十六夜の会とその帰り道
満月の翌日の十六夜の日――朔月隊結成初期の隊員四名による定例会である「十六夜の会」が開催された。
今月の開催場所は、遊戯街の「夢幻ノ夜」――世流が勤める店だ。
扉に掛けられた鐘がカランと鳴る。
そこは西洋文化の室内装飾が施された洋風酒場。本日も客が多く、大盛況である。
店の壁にある一人用の席が並ぶ台の中で接客をしているのは、妖艶な着物に身を纏った世流だ。背後に棚には大量の酒瓶が置いてある。
そして、その世流の目の前に一人の男が座った。世流は透かさず男に声をかける。
「はあい、いらっしゃいませ~」
「やあ、綺麗なお兄さん、ハイボール頂けます?」
「もうっ、ここでは『オネエチャン』って呼んでって言っているでしょっ」
「『おにいさん』でも『おねえさん』でも、世流君は綺麗だよ」
そう言って、誰も見た事がない瞳を更に細めながらニッと笑うのは、紛れもなく幽吾だ。
世流は少し不満げな様子を見せつつも、褒められた事に満更でもない様子であった。そして、慣れた手つきで注文された品を作り、幽吾に提供する。
「はい、ハイボールです」
「ありがとう」
「ねえ、お兄さん、今夜はお一人? よかったらオネエチャンと一緒に飲まない?」
「こんな綺麗なお兄さんと一緒に飲めるだなんて光栄だなぁ~」
そう簡単に世流の希望を叶えてくれる幽吾であるはずがなく、世流は不満げに唇を尖らせた。
するとそこへ、もう一人、一人用の席にドカリと座る男がやってきた。
頭の三本角が特徴的の鬼の先祖返りの轟である。
「おい、おっさん。ビールくれ」
瞬間、轟の胸座を容赦なく世流は引っ張った。
「おい野郎てめぇ、頼み方っつぅもんがあるだろうが」
「俺様はお客様だぞ!? 引っ張るな!」
(わあ、世流君、すごいおっさん~)
世流は低い男の声で舌打ちをすると、轟の胸座をパッと離して、注文された品を用意していく。
一方の轟は伸びた襟を気にする素振りを見せていた。
「は~い、お子ちゃま鬼君にはビールじゃなくて、お子ちゃま用ビールをどうぞ~!」
「おい! 俺様はもう成人だぞ!? ちゃんとアルコールの入ったビールを寄越しやがれ!」
(わあ、世流君、仕返しはなかなかお子ちゃま~)
ぎゃあぎゃあ騒ぐ二人の横で、幽吾は一人静かにハイボールを飲む。
すると、一人用の席にまた一人が座った。
「マスター、抹茶ミルクをくださいな」
キラキラした表情で楽しげにそう言ったのは漆黒の髪と瞳を持つ紅玉だった。
「……なんだよ、その注文の仕方」
「ふふふっ、一度『マスター』って言ってみたかったのです」
はにかんで言う紅玉に世流はほっこりとした。
「うふふっ、か~わいい! 蘇芳さんにも見せたかったわ~」
そう言いながら、紅玉に注文の品を提供する。
「さて、これで全員集まったね……『十六夜の会』を始めようか」
カラン、と幽吾のハイボールの氷が音を立てた。
すると、世流は別の客の注文の品を作りながら報告をしていく。
「坤区の第三部隊に例の生き残りさんがいると仮定して、第三部隊全員の素行やら噂やらを調査しておいたわ。とりあえず隊長さんと副隊長さんの周辺ね。あ、今日はうっちゃんとさっちゃんからも報告があるから」
そう言って、世流は店の中を駆け回る双子を見た。
「……へえ、やるな。双子」
「うふふっ、うちの双子ちゃん優秀でしょ~」
すると、丁度そこへ双子の片割れがやってくる。
「いらっしゃいませ、ご注文をどうぞ」
「……こいつ、どっちだ?」
「右京君ですよ」
瑠璃紺の瞳がきらりと光った。
「はーい、僕、焼き鳥」
「俺様、枝豆」
「わたくしは卵焼きを」
三人の注文を右京は書付に記していき、そして言った。
