だから、噂を流したんだね。
「病気?」
「ええ。魔力低耐性症、と呼ばれている病で……私は魔力を身に宿しながら、その魔力によって蝕まれる体質だったのです」
幼い頃に病弱だったノスは、そう診断されたのだと。
体そのものは成長と共に多少丈夫になりはしたが、魔力も同じように増大していったらしい。
「二十代の頃はまだ良かったのですが。体の成長は止まっても、魔力の増大は止まりませんでした」
「ではあなたは、昔魔導師だった?」
ヤクモの問いかけに、彼は首を横に振る。
「魔力を制御する方法を学ぼうとしたこともありましたが……残念ながら、訓練と共に魔力の増大も加速しまして」
制御法を覚える前に死ぬ可能性の方が高い、と言われ、結局病気に対抗する手段にはならなかったらしい。
「やがて増大しすぎた魔力が体を蝕んで死ぬのが先か、私の負の感情にふとした瞬間に魔力が反応して呪いと化すのが先か……そういう状態でした」
呪いによって迷惑をかける前に死のうか、とも考えたという。
しかしノスはこの街の古い家に生まれたようで、一粒種だった彼は家督を継がせる子どもを残さなければならなかった。
「そうしてラトゥーが生まれ、幸いにも健康に育ちました。しかし全て承知で嫁いでくれた妻が、何者かによって殺されてしまったのです」
昼日中の、突然の凶行。
犯人は分からずじまいだったという。
「理由も何もかも分からないままでした。そして、私に残された時間は少なかった」
ノスは、苦悩を思い返したのか顔を歪め、振り絞るように吐き出す。
その両手は膝の上で握りしめられ、震えていた。
「ですが、ラトゥーはまだ、幼かったのです」
コウは、そんなノスを食い入るように凝視していた。
彼も同じように家族を殺されていた、という事実を、彼はどう受け止めているのだろうか。
話を一つも聞き漏らすまいとしているのだろうが、冷静さは失っていない。
「私には親族もほとんどいません……ラトゥーは、私が死ねば一人になってしまう」
「テメェの家は、金持ちだったのか?」
「元々、昔から議会との繋がりが深い家でしたので、それなりに富はあります」
ノスが一番心配したのは、その蓄えたカネを奪われること、ではないのだろう。
「あなたは、人の運がなさそうだね」
ヤクモも同じ心配をしたようだ。
カネを亡者のような連中に奪われるだけならまだしも、ノスの周りにいたのはラトゥーを孤児院に捨てるような連中ばかりだったのだろう。
「ええ。私の不徳の致すところ、という感じですね」
「ラトゥーがしんどいって意味なら、今の状況も大して変わらないんじゃね?」
「スサビ」
狂人のフリをしているラトゥーのことを言っているのだろうが、今口にするようなことではない。
ノスはスサビの発言に苦笑し、頷いた。
「そうですね。ラトゥーにとっては同じでしょう。それでも、私自身が死んで何も出来ないよりは、はるかにマシだと、昔はそう思ったんです」
ノスは、そのまま話を続けた。
「私は、元々この街に住んでいました。そして、街の支配者が吸血鬼だということも……当然知っていました」
「知っていて」
そこで鋭く声を上げたのは、コウだった。
「放置していたのか」
「ええ」
ノスは演技を完全にやめたようで、後ろめたいような顔でコウを見る。
「まだ事情を全部聞いてねぇだろ。んで、ラトゥーを残して死ぬくらいだったら、って領主に頼んで吸血鬼になったのか?」
「いえ。そんなことを表立って申し出ても、吸血鬼になれるわけではありません」
その口調は、まるでそういう制約がある、と言わんばかりにはっきりしたものだった。
「そもそもの話、吸血鬼が支配者であるのは、この街が生まれた頃にあった古い家の総意でした」
「なんだと?」
「私たちは、無理やり吸血鬼に支配されているのでなく、吸血鬼と盟約を結んだのです」
前文明の滅びの後。
荒れに荒れた治安の中、盗賊や亜人に悩まされていたこの土地に、ふらりと一匹の吸血鬼が現れたのだという。
「真祖を名乗るその吸血鬼は、他の亜人などを退けるだけの力を持っていたそうです。そして、自分たちを襲わず、殺さない代わりに少女の血を要求し、それが叶うとまた立ち去ろうとした」
それを引き止めたのは、街の人間の方だったらしい。
「どうか、血を捧げる代わりに自分たちを守ってくれないか、と。真祖はそれに対し、ある約束を交わすことで願いを受け入れました」
「どんな約束だ?」
「いくつかあります。一つ目は『自分と眷属の食事に、清らかな乙女を渡すこと』。そして真祖は続いて自分たちの生態を説明しました」
吸血鬼に血を吸われるだけでは、死にもせず、吸血鬼にもならないこと。
そして二つ目に『この街に富をもたらす代わりに、領主となる者が吸血鬼になる』こと。
その眷属となった領主は、人より長い寿命を得るが三代の内に殺す、ということ。
最後に『自分は人として紛れ込み、決して領主として表舞台に立つことはない』こと。
