第四話 『電光石火』
「魔物って言っても生き物だ。何か痕跡みたいなものはないか?」
獲物を探すのはマーティの方が長けている。何か手がかりはないかと聞いてみた。
「うーん……ん? ねえ、あそこ見てみて」
マーティが指し示したのは、ベアの死骸の側の地面だった。近付いて、よく観察してみる。
「……何かをこすった跡があるな」
「だよね。これ、蛇とかが通った跡じゃない?」
蛇のような長い体躯を持つ生物が、体を這わせて移動したような跡が地面に残っている。
だが、蛇にしては異様に太い。面した部分だけで、大人の腰回りぐらいはある。
その全長となると……とてつもなく、大きい。
「ん?」
さらにマーティは何かを発見したようだった。長い耳を
ピクピクと動かし、音を捕らえようとしていた。
「……泉の方で、大きいものが動いてる」
「ベアか?」
「違う。でも……こんな音、この森じゃ初めて聞く……」
つまり、そういうことだ。
「泉に向かおう。そこに、きっといる」
「うん。……ちょっと、怖いけど」
そこに魔物がいるだろうと当たりをつけて、俺たちは森の奥にある泉へと向かった。
このロシュアの森は、別名神聖の森と呼ばれている。木々生い茂る森の奥に一本だけ、樹齢何年かも判別がつかないような、巨大な大樹があるのだ。
それを俺たちは神聖樹イルミンスールと呼び、この町の守り神のようなものとして崇めていた。
そしてその周囲を、湧き水が作り出した泉が囲っている。非常に澄んだ綺麗な水で、森の動物たちにとっても、狩りに入った人間たちにとっても憩いの場になっているのだ。
魔物もその水を飲みに行ったのか、それともただの偶然か。なんにせよ、そこはこの森の中でも人の往来が多い場所だ。
より放っておくわけにはいかなくなった。
順調すぎるほどに泉にたどり着く。ここまで、魔物はおろか小動物一匹にすら会わなかった。
動物は人間よりも危険に敏感だ。何か感じ取っているのかもしれない。
「……いないみたい」
だが、マーティが言うとおり、魔物の姿はなかった。もはや移動してしまったのか、それとも、どこかに隠れているのか。
「いや……瘴気の残滓を感じる。ついさっきまでここにいたんだ」
息を吸うと、まるで細かい針を吸ったかのように胸の中がちくちく痛む。魔物がここを通った残り香のようなものだ。
「マーティ。矢を数本、泉の水に浸けておくんだ」
「え、なんで?」
「泉の水には浄化作用がある。魔物にはそいつが抜群に効く」
「へえ。……詳しいね、クロ」
「まあ、ちょっとな」
勇者時代に経た知識だ。神聖樹の泉は、瘴気を打ち払ってくれる。
空気を清めておこうと、矢を泉に浸けるマーティの横で水を少々すくい、辺りに撒いておいた。
これで、呼吸が楽になる。
「魔物は泉の水が苦手なんだよね?」
「ああ」
「じゃあなんで、泉に近付いたの?」
……む。それは……。
さっき言ったようにただの偶然か、飲み水が欲しかったかだとは思うが……。確かに、わざわざ危険に近付く意味はない。
「……すまん、わからない」
魔物の習性をすべて知っているわけではない。昔はそこら中にいて、見かけた魔物は手辺り次第倒していたからな。
じっくり考えたことはなかった。
「うーん……まあ、いいか」
矢を浸け終わり、マーティは立ち上がった。
そしてまた、魔物を捜すように目を凝らし、耳を揺らし始めた。
しかしその表情は芳しくない。どこか不安そうに眉をひそめていた。
「見つからないのか?
「うん。……不自然なほどにね」
不自然?
「普通はさ、生き物って常に動いてるものじゃない? だから土のこすれる音とか、草の揺れる音とかが絶対聞こえるはずなんだよ」
「ああ、そうだな」
「でも……それがまったく聞こえないの。まるで……」
「……私たちから隠れてる、みたいに?」
うん、とマーティはうなずいた。
つまり、俺たちは魔物に狙われているということだ。
リウ族のマーティにも気づかれないよう、じっと身を潜め、俺たちを急襲しようとしているのだ。
空気が張り詰めた。どこからか、魔物が襲い来る。
いつでも戦えるようにと、腰の剣に手をかけた、瞬間だった。
「クロ! うしろ!」
マーティが叫んだ。一瞬遅れて、俺にも聞こえる草の音。剣を引き抜きつつ、俺は振り向いた。
大口を開き、いびつに生え並んだ歯牙をぎらつかせた大蛇が、俺に迫っていた。
「――ッ!」
剣での防御では事足りない! だが、この状態でどう止める!?
俺はとっさに、剣を握らない左手を前に突き出した。
練る時間はない。純粋な、"魔力"の爆発で!
