えるとれ 23
まるで夢のような感覚だった。
不意に姿を現した彼女は、存在感が異様に淡く、姿形も性別もあくまで主観的にボクがそう感じたということに過ぎない。
だが、絶対にそうだという確信もあった。
それも眠っている時に会っただけなら、夢だったと思えただろう。
でも彼女との出会いは、今言ったように不意だった。
目が覚めている時に見る夢、とでも言おうか。
その瞬間は、見つけた六人目の本物のアリアスと別れた直後に訪れた。
彼らの話をニ、三人分聞いている内から、きっとジェンキーと同じ証言を求めていたのだと思う。
彼らは皆口を揃えて、自分の見たものが描かれている本、と記憶の部屋にある本のことばかり言うから、余計にジェンキーという混血種の女の怪しさが際立って感じられるようになっていた。
つまり、本能的にジェンキーという女に感じた妖しさは、ある種信頼のようなものだったのかもしれない。それとも、内に秘めた好奇心の嗅覚がそうさせたのか。
思い返せば、宝探しはいつもこうだった。
巷にある噂、どれも胡散臭く聞こえるそれらの中に急に光、というか強い匂いを感じるのは、"似通っていてどこか違う"という気配がきっかけになることが多い。
例えばこんな話がある。
【小心者の拠点】から二日ほど歩いたところにある遺跡には、時折そこで周囲の野獣よりもかなり強い野獣というかアンノウンが現れ、それを倒すことができれば質の良いコンセキが手に入ると噂されるのだが。まず、その遺跡でアンノウンと出くわしたという者がほとんどおらず。
いたとしても、皆口を揃えて『奴は異様に臆病で素早く、実際に戦うには待ち伏せが必要だ』としか言わない。
これは"かなり強い"という部分で違っていて。しかも目撃するだけでも珍しく、姿を捉えることも触れることすら困難だというアンノウン相手に、倒せば上質なコンセキが手に入るなんて話はいったい誰から聞いたのだろうかと疑うのは当然だ。
あの時代、そんな珍しい野獣を倒したというのならもっと自慢しただろうし、むしろ倒した本人かパーティーこそ噂になるはず。
だから、流れている噂と起こるべき噂が食い違っている。
こういう事実は誰もが気づくもので、それ故に信用されないことがほとんどだ。
そんな中で、実際にアンノウンを倒したといわれている者らはどうなるかというと。
こうなってくると怪しいのはこっちの方で、噂が流布されて時間が経つほど彼らの話には誰も耳を貸さなくなる。確かに見栄を張って偽っている者もいるだろうが。
そして彼らはこう言うのだ。
『あれを倒すのはとても難しい。だが、あれの来た道を辿れば話は別だ』。
実際にアンノウンを倒すことができたかどうかすらよくわからない。
しかも追って捕まえられない相手を追わず、どころか道を辿るとはどういうことか。
こんなのでまかせだと考えるのが当然だろう。
しかし、これこそが疑わしい噂に漂う"匂い"を感じる瞬間だ。
これを信じてみた結果はこうだ。
あのアンノウンは、強い匂いを残す。そのため、目には視えない通り道が存在する。それを見つけ、そこを辿るとどうなるかというと、あれの漂わせる魅惑の香りに惹きつけられた野獣同士が潰し合い、その跡として大量のコンセキが落ちている。
戦わずして利益最大、たっぷり稼いでそれを食うなり新しい装備に充てるなりということだ。
紆余曲折あって、彼らの語る真実は捻じ曲げられ、アンノウンを倒せば上質なコンセキを手に入れられるという噂になったのだろう。
この話がアリアスに関する噂と、アリアス自身の話とジェンキーの話との関係と同じかというと、状況は全く違う。
だが、肝は一緒だ。
噂は、それを聞いた本人の意志が含まれて多少ズレる。
それが重なり、いずれ"似ているが違う真実"へと姿を変えてしまう。
つまりやはり、"道を辿る"という彼らの話にはまた別の真髄のようなものがあったともいえるのだ。
本物のアリアスが語ることは真実だろう。だが、それならどうしてジェンキーだけが一つ多く【否読の書】について知っていたのだろうか。とそう思ったのは、噂の流れとは逆の道を辿ったからだ。
本物のアリアスが言うことは共通しているのに、ジェンキーだけは少し違う。
