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ひろかな

相 -meet again- 【高遠香奈生誕祭2017】

作者: 水成豊

朝起きて、すぐ携帯に届いたメッセージ。


でも、読まずに我慢……なんて出来るはずもなくて。

確かめた文面に仕掛けをさとり、思わず顔がほころんだ。


そうして出かける準備を始め、あたしは『あの日』と同じに誘われる。



*****************



「久しぶりだね、ここへ来るの」

街道から砂浜に下りながら、隣に並んだ夫――国枝くにえだ浩隆ひろたかが海風の中でふんわりと笑う。

「春に『ごあいさつ』で来たときには、寄らなかったもんね」

返しつつ、香奈は目の前に広がる広い海へと視線を移した。

彼が幼少期を過ごした海沿いの街。10月も半ばを過ぎた時季、そして夕暮れを迎えようという時間帯。海岸にはほとんど人気がなく、遠くの波打ち際にぽつりぽつりと見えるだけだ。

きらきらと光を反射する水面に穏やかな風、靴の底に触れる砂の感触。それらすべてが『あの日』――数年前の今日、ふたりでこの海岸を初めて訪れた時の思い出に重なる。

いや実際には重なるどころの話ではなかった。昼前に自宅を出発し、電車やバスを乗り継いで辿ってきた経路、ランチやティータイムに入った店、そこで頼んだ品に至るまで、総てがあの日の完全なトレースだった。今朝方届いたメッセージが匂わせていたとおりの展開。含まれた意図に気づきながらも、そ知らぬ振りを貫こうと決めていた香奈だったが、ここまで徹底されているともはやそれも限界、むしろ気づかない方が不自然というものだ。

「ねぇ、ヒロ」

だから半ば根負けしたような口調で切り出す。

「今日は、どうしてここに来たの?」

「聞きたい?」

どこか得意げなそれは、明らかにこちらを焦らしにかかるもので。もったいぶるいつもの手管に乗るのはしゃくだったが、欲求を抑えきれず素直に返した。

「教えて?」

精一杯可愛らしく装って上目遣いに返す。滅多に見せない甘えに動揺したのか、彼が視線を外しつつほんのり頬を染めたのがわかった。

「今日はカナちゃんの誕生日だろう?」

鼻の頭を掻きつつの言に、納得と共に嬉しくなる。

「やっぱり、思い出させようとしてたのね」

「うん。結婚して初めての君の誕生日だから、それなりの演出をしなくちゃいけないなと思って色々考えたんだ。どうだったかな」

「まあヒロにしては上出来じゃない? よくできました」

上から目線の評価に苦笑が浮く。香奈としても、口ではそう言いながら実際はまんざらでもなかった。こうして改めて追ってみると、あの時抱いた感情が昨日のことのように思い起こされ、深い感慨が胸を満たす。時の経過と共に変化した二人の関係。改めてそれを感じさせてくれたお返しにと、それこそ数年越しの真実の告白をしてみようという気になった。

「あのね」

「ん?」

「あたしね……あの時初めて『帰りたくないな』って思ったの」

え、と彼が首を傾げる。明らかに理解できていない様子に、こういうところはちっとも変わらないなと、ちょっとだけむくれながら続きを伝えた。

「二人で遠くに出かけるの、あの日が初めてだったから。電車やバスに乗ったり、ごはんを食べたり浜辺を歩いたり。それだけなのにすごく新鮮で嬉しくて、ずっとこのままでいられたらいいのになって思ってたの。それに……」

言いかけて頬が熱くなる。脳裏をよぎった情景――それは自分たちの関係性をはっきりと結論付けた、一瞬の触れ合いの記憶だった。

「なのに、ヒロってば」

加えてその後の推移までをも思い出し、香奈はちょっとだけ恨みがましく口にして反応をうかがう。責めの視線を得て今更ながらに気づいたらしく、彼は苦い笑みを浮かべて空を見上げた。

