塔の最上階
「ケルニシア男爵令嬢、サルビナさまです。王太子さまご誕生祝いの品をお持ちしました」
御車台でマティが名乗っている声が聞こえる。
貴族の名を騙り、王宮内に侵入しようという作戦だ。
王宮は祝いの品を届けようとやってきた者たちで大混雑している。
この混雑に紛れて入り込めると考えたのだ。
「そのような知らせは受けていないが」
「それはおかしいですね。確かに使者を出したのですが」
マティの困惑した声に続いて、中を改めてもよいかという門衛の声が聞こえた。
「サルビナさま、よろしいですか」
マティの声が窓の外で聞こえた。「どうぞ」と返事をすると、ゆっくりと木窓が開けられた。
ラティと、その向こうに見える門衛ににこりと笑いかけた。
「お勤めご苦労様です。なにか問題がありますかしら?」
発音はしっかりと、しゃべり方はゆっくりと。背筋を伸ばして、しとやかに。
サーラは小さいころから何度も教えられてきたことを意識しながら門衛に声をかけた。
ラティが目をみはるのがわかった。
サーラを見て固まっていた門衛が慌てて敬礼をする。
「いえ、しっ、失礼いたしました。どうぞ、お通りください!」
「ありがとう」
サーラが礼を告げると、ラティが窓の戸を閉めた。
ゆっくりと馬車が動き出す。成功だ。
安心した途端、ぐぅ、とお腹が鳴った。
向かいの席にある籐籠が目に入る。
出掛けに女主人が渡してくれたウブリン入りの籠だ。
包んである布を開くと、中にはたくさんのウブリルと短い手紙が入っていた。
『気をつけてね。がんばって。 ティリーンカより』
あの短時間に手紙まで、とサーラは胸が熱くなる。
女主人が焼いてくれたウブリンはまだ温かく、素朴な味だけれどほんのりと甘く、とても美味しかった。
―――
「大丈夫そうだな。行くぞ」
壁の陰に隠れ、周囲の様子をうかがっていたラティがサーラに声をかける。
サーラはドレスの裾をつまみ、走り出したラティの背を追いかけた。
改造ドレスなだけのことはあって、盛装用のドレスよりも軽いのが幸いだった。
裾が多少短めなので、踏みつけにくくなっている。
周囲に人影はない。
日は既に低い場所にあり、もうすぐ夜の闇が訪れる。
塔の入り口に立った兵がするりと扉を押し開けた。
振り返ったラティがサーラをその隙間に押し込み、自らもそのあとに続いて塔の中に入った。
扉はすぐに閉じられたが、塔の中には灯がともされており、視界が利かなくなるようなことはなかった。
螺旋状の急な階段が上に向かって続いている。
「先に行け」
サーラはうなずいて、階段を駆け上り始める。
今、この塔に入れられているのはひとりだけだとラティから聞いていた。
そしてそのひとりは最上階の牢に入れられているということも。
ここは一般人が入ることのできない貴族用の牢獄。
更にその最上階に容れられるとは、随分と特別扱いをされていることになる。
コーテルはツァルが第二王子の息子だという確信を得たのだろうか。
サーラの不安は募るばかりだった。
早く会いたいという思いが強くなる。
迎えに来たサーラを見て、笑顔でありがとう、と言ってくれるとは思わない。
せいぜい、いつもの仏頂面で少々目をみはるぐらいだろう。
そのあと、お説教されるのは目に見えている。
ふいに、まさか、そんなこともできないくらいひどい拷問をされているなんてことは……と不吉な考えが過る。
一刻も早く、ツァルの無事な姿を見たかった。
階段を上るにつれ足が重くなるが、立ち止まってはいられない。
ついに、階段が途切れた。
石造りの壁に造りつけられた木製の扉には閂がかけられている。
足下には小窓が、サーラの頭の上あたりに横に細長いのぞき窓がついている。
サーラは屈んで小窓から中をのぞいた。
「ツァル!?」
見えるのは椅子かなにかの脚だけで人の姿は見えず、呼びかけに応える声もない。
「どいてろ」
ラティが閂をはずすのとほぼ同時に、サーラは扉を押し開け中に飛び込んだ。
「ツァル!! ……ツァル?」
中は、牢というよりは小部屋といった感じだった。
しかしあるのは椅子が一脚とたたまれた架台、そして寝台のみ。
部屋の隅から隅まで見渡しても、ツァルの姿はなかった。
「どういうこと!?」
唯一ある窓へ近づく。
格子がはめられているので身を乗り出すことはできないが、その先に聖堂の塔が見えた。
高さがあまり変わらないことに気づき、ここがそれほどに高い場所なのだと実感する。
そのとき、バタン、と背後で音がした。
はっと振り向くと、部屋の入り口の扉が閉じられている。
「えっ!? ラティ!? ちょっと、開けてよ!」
扉に駆け寄るが返事はない。
素早く閂をかける音が外で聞こえた。
慌てて押すけれど、扉は閉じられたままだ。
「ラティ!」
「悪いな。しばらくのあいだ、ここで大人しくしていてくれ」
「どういうことなの!? ツァルは?」
「あいつなら地下牢のほうじゃないか? ハルグ殿の息子だということはつまり、大罪人の息子ということだからな。今のところは」
「わたしを騙したの!?」
「君のためだ。じゃあな」
「ちょっと、ラティ!」
ラティの靴音が遠ざかる。帰ってくる声はない。
どんどん、と扉を叩くが無駄だとわかり、今度は体当たりをする。
しかし小柄なサーラが体当たりをした程度では、扉はびくともしなかった。




