金銀細工師
母屋の左隣にある厩から少し離れたところに、こぢんまりとした小屋がある。
金銀細工師ツァルの工房だ。
「ツァル!」
ノックとほぼ同時に扉を開ける。
小屋の中に人の姿はなかった。
あれ、とサーラが首をかしげていると、作業台の下からのっそりと起き上がった黒い影があった。
ひょろりとした背の高い青年だ。
歳はサーラのふたつ上で十七歳。
目にかかる漆黒の前髪を邪魔そうにかき上げ、深い翡翠色の瞳をサーラに向ける。
「床で寝てたの?」
「いや、探し物」
サーラの問いに、ツァルが小さく息を吐きながら答える。
「手伝おうか?」
「見つかったからいい。それより、今日はなんの用だ?」
「いつだってわたしの用はツァルに会うことよ」
サーラはややふくらみの乏しい胸を張る。
「……暇なんだな」
「そんなことないわよ。これでも、近いうちに王都に行くことになったから、忙しいのよ」
「王都? なんで」
「もうすぐ王太子さま誕生の祝祭があるでしょう? だから、お父さまたちと一緒に王都へ向かうことになっているの」
「これまでずっと、病弱を装って王都に近づきもしなかったのにか?」
ラルナート伯爵家の娘は病弱で、城にこもって出てこないことになっている。
農村の娘風の服に身を包んだサーラがまさかその娘だとは、誰も思わないに違いない。
「実は、美味しいウブリンが食べたくなったの」
サーラの答えに、ツァルが「ああ」と納得したようにうなずく。
「え、もしかして信じたの?」
「美味い食い物に目がないサーラなら有り得るなと思っただけだ」
そんなに食い意地がはって見えるのだろうか、とサーラは少し不安になる。
確かに、標準的な貴族の娘が食べる量の二倍くらいは食べているかもしれないけれど、その分動いているから体型的には問題ないとサーラ自身は思っているのだが。
ツァルの反応をうかがうように、サーラはツァルを見上げた。
ツァルは、よく食べる女の子は嫌いだろうか。
今更そんな事実が発覚しても、とりつくろうには遅いのだけれど。
サーラは小さく嘆息した。
サーラとツァルは小さいころからのつきあいだ。
ラルナート伯爵家の別邸がすぐそこの湖畔にあり、自然を好むサーラは頻繁に別邸を訪れた。
そのとき、ツァルと出会ったのだ。
あれからもう十年が経過した。
「ねぇ、そろそろわたしと結婚してくれる気になった?」
作業台の上に両手をつき、ぐいとツァルのほうに身を乗り出したサーラが問いかける。
サーラの求婚は今に始まったことではない。
セルティアも、亡くなったツァルの母親も、サーラの両親さえも了承している。
あとはツァルがうんと言うだけなのだ。
――それなのに。
ツァルは口を微かに開いたのだがなにも言わず、眉間にしわを寄せて黙り込んでしまった。