第八十一話 “守護者(ガーディアン)”
「ちょい待ち」
ローガが突然そう言って足を止めた。
「どうした?」
鼻を鳴らし、周囲を警戒し始めた。
「変な匂いがする。鉄と油と……血が混ざったような匂いだ」
……さすがイグラ族の嗅覚だ。"奴"の臭いを鋭敏に関知したようだ。
「臭い?……何も感じませんけど」
「ローガさんはイグラ族ですから。僕たちよりも何倍も匂いに敏感なんですよ」
「イグラ族……そうだったんですのね」
そのイグラだからこそ感じ取った匂い。
それを持つ者が確かに、この先にいる。
「これが守護者か?」
「ああ、恐らくそうだろう」
恐らく、とは言うが確定だ。
もう少し進んだ先に、行き先が四方に分かれた分岐がある。
それぞれが各大陸の次元の門に繋がっていて、ここまで来ればグレンカムも目と鼻の先だが……。
その分岐点を守るのが、異次元の化け物ということだ。
「勇者戦紀によれば、守護者はかなり手強いようです。準備はいいですか?」
ミリアルドが言う。
俺は腰のジオフェンサーの柄にそっと触れた。
大丈夫、確かにあれは手強いが、この剣と指輪、それにティムレリアの力があれば、負けることはないはずだ。
まだまだ先は長い。こんなところでまごついてはいられない。
みんなを見回した。
ローガは大剣の柄を握りしめ、不敵に笑う。
サトリナも槍を手に、力強い表情だ。
そして、ミリアルドも。
「行きましょう、クロームさん」
心配することなどないと、温かく微笑んでいる。
だから俺も、何も悩むことなく。
「……ああ!」
気鋭に、ジオフェンサーを引き抜いた。
負ける気など、微塵もしない。
武器を手にしたまま少し歩くと、少し開けた空間に出た。
俺たちが歩いてきた道の他、三方に道が続いている。
とその時、周囲で薄ぼんやりと瞬いていた青白い光が、突如目を刺すほどに真っ赤になった。
そして、何やら訳の分からぬ音が、けたたましく鳴り始めた。
音は同じものが短く、何度も繰り返される。
「んだよこれ!?」
ローガが指を片耳につっこみながら言う。
「警告だ。侵入者発見、とな」
この音は、異次元の言語らしい。
言葉としてはまったく聞き取れず、意味も正確ではないが恐らくそうだろうという話だ。
そしてこの警告が鳴ったということは、俺たちの存在が奴にばれたということだ。
「……来るぞ!」
剣を構える。
だが、敵の姿はない。
「どこに――」
と、困惑したようにサトリナが呟いた瞬間、俺たちの眼前の空間が、ぐにゃりと歪んだ。
「……ここに、だ!」
明らかに何もなく、間違いなく向こうの道が見えていた。
だというのにこの一瞬でそこに、身の丈数メートルはあろうかという巨大な化け物が、現出していたのだ。
「っ……! なんて大きさだ……っ!」
その姿を、既存の生き物に例えることは難しい。
敢えて言うならば、"背面を見せて立つ、足のない蟹"、だろうか。
つぶれた菱形の左右上部から一本ずつ、鋭利な爪のような物が延びている。
顔らしい顔はなく、何の力による物か、体のどこも接地していないという異様な生物――いや、果たして生き物であるのか。
「どっから出てきたんだよこいつ……!」
「な、なんだか……背筋がぞくぞくしますわ……」
瞬間に現れたことに、そしてその異質感にローガとサトリナが恐怖を露わにする。
「呑まれるなよ。こいつの恐ろしさは、見た目だけじゃあない」
「そうですね。気を引き締めましょう」
勇者戦紀にその強さがしっかり記載されていることもあり、ミリアルドは比較的余裕があるようだ。
「っし……! 行くぜ!」
大剣を振りかぶり、ローガが駆ける。
「だっ、りゃああ!」
イグラ族の怪力と超質量の剣ならば、いくら異生物と言えど致命傷になる。
――しかし、そう簡単には行かないのがこの異次元空間だ。
ローガはまっすぐ、守護者へと向かった。
だが、その剣が届く範囲に入った時にはすでに、その身体はあらぬ場所へと飛ばされていた。
「なっ!?」
斬り裂くつもりだった剣が、"天井"を穿つ。
守護者に向かい走ったローガは、俺から見て四方左の道、その天井に張り付いていた。
「これは……!」
サトリナが驚きに声を上げる。
先ほどまでも何度と起きていたこの現象。
すでに見慣れたと思ったそれが、ここに来て俺たちに牙を剥く。
「奴の周囲はすべて空間が歪んでいる。剣だろうが魔術だろうが届かない」
「書かれていたとおりですね」
「そんな! 攻撃できなければ、どうやって……!」
「大丈夫ですよ、サトリナさん」
すでに知っていたからか、ミリアルドは冷静だ。
そう、俺たちは落ち着いている。
なぜなら、その攻略方を知っているからだ。
「ミリアルド、指示を出したら一発頼むよ」
「はい。任せてください」
とはいえ、知っているのと実際に可能かどうかは違う。
いくらか強化されたとは言え、俺の実力はまだまだかつての自身とは比肩できないからだ。
今の身体で、どこまでやれるか……。
考えていても仕方がないと、剣を構える。
守護者が左肩(らしき部分)の爪をもたげた。
剣のように鋭い。多少の防御など貫通してしまいそうだ。
その切っ先はまっすぐ、俺たちの方を向いている。
「来ますわ……!」
「いや――ローガ、身構えろ!」
俺は天井にいるローガへと叫んだ。
サトリナの予想は間違っている。
敵の狙いは、爪の向いた先とは見当違いの場所にいるように思えるローガだ。
守護者が爪を突き出す。
一見こちらに向かってくるように見える爪はしかし、一定の距離で消失、代わりにローガのいる場所へと突き出されていた。




