第三話 マティルノ・バートン
次に向かったのは、狩り仲間のマーティの家だ。
同じ狩り仲間の女で、年齢は一つ上。彼女はこの町の北の方にある長屋に住んでいる。
ただし、ある問題があった。
長屋に到着する。奥から三番目が彼女の家なのだが……。
扉をノックする。返事はない。再び。また返事はない。
「やっぱりか……」
彼女は、非常に朝に弱いのだ。夜更かししたわけでもないのに、誰かに起こされなければ平気で昼前まで寝ていることもある。
狩りは朝早くから行くことも多く、この寝坊癖のおかげで予定が狂ったことも多々ある。
今日ばかりは寝過ごすことのないように伝えていたんだが……無駄だったか。
まあ、仕方ない。寝坊の前科は一度や二度ではないのだ。
というわけで、彼女を叩き起こしに行く必要がある。長屋の裏手に渡り、頭上の裏窓をチェックする。よしよし、大丈夫だな。
地面に置いておいてある長い木の枝を手にとって、裏窓に引っ掛けた。力を入れると、するすると裏窓が開いていった。
ここが、対マーティ用の最終手段。彼女の部屋への侵入口だ。
直接部屋に入って叩き起こすのだ。
「よっ、と」
ぴょんと飛び上がり、窓枠に掴まる。あとは、壁をよじ登れば――
「ばあ」
「ぅわっ!」
突然、窓の向こうに顔が現れて、面食らって足を滑らせた。
窓枠に掴まった腕だけでぷらんとぶら下がり、その状態でため息をついた。頭上からはけたけたと笑い声も聞こえてくる。
んにゃろう……。
もう一度よじ登り、窓から顔を覗かせる。そこには、作戦成功とでも言いたそうににししと笑う、マーティの姿があった。
「お前……起きてるのなら返事をしろ!」
「驚かせようと思ってねー」
俺はもう一度大きくため息をついた。
これが、マーティという人間なのだ。
本名、マティルノ・バートン。マーティは俺が呼ぶ愛称だ。
彼女は普通の人間ではない。リウ族と呼ばれる異種族の人間なのだ。
リウ族の特徴は非常によく発達した目と耳があげられる。その目は遥か遠くの小さな獲物を見逃さず、その耳はどんなに離れた獲物の足音を聞き分ける。
生まれながらの狩猟種族なのだ。
見た目にもその特徴は現れていて、特に大きく伸びて尖った耳は、一目で彼女がリウ族だと周囲に伝えている。
淡い青の髪の毛は細く、しかし張りがある。尖った耳の先端が髪の色と同じに染まるのも、珍しい特徴だ。瞳が獣のように縦長なのもそう。
顔全体は人形のようと言われるほどに整っている。ただしマーティの場合は、「黙っていれば」と前置詞がつくが。
「私もたまには早起きできるんだよーだ」
いわゆる幼なじみというやつで、小さな頃からいっしょにいるが、その若干舌っ足らずな喋り方と、リウ族にしては童顔な顔立ちは、俺のほうが年下だと言うことをたまに忘れさせてくれる。
というか、年上っぽいことをした記憶がない。
「ふふん」
どやと無い胸を張る姿に妙にイラッと来て、一つカマをかけてみることにした。
「頭に寝癖、ついたままだぞ」
「えっ、嘘。さっき直したはず――ハッ」
にやり。やはりそういうことか。
「お前、さっき起きただろ」
「……くっ、誘導尋問とは卑怯な……!」
「特に誘導してないし尋問でもない」
「くそぅ、今度こそいいカッコ見せてやろうと思ったのにー!」
「そいつは一生かかってもムリだろうな」
「ぐぬぬぬ」
……まあ、こんな風にバカみたいな会話が出来る仲だということだ。
「そんなことより、準備は出来てるのか?」
「それはもちろん。確かにさっきまで寝てたけど、一応クロの到着を待ってたわけだしね」
クロというのは俺の愛称だ。マーティぐらいしかそう呼ばないが、過去のクロードの名前でも通じる愛称なのでちょっと気に入っている。
「じゃあ早速出発だ。他の人が森に行く前に、さっさと片を付けないと」
「そだね。よーし、それじゃあ森に向かおー!」
意気揚々なのはいいが……気の抜ける声だ。
マーティが持つのは、さすがに狩猟種族か、弓だ。
視力・聴力を存分に活かし、かなりの距離を離れた獲物でさえも射貫く。