「真祖は、その言葉通りに街を守り、またリーダーとなる者たちに富を蓄える方法を、そして街が安全になるための助言を手紙でよこし、それ以上のことはしようとはしなかったのです」
危機が迫れば、いつの間にか危機が消えている。
そして街は富んでいく。
そのうちに、領主となる眷属を産み落とす役割は代々領主を継ぐ者たちが行うようになり、今はもう真祖の姿を知る者もいないのだと。
アラガミは、ノスの話にポリポリと額を掻いた。
「つまり壁外区がエサ場、っていう俺らの推測は正しいのか?」
「ええ。その代わりに、代々領主と議会は私も含めて、出来得る限りのことを壁外区にしてきたつもりです」
ノスはそこで顔を伏せる。
「表立って吸血鬼の捜査が出来なかったのは、それが理由です」
「そもそも言い出せなかった?」
「ええ。私と家族が吸血鬼ということは、議会の者は多くが知っています。自分たちを探らせるような行為を、自分から言い出すのはおかしな話ですし」
ヤクモはアゴに指を添え、軽く目を伏せた。
「でも、それなら古い繋がりのある人たちにラトゥーを任せたらよかったんじゃ?」
「議会の人々は、今はもう吸血鬼を崇拝しているわけではありません。……むしろ、恐れている、のです」
その声音は暗く沈んでいる。
「理由は?」
「真祖が隠れて久しく、外敵の脅威がないこともそうですが……」
ノスは言葉を濁した後に、ふと気づいたように別のことを口にした。
「私が吸血鬼になった経緯を話していませんでしたね」
「ああ」
「病いにおかされた私は、領主一家が吸血のために壁外区に向かうことを知っていました。なので、彼女たちが吸血した後に……無断でその体液をすすろうとしたのです」
吸血鬼は喉に牙を立てる。
その後、傷口に口付ければ、体液混じりの血を飲むことができる、ということだろう。
「すすったのか」
「いいえ。調べ始めて知ったのですが、壁外区にも、古い盟約の家があるのです。彼らは通り魔のように住民を襲うのではなく、家の中で血をすするのです」
体液を得るには、そのエサとなる者のいる家に忍び込む必要があった。
「しかし、私は家を突き止めた後、見張っていることを気づかれました。……そして、エリーによって直々に血を与えられたのです」
見つかり、死を覚悟したノスに、エリーは言ったのだという。
『生かしてやるから働け』、と。
そうして、人のままのラトゥーを人質に取られた。
「私は彼女に逆らえませんでした」
ラトゥーを守るために吸血鬼に成ろうとして、逆に支配された。
ノスの顔には、後悔が滲んでいる。
「それでもせめて、ラトゥーが独り立ちするまでは、と。古い家の者たちにラトゥーを預けられなかったのは、そうした理由と、もう一つ」
「さっき、議会の連中が吸血鬼を恐れている、と言ってたことと関係があるのかな?」
「正解です。エリーは、快楽殺人鬼でした」
彼女が、領主の家に生まれついてしまったことが不幸の始まりだと、ノスは声をひそめた。
「生まれついての、なのか、吸血鬼と化したことが理由なのかは分かりません。ですが彼女は、気まぐれに人を殺すことを愉しむ女性です」
仮にラトゥーが人質でなかったとしても、預ければ預けた相手が危うく、エリーと同じく、ノス自身に対する人質として使われる可能性もあった。
「八方塞がりの状態で……幼かったが聡いラトゥーが、私が吸血鬼と成ったことに気づいてしまった」
ラトゥーには、まだ吸血鬼との盟約を教えていなかった。
ただ魔物になった、と信じ込んだ彼は、やがて全てを拒否する振る舞いを見せるようになったのだ。
「あの子は狂ったふりをして、あのオモチャを手放さなくなりました」
その音は、まるで自分を責めているようだった、とノスは言う。
同時に、自分が気づいたことで殺さないのかどうかを試しているようだった、とも。
「それでも良かった。ラトゥーは今は辛くとも、成人を迎えたらその時は狂気を理由に何としても逃し、私自身はエリーに殺されようと思っていたのです」
しかし、それまで吸血行為の行き過ぎで、という建前で人を殺していたエリーが、徐々にそれでは我慢できなくなっていった、らしい。
「そして遂に、真祖との盟約が崩れました。……人を殺さぬ約束、それを眷属となった領主が破ったことで、助言の手紙が届かなくなったのです」
気づいたのは、便りが途絶えて少ししてからのことだった。
「真祖は、エリーを粛清などしませんでした。代わりに、自分との約束を破った領主への助言をやめたのです」
議会の人々は、そのことに憤りながらも、自身も吸血鬼であるエリーを糾弾できなかった。
エリーに及ばない力しか持たないノス自身も、それは同じだった。
「私は、だから」
ノスが言葉を詰まらせると、ヤクモがふと顔を上げて彼をまっすぐに見ると、こう口にした。
「ーーーだから、自分自身で街の外に、『吸血鬼がいる』という噂を、流したんだね」




