1. 深夜の来訪者
レオンはぱちりと目を開いた。
いつの間にか眠ってしまっていたらしい。壁に吊したランタンが頼りない光を部屋に投げかけている。小さな丸テーブルに置かれた空の酒瓶が、ランタンの光に照らされて部屋に長い影を落としていた。
真夜中を過ぎた辺りだろうか――レオンはベッドから身を起こしながら、さしたる根拠もなく当たりを付けた。安宿ゆえ部屋に時計などないが、おそらくそんなところだろう。
無意識に髪を撫でつけて、纏めていた髪を解いてもいなかったことに気付く。そんなことに思いを馳せつつ、レオンは彼の安眠を中断させた原因に意識を集中した。
(足音が……三。武装している。おそらく戦士職)
大して客の泊まってもいない宿に金属鎧を着込んだ複数の足音。あまり穏やかな状況とは言えない。
がちゃがちゃと階段を上がってくるその音を聞きながら、レオンは得物の場所を無意識に確認していた。愛用の長剣にはすぐに手が届きそうだ。
棚の防具は諦める。足音が自分目当てならば、流石に着る時間はない。逆に自分目当てでないならば、着る必要がない。
できるならば面倒ごとはごめんなので後者であってくれと願うが、それも虚しく足音が部屋の扉の前でぴたりと止まった。深夜の来客。トラブルのお出ましだ。
ひっそりと嘆息し、皮肉気に呟く。
「コンコン」
がんがんがんがん!
激しいノック。レオンは憂鬱な表情で立ち上がり、扉の前に向かった。
「誰だ?」
鍵は外さず、扉の向こうに声をかける。
「開けていただこう」
居丈高な男性の声。どことなく芝居かかっているようにも思える。こういう喋り方をする手合いは知っている。貴族か聖職者だ。
どちらにせよごめんこうむりたい。限りなく面倒な予感を覚えつつも、レオンは鍵を外して扉を薄く開いた。
「こんな夜更けに――」
ばん!
恨み言を言い終わる間もなく、外から扉が押し開けられる。なんとなく予想していたレオンは、抵抗もせずにノブから手を離し身を引いた。扉が大きく開かれ、来訪者と対面する。
扉の向こうにいたのは、ごてごてした板金鎧に兜を装着した男が一人、鎖帷子を着込んだ男が二人。それぞれの鎧にあしらわれている紋章から、白銀神の武装神官が着用するものであると知れた。白銀神に仇なす存在を誅する聖なる戦士。
つまるところ、対象が魔獣であれば狩人。対象が人間であれば殺し屋ということだ。
(予想的中、か)
声から予想した来訪者の素性は見事的中。聖職者だ。
と、男たちの影に隠れて、フードをすっぽり被った小柄な姿を認め、レオンは眉をひそめた。足音は確かに三人だと思ったのだが、聞き逃したのだろうか。
フード姿の人物は、何をするでもなく佇んでいる。とりあえずそれを思考の隅に追いやって、先頭に立ち胸を張る男に視線を戻す。
「あー、どちら様で?」
事務的に尋ねる。それを全く無視して、その男が口を開いた。
「間違いないか?」
何がだとレオンが応えるまでもなく、隣にいた別の男が返事をした。
「黒い長髪の壮年。無精髭の男性。間違いないと思われます」
「そうか」
視線がこちらに向いていたため気付かなかったが、最初から隣に声をかけていたらしい。
「白銀神の使徒、グラスドス武装司祭である。貴殿、名は?」
「レオン・ナハトだ。冒険者をしている」
「そうか。ナハト、貴殿には邪教信仰の嫌疑がかけられている」
「なんだと?」
思わず聞き返す。当然、レオンに身に覚えなどない。
「なにかの間違いだろう。俺が信仰しているのは赤槍神だ。たいして敬虔な信徒でもないがな」
言い返すがグラスドスはにべもない。
「確かな筋からの情報だ」
「確かな筋……だと?」
さきほど一悶着あった、でっぷり太った白銀神の神官のことを思い出す。
「まさか、あの狸坊主の言いがかりか?」
「……そういう呼び方をするな。仮にも我が白銀神教の高位司祭だぞ」
「正解か」
「…………」
しばし見つめ合う。レオンは眉をひそめ、顎を撫でつけた。
「やれやれ、あんたがどこまで聞いているか分からんが、あれはどう考えてもあの豚が悪いぞ。それを腹いせに邪教徒として告発など、話にならん。ちゃんと調べろ」
グラスドスはレオンの言葉にしばし考え込んだが、かぶりを振ると目を上げた。
「いずれにせよ、貴殿にはこれより異端審問にかかっていただく。無論拒否すれば邪教の信徒と見なす」
「異端審問……宝珠を使うやつか」
「よく知っているな。ならば話は早い」
白銀神教の異端審問には一般的に信仰の宝珠と呼ばれるマジックアイテムが使われる。普段は拳大の水晶玉のような形をしているのだが、触れた者の信じる神によってその色を変える。邪教の信徒であれば宝珠は黒く染まるという。
多くの邪教徒達がその宝珠で裁かれる一方で、少なくない数の被冤罪者が救われてきたらしい。信仰の宝珠は公正・規律を是とし、神の名の下に邪悪を誅する白銀神教にとって、自らの正統性を示す神具でもあるのだ。
グラスドスは懐から革袋を取り出すと、その中から宝珠を取り出した。透き通ったそれをレオンに差し出し、大仰に言う。
「触れたまえ。貴殿の潔白を証明していただこう」
調子を取り戻したグラスドス。レオンは大きくため息をついた。
「いいだろう。そいつに触ればこの茶番はおしまいだ」
手を触れる。その場所から、まるで真水に墨を垂らしたように、宝珠が黒く染まっていく。程なくして、宝珠は磨き上げた黒曜石のように真っ黒に染まった。
言葉を失い硬直するレオン。そんな彼を睥睨し、グラスドスが厳かに宣言した。
「決まりだな」
「待て、これは――」
とっさに声を上げたレオンだが、最後まで言い切ることはできなかった。
グラスドス以外の二人の男が抜剣したのだ。それを見るやいなや、レオンは一気に跳びすさると自らの長剣を掴んだ。グラスドスは相変わらずの大仰な口調でなにか――邪教の使徒は皆殺しだー的なアレだ――を喚いているが、そんなものに耳を貸している余裕はない。
男達に背中を向けると、部屋の奥へ走る。抜剣した男二人が部屋に雪崩れ込んでくるのを背中に感じつつ、ベッドの手前で強く足を踏み込んだ。一足でベッドを飛び越え、鎧戸が下ろされた窓に身体ごと突っ込んでいく。
ばがんっ!
安物の上年季が入った鎧戸はあっさりとぶち破られ、レオンは空中に投げ出された。
刹那、浮遊感に包まれながら、レオンはこんな事態になったきっかけを――ほんの数時間前の出来事を思い返していた。