事故の手当て
キリのいいところで区切ったので今週は短めです。
少し甘めの塩味が強め。
短めなのでちょっとおまけ↓
紅「血液で汚れてしまった布は、大根のすりおろしたものをガーゼに包んでトントンと叩くと綺麗に落ちるのですよ」
蘇「ほう」
紅「大根にはタンパク質分解酵素が多く含まれますので、血液のタンパク質を分解して綺麗にしてくれるのです」
蘇「なるほど」
紅「蔕の部分とか食べないところを使うのがおすすめです」
蘇「是非参考にさせてもらおう」
紅玉は庭園の入口あたりにある小川の水で手拭いを濡らすと、蘇芳の傷を優しく拭っていく。
手拭いが蘇芳の血に染まる事も厭わず、紅玉は黙々と作業を続ける。
「紅殿、これくらいすぐに治るから」
「いいからじっとしていてくださいまし。いくら『自然治癒』の異能をお持ちでも傷を放っておくわけにはいきませんわ。ばい菌が入ったら大変なのですよ」
すると、ひよりと蘇芳専用伝令役の南高が救急箱を運んできた。
「ありがとう。ひより、南高様」
紅玉は救急箱を開けると、慣れた手つきで消毒液を取り出す。
「少し沁みますよ」
「大丈夫だ」
そう言いながら、傷口を消毒するが、すでに傷口が塞がり始めている事に気付いた。
紅玉は切なげに唇を噛み締める。
「昔……似たような事がありましたよね……蘇芳様がわたくしを庇って大怪我をされた時の事……」
「そう言えば、あったな。そんなことが」
あの時の状況と今回の時の状況は全く異なっていたが――と紅玉は思う。
何せあの時は、相手は本気で紅玉を殺しにかかってきていたのだから……。
「あの時は……蘇芳様が庇ってくださらなかったら、わたくしは確実に命を落としていましたわ……でも、だからと言って、蘇芳様が傷ついていい理由になりません。わたくし……あの時……蘇芳様が死んでしまうと思って、本当に怖かったのですから……」
「……すまん……不安にさせてしまって」
「……あ、あと……あの……」
紅玉の頬が赤く染まり、蘇芳は首を傾げた。
「さっ、先程のことは本当にお気になさらないでくださいまし。ほんのちょっと、おでこに当たってしまっただけですわ」
「っ!!」
紅玉に言われて、蘇芳は先程の事を思い出してしまった。
二人の神の神術を受けそうになっていた紅玉を守る為、強く抱きしめてしまった際に、蘇芳の唇が紅玉の額に当たってしまっていたのだ。
「あ、あれは事故ですもの……気にしませんわ」
「そ、そうか、事故か……」
「は、はい、事故です」
事故――とは口にしつつも、二人の顔から赤さが抜けない。
「あ、貴女が気にしないのなら俺は別に……」
「は、はい。むしろ蘇芳様が気にされるでしょう?」
「え?」
「え?」
蘇芳は一段と顔を熱くさせると慌てて弁明する。
「い、いや! 気にするべきは貴女の方だろう! 額とはいえ嫁入り前の身体に……」
「あらまあ、蘇芳様は真面目すぎますわ」
「いや、気にしろ。好きでもない男の唇が触れるなんて不快だろう?」
「え?」
「え?」
今度顔を熱くさせるのは紅玉の方だった。
あまりの羞恥に耐え切れなくなった紅玉は勢い良く立ち上がる。
「ごっ、ごめんなさい! 蘇芳様! わたくし、轟様に連絡しなければいけないので、これで失礼します!」
紅玉は早口でそう告げると、ひよりを連れて逃げるようにその場を後にした。
残された蘇芳はしばし呆然としていたが、顔を真っ赤にさせながら唸り声を上げると、頭を抱えて項垂れてしまった。
紅玉はバタバタと駆け込むように自室に入ると、慌てて扉を締めた。そして、その場にずるずると座り込んでしまう。
そして、そっと右手で己の額に触れた……蘇芳の唇が触れたその場所に。
不快など全然感じなかった。
むしろ嬉しかった――抱き締めて守ってくれた事も、怪我はないかと気遣ってくれた事も、唇が触れた事も――。
女性としての喜びを感じていた。
そんな己自身に紅玉は不快を覚えた。
ふと脳裏を過ぎるのは、照れている蘇芳を見て微笑んでいる――幼馴染の姿。
己の身体を抱き締めるように、紅玉は膝に顔を埋めた。
「想ってはだめ……想ってしまってはだめ……わたくしは幸せになってはいけない……いけないのです……!」
何度もそう言い聞かせる紅玉を、ひよりは切なげな目で見つめていた……。
**********
翌朝、蘇芳は日課の朝の訓練をしていた――が、身体を動かす度に昨日の紅玉の赤く染まった顔や出来事を思い出してしまい、訓練にちっとも身が入っていなかった。
己の唇が触れてしまった時の紅玉の顔を何度も思い出す……。
赤く染まる頬、驚いたように見開いて潤んだ漆黒の瞳、少し乱れた漆黒の長い髪、思わず触れたくなった柔らかそうな薄紅の唇――。
「ガンッ!!」――あまりの衝撃音に、木に止まっていたひよりとたまこと南高が飛び立った。
その木の下には幹に額を打ち付けている蘇芳が立っていた。額からはダラリと血が流れている。
「…………よし」
気合を入れ直した蘇芳は訓練を再開しようとする――が。
「面白い修行しているんだな、蘇芳」
「――っ!!??」
まさか見られていたとは思わず、蘇芳は慌てて振り返った。
見ればそこには、笹のような黄緑色の少し長めの髪と夜空のような紺色の瞳を持つ男神の伊吹が立っていた。
昨夜の夜番担当は伊吹達だったと蘇芳は思い起こす。
「伊吹殿、おはようございます! お見苦しいところをすみません!」
「おはよう。毎日修行お疲れ様」
どうやら伊吹は蘇芳の行動が奇行には見えなかったらしい。
見られたのが、神々の中でも随一ののんびり屋の伊吹で良かったと、蘇芳はホッと息を吐く。
「忙しい時にすまんな。これ、門に挟まっていたから届けに来た。蘇芳宛の書状のようだな」
「自分宛の……書状ですか?」
蘇芳は訝しく思った。
というのも、つい一月前に出来た神獣連絡網の普及のおかげで、全ての連絡のやり取りは神獣を介して行なっているのだ。もちろん重要書類や手紙などの書状も、である。
なので、こうして直接手紙が届けられるという話はもうあり得ない話なのだ。
そう思いつつも、伊吹から手紙を受け取ると蘇芳は礼を言う。
「ありがとうございます、伊吹殿」
「じゃ、ちゃんと俺は届けたからな」
伊吹はそう言うと、のんびりとした足取りでその場を去っていった。
伊吹の姿が見えなくなると、蘇芳はすぐさま手紙を見た。
怪しい神術などはかけられているように見えなかった。
そして、蘇芳は手紙を開封し、中身を取り出し、凍りついた。
そこに入っていたのは夥しい量の紅玉の写真。
仕事中の袴姿から休暇中の私服姿まで――明らかに隠し撮りされたものである。
そして、便箋にはこんな一文が書かれていた。
「女の秘密が明かされたくなければ、大人しく指示に従え」
文の最後には「ここに来い」と場所が記されていた。
蘇芳は思い切り手紙を握り潰し、顔を青くさせた――。
不穏な気配……