普段にへらとしたマーティも、矢を番えるその時には真剣そのものだ。
常に弓矢を持たせておけばいいんじゃなかろうか。
町の南から外に出ると、すぐに森の入り口だ。
俺たち以外にも町の人たちが頻繁に出入りするため、森の中は人が通りやすいような道ができている。
そこを歩くだけでも獣たちとは時折遭遇できるが、脇にできている獣道に侵入すれば、より遭遇しやすくなる。
だから普段は新しい獣道を探すことから始めるのだが……今日は、勝手が違った。
獣道を探して周囲を見渡しつつ、人道を歩いていた時だった。
マーティが急に立ち止まり、俺の服の裾を引っ張った。
「ねえ、クロ」
「どうした?」
「あっちに……何か、ある」
いるのではなく、ある。その言い方に俺は一抹の不安を覚え、マーティが示す道の先に向かった。
少し歩くと、程なく俺にもその何かの存在が見えた。
さらに近付くとそれが――動物の死骸だと、わかった。
「……ベアだ」
人間をゆうに超える体長を持つ、巨大な野生動物だ。ひどい時には森に入った猟師を殺すこともあるほどだが、基本的には臆病で、人前にはめったに姿を表さない。
肉は美味だが、毛に覆われた皮が非常に硬く、狩るにしても捌くにしても苦労するので、獲物には向かない。
その、ベアが死んでいるのだ。――肩と脇腹を大きく、喰い抉られて。
「何、これ……。これ、噛み付いた跡……だよね?」
趣味の範疇とはいえ数年間狩りを続けている俺にも、そしてマーティにもわかる異常性。
この森に、ベアの肉を喰らうことが出来る動物は存在しない。
いわばベアはこの森の王者なのだ。ベアより強い動物は、武器を持った人間以外いない。
だというのに、そのベアが何かに襲われて息絶えている。猪に追突されただとか、足を滑らせて死んだだとかではない。
よく見ると、胸のあたりに細長い傷があった。心臓部を、鋭利なもので一突きにされたみたいだ。これが直接的な死因か?
「魔物だ」
「……魔物? これが、例の?」
「ああ。トラグニス先生に頼んで、調べてもらった。この森には今、確かに一匹の魔物がいる」
魔物――瘴気を身にまとい、獣でありながら動物的な範疇を抜ける魔の生物。
生殖で生まれるのではなく、“発生”することで誕生する。一種の自然現象のように。
しかし。
「でも魔物って……魔王はもう、死んでるんだよ!?」
「だが、ベアの身体を皮ごと喰う生物は、魔物ぐらいしかありえないだろう?」
魔物は瘴気から生まれる。そしてその瘴気は、かつて世界を震撼させた魔王が生み出したものだ。
その魔王は俺が倒した。文字通り、命がけで。
だが――今こうして、魔物は出現したのだ。それがどういう意味を持つのか。
「15年、か……」
「えっ?」
「魔王が死んでからさ。私が生まれる直前に魔王は勇者に倒された。だから、今年で15年が経つ」
俺は、魔王ディオソールの死に際の台詞を思い返していた。
魔王は、20年の時を経て蘇る。――だとすれば、15年が経過した今、その瘴気の片鱗が漏れ出してきてもおかしくはないだろう、と。
「奥へ行こう。魔物を倒すには、泉の力が必要だ」
「う……。ほ、本当にやるんだね……」
そう、俺達はこの魔物を倒しに来たのだ。家族には狩りのためと偽ってきたが、今日この日に魔物退治に出ることは、数日前から考えていたことだ。
「でも、魔物が本当にいるだなんて思わなかったよ……」
「前から言ってただろ、魔物退治だって」
「そうだけどさあ。冗談じゃないかって、なんとなく思ってたんだよねー……」
「冗談でもなんでもない。本気の本気で、魔物を倒しに行くんだよ」
しかし、マーティがそう思うのも無理は無いだろう。魔王がいなくなった世界で育った人間にとって、魔物の存在はおとぎ話でしかなかったからだ。
動植物の生態系から外れ、生物を見境なく襲う野獣。魔王の瘴気によって世界中に発生したときには、数え切れない人々や町村が被害にあった。
そして、そんな危険な奴が、今このロシュア近辺にいるというのだ。
見過ごせるわけがないだろう。元勇者としてだけではなく、この町に住む一人の人間として。




