第六十九話 遥かな未来へ
「……よし」
月明かりが照らす深夜。
ミリアルドもローガもすっかり寝入ったあとで、俺は一人部屋を抜け出し、城の裏手の空き地にやってきていた。
「懐かしいな、この場所も」
ここはクリスが幼いときに戦闘訓練を行っていたという場所で、以前の旅の途中、ここでクリスと手合わせしたこともある。
さすがに訓練道具は引き払われているが、技を試すのに程良い空間でちょうどいい。
「…………」
俺は意識を集中させ、指輪をはめた手でジオフェンサーを握った。
そして、魔力を微量に送る。すると。
「っ……!」
ジオフェンサーの刀身が、ボウと燃え上がった。
俺は今、普段魔剣術を使う量の半分以下の魔力しか注がなかった。
だというのに、これは中級術を十分に放つことの出来る魔力に匹敵する。
これが、純度十割の魔法石の威力か……!
すばらしい。いや……恐ろしささえ感じる。
これを使いこなせば、上級の魔剣術さえ扱える。
かつてはその一振りで、百の魔物を切り払った、上級魔術を用いた魔剣術。
あれがあれば、そんじょそこらの魔物になど負けはしない。
「試してみるか……」
炎はダメだ。街を燃やしてしまうかもしれない。
雷も同じく。風も、木々を折ってしまう。水は……比較的安全だが、下手に周囲を水浸しにしたら、凍り付いて危険だ。
しまった……出せる技がないぞ。
通常の剣技の特訓には向いていても、強力すぎる魔剣術を使うには、ここは狭すぎる。
「……やめておくか」
下手なことをして、クリスに迷惑はかけられない。
クリミアが言っていたように、暴走の危険もある。然るべき時まで、使わないようにしよう。
「よし、それじゃあ……」
魔力の微調整を覚えておこうと、通常の魔剣術の特訓に切り替えようとした、その時だった。
「クロード」
俺ではない俺の名を呼ぶ声がして、俺は構えた剣を下ろした。
振り向くと、不用心にもたった一人で立つ、この国の王様の姿があった。
「何してるんだよ、王様がこんなとこで」
「城を抜け出すのは得意だっただろう?」
その言い口に、俺は思わず吹き出してしまった。
そうだ。クリスは、しょっちゅう城から抜け出る迷惑王子として有名だった。
俺と最初に出会ったのも、そんな時だった。
「作戦の話、聞いたか?」
「ああ。まさかユニコーンを捕らえるなんてな」
作戦に参加することをミリアルドに伝えたら、目を丸くして絶句していた。
教団で神聖視しているものを捕獲するのだ、当然だろう。
事情は知っているから否定こそしなかったが、困惑している様子だった。
ローガは細かいことを考えるタイプじゃないから、何も考えずにやってやるぜと意気込んでいた。
「あれには長年悩まされていたからな。ここで決着をつけておきたい」
「ああ。成功するよう祈っておくよ」
「こっちこそ。君一人がいなくなっても問題ないような配置にしておいた。うまくティムレリア様に会ってくれ」
「ああ。気遣いありがとよ」
ここまでお膳立てされたんだ。会えませんでしたは許されない。
月夜を見上げ、二人とも押し黙る。
クリスは何を考えているだろう。
「……なあ、クロード」
「どうした?」
クリスは月を見上げる顔を下ろした。
その月光に照らされたその表情は、暗い。
「お前、ソルガリアで何をした?」
言って、クリスは懐から一枚の紙を取り出した。
それは、俺とミリアルドの人相の描かれた指名手配所だった。
「……やっぱ、知ってたか」
「一週間ほど前、ティムレリア教団の神官、バラン・シュナイゼルの使者を名乗るものにこれを渡された。もしもこの二人が現れたら、即座に拘束し、教団に引き渡すように、と」
一週間も前に、か。
まあ、こっちはかなり遠回りしてセントジオガルズにやってきたからな。
先を越されるのも当たり前か。
「だが、その手配書を街には撒かなかったんだな」
「ああ。……昔ならいざ知らず、今の教団は信頼には値しない。一応念頭には置いておいたが、街には広めないようにした」
「おかげで助かったよ、ありがとな」