「そうか……あの時の僕は、君とはまったく真逆のことを考えていたからなぁ。気づく余裕もなかったよ」

「え?」

「僕はあの時、初めて『家に帰りたいな』って思ってたんだ」

それは一体どういう意味なのか。思わず怪訝な顔を向けると「誤解しないでね」とかぶりが振られた。

「『帰ろうか』って言ったなら、君が一緒についてきてくれるんじゃないかって……そういう気持ちになったんだよ。そうはいっても日が暮れた後で『僕の家に来る?』なんて堂々と誘う度胸はなかったし、英一えいいちと食事する約束があるって聞いていたから、残念ながら空想止まりだったんだけど」

そうだ、結局いつものように自宅前まで送ってもらってそのまま別れ……余韻に膨らんでいた期待感に大いなる肩透かしを喰らった香奈は、夜を悶々として過ごすにことになったのだ。もちろんそのやつあたりを、その後合流したえいいちに食らわせたことは言うまでもない。

「あんな大胆な真似までしたくせに、いざとなったら腰が引けるとか……だからヘタレだっていわれるのよ」

ぶーっと頬を膨らませると、反論の余地もございません、と彼が頭を掻いた。

「それにね」

それからおもむろにコートのポケットを探り、小さな包みを取り出す。「開けてみて」と促され、首を傾げながらもゆっくり口紐を解いてみた。

「これは」

「あの日ここでみつけたものだよ。綺麗な貝殻だったからあげようかと思ってね。でも君が先にお気に入りを見つけたみたいだったから、出すに出せなくなってポケットに突っ込んでそのまま持ち帰ったんだ」

指先ほどの大きさの桜貝。形よくなめらかな光沢のあるそれに、どこかでまみえたような気持にさせられた。

「その時決めたんだよ。もしも……また一緒にここに来ることができたなら、その時には今度こそ絶対に渡そうってね。だからどうやったらその機会が得られるのかって、君を家まで送っていく間ずっと考えてたんだ」

帰りの道中、話しかけてもなんとなく上の空だったのはそのせいか、と今更ながらに合点がいく。そうしてはっと気づくと、鞄の中からハンカチに包んだそれを取り出した。

「カナちゃん?」

「見て」

中に包まれていたものを、彼に向って静かに差し出す。

「これは……ピアスだよね」

淡い桃色の桜貝。使われたその素材に彼が驚いた顔を見せる。

「あの時ここで拾った貝殻で由梨亜ゆりあが作ってくれたの。でも片方しかないからしまっておくしかなくて……いつかまたここへ来ることがあったら、似たような貝を探そうって思ってたんだけど」

言いながら改めて二枚の貝殻を見比べて確信を抱く。

「すごく似てるわよね」

「ああ。色合いも模様も形もそっくりだ。もしかして、貝殻の表側と裏側だったのかな」

彼の声もいささか興奮気味だ。じっと手元を見つめて、うんうんと強く頷く。

「数年越しに、やっと揃うんだね」

感慨深げに言いながら指先で貝殻を取り上げると、香奈の耳の近くまで持って行き、心底幸せそうに微笑む。

「うん。よく似合うよ」

まっすぐに向けられたまなざしに射抜かれる。そうかな、と羞恥にうつむこうとしたその頬に、彼の手のひらがそのまま触れ――そして、そのまま顔が近づいた。

突然のことに閉じ切れなかった目が、彼の瞳を、そこに映りこむ自身の姿を認識する。途端身体じゅうの血液が沸き立ち、視線とその腕にすべてを囚われて動けなくなった。

「誕生日おめでとう。かな」

かすかにとられた距離と甘い囁きになおもほだされる。言葉を継げずに茫然としていると、彼が小さく笑って呟いた。

「帰ろうか」

陶酔しきっていた意識が、耳朶を打つそれに引き戻される。そこに含まれた願望に、自らの内にある応えたいという衝動を改めて自覚し、たったひとことを返した。

「うん」

どうやら満足したらしい。彼はその面に満面の笑みを湛えると、すぐさま手を取って夕暮れの砂浜を歩き出す。

心地よい海風の吹く中を進んでいくその背中を追いながら、香奈は夕暮れに染まり始めた世界の中で、繋がったその手を強く握り返した。


(おまけの小話)



