凶器と狂気
テーマ「キョウキ」
今さら言うまでもないことかも知れないが、あえて言っておこうと思う。
例えば、包丁。言うまでもなく包丁は、料理のためのものであって、人を殺すためのものではない。
しかし使い方によっては、人を殺すこともできる。あるいは、もっと恐ろしい使い方もできるだろう。
包丁だけではない。例えばアイロン、例えばチェーンソー、例えばペンチ、例えば車やバイク、こういったものも使い方しだいで、人を傷つけたり、苦しめたり、殺したりできる。
もちろん、私はそんなことをしたことはないし、これからするつもりもない。でも私だって、一歩間違えばそうしていたかも知れないし、これからするかも知れない。
そして恐らく、歴史上にはその一歩を踏み外した人達がたくさんいただろうし、今この瞬間にも、多くの人が、それを踏み外しているのだろう。
それだから私は言いたい。人を傷つけたり殺したりするのは、物ではなく、あくまでも人だと。人の持つ悪意がそうするのだ。
たまたま事故や災害に遭って死んだ人は、「死んだ」とは言われても、「殺された」とは言わない。「殺した」とか「殺された」とか言うことは、そこに意志が働いていると見なされた場合にのみ言われることだ。人の持つ殺意が、人を殺すのだ。
武器としての「凶器」ではなく、狂うほうの「狂気」が人を殺すのだ。