「ご注文繰り返させて頂きます……坤区の第三部隊関係者様の情報についてです。まず隊長様の砕条様。幽吾様の報告にあったように八大準華族の『岩の一族』のお生まれで次期跡取り様でございます。性格は至って真面目の堅物。四大華族である蘇芳様に随分と敵対心を抱いておられると専らの噂でございました。またご注文がございましたら、お呼びくださいませ。失礼します」
さらっと報告を済ませると、右京は去っていった。
報告を聞くと、紅玉と幽吾と轟は壁の棚に置かれている酒瓶を見つめながら、世流は注文の品を作りながら、呟くように話す。
「真面目で堅物さん……確かにそんな印象の人だったわ。この間チラッと見たら」
「ですが、先日、砕条様は蘇芳様にいきなり斬りかかってきましたのよ」
「蘇芳に相当な敵対心燃やしてるってことか」
「それは昔から有名な話だね。蘇芳君は滅法強いし、親戚内では蘇芳君と比較されることも多かったみたいだよ」
「優秀な人と比べられて、あれこれ言われるのってイヤよねぇ」
すると、再び双子の片割れが現われる。
「お待たせしました。お通しでございます」
「……こいつ、どっち?」
「左京君ですよ」
江戸紫の瞳がきらりと光った。
「本日のお通しは牛肉のみぞれ煮でございます。そして、情報です。幽吾様、第三部隊の副隊長様も八大準華族の血縁者様ということはご存知でしたか?」
「あれ? そうなの?」
「砕条様とは違うお家……『山の一族』のお生まれの星矢様という方なのですが」
「……もしかして、愛人の子?」
幽吾のその一言に、轟と紅玉は嫌な予感を察知する。
「……おい」
「もしや……」
「星矢様は四人兄弟の末弟で、唯一母親が違うそうです。そして、上のお兄様三名からかなり虐げられてお育ちになられたようです」
「おい、どうなってんだよ。真面目一辺倒の一族なんだろ?」
「それは四大華族の『盾の一族』の話。流石に僕もお家の現状一つ一つを把握はしていないけど、分家となると話は変わってくるね。八大準華族は野心まみれの奴らが多いから。中央本部を仕切っているのが八大準華族って言えばお分かりいただけるかな?」
幽吾の説明に誰もが八大準華族の現状を察してしまった。
「ちなみに、この星矢様は女性からの人気は絶大でございました。王子のような容姿に性格。非の打ち所がないそうです。それでは失礼します」
去っていく左京に軽く頭を下げながら、紅玉は呟く。
「確かに細身でお綺麗な方でした」
「ま、あの『盾の一族』の分家としては、体格が致命的に悪いから小さい頃からグチグチ言われてそう」
「おいおい、大丈夫か? 八大準華族」
「ワタシなら捻くれる自信があるわ……」
世流はそう言いながら、焼き鳥と枝豆と卵焼きを台の上に置いた。
「じゃ、最後にワタシからね。うっちゃんとさっちゃんから報告を受けて、分家さんのこと少し調べてみたら、砕条さんは一人っ子だったわ。一人しかいない跡取りだから結構苦労しているみたいね。で、星矢さんの方にはさっきさっちゃんも言っていた通り、お兄さんが三人いて、そのお兄さん全員神域警備部にいるらしいわ。というわけで、上二人のお兄さんと接触してきたわ」
「おお、やるじゃん」
「っていうか、お兄さん二人揃って、遊戯街の常連さんだったわ。通うお店も夢渡りで欲望満たす系のお店ばかりだし、お店の子達に二人の評価を聞いてみても、素行や勤務態度は下の評価ばかりよ」
「流石、八大準華族。期待を裏切らない下衆だねぇ」
「ちなみに、ワタシ直々に接客してきたんだけど、話すことと言えば本家の蘇芳さんの悪口と弟さんを馬鹿にしている話ばかりね。ちょっと殴りたくなったわ」
「……わたくしなら殴り飛ばしていましたわ」
世流からの報告を聞きながら、三人はもぐもぐと注文された品を口にしていく。
「ま、馬鹿にしている弟さんが一番出世していたら、口から文句ばかりでしょうよ。自分は大して努力もしていないくせに、人の悪口ばかりなんて最低だったわ」
