行方不明の蘇芳
※注意※
流血表現・残虐表現あります。
蘇芳が帰ってこない――神々に茶と菓子を振る舞いながら、紅玉はそわそわと時計を見た。
(そう言えば、出かけてくるとはおっしゃっていましたけど、何処へ行くかとか何時に帰ってくるとかおっしゃっていませんでしたわ……)
きちんと報告を聞かなかった事を後悔した。
(ですが、本日は蘇芳様も勤務日。真面目な蘇芳様が仕事中にもかかわらず、こんなに御社を空けるなんて絶対あり得ませんわ)
そう思った瞬間、紅玉は焦り出す。
「ひより!」
声をかければ、すぐに手に止まった可愛い小鳥に紅玉は言う。
「術式発動――蘇芳様」
瞬時に術式が発動される――が、ひよりは困ったような表情をすると、首を振ってしょんぼりとしてしまう。
(蘇芳様と連絡が取れない……!?)
蘇芳がただ気付いていないだけならいい。
だが、これは神獣を介した連絡手段だ。神獣が己の担当を見逃すなどあり得ない。
あり得るとすれば、神獣が蘇芳の神力を辿れない場合と神獣ですら立ち入る事ができない場所に蘇芳がいるとか――。
どちらにせよ、蘇芳の身に何か悪い事が起きたのではないか――そんな予感がしてならない。
「空さん、鞠ちゃん、蘇芳様が今日どちらへ出かけるとか何か聞いていませんか?」
「うーん……聞いてないっす。ただ出かけるから、よろしくって」
「マリもデース」
「紫様は?」
「僕も特に何も聞いていないなぁ」
「そう、ですよね……」
蘇芳は何かあれば必ず真っ先に自分に報告をくれるはずだ――と紅玉は思う。
そんな質問を口にした紅玉の話は傍にいた神から神へ次々と伝達されていく――。
「なあ、蘇芳がどこに出かけたか知っているか?」
「いや知らない」
「そう言えば帰りが遅いな」
「蘇芳さんどこに行っちゃったんでしょう?」
「蘇芳さんだから大丈夫だとは思うけど」
「どこに行くって聞いてねぇな……」
「俺も」
「僕も」
「どこに行ったんだろうねぇ」
そんな会話が神々全体に広まった頃――。
「あ」
一人の神が声を上げた。笹のような黄緑色の少し長めの髪と夜空のような紺色の瞳を持つ男神の伊吹だ。
「そういえば、今朝御社の門に蘇芳宛の書状が届いていたなぁ」
のんびりとした口調でそう言う伊吹に紅玉は眉を顰めた。
「蘇芳様宛の書状?」
「うん」
「どちら様からの書状でしたか?」
「うーん、覚えていないなぁ……というか、見てないなぁ」
流石はこの御社随一ののんびり屋の神の伊吹である。
しかし、それは非常に有力な情報であった。
(神獣連絡網があるのに書状が直接御社に届けられるなんておかしいです。何故そんな回りくどい事を……)
そう考えて、思い当たる事はただ一つ――その書状は神獣連絡網の使用を避けたかった内容のものだったと。
悪事に神獣連絡網を利用しようとした職員が神獣からの天罰を受けた――先日、雛菊からその話を聞いたばかりである。
少し気になる点が一つあったが、紅玉は更に考察を続けていく。
(つまり、蘇芳様宛のその書状は悪意のある内容としか考えられませんね……蘇芳様への脅迫……憎しみ……悪意……)
そう思った瞬間、紅玉の脳裏に過ぎったのは、坤区の第三部隊の――。