「礼はいい。とにかく、説明してくれ。お前と、ミリアルド様になにがあった?」
「……雪夜に話すには、ちょいと長くなるが……」
俺はクリスに、これまでの旅の経緯を話した。
旅の途中でミリアルドと出会ったこと、そこで飛空艇に乗り、魔王城を目指したこと、魔物に阻まれ、親友を失ったこと。
そして、バラン・シュナイゼルの凶策にはまってしまったことを。
「偽物の、ミリアルド様……?」
「ああ。声も見た目も完全に同じだった」
瓜二つだとか、手に込んだ変装だとかではない。
まさに同じ……完全に同一の人間が、そこにあったのだ。
「何か知らないか?」
「……すまない。私にはわからない」
「そうか。……教団の幹部のミリアルドにすらわからないことだからな。外の人間には何の事やら」
だが、あの偽物がいることで、俺たちの旅は大きく足止めされている。
セントジオ大陸のような別の地域ならともかく、今や俺たちは、ソルガリア大陸にはただの一歩も進入できないだろう。
「とにかくそういうことなんだ。俺たちは何もしちゃいない。全部、バラン・シュナイゼルの策略なんだよ」
忌々しい話だ。
人々に恐怖を与え、命を奪う魔物を、己が利益のために放置しようとするなど、教団の理念どころか人間の倫理とからも外れている。
許すわけにはいかない。
「……クロード、どうしてお前は……」
「え?」
クリスは何かを言おうとして、しかしそこで口を噤んだ。
眉間に皺を寄せ、言いにくそうにしている。
「なんだよ、クリス?」
「……お前はどうして……そこまでする?」
「……え?」
クリスの言わんとしている意味がわからなかった。
質問の意図が、汲み取れない。
「確かにお前はクロードだ。だが、今の君は勇者クロードではないか弱い少女だろう。……魔王のことなど忘れ、家族と暮らしていてもよかっただろうに」
「……まあ、な」
何度となく考えた。
クロードとしての記憶を捨て、ただのクロームとして生きてみようかと。
復活する魔王は、俺以外の勇気ある者に任せてしまおうと。
だが、出来なかった。
それは、きっと。
「俺は、この世界が好きだ」
「クロード……」
「お前たちと旅をして、世界中を回った。どこも、すごくいい場所だった。俺は、世界が好きになった」
そしてそれは、今も変わらない。
俺はこの世界が、この世界で暮らす人々が、大好きだ。
だから、守りたい。
幸せにしたい。誰も泣くことのない世界を作りたい。
それが、俺の夢。
「俺は魔王を倒す。それが、俺が世界に対して出来ることなんだ」
きっと、それは無茶な夢だ。
誰かが笑えば誰かが泣く。そんなことわかっている。
でも、だからって諦めたくはない。
自分が出来ることをする。ほんのちょっとでも、夢に近付くために。
そして、俺にとってはそれが、魔王を倒すこと。
俺の……この世界での役割なんだ。
「辛くはないのか?」
クリスの問いに、俺は苦笑した。
まったく、今更そんな質問か。
「辛いさ。でも……頑張れる。俺が辛さを味わった分、誰かが笑顔になれると思えばな」
「なら、お前はいつ笑う」
「決まってんだろ? 魔王を倒した時さ」
今度は相打ちになんてならない。
勝って、完全に消滅させたら、大いに笑ってやるさ。
そして、その時が、俺の……いや。
私の、本当の始まりだ。
クロードではなく、クロームとしての人生の。
「……っと、さすがに寒いな。ほら、さっさと戻ろうぜ。風邪を引くのはごめんだ」
冷えた体をさすりながら言うと、クリスは最後に、口元に微笑を浮かべて、こう言った。
「お前は、バカだよ」
「……知ってる」
バカな夢見てバカな危険に身を投じる、バカ勇者だ。
でも、それでいい。
それが、俺だ。
部屋に戻り、音を立てぬようにベッドに潜り込んだ。
冷たくなった体を、羽毛の布団がじんわり温めてくれる。
明後日だ。
泉に行き、ティムレリアに会う。
すべては、それからだ。
作戦の成功を強く祈り、俺は目を閉じた。
遙かな未来を、夢に描いて。