「あーーー……そう言えば、その坤区の第三部隊の副隊長って言ったら、身体が細くて腕っぷしは立つようには見えねぇけど、〈異能持ち〉で神術の使い手として有名だった気が……」
「そう。それと真面目な性格のおかげで第三部隊副隊長までに昇進できたらしいわよ」
「神術の使い手……」
轟の言葉に思い浮かぶのは――術式研究所だった。
「……怪しいわよね……?」
「そうだねぇ……状況証拠は集まりつつあるけど……紅ちゃんはどう思う?」
幽吾にそう問われ、紅玉は星矢の事を思い出す。
始めて対峙した時は、砕条を諌め、蘇芳にもきちんと謝罪の出来る好感の持てる人物だと思った。
しかし、その裏に隠されていたのは、愛人の子として腹違いの兄達に蔑まれていた日々と「盾の一族」の分家として見合わぬ体格を持つ劣等感。
本当に彼のあの言動は、本性なのだろうか――。
第一に蘇芳を嫌っている砕条の存在も捨てきれない。
(それに…………)
紅玉には気になる点がもう一つあった――そこまで考えて紅玉は自分の意見を述べる。
「わたくしはまだ決めつけるのは早いかと思います。あらゆる可能性を考えて、更なる調査と情報収集が必要かと思います」
「俺様も同じ意見だ」
紅玉の意見に真っ先に同意を示したのは轟だった。
「俺様もこないだ天海の代わりに第三部隊を覗いてきたんだ。で、一目見て、星矢ってヤツに一切後ろ暗いところはねぇと思った。あと砕条もな。あいつらは生き残りじゃねぇ気がする」
「砕条様も……ですか?」
正直その意見に関しては、紅玉は異を唱えたかった。先日蘇芳に突然斬りかかってきた時点で、紅玉の中での砕条の印象は最悪なのだ。
しかし、轟は言った。
「あいつ、めちゃくちゃ反省していたぞ。蘇芳には謝るつもりはねぇっつってたけど、俺様……つーか天海や紅には土下座して謝りたいって言っていた。ありゃ噂通りのすげぇ真面目の堅物だな」
「……わたくしにではなく、蘇芳様に謝罪していただきたいですわ」
むっと頬を膨らませる紅玉をまあまあと世流が宥めた。
「うん、轟君の意見は分かった。それで、彼らが生き残りではないというその根拠は何?」
幽吾の問いかけに、轟は残りのビールを一気に飲み干すと、杯を台に「ドン!」と叩きつけ、はっきりと言った。
「勘だ!!」
「…………」
「…………」
「…………」
カラン、と幽吾のハイボールの氷が音を立てた。
「……おい、なんか言えよ」
轟の声に、紅玉は微笑み、幽吾はニヤリとし、世流はふっと笑う。
「わかったわ。もう一回、調査してみるわ」
「え、マジかよ? いいのか?」
「轟君の野生の勘はめちゃくちゃ当たるって信用しているからね。轟君の野生の勘は」
「わたくし達には轟さん程の純粋さはもうございませんからね」
「……結局、俺様を馬鹿にしてんだろ、おめぇら」
「いえいえ、轟さんのそういうところが大好きですって意味ですわ」
「おまっ! だからなぁっ!!」
「はい、お客様~、お店ではお静かに~」
そうして、次の取るべき行動が決まったところで「十六夜の会」はお開きとなった。
**********
その帰り――「夢幻ノ夜」の店先で、紅玉は右手を上げ、その名を呼んだ。
「ひより」
ヒュッと小さな風を起こして、紅玉の指先に止まったのは紅玉専用の神獣伝令役のひよりだ。
そんな紅玉の行動を轟は隣で首を傾げながら見る。
「何で神獣連絡網使ってんだ?」
「会が終わったら、蘇芳様に連絡する約束なのです。お迎えに来てくれるそうで……術式発動、蘇芳様」
轟の頭に、仁王の如く強靭な身体を持った神域警備部の先輩の姿が思い浮かび、思わず呆れた表情をする。
(過保護かよ……)
「――あ、蘇芳様? 会が終わりましたので連絡致しました」