彼女がアリアスの考えの根本かどうかはわからなかったが、辿れば前か後かどちらかには行き着くはずだ。
そういう思いからジェンキーだけがどうして違うことを言っているのかが気になり、そういう宝探しというか真実を求めようという見方が、疑う余地の無いアリアス本人の語ることと胡散臭いジェンキーの言うことを符合させたのだと思う。
六人目のアリアスの話を聞いた後ふと考えついたのは、彼らにはもしや自覚がないのではないか、ということだった。
それはアリアス自身が自分をアリアスだと自覚していないという意味でもあり、ジェンキーは自分をアリアスだと自覚しているにもかかわらずそれが意識に伴っていないという奇妙な状況についてでもある。
おそらく彼らは、噂のような存在が自分であるという曖昧な自覚しか持っておらず、自分が何者なのかに気づいていなかった。
そのために【否読の書】が必要かどうかはわからないが、少なくともそれを"読んでいる人物"についてどう思うかが重要だった。
それに気づいた瞬間だった。
突如世界がぼやけ、ハッキリとした存在はボクだけになっていた。
頭の中ではいくらでも妄想した情景だ。
しかしそれがこの瞬間には間違いなく目の前で起きていたのだ。
自分がいつ眠ったのかと疑った。
もしかしてまだ起きていないのかもしれない。だったら今聞いてきた話も全部夢だったのだろうか、と。
その時、ふと気配を感じた。すぐ後ろからだ。
驚いて振り返ると、そこに彼女がいた。
いや、いたはずだった。
ボクは彼女の存在に気づいたその瞬間に、ボクを見ていた。
同時に沸き起こったのは、懐かしい感じと覚え。
覚え、というのは過去の経験。仲間たちとの思い出とかそういうものだった。
他愛もないやり取りや死に様まで、幸福と後悔が一気に押し寄せてきた。
それらは連なり、ずっと後方からボクまで繋がっている。鏡を合わせて向こうに同じ格好の自分が続いているあんなふうに。
結局。
死を繰り返して残されていた記憶の、その読み手はボクではなかった。
読んでいたのは、ボクの背後でボクを見つめていた彼女であるボクだ。
だってボクは、彼女の後頭部しか見ていない。
その先にいつもと変わらない街の風景が広がっていて、ボクに沸き起こった感情や記憶は、今のボクも含めて全て過去なのだということに気づいた。
そこで、ボクの過去はラプチャした。
言葉にするのは難しいが、それはようやく世界と一体になった感覚とでもいおうか。
過去に目を潰され、そしてまたボクの視界は開けていた。
それを、プライアとしての覚醒だと思っている。
◯
「そうして覚醒し新たに目を手に入れたボクは、また仲間たちの遺品を探す旅に出るんだ。だって幾つも思い出したからね。彼らがどこで死んでしまったのかを。
拾われてしまった物、野獣に食われてしまった物、そのまま放置されている物。様々あったよ。
思い出せる限り、ほとんどの遺品を一人で回収することができたけど、最後に一箇所だけ一人で行くには難しい場所が残った。
それが、ボクの【記録の書】に記されていた最初の記憶の場所さ。
通称【マセルの回廊】。
辿り着けぬ大樹【マセル】に最も近く、【マセル】をぐるりと囲む巨大な森だ。
出てくる野獣の大半はアンノウンばかりでね。達人の域に達した戦士ですら倒すのが困難なために、それを輪の外側に持ち帰って学会が調べるなんてこともできない。
だから、未調査という意味も含めてアンノウンばかりなんだ。
でも、そのそばを行ったり来たりできる達人の戦士たちの間では多少の情報が共有されている。
つまりは見聞録に載っていない野獣ばかりってことかな。
それはわかっていたから、一人じゃ無理だってことも理解していた。
けど、当時のボクはどうしても仲間を取る気にはならなくてね。というよりも、ボクの仲間の遺品を探すために生命を懸けてくれるような人はいないさ。
悩んだ末、結局ボクは一人で輪の内側を【マセルの回廊】まで目指す旅に出た。
だけどダメだったよ。
【熟練者の鍛錬場】を越えて、その次の中継地点を見つけて辿り着くことまではできたけど、その先の草原で野獣に殺されてしまった。
それからいったいどれくらいの時が経過したのかはわからない。
とりあえず、目が覚めたのは今のこの"ボク"さ。