「『バースト』ッ!」
左手から放たれた魔力の塊が、魔物に炸裂した。
間一髪、飛びかかる魔物の軌道が反れ、牙が俺に食らいつくことはなかった。
冷や汗を流しながら、俺は背後に回った魔物を再度視界に捉えた。
蛇のように長い体躯。しかし、その胴回りは人間以上。
蛇目がぎらつく顔も大きく、さらにそれを真横まで裂く口にかかれば、人間など丸飲みにされるだろう。
鎧のような鱗に覆われた体の末尾には、剣か槍かという硬質化した部位があった。
俺は、この魔物を知っている。前世でも戦った――ヴァサーゴだ。
「無傷か……!」
直撃とは言えないが、ヴァサーゴには確かに俺の放った魔術が当たったはずだ。
しかし、まったく堪えた様子はない。目に見えるほどの濃い瘴気を体から立ち上らせながら、じっとこちらを見据えている。
深めに呼吸をして魔素を蓄えながら、俺は次の機会を伺った。
魔術を使うには、魔素が必要だ。魔素は空気中に有り、息を吸うごとに体に蓄積される。
それを消費すれば魔術を使うことができるが、当然蓄積した魔素がなくなれば使えなくなる。
いたずらに連発できる代物ではなかった。
「マーティ! 矢を回収するんだ!」
「うん!」
魔物を倒すには、泉に浸けた矢が必要だ。
取りに戻っている間に、俺がヴァサーゴを引き受ける。
「はあぁっ!」
剣を構え、ヴァサーゴに突っ込んだ。
ヴァサーゴは尾の先端の刃を振るった。それを回避し、反撃に一撃を叩き込んだ。
しかし。
「ちぃっ……!」
俺の剣はヴァサーゴの鱗を切り裂くことはなかった。
固いだけではない。身体全体を覆う、瘴気に阻まれたのだ。
再びの尾の攻撃を避け、後退する。
「やはり、この身体じゃあ非力か……!」
この15年の暮らしでわかっていたことではあるが、やはり女の身体は非力だと改めて教えられた。
元の身体ならば、魔物を覆う瘴気――闇の守りごと、ヴァサーゴの身体を斬ることが出来ていた。
女の身体は男よりもか弱く、非力で、小さい。だから、今使う剣術も昔のままではない。
女性でも扱える軽めの片手剣だ。
以前の両手剣ならば……!
ヴァサーゴが地面を這い、接近する。地を跳び、牙を閃かせて飛びかかってきた。
くぐり抜けるように避け、次の攻撃の動作に入った。
息を吸い、剣を持つ右腕に魔素を集中させた。
しかし、非力だから戦えないかと言えばそんなことはない。
俺が勇者と呼ばれたのは力があったからではない。
かつては勇者しか使い手のなかった、独自の剣術がある。
溜めた魔素を、ただ炸裂させるのではなく、現象へと変換する。
ヴァサーゴの苦手とする属性魔術へ。
そしてそれを、剣へと流し込んだ。
ヴァサーゴが振り向いた。剣は届かない。
だが、この技にリーチはない。相手がどこにいようが届く、雷鳴の剣閃!
「喰らえ、『電光石火』!」
剣を振るう。その剣圧に押し出されるように、稲妻が空中を走った。
稲妻は人間数人分の距離が開くヴァサーゴに直撃し、その鱗の一部を打ち砕いた。
「よし……!」
これが勇者の剣術。魔術と剣を組み合わせた魔剣術だ。
15年前には俺しか使い手のいなかったこの剣は、新たな使い手を経由し、再び俺の手に戻ってきた。
傷を負い苦しむヴァサーゴ。今がチャンスだ。
「マーティ!」
矢を回収し終えたであろう相棒の名を叫ぶ。
返事はない。だが、その代わりに即座に飛来した矢が、剥き出しになったヴァサーゴの皮膚へと突き刺さった。
矢は俺の後ろ斜め上空からやってきた。振り向くと、木の上に登り、矢を番えるマーティの姿が見えた。
「はいな~」
ようやく声で返事をし、さらにマーティは弓を引き絞った。
打ち出された矢がさらに数本、ヴァサーゴに突き刺さる。
泉の水を吸い取った矢の浄化作用が及び、ヴァサーゴの身体を覆う闇の守りが晴れた。
これで、剣の刃が通りやすくなった。
「ありがとう、マーティ……!」
飛び込む。右手に握った剣に再び魔素を送り込む。
剣に雷鳴が迸る。俺の魔剣術、もう一つの技の準備が完了した。
これで――終わりだ!
ヴァサーゴが咆哮とともに尻尾を薙ぎ払う。それを本体ごと跳躍してかわした。
背面に着地。振り向きつつ、剣をヴァサーゴの胴体に叩き込んだ。
「『電光斬り』ッ!」
先の一撃が破壊し、露わにした体表を、稲妻の剣が斬り裂いた。
嘆くような声で、ヴァサーゴは吠える。だが、それは最期の断末魔に他ならない。
「っ!」
最期の意地で振るわれた尾が俺の左肩をかすっていく。
だが、それでどうにかなるわけもない。
身体を深く斬り裂かれたヴァサーゴはそのまま地面に倒れ、完全に動かなくなった。