『すっ、すまん、紅殿! しばらく待っててもらえないか!? 獣組が!』
蘇芳はどうやら取り込み中のようらしい。そして、その原因は獣組にあると理解した紅玉は、凍てつく怒りを秘めた笑顔で言い放った。
「あらあら、ふふふ、わたくし今すぐ戻りますわ」
『いやっ! 遊戯街の夜道は危険だから待っててくれ! って待たれよ! 遊楽殿!!』
これは今すぐ戻らねば十の御社の危機だ、と察知した紅玉は遊戯街の中を走る事を決意する――が。
「おい、蘇芳。聞こえてるか? 俺様が紅を送ってやんよ」
『轟殿!』
ひよりに向かって轟がそう言い出した。
「だから、そっちの仕事、しっかりやれ。紅が帰るまでには片付けておけよ」
『すっ、すまん! よろしく頼む!』
そうして、伝令は切れてしまった。
「あらまあ、轟さん、よろしいのですか?」
「別に構わねぇよ」
ぶっきらぼうではあるが、なんだかんだで面倒見の良い同期が微笑ましくて、紅玉はこっそり心の中で「ふふふ」と笑う。
「ほら、さっさと行くぞ」
「あ、はい」
そうして、艮区の方面を目指して、しばらく遊戯街の中を歩いていた時の事だ。
噂をすれば影が差す――とはまさにこの事であると紅玉は思った。
何故ならたまたま道で鉢合わせしたのは、坤区の第三部隊の面々――隊長の砕条と副隊長の星矢、そしてその部下達一行だったのだから。
思わず互いの顔を見た瞬間に全員が「あ」と声を上げてしまっていた。
「これは轟さんに紅玉さん。こんばんは。お疲れ様です」
最初に声をかけたのは星矢だった。輝くような黄色の髪が遊戯街の街頭に煌めいて美しく、王子のようだ。
星矢の挨拶に、紅玉は頭を下げ、轟は片手を上げた。
「お疲れ様でございます」
「お疲れさん。おめぇらは飲みか?」
「はい、第三部隊での飲み会です」
星矢の部下達も紅玉達に「お疲れ様」と挨拶をしてくれるが、隊長の砕条だけは黙ったまま紅玉を見つめていた。
自分が見つめられている事に紅玉は首を傾げ、声をかけようとしたが――。
「先日は申し訳なかった」
先に声をかけ、深々と頭を下げたのは砕条の方だった。
「私情に巻き込んで、挙げ句嫌なことまで申し上げたこと、心よりお詫び申し上げる」
あまりに素直な態度に紅玉は目を剥くが、むっとした表情ではっきりと言った。
「わたくしより、蘇芳様に謝っていただきたいです」
「ぐっ……それは…………できない」
「何故ですか?」
「…………こちらの事情だ」
堅物とは聞いていたが、ここまで融通が利かないなんて――と紅玉は思ってしまう。眉を顰めた紅玉を見て、星矢が砕条の少し前に出た。
「すみません。砕条は蘇芳さんをすごくライバル視していて、謝るのも嫌なんだそうです」
「それにしたって、いきなり斬りかかるのは卑怯ですわ」
「ぐぬっ……言葉もない」
図星をつかれ、砕条は反省の色を濃くする。
「……紅玉さん、その辺りで勘弁してあげてください。砕条の気持ちはわからなくもないので」
星矢はそう言いながら苦笑いを浮かべた。
「……わかりました。以後お気を付けくださいまし」
「はい、申し訳ありませんでした。それでは、僕らはこれで」
星矢と砕条は深々と頭を下げて、その場を立ち去っていった。その後を部下達も追っていく。
そして、去りゆく第三部隊の姿を紅玉と轟は密かに見送った。
「蘇芳だけには謝りたくねぇって……ありゃライバルとか敵対とかじゃなくて、もう嫌いだろ……」
「そうなのでしょうね…………ですが……」
直接対峙して分かった事があった。
そして、気づいた点も――。
「……轟さんの勘、当たっているかもしれませんね……」
「……俺様の勘だけじゃなく、きちんとした証拠が必要だろ」
「ええ。まだまだ調査の余地がありますわね……」
紅玉は自分が何をすべきか、もうすでに考え始めていた――。




