第五十六話 昔の自分
「まだ時間あるな……」
朝食を平らげ、宿を出た俺たちは、微妙に時間を持て余していた。
「もう駅に向かっていいんじゃないか? 中で待とうぜ」
「うーん……」
ローガの案も悪くはないだろう。だが、待つと言うことはつまり、暇のまま過ごすと言うことだ。
今までせわしなかったから、暇は暇でありがたいとは思うが……。
「ところでローガさん、寒くないんですか?」
俺とミリアルドは昨日買ったマントも羽織っているが、ローガは普段の格好のままだ。
しかし、ローガは全然へっちゃらという風に胸を張った。
「平気だぜ。イグラ族は寒さには強いんだ」
「そうなのか」
「ああ。それに俺は元々こっちの出身だからな。つっても、小さえガキの時だったからまったく覚えてねえけど」
一応このセントジオ大陸で生まれ、物心着く頃にはソルガリアにいた、とローガは言う。
だから、ちょっとした寒さに負ける体ではないのだ、と。
「じゃあ、防寒具はいらないんですね」
「ああ。むしろ暑くなりすぎるぐらいだぜ」
それなら雑貨屋に改めて行く必要はない。
……特にやることもないし、仕方ないから早々に駅に向かうことにしよう。
適当に話でもして暇を潰すか。
そう思い、俺たちは移動を始めた。
「しかし、昨日は大変だったぜ」
ローガは話し出す。
何のことかと聞く前に、勝手に続きを語り出す。
「闘技場に着いてさ、武闘大会に参加しますって受付に言ったんだけどよ」
「中止だったんですよね」
ミリアルドが言う。そこまではついさっき聞いた。
「そう。で、これからどうしようかと思ってさ、とりあえず闘技場を出ようって時に、変な女に難癖つけられてさ」
「変な女?」
何か問題でも起こしたのか、こいつは。
「ああ。勝ち気っつーか、ある意味クロ以上に男勝りというか……」
「……そうか」
まあ、確かに自分が女らしいとは微塵も思ってはいないが、それでもそこまでストレートに言われると、少し傷つく。
……もう少しだけでもお淑やかになった方がいいのだろうか。
「今にして思えばさ、そいつも武闘大会に参加しようと思ってたみたいだから、急に中止になって苛立ってたんじゃないかとは思うんだけどよ」
意気揚々とここまでやってきて、突然中止になりました、じゃあ気が収まらない人間も少なくはないだろう。
住処が遠ければ遠いほど、旅費だってバカにはならないだろうし。
「間違ってもああいう女だけは選ばねえようにしないとな。あんなのと結婚したら思いっきり束縛されそうだ」
「お前は多少縛られた方がいいと思うがな」
さっきの発言もあって、俺は少々きつく言い返した。
奔放なところがローガの長所だとは思うが、何事もやり過ぎると鼻につく。
あんまり自由人過ぎると、結婚した側はたまったもんじゃないだろう。
「それで、結局その人とどうなったんですか?」
「いくら言ってもこっちの話を聞かねえから逃げた」
「逃げたのか……」
そこは言い負かすとかじゃないのか。
まあ、聞く耳持たないなら、それもありか。
「武闘大会が開かれてりゃあ、そいつに俺の実力を見せつけられたのによ」
「お前より強かったかもしれないぞ」
「有り得ない話じゃないですね」
ローガのイグラ族特有の腕力はなかなかのものだが、かと言ってそれだけで勝てるほど武闘大会は甘くはないだろう。
どれだけ強力な一撃も、当たらなければ意味がない。
女だというのならそういった軽やかな戦法を得意としていてもおかしくはないからな。
「そのためにも、さっさと魔王をぶっ倒す! んで、あいつの鼻を明かしてやるさ」
「ええ、がんばりましょう」
……微妙に理由が浅ましいが、やる気につながるならいいか。
駅に着いて、俺たちはセントジオガルズ行きの列車に乗り込んだ。
早い時間だと言うこともあり、今度は前方の車両だった。
座席に座り、続々と駅に入ってくる人たちを眺めながら、また二、三下らない話をして時間が経つのを待った。
「なあクロ」
「なんだ」
「お前はどういう男が好きなんだよ」
……なんだ突然に。
そう思ってローガをじとっと睨むと、表情から察せられたかいやさあ、と弁解を始めた。
「前に俺の嫁探しの話をしただろ? で、ふと思ったわけだ。お前は、ってさ」
……好きな男、か。
正直なところ、俺はまだ自分の性別についてはあやふやなところがある。
もちろん体は紛れもなく女だ。それはこの十五年で嫌と言うほどわかった。
だが、精神的にはまだ、俺は男・クロードを引きずっている。
いずれ捨てなければと思ってはいるが……。
「クロームさんは強い人ですから、自分よりも強い人じゃないと、とか」
この話題にはミリアルドも興味があるのか、話に乗ってきた。
適当にはぐらかして無視しようかとも思ったが、無理そうだ。
「まあ、そういう考えもなくはないな」
「じゃあ実際のところは?」
ローガが聞いてくる。
こんなところでとは思っていなかったが、生きているうちにこういうことを話さなければならない機会はあるはずだ、と常々考えていたことがある。
「勇者クロードだ」
ごまかし、はぐらかし、煙に巻く。
そのための方便は、過去の自分自身だ。
「はあ?」
「誠実で、勇敢で、実力がある。そんな勇者が私の憧れだ」
絵本の中の、理想の王子様に恋をするーー幼い乙女心がそのまま成長したような、大きすぎる憧れ。
叶うはずもない。なにせ、勇者戦紀の中の"俺"は、現実の俺よりもかなり脚色されているからだ。
「そんなの、ありかぁ?」
「なるほど。団員にもそういう方はたまにいましたね」
「ああ。まあ、現実そんな人間はそうそういないだろうが、理想ぐらいは高く持っておきたいしな」
こう言えばだいたいの質問は避けられる。
前々から俺はそう思い、この答えを暖めていた。
「へえ。……きっと妥協することになるぞ、それ」
「うるさい」
妥協なんかすることはない。
過去の俺自身への憧れはごまかしだけということではない。
かつての俺の実力を取り戻す。いや、新たに得る、か。
あれだけの力があれば、そこらの魔物に苦戦することもない。
たどり着くにはまだまだ厳しすぎる、険しい道の憧れだ。