紅玉は全身の毛が弥立つような嫌な予感を覚える。
「ごめんなさい! 空さん、鞠ちゃん、紫様! わたくし、蘇芳様を探しに行ってきますわ! 晶ちゃんの事をよろしくお願いします!」
「わかったっす!」
「ココはマリたちにオマカセデース!」
「紅ちゃん、気を付けてね!」
挨拶もそこそこに紅玉は駆け出していた。
そして、あっという間に御社を飛び出し、目指す先は――。
「紅っ!!」
「っ!?」
名を呼ばれて立ち止まった紅玉の目の前に人が降り立った――一人は頭に三本角を持つ男、もう一人は黒い翼を持つ男。
「轟さん! 天海さん!」
「おめぇ、蘇芳を探しているのか?」
「えっ、何故それを……!」
勘が良過ぎるにしても程があった。
「第三部隊の捜査を和一達にも手伝ってもらっていたんだけどよ、さっきあいつらが慌てた様子で来て、『蘇芳が大変だから紅を呼んでこい』って言うもんだからさ、迎えに来た」
「っ!」
轟の言葉に思わず驚いてしまう紅玉だが、チラリと天海を見ると、天海も黙って頷いていた。
「わかりました! 案内してください!」
「おっしゃっ!!」
紅玉の言葉を聞いた瞬間、轟は断りなく紅玉を片手で抱え上げた。
「ひゃあっ!?」
「舌噛まねぇように気を付けろよっ!!」
そう言って、轟は紅玉を抱えたまま一気に空へと跳躍した。そして、そのまま木をピョンピョンと飛び移りながら、物凄い速さで駆け抜けていく。
天海も木の間を滑空しながら後を追う。
(流石、鬼の先祖返りです……!)
もしも自分一人だったら、こんな速さで移動などできなかったであろう――紅玉は轟に感謝した。
(蘇芳様……!)
蘇芳の無事を祈りながら、紅玉は轟に振り落とされないようにしがみ付く。
ふと、紅玉は気づく――轟の後方から物凄い速さで迫ってくる何かが飛んでくる事に――。
(あれは――!)
**********
拷問部屋は血の臭いで充満していた。
全身鋭利な刀で突き刺され、切り刻まれ、全身のあらゆるところから血が噴き出し、肺にも血が溜まっているのが分かる程だ。
蘇芳はその度に何度も口から血を吐いて噎せた。
跪いた足元に夥しい量の血が広がっていく。
それでも蘇芳は生きていた――荒い呼吸を繰り返しながら――。
その身に傷を負ってもすぐに再生し、どんなに全身を切り刻まれても決して倒れぬ不撓不屈の鋼の肉体を持つ――それこそ蘇芳が神域最強と呼ばれる所以であった。
そんな血塗れの蘇芳を見ながら、男二人が呟く。
「こいつ、神力封じてこれだけ刺しても死なねぇんだな……」
「噂通りの化け物だな、こえぇ……」
そんな声を余所に蘇芳は必死だった。
痛くて、苦しくて堪らない。今にも理性を手離して暴れ出しそうな己を必死に律した。
蘇芳が最も恐れたのは己の真の力が発揮された時――そうなれば化け物となった自分は間違いなく目の前の三人を殺すだろう。それも惨い方法で――。
そうなれば蘇芳は二度と紅玉に顔向けできなくなる。
例え紅玉自身が赦してくれたとしても、殺人を犯した自分の手に紅玉が触れる事など赦す事ができない。
異能で傷付いた身体を癒せない今、蘇芳の心を支え続けたのは柔らかく微笑む紅玉だけだった。
(紅殿……っ……!)
