこまで叫んで、男はハッとする――そして、顔を青くさせていた。
一方、幽吾は不敵にニヤリとする。
「……星矢さん、悪かったね。犯人を炙り出す為とはいえ、君の存在を利用してしまって」
「……え……?」
その言葉に男は気づく――今までのは全て演技で、自分はまんまと罠に嵌められてしまったのだと――。
「いやぁ、ホントに引っ掛かってくれるとは……君は心底自分大好きな人間なんだねぇ」
幽吾はそう言いながら、男――すなわち今、紅玉の目の前で膝を着いている、蘇芳に暴行した実行犯の一人である砕条の部下を見た。
「……君が本当の術式研究所の生き残りだ。神域警備部坤区第三部隊所属、辰登――八大準華族『山の一族』の三男坊」
**********
幼い頃は良かった――と、辰登はいつも思っていた。
幼い頃は兄二人と仲良く、出来損ないで愛人の子どもの弟を虐めて遊ぶのが楽しくて堪らなかった。
四大華族の「盾の一族」の分家である「山の一族」も本家と同様、身体の大きな子供が生まれる家だった為、小さい頃から比較的身体の大きかった辰登は小さくて細い弟を屈服させていた。
だが、大きくなるにつれ、身体の成長がピタリと止まり、世間一般的には大きな身体も、兄二人と比較すると身長も体格も小さく、体力も腕力も敵わなくなっていった。
そして、兄二人は揃って、辰登を蔑み、力で屈服するようになった――弟と同じように。
悔しくて――悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて――怒りで腸が煮えくり返った。
兄二人は頭の出来は非常に悪かった為、そちらで見返してやろうと、嫌いな勉学に励もうと思ったが――勉学が優秀だったのは弟で、辰登の付け焼刃程度の学力で弟の成績に敵うはずもなく、結局辰登は諦めてしまったのだ。
力も中途半端ならば、頭の出来も中途半端な辰登を、現「山の一族」の当主である辰登の父はこの上なく叱り付けた。
本家にいる「初代盾の再来」と呼ばれる自分と同い年の次男坊と比較して――まるで日頃の不満がぶつけるかの如く――。
会った事もないその次男坊が、辰登は大嫌いだった。
その頃、弟は兄二人に蔑まれる日々を過ごしていたが――弟はめげる事無く、直向きに努力を重ねていた――そんな弟の姿を見て、辰登は怒りを覚えていた。
幸いにも平均よりも大きい身体と腕力は所持していたので、神域管理庁の神域警備部に入職することはできた――。
しかし、上には上がいる事を痛感させられる――同期の中に、あの「初代盾の再来」と呼ばれる本家の次男坊もいたからだ。
そして、神域警備部の新人の実力を見極める恒例の実戦形式の試験において、辰登は早い段階で脱落したのだ。
悔しかった――大した実力などないと言われ――入職できたのはただの家の力と言われ――悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて――嫌になった。
そんな辰登に追討ちをかけるように、あの憎き弟――星矢が入職したのだ。
同じ神域警備部に入職したにもかかわらず、星矢の立場は辰登とは真逆だった。
〈異能持ち〉として覚醒した星矢は、優秀な神術の使い手として認められるようになっていた。何よりも人望が厚く、常に星矢の周りには人がおり、星矢を悪く言う輩など一人もいなかった。
何故自分は兄に馬鹿にされ続け、本家の次男坊にも敵わなければ、弟にすら追い越されていく……?
悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて――そんな思いをしていた時に矢吹と出会った。
矢吹は独自に怪しげな神術の研究をしている「術式研究所」を作っていた。
研究には金が必要だと言われ――兄二人を見返す為、本家の次男坊に復讐する為、弟を再び踏み躙る為――辰登は金の工面をした。
その代わりに、矢吹は研究の一部を辰登に提供していった。
そのおかげで、辰登はなんとか神域警備部での仕事をこなし、そこそこの成績も収める事ができた。
しかし、矢吹がある一人の神子に執着を見せ始め、研究に没頭し、一人で暴走気味なのを見越した辰登は、術式研究所にある己の痕跡を全て消し去り、術式研究所との関係を絶った。
そして、術式研究所は取り締まられ、壊滅した――辰登は間一髪難を逃れる事ができた。
しかし、術式研究所の禁術が使用できなくなった事は辰登にとっては痛手だった。
禁術の術式を書き写し綴じ本にして持ち出していたものの、禁術に関する監視の目が強化され、辰登は禁術を使用できず、仕事も上手くいかなくなり、思うような成績を残す事ができなくなり――。
結果、弟に出世を先越されてしまったのだ。
不幸は続く――。
父が己の憂さ晴らしの為に辰登を叱責した。
何度も怒鳴り付けた。
その度に話題に上がるのは「初代盾の再来」のあの本家の次男坊――。
毎日、蔑まれ続け、先を越され続け、怒鳴られ続け、比較され続け――腸が煮えくり返り――ついに辰登は堪忍袋の緒が切れた。
物に当たり散らし、大声で叫びながら暴れまくって、怒りの矛先を本家の次男坊へと定める。
俺の力を思い知らせてやる。
殺す以上の苦しみを味あわせてやる。
今度こそ奴に復讐を――。
そして、辰登は久しく使っていなかった禁術に手を出す――。
もしもの時に備えて、禁術の術式を書き写した綴じ本を星矢の部屋に隠しながら――。