おいしく食べてね♪
ワニに噛みつかれてしまいました。
もう助からないでしょう。
僕の胴体には鋭い歯がたくさん突き刺さっていますし、ワニは僕のことをがっちりとくわえこんだまま離そうともしないもんですから、これはもうだめだなと思います。
水辺でした。
僕は水浴びをしているところでした。
そこでいきなり襲われてしまったのです。
つい先ほどまでは、すぐそばに仲間たちが沢山いたはずなのですが、驚いて飛び立ってしまったあとでした。
僕はたいへん間抜けだったようで、ワニはきっと、いかにもとろくさそうな僕に最初から狙いを定めていたのでしょう。運がなかったとしか言いようがありません。
しかし、簡単に死んでしまうのも未練が残りそうなので、僕はせめてもの抵抗として羽をばたつかせてみることにしました。ワニの歯の隙間から、ばたばたと水面を叩く感触がありました。
それだけでした。
やがて僕は水の中に引きずりこまれ、ばくん、と丸のみにされてしまいました。
不思議なことに、僕の意識は、ずっとはっきりしていました。
痛みはありませんでした。
頭と胴体が完全に分離してしまったことも把握していましたし、ここが胃袋なのか腸なのかはわかりませんが、僕の身体がさらにばらばらになってしまったことも把握していました。
ワニはどうやら、僕の血も、肉も、骨も、まるごとぜんぶ綺麗に食べてしまったようです。
「ごちそうさま。ありがとう」
なんとなくですが、そんな声が聞こえてきたような気がしました。
なるほど。
僕の身体はたいそうおいしかったのでしょう。
だってまずければ、ぺっ、と吐き出すはずです。それを全部、きれいに残さず食べてしまったということは、僕の身体はおいしかったに違いありません。
僕は僕で、「もうちょっとだけ空を飛んだり水浴びをしたかったなー」という未練のような気持ちはありましたが、そんなことをいつまで考えても、どうしようもないものは、どうしようもありません。
僕はワニに、「どういたしまして」と伝えました。
そのあとのワニがどうなったかは、僕には分からなくなってしまいました。でも少なくとも、僕のおかげで数日間は生き永らえることができたはずです。
僕はふと、目を覚ましました。
僕は木の上にいました。
木の上です。
僕は空腹でした。
ものすごい空腹です。
あれ? 僕ってたしか、ワニに食べられて死んだはずだったような? と思ったのですが、すぐに理解しました。
僕はまたこの世界に生まれてくることができたようです。
僕は必死に、「ぴぃぴぃ」と鳴いて、空腹を訴えるだけの小さな存在でした。
やがて親鳥らしき、でかい鳥が現れました。その口には、おいしそうなミミズがくわえられていました。僕がまた「ぴぃぴぃ」と鳴くと、親鳥は僕にミミズを食べさせてくれました。
そのミミズは、とてもおいしいと思いました。
いきなり声が聞こえました。
「どうだよ。俺様の味はよ。美味しかったかよ? ちくしょう」
間違いなくミミズの声でした。
僕は少しだけ迷いましたが、
「とても美味しかったよ。ありがとう」
と答えました。
するとミミズは、
「そうかよ。良かったな。ばーか、ばーか」
と憎まれ口をたたきながらも、最後はなぜか満足そうな気配をみせてから、僕の身体の中へと消えていきました。
それからの僕はしばらくの間、来る日も来る日も親鳥にミミズを持ってきてもらって、それを食べ続けるだけの毎日でした。きっとミミズ達にとっては、何の前触れもなく命を奪われた瞬間なのでしょう。だから僕は、いつも「ありがとう」と気持ちを込めて、おいしく食べ続けました。
そして成長した僕は、空へと飛び立ちました。
崖の島でした。
羽をうまく使って上昇気流に乗り、そして眺めのいい景色を見ながら、ゆっくりと大空を滑空します。とても気持ちのいい空でした。毎日空を飛んで遊びました。
しばらくすると、僕は住処を移します。
海を越え、もっと大きな大陸へと渡りました。
僕はそこで、自分で餌を見つけ、食べ、また空へと飛び立ちます。自由でしたし、最高に気持ちのいい毎日でした。
しかし、そんな日々はいきなり終わってしまいました。
僕は、僕よりももっと大きな鳥に襲われてしまい、大地に激突して傷だらけになってしまいました。僕は逃げようとしたのですが、だめでした。すぐに大きな鳥が舞い降りてきて、僕の身体を攻撃してずたずたに切り裂いてしまったのです。痛くて痛くて、僕は泣いてしまいましたが、その大きな鳥は、おいしそうに僕の身体を食べ、一生懸命に空腹を満たしているようでしたので、僕はなんだか、よく分からないけれど満足感を覚えました。
