憎むのはいいが、憎みすぎは良くねぇ。
「ここがテメェの家か?」
「そうです」
ジャンク山を存分に堪能したアラガミは、コウの家を訪れていた。
両手に大きな袋を二つ持って背中にヒモで浮遊板をくくった状態だ。
コウも袋を二つ抱えているが、片方はアラガミのものである。
結界魔導具の材料や、珍しいジャンクを見つけてついつい取りすぎてしまった。
おかげでこの街で使える小遣いがだいぶ減ったが、まぁどうでもいい。
しばらく工房に篭って遊べるくらい、目新しいものが大量に得られたのでアラガミは上機嫌だった。
「思った以上にマトモな工房だな」
案内された家は立派なもので、しっかりした木造の建物だった。
魔導具を作る場所は、『木で出来た建物の中で作った方が良い』とされている。
実際に、同じ作り方をしても木造の工房で作ったものと石造の工房で作ったものでは、前者のほうが良質なものが出来るのは事実だ。
魔導輸送車は木造というわけにもいかないが、工房の内面には板張りをしてある。
「歩いてみた限り、この壁外区自体もかなり治安が良さそうだしな」
「そうなんですか?」
この街しか知らないからか、イマイチピンときていない様子でコウが小さく首を傾げる。
「では、こっちから中に」
「おう」
工房の正面、客対応をすると思しきスペースに入っていくコウに続いて中に入りながら、アラガミは考えていた。
この壁外区は、実はかなり優遇されているようだ、と。
確かに乱雑な街並みではあるものの、建物の壁に落書きなどもなく、隙間風が吹き入りそうなボロい建物も少ない。
さらに、道も土ではあるが平らに馴らされており、チラッと見かけた自警団の装備も割と良いものが支給されている。
「……」
「帰りました」
工房のテーブルに荷物を置いたコウが、奥に声をかけた。
「ああ、おかえり」
答えたのはしゃがれた声で、アラガミは同じように荷物を置いてコウの後ろから覗き込む。
ドアの向こう、リビングの奥にベッドが見えて、やせ細った老人がニコニコとこちらに顔を向けている。
ずいぶんな高齢のじい様だ。
向こうもこちらに気づき、おや、と不思議そうな顔をした。
「その人はお客かい?」
「工房のほうじゃないです。昨日知り合ったジャンク屋の人」
コウの答えに、老人はうなずいた。
「よくいらっしゃいました。『外』の方ですか」
「ええ。運送屋片手間にプラプラしとります。たまたまコウと知り合いましてね」
老人は答えようとして、軽く咳き込んだ。
近づこうとしたコウを手で制して、また笑みを浮かべる。
「ああ、いいよ。今日は体調があまり良くないだけだ」
「夜は粥にしますか?」
「あまり食欲はないんだけどね……」
「食べなきゃ、ダメです」
コウが少し強い口調で言うと、老人は笑みを苦笑に変えた。
「ああ、わかったよ。晩まで大人しく寝ていよう。今日は来客の多い日だ」
「誰か来たんですか?」
コウの表情が少し厳しくなる。
「角のコルさんと、通り二つ向こうのキアヌさんだね。どっちも、置き書きと直す物を置いていった。後は、領主様からの頼みごとを受けたっていう二人組がね」
彼はそれを聞いて、表情を緩めた。
顔見知りとヤクモにスサビだ。
二人は、コウがいないと聞いて出直したのだろう。
「お客人はどうぞ、ごゆっくり」
「あんま騒がんようにしときます」
具合の悪い人間にあまり負担はかけたくない。
コウがドアを閉めて、拾ってきたジャンクを仕分けをし始めた。
アラガミは、それを手伝いながらなるべく小さな声で言う。
「あのじい様は?」
「うちで、俺以外に一人だけ生き残ったんです……体が弱くて、あの日、家族で食事に出かける時にたまたま、今日みたいに具合が悪くて寝てて」
その日の夜、食事からの帰り道で家族は吸血鬼に襲われたのだそうだ。
「テメェは、その時どうしてたんだ?」
「一緒に残って、ずっと工房にいました。一人にするのも忍びなかったので」
ジャンク屋家族がいつまでも帰ってこないことを心配したコウ自身が、迎えに行って死体を見つけたと。
その時のことを思い出したのか、怒りをこらえるように歯を噛み締めたコウに、アラガミは声をかけなかった。
恩のある相手を殺されて、怒るなというのも無理な話だし、慰めなんか空々しいばかりで少しの役にも立たないだろう。
自分で心に折り合いをつけるために、コウは吸血鬼を探しているのだ。
復讐は何も生まない、というが。
そうする事でしか保てない心もまた、確かにある。
しばらく肩を震わせていたコウは、やがて落ち着いたのか窓の外に目を向けた。
「あそこに見える青い屋根の家に住んでた女の子も、一人殺されました。うちよりも先に……」
アラガミが目を向けると、道の向こう側にその家が見えた。
明るい中に立っているこじんまりとした住居だが、そう聞くと重い雰囲気に包まれているように見える。
「ジャンク屋の家族は、吸血鬼がいるってのに外に飯食いに行ったのか?」
「違うんです。……あの家の子が亡くなった時は、何も言わなくて。うちの葬儀の時に、他のこの辺りに住んでいる人が、問い詰めて」
家人がそれを肯定して以来、この辺りに住む人々はあの家と距離を置いていると。
「最初に言っていてくれたら、この家の家族も殺されなかったかもしれないのに……!」