顧 -Recollection-



「どうしたんだよ香奈。お前、なんか変だぞ」

レストランの席で向かい合い、テーブルに並んだ食事をとりながら、英一は合流してよりの違和感をとうとう口に出した。

「変って何が」

すがすがしいほどぶっきらぼうな口調。勢い勇んで次々に料理を口にしているその顔には、明らかな忿懣ふんまんが浮いていて。他の人間ならば完全におののいて、対応に窮しているところだろう。しかし長年兄妹をやってきた身だ、経験則をもって至極冷静に返した。

「言ってもいいのか」

「え」

「合流してからのお前の様子を、包み隠さず伝えても構わないのか?」

客観的事実を口にするのは容易だ。いつもの香奈ならその振りだけでクールダウンし、思い直して制止してくるはずだが。

「言って」

むしろ挑発的に放たれたそれに心底驚く。だが直前までとは異なり、どこか不安げな、けれど知りたげな雰囲気がうかがえる。

「本当にいいんだな」

「うん」

念を押しても変わらないらしい決意に、英一は執り成しつつ改めて向かい合った。

「そうか。なら聞くが……お前、マンションの前でどのぐらいの時間俺を待ってた?」

まずは質問を投げかける。香奈はしばし思案していたが、やがて困ったような顔を見せた。

「わからないのか」

「……うん」

やっぱりか、と小さく息を吐く。

「だろうな。俺が近づいて声をかけるまで、顔赤くしてぼやっと突っ立ったまま、全然気づかなかったからな」

「え、あ、あたしそんなだったっけ?」

「ああ。合流した後も、心ここにあらずって感じだったぞ。ここまで一緒に歩きながらいきなりニヤついたかと思えば、突然とんでもない形相に変わったり、正直周囲の視線が痛かった。それにだ」

「それに?」

「気付いてなさそうだから言うけどな、お前しきりに口元に手をやってたぞ」

その瞬間これまでにないほどに面が赤くなり、同時にサラダを取っていたフォークがぽとりと落ちる。そのまま蒸気でも上がりそうな様相に、さすがの英一も一瞬たじろいだ。

「おい、お前本当に大丈夫か?」

「だっ……だいじょうぶ! へいきだし! なんでもないから!」

やおらグラスを掴んで冷やを飲みほした後、早口にまくし立てながらパチパチと両頬を叩く。熱を収めようと必死な様子を認めてある推測に至り、英一は椅子の背もたれに身体を預けつつひととき考え込んだ。

春先から感じていたその変化。以前話していた時の口ぶりから、同じ大学に通う高校来の親友――浩隆ひろたかとの再会が影響しているだろうことは察せられたが、その後どうなっているものか、はっきりした経過は分からない。

しかしながらそこまで思考が至ってふと思い出したことがある。先日浩隆と電話で話した夜――夏の雨の日、あの時の彼らしからぬ不可思議な反応。直後とあるひらめきがよぎるや、思わず天を仰いだ。

そうか、やっぱりあいつなのか。

証拠があるわけではない、けれどほぼ間違いないだろうとも思える。仮に直感が真実だとするならば、香奈の心の揺れにもある程度納得がいくというものだ。

まったく、何を妹にふっかけてくれたのやら。

予測できない親友の動きに今日一番の深い息をついて振り切ると、ことさらゆっくり身を起こした。

「ま、いいさ。とにかく食えよ」

いまだ両頬を押さえたままの香奈が、首を傾げて窺ってくる。

「やつあたり、したいんだろ?」

そうして自分もグラスを手に取る。

「とことん付き合ってやるからさ。気の済むまで自由にやったらいい。お前の我儘も今日ぐらいは許してやるよ」

いずれ取って代わられる身なのだから。大切な妹と過ごす最後のひと時になるかもしれないと、そう思えば苦にはならない。

「……だがあいつから『兄さん』と呼ばれるのは勘弁してもらいたいな」

「え」

ぼそりと呟いたそれを聞き止めたのか、怪訝そうな顔の香奈に苦笑しつつ「なんでもない」と返す。

それから改めて居住まいを正すと、英一は心からの一言を香奈に送った。


「誕生日おめでとう、香奈」


いつか必ず俺に話して聞かせろよと、期待と願望を密ませて。

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