ためしに僕は、「僕っておいしいの?」と訊いてみました。
すると、大きな鳥は、声にならない声で答えます。
「すげぇ、うめぇよ」
夢中で僕の身体を食べていました。
僕だって、ミミズや貝や虫を食べまくっていたのですから、こんな日がやってくるのも仕方のないことです。おあいこ様でしょう。
「ほんとに、うめぇよ」
それにしても、僕よりももっと大きな鳥が、夢中で僕の身体をつついているその姿は、どこか可愛げがあるとさえ思ってしまうものですから、不思議なものです。
ありがとう。
その言葉は、僕の言葉だったのか、それとも大きな鳥の言葉だったのか。どちらのものかは分かりませんでした。
僕が次に目覚めたときには、海の中でした。
空も楽しかったのですが、海も楽しい場所でした。
僕がどんな姿をしていて、どのくらいの大きさなのかは分かりませんでしたが、僕はあまり気にしませんでした。
大事なのは楽しいかどうかです。
僕よりもはるかに大きな身体を持っているイルカとは、友達になれました。
毎日自由に泳いで、ときどき天敵のような怖い魚から逃げて、そして僕も小さな魚を襲って食べて。
最終的には、僕よりも一回り大きな魚に食べられてしまい、僕は命を落としてしまったのですが……、それはそれで、楽しい毎日でした。
次に目覚めたのは森の中。
僕は木々の間を、自由に飛び跳ねてまわることができるような生き物で、手足は自由自在にうごかせて、全身は毛むくじゃらでした。
この時の僕は、いままでの中で一番食欲旺盛でした。
木の実も、葉っぱに擬態している小さな虫も、土の中に潜んでいる幼虫も、川の中の岩にへばりついている貝も、なんでも食べました。
一日中食べることだけを考えて生きていました。
そうしなければきっと、僕の筋肉はみるみるとやせ細っていくことが分かっていましたし、また、空腹によってあっというまに死んでしまうことが分かっていたからです。
死とは隣合わせでしたが、かなり長生きしたような気がします。
この長い寿命の中で、じっくりと考えたことがあります。
命というのは、やっぱりある日突然消えて無くなってしまうもの。
もし、天敵が少なくて、運も良ければ、長生きが出来る。
そしてみんな、生きるためには必死。
だから自分が襲われてしまうことだって、仕方のないこと。
僕は結局、長生きできました。
しかし、老化には勝てませんでした。
身体をうまく動かすことができなくなり、やがて狩りの能力も低下してしまい、空腹で倒れました。それからの僕は、倒れたままで何もできなくなってしまったままであり、またしばらくすると、小さな虫たちが集まってきて、僕の身体を食べ始めました。
僕も空腹で何かを食べたかったのですが、小さな虫だって、空腹で生きていくためには必死だったに違いないでしょう。
小さな虫たちは、僕の身体を「おいしい、おいしい」と言って食べてくれたので、僕はなんだか、満足でした。
そして、僕はまた、鳥になって生まれてきました。
どこかの薄暗い小屋の中で、辺りには、僕の仲間がたくさんいました。「こけっこ、こけっこ」ととてもうるさい場所でした。
人間が餌を持ってきてくれる場所でした。
その餌は、はっきりと言ってしまえば美味しくはなかったのですが、いままでに比べれば穏やかな場所でした。
僕は空腹になることもなく、天敵に襲われることもなく、寂しくなることもなく、安心できるような場所だったので、わりとお気に入りの場所にはなりました。
空を飛ぶことだけは……、一生懸命に羽をはばたかせてみても、この重い身体はいっこうに浮かび上がることはなく、何をどうしても飛ぶことだけはできなかったのですが、まあ、鳥であるからには、いつかは飛ぶこともできるはずだと信じるしかありませんでした。
それにしても、本当に不思議な場所です。
昔、僕が別の鳥だったときには、親が一生懸命にミミズを持ってきてくれたものですが、いまは人間が世話をしてくれるのです。
不思議な場所でしたが、あまり気にしてもしょうがないなと思いました。
人間の5歳くらいの少女とも仲良くなりました。「はるこ」という名前があるようでした。
そして、特にねんごろに僕の世話をしてくれる人物は、「おじいちゃん」という名前があるようでした。
はるこも、おじいちゃんも、僕のお気に入りでした。
退屈だけれど、仲間の鳥はたくさんいるし、優しい人間のお友達もできたしで、楽しい毎日でした。
そんな、ある日の、しーんと静まり返った夜のことでした。
僕は夜が好きでした。