「そいつはいけねぇな、コウ」
「え?」
青い屋根の家を睨みつけていたコウに、アラガミは手にしていたジャンクをコトン、とテーブルに置いて目を戻した。
「テメェの家族を殺したのはあくまでも吸血鬼だ。そいつをぶっ殺したいと思うのは、別に構わねぇ」
アラガミは、窓の外に親指を向ける。
「だがあそこの家族は、自分の子どもを殺された。どういう状況か分からねぇが、家の中だったんだろ?」
「ええ……」
「処女の血を好む吸血鬼が、女の子を殺した。その子は、エサとして魅入られてた可能性がある」
魅入られた者は、自ら好んで吸血鬼に血をすすらせる。
その子が死んだからコウの家族が襲われた、というのは、ありえるかもしれない。
「だが、あの家の連中が自分からその子が吸血鬼に魅入られてたと言えるかってーのと、殺される前に家族が気づいていたか、ってのは別の話だ」
「でも、あの家の人たちははっきり、子どもは吸血鬼に殺されたって……」
「その頃には、心の折り合いがついてたかもしれねぇよ。だが、殺されて初めてそれが分かったら、とっさに隠したくなる気持ちもあるだろう」
納得はできないが、理解は出来る。
混乱して、どうしたらいいか分からずとっさに隠すということも、ありえない話ではないのだ。
「だからって……!」
「俺は、テメェが復讐してぇと思うのを否定はしねぇ」
睨みつけてくるコウの言葉を、アラガミは語気を強くして遮った。
「だがテメェ自身のために、憎む相手は増やすなと言ってるんだ。際限なく増やしたら、その内に憎むための理由を探し始めるようになる」
そうなってからでは、遅いのだ。
負の感情は原動力にもなるが、膨れ過ぎればやがてそれに縛られて抜け出せなくなる。
「テメェの気持ちは間違っちゃいねぇ。だがな、原因はあくまでも吸血鬼の存在だ。……魔法を扱う才覚があるなら、やがてその気持ちが【呪い】になるかもしれねぇ」
負の感情が心を縛る以上のことが起こる。
コウは、そう言われて体をビクリ、と震わせた。
呪いの意図しない発現は、魔導師に時折起こる特有病のようなものだ。
意図的に呪いを魔法として扱うことも大概忌まれるが、意図しない呪いほどタチの悪いものはない。
「色んなモンを、憎み過ぎるな。自分と同じ被害者まで『非があるから』と結果論で憎むようになった時、テメェの復讐はただの傲慢になる」
吸血鬼が眷属を生む現象にも似ているそれは、呪いを生んだ者を『人以外のモノ』へと作り変えるのだ。
そうして発現した呪いは、本体が死ぬと、今度は無差別に感染する病のように人の間に広がり、死以上の苦痛を撒き散らす。
呪いに掛かれば、コトは個人の復讐では済まなくなるのだ。
「テメェがその心に呑まれるのなら、鍛えんのはナシだ。今、たとえ力がなくても」
アラガミは、自分の胸を拳で強く叩いた。
「ココだけは、強く持て。遺された者として悲しむ気持ちに折り合いをつけれんのは自分だけだし、呪いに喰われないように努めるのも、自分しかいねぇ」
ただ慰めるのは好みではない。
ジッとコウを見据えると、彼は葛藤するように顔を歪めていたが。
やがてフッと、体から力を抜いた。
「すいません。……アラガミさんの言う通りですね」
「納得すんのか?」
あえて問いかけてみせると、コウは先ほどアラガミが置いたジャンクを手に取る。
それは基礎板の一つで、単純な火を発生させるための魔法陣を刻んだものだ。
「俺、最初に作ったのが、火を起こす生活魔導具なんです」
コウは、独白するようにそう言った。
火を起こす魔導具は、単純で、割と誰でも練習すればお手軽に作れる。
だがそれは、人の生活をより良くするために必要な、一番人の役に立つ魔導具の一つでもあった。
「初めてだったけどうまく作れて、親父さんが褒めてくれて。だから俺、魔導具作るのが楽しくなって……この【オルタ】を、作れたんです」
はっきりとそう告げたコウは、どこか先ほどまでとは顔つきが違った。
「あれが始まりでした。……今すぐ、気持ちを切り替えろっていうのは、無理ですけど」
コウは目を伏せる。
言いたいことは分かった。
暗い感情というのは、どうしたって強いものだ。
「俺の中に残ってるのは、吸血鬼を恨む気持ちだけじゃなくて……そういう、親父さんから、ジャンク屋としてもらったものもあるって……上手く言えないんですが」
だがコウは、少しポジティブなものに目を向けた。
それは些細な変化だが、大事な変化でもある。
悪意に凝り固まったヤツには、自分の中にある、あるいは周りにある良いものまで見えなくなってしまう。
さっきまでのコウがそういう状態だったが、今は違うようだった。
「そんでいいんじゃねぇか?」
アラガミが言うと、コウが顔を上げる。
「自分の中に残ってるモンに気づけたなら、呪いに呑まれることもねーだろ。テメェの腕前は一級品だ。その道に導いてくれた親父さんに、俺は感謝するよ」
そしてむざむざ、吸血鬼に殺される前に出会えた幸運にも。
しかしそれを口にする前に、入り口から呑気な声が響いてくる。
「ごめんくださーい。コウくんは戻りましたか……って、あれ? アラガミ?」
「おう。ジャンク山でたまたま会ってな」
顔を見せたヤクモと、アクビをしているスサビに対して、アラガミは手を挙げた。