第三十三話 まどろみの夢
「イグラ族ですか……。話に聞いたことはありましたが、実際に見るのは初めてです」
中央の机のイスに腰掛けて、ミリアルドはそう語る。
「まあ、今となっちゃあんまり数がいる訳じゃないからなぁ」
そのイグラ族の男、ローガが言う。
イグラ族とは、この世界で生きる多くの種族の一つだ。
大きな特徴は、発達した嗅覚だろう。普通の人間では嗅ぎ分けられない匂いを感じることが出来る。
また、腕力も高く、幼い子供でも人間の大人以上の力を持っている。
俺は視線を扉の方へと移す。
入ってきたときには扉の陰になって見えなかったが、そこには人間の背丈以上の大きさの、剣か何かが布に包まれ立てかけられていた。
今の俺どころか、勇者時代の俺でも一人で持ち上げることは不可能だろう。
「しかし、変な組み合わせだなあ」
「何がだ」
ローガの声に、俺はぶっきらぼうに返した。
同室になり、多少言葉を交わしたとはいえ、俺はまだこの男を信用したわけではない。
「教団の神官様と……変な魔術使いの女だろ? どう考えたって普通じゃあない」
「……なに?」
今の言葉に、俺はこの男への警戒を強めた。
俺はまだ、一言も自分が魔術を使えるとは言っていない。
「お前、なぜ私が魔術を使えると……?」
「なぜって、匂いだよ。魔術の……つか、魔素の匂いか」
自身の鼻を指さしながら、ローガは言う。
しかし、その表情はどこか腑に落ちなさそうだ。
「しかしよぉ、あんたの匂いはただの魔術師とは違うんだよなぁ。ずっと森で狩りしてる猟師と同じ匂いがすんだよ」
「……っ」
正直、ぞっとした。イグラ族の嗅覚とは、そんなことまでわかるものなのか。
「それに、剣だな。長い間剣を持ってねえとこの鉄の匂いはしない。でも、魔素の匂いもある。なんなんだ、あんた?」
それはこっちの台詞だ。
まだ会って数分だと言うのに、ローガは俺という人物を完全に見抜いていた。
隠し事をすべて暴かれてしまいそうな、そんな恐怖を感じた。
「彼女は魔剣術の使い手なんですよ、ローガさん」
「おい、ミリアルド!」
勝手に話し出すミリアルドを叱咤するが、当の本人は笑顔で飄々としている。
「隠すようなことでもないじゃないですか」
「……それは、そうだが……」
勝手に話をされるというのはこういう気分なのか、といつかのリハルトに今更になって同情した。
「魔剣術?……って、あれか。勇者クロードの」
「……ああ、そうだ」
魔剣術の知名度はそう高いわけじゃない。恐らく、勇者戦紀でも読んで知ったのだろう。
「なるほどねえ。だから剣と魔素の両方の匂いがするのか」
「……恐ろしいな、イグラってのは」
俺も生まれ変わってから実際に会ったことはなかった。
嗅覚とは侮れないものだ。
「……ふう」
素性を見抜かれる恐怖を味わったせいか、どっと疲労感が襲いかかってきた。
身体もまぶたも重い。
少し……休んだ方がいいかもしれない。
「大丈夫ですか、クロームさん?」
「……ああ、平気だ。少し疲れが出ただけだ」
心配してくれるミリアルドに笑顔で返す。
だが、それを維持するのも辛い。いい加減、こちらも限界のようだ。
「悪い、眠らせてもらう」
「ああ。ごゆっくり」
ローガが言う。……存外、気のいい奴なのかもしれない。
ベッドに倒れ込み、毛布を被る。
教団の手から逃れられたという安心もあるのだろう――俺の意識は、微睡む暇もなく混濁していった。
「……、……ん」
匂いが、する。
甘い……花の匂い。
ゆっくりと、まぶたを開いた。
太陽の光が、俺の目を灼いた。
「……っ」
痛い。
だが、おかけで目が冴えた。
身体を起こし、周囲を見渡す。
俺は……いつの間にか、花畑にいた。
なんだ、ここは。俺は確か……船に乗ったはずじゃあ……。
「クロード!」
誰かが俺の名を呼んだ。……いや、違う。
俺の名前はクロームだ。その名前は、以前の俺の……
「……!?」
そこで、気付いた。
俺の身体が男のものになっていた。勇者クロードの身体に、戻っていたのだ。
「何が起きて……」
声も、昔の自分の声だ。これは……。
「クロードってば!」
声のする方向に顔を向ける。
そこにいたのは……かつての、俺の仲間たちだった。
「置いてっちゃうよ?」
白衣装に身を包み、横たわる俺に微笑みかけるのは、心霊術を使う少女・ベルだ。
その後ろには他にも、ロベルト、クリス、カイン、バラグノ……みんながいた。
だから、わかった。
これは、夢なのだと。
「ごめん、みんな」
俺はベルに……そのうしろにいるみんなに言う。
「俺には……やらなきゃならないことがあるから」
するとベルは、またにっこりと微笑んで、振り向いて歩いていった。
みんな、それぞれの人生を歩んでいるのだろう。
15年前に一度死に、またやり直している俺とは違う。
俺はもう……みんなには追いつけない。
でも、だからこそ、俺にしかできないことがある。
花畑の中で、俺は一人、寝転んだ。
さて……そろそろ、目覚めるとしますか。




