あっちの方が色気があるぜ。
「あら、お父様。こんな時間にお客様?」
笑みを含む声音で言いながら玄関先から出てきたのは、カミュラだった。
ノスが、軽く息を呑むのを庇うように、アラガミは前に出た。
彼女は夕食に招かれた時は、黒髪に濡れたような黒い瞳をした美貌の少女……だったのだが。
「夜だからってよ、見境なく濡らして昂ぶるのは、ご令嬢のヤることじゃねーな」
アラガミは、茶番だと思いながら指差して指摘してやる。
「ーーー目の色変えて、獲物を探してんのがバレバレだぜ」
少女の瞳の色は、今。
魔力が肉体に満ちていることを示す、紅に染まっていた。
カミュラはこちらの言葉を受けて、形のいい眉を軽く上げる。
そして幼さに似合わない艶のある流し目と共に、口元に手を当ててクスクスと笑った。
「あら、そういうウィットに富んだ物言いができる方だと思いませんでしたわ」
「正体を隠す気もねーか」
もっとも、驚きもなしに出迎えられた時点で、見張られていたのは確実だろう。
ノスとエリーが別口ならば、あの夕食での会話からこちらを警戒していてもおかしくはなかったが。
「正体? わたくしはお客様をお出迎えしただけですのに」
彼女が自分の真っ白な指先を舐める。
軽く開かれた、赤い口紅に彩られた口から覗いた鋭い牙すらもが、ある種の背徳的な色気に満ちていた。
「じゃ、訊くがよ。ご令嬢がこんな時間に風呂にも入らずバッチリ化粧して、今からパーティーにでも行くのか?」
「ある意味ではそうですわね。もっとも、夜会をするのは自宅で、ですけれど」
うふふ、と人形のようなゴシック調のドレスに身を包んだ彼女は、優雅に両手を広げる。
冷気に似た気配がカミュラから放たれ、ヒヤリとアラガミの頬を撫でた。
同時に、シャラリ、と音を立てて彼女の指先から真っ赤な爪が伸び、刃と化す。
随分と滑らかに伸びたが、おそらくは武装魔法『シェルアームド』を使ったのだろう。
中級に分類される、肉体強化魔法の一つである。
吸血鬼は肉体変化に属する魔法を最も得意としている、とアラガミは先ほどノスから聞いていた。
「パーティーのお客様は、貴方。晩餐は……スサビ様、でしたかしら? そこの美味しそうな、野生的な美女にお願いいたしますわ」
名指しされたスサビは、【トツカ】を肩に担いだままアラガミの横に出てくると、なぜか得意げにほくそ笑んだ。
「聞いたかよおっちゃん。美女だってよ」
胸を張る彼女を冷たく見下ろして、アラガミは腰からスパナを引き抜いた。
「そのバカでかい胸の分を差っ引いても、あの嬢ちゃんの方が色気あるがな」
「おいおい、おっちゃん、まさかガキが好きなのか? ロリコンかよ」
「テメェのトシも大して変わりゃしねーだろうが!!」
大体、ノスの話によれば彼女はアラガミよりもさらに年上である。
「もう一人のお客様の姿が見当たりませんけど……」
「あの情報屋は、知らねーことを知るのが大好きでな。正体の割れたテメェに興味はねーとよ」
今、この場にヤクモの姿はなかった。
コウも同じだが、彼女はこちらがあの青年を連れていることを知らないのか、しらばっくれているのか。
どっちにしろ、馬鹿正直に答えてやる義理はなかった。
「残念ですわ。楽しませて差し上げますのに」
ゆらり、と体を揺らしたカミュラは、次にノスに目を向ける。
「あの方は後で探すとして、お父様。先ほどから黙りこくっておられますけど、何か言うべきことはありませんの?」
カミュラの血濡れた瞳に、チラリと怒りの気配がよぎる。
「わたくしのお友達を殺したこと、許して差し上げましたのに。その上、お母様を裏切るなんて」
「……ローラを殺したのは、私ではありません」
青白い顔をしたノスは、娘に対して丁寧な口調で応じた。
今の二人のやりとりが、演技ではない本来の関係性なのだろう。
「ご説明したはずです。エリー様が殺したのだと」
「お母様が、そのようなことをなさる筈がありませんわ」
あっさりと否定されて、ノスがうつむく。
「殺された子と、テメェは友達だったのか?」
「そうですわ。元々、わたくしが外を探索していて見つけたんですもの。可愛らしく、素直なローラ。お母様に言われて、仕方なくお父様に譲ったのです」
それを殺すなんて、と本当に悲しげに目を伏せた後に、カミュラは声音を変えた。
「あなた方は、本当に愚か。お母様を裏切ったお父様も、そのお父様に加担してこんなところまでノコノコと現れたあなた方もーーー」
煌々と照らす月下に、再び大きく冷気が広がり、カミュラの背中にゴシックドレスと一体化したコウモリの翼が生える。
「ーーーもろともに、散りなさいな」
※※※
ヤクモは、魔導具でアラガミたちの会話を聞いていた。