天敵なんてどこからもやってこないし、静かで気持ちいいし、だから僕は、仲間が眠って静まり返っている小屋の中を、トコトコと散歩をすることが習慣になってしまうくらいに、夜が好きでした。
この日の夜も、丸まって眠っている仲間の間を、トコトコと縫うように歩いて散歩をしていました。
その時です。
僕は、いきなり壁まで吹っ飛ばされてしまいました。
何が起きたのかは分かりませんでした。
目がちかちかするし、頭がじーんとしているし、そういえば、僕の頭がなんだか痛いような気もします。よく思い出してみれば、たしか僕は、先ほど近寄ってきた人間によって、ごつん、と棒のようなもので殴られたような気がします。10歳くらいの少年だったような気もします。記憶が前後しています。ちょっとだけ混乱です。
ようやく僕の頭は、本格的に痛くなりました。
痛いです。
頭がものすごく痛いです。
「ひひっ」
と声がしました。
僕は、その声がしたほうを見ました。
あいかわらずに目がちかちかするのでよく見えませんでしたが、やっぱり、そこには金属製のような棒を握りしめた少年が、足をぷるぷると震わせながら立っていました。
身なりは汚くて、ぼろぼろの服を着ていて、髪なんかもぼさぼさで、顔だってどろどろに汚れていました。
あの少女とは、偉い違いです。
少年は、「ひひっ、ひひひっ」と引きつったような声をあげながら、棒をどこかへと投げ捨てました。カランカランと音がしました。そして少年は、僕のところへと近寄ってくるなり、僕の首をがっちりと捕まえます。次の瞬間、ぼきっ、と何かがへし折れる音が響きました。
「ざまあみろ。僕を怒らせると、こうなんだよ」
少年は、よく分からないことを言いました。
たぶん、この少年は、何かに対して怒っています。
何に対して怒っているのかは分かりませんが、たぶん、世の中すべてに不満を感じているかのような、寂しい怒りです。
やがてその少年は、膝をがくがくと震わせながらもなんとか立ち上がり、夜の闇の中へと走っていって消えてしまいました。
僕は立ち上がろうとしてみたのですが、だめでした。
足どころか、羽もまったく動きませんし、全身の感覚ももうなくなってしまったものですから、「ああ、こりゃもうだめだ」と色々なことを諦めました。僕の意識はまだあるのですが、心臓の動きが少しずつ弱くなっていくのも感じます。
そういえば、今になって気が付いたことがあるのですが、僕の仲間の鳥たちが、すっかりと怯えてしまったようで「ぎゃー、ぎゃー」と騒ぎまくっているようです。でも、僕にしてみればそれは滑稽にも思えます。
だって、命っていうのは、こういうことなんですから。長生きできることもあれば、なんの前触れもなく終わってしまうこともあるものなのです。ワニのときだって、海のときだって、森のときだって、動けなくなってしまったらおしまいです。
そういうものなんです。
だから僕はもう、こうなってしまったら開き直るのが一番だと思います。
未練がないのかな?
なんて問われてしまえば、さすがにちょっとだけ困ります。
だって、ここの餌はあまりおいしくなかったので、せめてもうちょっと美味しいものを食べたいなんて思っていましたし、天敵がまったくやってこなかったこの小屋はとてもお気に入りだったので、もうちょっとだけシーンと静まりかえった平和な夜を満喫したいなんて思いますし、はるこやおじいちゃんとも、もうちょっとだけあそんでみたかったなぁ、なんて思ってしまいますから、それは未練といえば未練になるでしょう。
ただそれでも、そんな未練なんかをふっとばしてくれるような出来事が、今からはじまるはずです。
僕のことをおいしく食べてくれる存在です。
それがいるからこそ、僕は救われます。
だから僕は、待ちます。
そうです。ワニのときだって、海のときだって、森のときだって、僕は、殺されてしまったすぐあと、僕のことを殺しにかかってきた存在によって、食べられてきたのですから。そしてみんな、満足そうに腹をみたしてくれたのですから。
今だって、きっとそうです。
そのときはすぐにやってくるはずです。
だから僕は、さっきの少年が帰ってくるのを待つのみです。
さっきの少年が、一体なにに腹を立てていたのかは分かりませんが、一体どうしてあんなに不満そうな、寂しそうな顔をしていたのかは分かりませんが、きっと僕のことを「おいしい」と言って食べてくれるに違いないんです。
もう、することがなくなってしまった僕の、最後の楽しみです。
わくわくとさえします。
早く帰ってこないかな?
僕はきっと、あの少年を満足させてあげられるんだけどな。