別に久しぶりって感じでもなかったし、やることは決まっていたからまた前回通りに輪の外側を出て、それで街へ行ってみると、そこではもう妖精差別が酷くなっていたよ。
だから輪の内側の攻略のための準備には多少手間取った。
それで余計に種族の境がはっきりしたからだと思う。プライアとして覚醒したボクが見る【アトニム】には前回にはない違和感が感じられたんだ。
その違和感は、過去には特に気にもならなかった彼らの言うことや行動の似通っていること。つまりはアトニム人の共通点に引っかかっていたってわかった。
アリアスの成長が早いことと、生まれながらにして両親の後を追おうとするアトニム人の子たちが重なって感じられたんだね。
そこから【否読の書】やアリアスとアトニム人の関係に気づくところまでの経緯は話した通りさ。
どうせ居づらいし、ボクはとっととまた輪の内側を目指して、【熟練者の鍛錬場】まで向かおうとしたんだけど、そこもまた目覚める前とは環境が変化していてね。
ちょうど、といったらおかしい話しだけど、たまたま野獣の繁殖期に当たってしまったみたいでさ。野獣は狂暴だし、おまけに謎の毒なんてものまで蔓延していた。
おかげで一つ手前の【常連の休憩所】で足止めを食ったよ。
でもね、結果的にいえばそれで良かったのかもしれない。
どうやら輪の内側では"冒険人ジェニ"はまだ有名だったみたいでさ。
ボクがそうなんじゃないかってアリアスのパーティーが声を掛けてくれたんだ。
だからそうだね。もうこの時にはアリアスもかなり一般的になっていたってことさ。
ボクの情報は時点では古かったから、アリアスと一緒なら大丈夫なんじゃないかって思った。
どうせ一人じゃ無理だし、ボクには彼らにない十分な経験とそれを活かす知恵もあるって自信もあったし。
なにより、もしかしたらボクの力で彼らを安全に目的地に連れて行ってあげられるんじゃないかって、そんな都合の良いことまで考えたよ。
四人組の彼らは"アル"、"ギオ"、"ルーラン"、"スー"。
彼らはボクの見立通り、とても強かった。
今になって思えば、彼らは覚醒アリアスだったんだ。
あの妖精差別の時代にボクみたいなプライアにも差別感情はなかったみたいでね。誠実で優しくて、いいパーティーだった。
間もなくボクたちは【高台の古い村】を見つけ、そこを拠点にして鍛錬を重ねた。
彼らはアリアスってこともあって、あっという間に強くなっていったよ。
でもね、ボクは以前と変わらなかった。
彼らは優しいから口にはしなかったけど、ここから先はボクじゃ無理だってわかっていたと思う。
ある日大きな怪我をしてボクが動けずにいると、アルがもう戻ろうって言い出したんだ。
だけど、それはつまり彼らの旅を遠回りさせることになる。歳も三十くらいだった彼らにこれ以上無駄な時間を過ごさせるのは嫌だったんだ。
幸い、その前に拠点に使えそうな村跡を見つけていたからね。
ボクは、【高台の古い村】に残って療養することと回復すれば一人でも帰れることを言い訳に先へ行くよう提案して。それから【マセルの回廊】でもしボクの仲間の遺品を見つけたら持ってきて欲しいと伝えて、そこで別れたんだ。
彼らは躊躇したけどさ。
ボクは足手まといになりたくないって言ったら、許してくれたよ。
村にはすでに何人かの戦士が駐在していたし、それも意味があったんだと思う。
それから少しして、体の傷がまだ癒えきっていない頃。
ボクはビクター・シュタインという不思議な男に出会う……」
長い話も終わりかけ、ジェニは意味ありげな息をもらした。
だがベルエルもスズもそこに口を挟むようなことはせず、ただ黙ってじっと次に発される言葉に耳を傾けている。
そんな久々のような静寂。
足下からは草が折れる耳慣れた音と、どこからともなく聞こえてくる鳥の鳴き声が響いていた。
そこに風が運んでくる例の鉄臭さはもうほとんど感じられないほどに薄くなり、周囲の岩柱も数を減らしてきている。
そろそろこの岩石地帯も終わるだろう。
そんな頃合いだがまだ空は青く、陽光は強くなってきたばかりだ。
終わりの香りと始まりの熱。
混合されてできる現実が三人のすぐそばで気配を露わにしたのは、この時だった――。