こっそり屋敷に忍び込むと、ラトゥーが窓から入ったこちらに気づく。
ガタリ、と音を立ててイスから立ち上がった彼に、シィ、と人差し指を立ててみせた。
そして、アラガミが腕輪とともに作り出していた例のオモチャを取り出して、小さくプー、と鳴らす。
「君の言葉を受け取った。助けに来たよ」
ヤクモが笑みを浮かべてみせると、こわばった顔をしていたラトゥーが、警戒心を解かないまま少しだけ肩から力を抜いた。
声は上げない。
賢い子だ、と思いながら、ヤクモは続けて入ってきたコウに向かってうなずき、話を続けた。
「お父さんは、君の言葉通りに吸血鬼だった。君自身は違うんだよね?」
ラトゥーがためらいがちにうなずくのに、ヤクモはそれ以上近づかないまま口元に立てた指を離した。
「今から君に、僕が知りうる限りの事実を教えよう。どう判断するかは、君に任せる」
ヤクモは、事件の推測からノスの告白まで、なるべく主観を交えずに情報だけを伝えた。
コウが入口や窓を警戒しているが、時間はあまりない。
「……これが、起こったことの全てだ」
それを聞いたラトゥーは、少し間を置いて涙をあふれさせた。
「……良かった」
初めて聞く彼の声音は、思った以上に低く、またしばらく喋ったことがなかったように錆びついて、かすれていた。
「良かった、というのは?」
思ったのとは違う反応に問い返すと、ラトゥーは笑みを浮かべて指で目尻を拭う。
「お父さんが、変わってしまったわけではなかったと、分かって」
優しかった父親が、命を惜しんで吸血鬼になったわけではなかったことが、嬉しかったのだと。
「でも、ボクは行けない」
「なぜだ?」
疑問を口にしたのは、ヤクモではなくコウだった。
「あなたのような人が、いるからです。コウさん」
ラトゥーは、悲しげに目を伏せる。
「父は、ボクが狂ったフリをしているだけだと知っていた。ボクが父が吸血鬼になったことに気づいたのと同じように」
吸血鬼になった父の真意を汲めなかったラトゥーに、それでもノスは様々なことを話したらしい。
どう反応しても、それが父のフリをした吸血鬼の言葉だと思えば、自分に対する罠である可能性が捨てきれなかった、と彼は言った。
「話に応じないボクに対する話の中に、エリーやカミュラのことらしきものもありました。どこに耳があるか分からないので、直接的ではなかったですけど」
『このままで在り続けるのなら、我々はいずれ滅ぶべきだ』ーーーと。
「ボクのせいで、父が人に迷惑をかけ続けたのなら、ボクも父が滅ぼされる時は、それに殉じます」
昔から、きっとラトゥーは利発な子どもだったのだろう。
数年以上、人と関わらず教育を受けていないだろうに、その口調には淀みがなかった。
聡かったゆえに、父の異常に気づき。
そして聡いゆえに覚悟を決めてしまっているのだ。
だが。
「それは違うよ、ラトゥーくん」
ヤクモは中折れ帽に手を当てて、首を横に振った。
「君の父は、確かに吸血鬼になったけど。人に迷惑などかけてはいない。振る舞いは紳士的で、おそらくは人であった頃同様に、皆のことを考えて尽力した立派な方だ」
「今聞いた話が事実だったとしても」
ラトゥーは、再びコウに目を向ける。
「父に、エリーたちは止められなかった。だから、コウさんの悲劇が起こった」
「今、止めようとしている。過去は変えられないけれど」
ヤクモは、それでも説得しようとした。
人の及ばなさを知っているがゆえに、救いがたいものもあるーーーそれでも。
「君が、無力ながらも諦めなかったように、ノスも諦めなかった。だから、僕らがここにいる」
ヤクモは。
ラトゥーの心を聞いて、彼なら、と思った。
自分の胸に手を添えて、まっすぐにその目を見る。
「君が、君自身の手で決着をつけたい、と望むなら」
しかし、ヤクモがその続きを口にする前に、ガチャリと部屋のドアが開いた。
コウがとっさに動いてヤクモとラトゥーの前に出るのと同時に、ヤクモ自身も拳銃を引き抜く。
ノスの脅しに使った麻痺の魔導拳銃ではなく、破邪の性質をーーー銀の銃弾と同じ効果を持つ聖魔法『プリフィクション』を放つ魔導拳銃を。
ギィ、と蝶番が軋み、闇に沈んだ廊下から姿を見せたのは、老執事のアラド。
彼が前に手を重ねて控えると、その背後からヴェールの女性が現れた。
「屋敷に、無断で立ち入ることを許可した覚えは、ございませんが」
そう口にしながら姿を見せたエリーは、威圧すら感じるほどの冷気と魔力の気配を放った。
周囲に白い霧が立ち込め始める。
脇に控えるアラドも、エリーのヴェールの向こうから覗く瞳も、紅の光を放っていた。
「無礼な振る舞いは、命を縮めましてよ」




