第九十二話 記しの炎
「これは……"記しの炎"だ」
「記し?」
「残した者の記憶を宿す竜火術だ。……一体誰が……」
記憶を宿す術……そんなもの、聞いたことがない。
だが、こいつは実際ここにある。
なら、その中身はなんだ。
「記憶を覗くことは?」
「できる。……見てみるか」
長老が言っていた真実はこれのことかもしれない。
純粋に、この炎自体にに何が残されているのかも気になる。
見れるのなら見ておくべきだ。
イルガは記しの炎に手を伸ばし、そっと拾い上げた。
それを自身の目の前に掲げると、炎がゆらりと小さく揺らめいた。
途端、小さな炎は激しく燃え上がり、俺たち二人の前で人間大にまで膨れ上がった。
「これは……!」
「まさか……!」
先ほどの炎魔獣のように、炎が何かを形取る。
そしてそれは……俺もイルガもよく知るあの形状となっていく。
ティガ族特有の赤肌。鍛えられ、その堅固さを隆々と主張する筋肉。
白髪ではない、銀白の長い髪をオールバックに流し、額からは角が二本伸びる竜の戦士。
「バラグノ……!」
「な……!?」
人の記憶が宿されたという記しの炎。
それが死んだバラグノの形を取った。つまり、これは……バラグノの記憶だということか。
炎によって作られたバラグノは、まっすぐと目線を動かさぬまま口を開く。
『我が娘、イルガよ』
「っ……」
『もしもお前がこの言葉を聞いているのなら、恐らく私はもう、死んでいるだろう』
バラグノは語る。
これは……あいつが死ぬ前に残したものだ。
それもイルガに……大切だった娘に宛てた手紙なのだ。
それを悟って、イルガも隣で呆然と父が遺した言葉を聞いていた。
『イルガよ……すまなかった』
「な……」
記しのバラグノは頭を下げる。
『魔王を倒す旅から帰ってきてから、私はお前と共にいることを拒んだ。お前がそれを悲しみ、怒っているのも知っている。……だが、それには理由がある』
「……!」
イルガが目を見開く。
彼女が父・バラグノを嫌っていたのはまさしく、自身を捨てたからだ。
バラグノは旅の途中で変わってしまった。だからそんな父親を憎み、旅に誘った勇者である俺を憎んだ。
しかしバラグノは……何か理由があって、自らの意志でイルガから離れたのだ。
『まだ幼いお前と離れるのは辛かった。言い訳のようにも聞こえるかもしれないが、それもお前を守るためだったのだ』
「イルガを守る……」
やはりバラグノは変わっていなかった。
あいつは、娘を大事に思っていたのだ。
だがイルガは、バラグノのその言葉に歯を強く噛みしめて怒りを露わにした。
「いけしゃあしゃあと……! どんな理由が有ろうと、己れを捨てた事実は変わらぬだろうに……!」
父本人の言葉を受けても、イルガの憎しみは薄れない。
とにかく、今はバラグノの言葉を最後まで聞くしかない。
『魔王城での最終決戦の時、我ら六人はそれぞれ分断され、個々人による戦いを余儀なくされた』
そうだ。
その結果俺は魔王ディオソールと一体一で戦った。
みんなで挑むことができれば、戦いはもっと楽だっただろう。
『私は凶悪な呪術使いと戦った。苦戦はしたが、勝利を収めることができた。しかし……』
記しのバラグノは表情を辛くした。
その呪術使いとの戦いで、何かが起きたのだ。
『奴は死の瞬間、私に呪いをかけた。私の体を蝕み、ゆっくりと死に追いやる呪いだ。それはまだ、私の体に残っている……』
「呪い……。病気じゃなかったのか……」
バラグノは病で倒れたと聞いた。
だが、そうではなかった。あの魔王城でバラグノは、命を削り取る呪いをかけられていたのだ。
「呪いだと……?」
イルガもさすがに驚いたようで、そう小さく呟いている。
バラグノは自身の胸に手を当てて、続きを話し始める。
『しかもこの呪いは、ただ私を苦しめるだけのものではない。この呪いは……私が、もっとも愛するものに触れたとき、その者に移るという性質を持っていると言うのだ』
「……っ!」
イルガが息を呑む音が聞こえた。
バラグノがもっとも愛するもの……そんなのイルガに決まっている。
だから……だからバラグノは、イルガから離れたのだ。
妻を亡くしたバラグノにとって、イルガはただ一人の愛娘。
触れれば当然呪いは作用してしまうだろう。
だからバラグノはイルガと距離を取った。
愛する我が子を呪いで苦しませないように。
「ぐ……っ」
イルガが拳を強く握りしめた。
顔は俯き、奥歯を噛みしめる音が漏れ聞こえる。
開かれた眼は困惑で揺れていた。
自分を捨てたと思っていた父が、本当は自分のために苦渋の決断をしていたと知ったのだ。
きっと……辛いだろう。
『もしも、お前がこの記しを見ていのなら、それはきっと竜の試練を受けに来たときだろう。それならば、頼みがある』
真実を告げた次に、バラグノはそう言い出した。
炎で出来たバラグノの像が薄くなっている。もう時間がないのだろう。
『お前のその力を、この世界をよくするために使ってほしい。勇者殿が命を賭して救ったこの世を、よりよいものとするために』
「バラグノ……!」
呪いのせいで、バラグノは苦しみの中でこの記しを遺したはずだ。
だというのにこいつは……最後まで、そんなことを……。
目頭が熱くなる。
お前って奴は……本当に……!
『そして……イルガよ。幸せになっておくれ。平和な世で……この美しい世界で、生きてくれ』
バラグノの記しが消えていく。
陽炎のように、儚く、小さな火の粉となって散っていく。
「っ……!」
イルガが顔を上げた。
消えゆくバラグノにまるで殴りかかるように手を伸ばし――しかし当然、触れられるはずもなく。
あえなく、背後へ突き抜ける。
そしてバラグノは……その記しは、無へ。