荒い呼吸を繰り返しながら、蘇芳はその名を何度も呟く。
しかし、無情にも男の一人が刀を手に蘇芳に近づいた。
「それにしても、神域最強の化け物が本当に〈能無し〉に骨抜きとはなぁ!」
「――っがああ!!」
刀が腹部を貫通し、蘇芳は激痛に声を上げながら血を吐いた。石の地面の上に血飛沫が飛び散る。
そんな苦しむ蘇芳の様子を見て、男は笑う。
「ハハハッ!! イイ気味だな!! こないだの礼をたっぷりしてやるっ!!」
男はそう叫んで何度も何度も蘇芳の顔を蹴りつけた。
何度も何度も――容赦なく――決して力加減などせずに――何度も何度も――。
「お、おいおい、やりすぎて殺すなよ……」
「ははは、そうだぞ……殺したら洒落にならねぇぞ」
流石の仲間の男の二人も苦笑いを浮かべながら男に忠告した。
「……はあ……はあ……はあ……っごほっ! ごほっ!!」
「まあ、おめぇの気持ちも分からないではないか。何せ、イイ身体していたもんな、あの〈能無し〉」
「――っぐ!」
紅玉に対する下劣な言葉に蘇芳は思わず目の前の男を睨みつけた。
「おーおー、こえぇな! でも、いいのか? あの女の秘密、洗い浚いバラまくぞ!?」
「ぐっ……!」
歪んで嗤う男に蘇芳は逆らう事ができない。
「ハハハッ! ホント〈能無し〉絡みになるとイイ顔するなぁ! そうそう! その顔が見たかったんだよぉっ!!」
男はそう叫んで蘇芳の顔を思い切り蹴り上げた。
蘇芳は再び口から血を吐いてしまう。
しかし――。
(紅殿……!)
蘇芳は決して屈しなかった。
我を忘れたり、絶望したりしなかった。
紅玉という存在が蘇芳を支え続けた――柔らかい笑みと声が蘇る。
きっと紅玉の事だ。自分が長時間不在にしている事を心配してくれて、今頃探してくれているに違いない。
その際に轟や幽吾といった頼れる彼女の仲間達が力を貸してくれるはずである。そうすればあとは時間の問題だ。
蘇芳はそう確信していた。
(この程度、あの時の痛みと恐怖に比べたら――!)
蘇芳の目に光が宿った事に気付いた男は冷たい目で蘇芳を見下ろした。
「…………つまんねぇ」
「――っ!」
そして、男はしばらく考え込むと、ニタリと卑しく笑って言った。
「やっぱあの女連れてきて、おめぇの目の前で犯すか!」
「やめろぉっ!! 紅殿に手を出すなっ!!」
まるで咆哮するように蘇芳は叫んだ。必死に暴れて抵抗しているせいで、ガチャガチャと鎖がぶつかり合う金属音が鳴り響く。
「ハハハッ! やっぱそれが一番効果的だな!」
そう言いながら、男は小刀を手に取る。
「安心しな、おめぇのだ~いじな〈能無し〉ちゃんは俺達が代わりにた~っぷり可愛がってやるからよぉっ!!」
瞬間、喉に小刀を突き立てられた。
「――っっっ!!!!」
悶絶する程の痛みと喉を潰され、蘇芳は大量の血を吐いた――ボタボタと血が零れ落ちる嫌な音が響き、より一層血の臭いが強くなった。
声も出せなくなり、呼吸をする度にヒューヒューと嫌な音が喉から響く。
「おめぇは大人しくそこで待っていろよ。今から〈能無し〉ちゃん連れてきて、おめぇの目の前で犯し尽くしてやるからよ」
男は醜く笑いながら、仲間を引き連れて去っていく。
そして、拷問部屋の扉は閉められた。
(紅殿! 紅殿! 紅殿! 紅殿! 紅殿!! 紅殿っ!! 紅殿ぉっ!!!!)
痛みを堪えながら残された力で拘束を解こうと暴れるが、手錠も鎖も壁の術式も蘇芳を固く拘束し、ビクともしない。
今頃、紅玉は自分を探し回っているはずだ。
もし仮にあの男達に騙されてここに誘導されてしまえば――。
蘇芳は最悪の事態に恐怖した。
それでも拘束は解けない。全身から血が噴き出す。激痛が全身を走る。
(紅殿……っ!!)
蘇芳は祈った。
(俺はどうなってもいい! 俺はどうなっても構わないから! だから、どうか神よ! 紅殿を守ってくれ! 頼む! 紅殿! 俺の事は構わず、逃げてくれ……!)
心の底から、強く、強く――。
現在アップしている全編の修正などを行いました。
ストーリーに変更はありませんが、名称変更があります。
「朔組」の名称を「朔月隊」に変更しました。
よろしくお願いします。