第三十話 夜中逃避行
歩いていると、腹が鳴った。
そういえば、朝食以外何も食べていないのだ。魔力を大爆発させたのもあって、いい加減空腹が限界だ。
「お腹、空きましたね……」
ミリアルドも同様のようだ。
「でも……ゆっくり食べる暇はなさそうですよね」
ミリアルドの言うとおりだ。さすがに、そろそろ俺たちが本部から逃げ出したことは判明しているだろう。
そうなれば騎士たちが外を探っていてもおかしくはない。
食事を作るために火を起こせば、それが見つかる可能性が大いにある。
「……まあ、仕方がないか」
俺は荷物の中から、麻の小袋を一つ取り出した。
投獄の際、武器は取られたが、それ以外の荷物は奪われなかった。
興味もなかったのだろうが、不幸中の幸いだ。
この中に、緊急用の非常食を用意しておいたのだ。
「これ、食べるといい」
小袋の中からとりだしたのは、カチカチに固めた干し肉だった。
大量の塩に漬け、徹底的に干して乾燥させたものだから、かなり日持ちする。まだまだ食べても大丈夫だ。
「干し肉なんて、口に合わないかもしれないけど」
「いいえ。うれしいです。いただきます」
「本当なら湯で煮戻して食べるものなんだが……しょっぱいし、固いから、少しずつ食いちぎって食べてくれ」
「はい」
一本ずつ、干し肉をかじりながら、歩き続ける。
「おいしいですね」
「……無理に誉めなくていいんだぞ。本来なら、ミリアルドみたいな身分の人間が食べるものじゃないんだ」
「無理に誉めてなんかないですよ。こう……お肉本来の味がして、とってもおいしいです」
「そう言ってもらえるとうれしいよ」
これを作ったのもマーティだった。
この旅のために用意してくれたものだ。
旅先でどうしても食料が手に入らなかったら、と念のために準備したものだが、こんな場面で役に立つとは思わなかった。
「しかし……武器がないと落ち着かないな」
「バランたちに奪われたままですからね。どうにかして取り返すことが出来たらよかったんですが」
騎士から逃げることだけで手一杯だったし、そもそもどこに剣が押収されていたかもわからない。
あの状態で取り返すのは、不可能だっただろう。
「あの剣は、私の師匠から受け取ったものだったんだ。これじゃあ、あの人に会わす顔がない」
せっかくトラグニス先生が、俺のためにと贈ってきてくれた剣を……。
自分のふがいなさに腹が立つ。
「僕も神霊力を封じられていますから、もし追い疲れでもしたら……改めて逃げるのは非常に厳しいですね」
肉を食みながら背後を確認しつつ、ミリアルドは言う。
今はまだ追っ手は来ていないようだ。
「クロームさんは、普通の魔術も使えるんですよね?」
「ああ。魔剣術は結局のところ魔術の応用だ。だから、剣がなくても魔術は使える。……一応」
そう、一応、という程度だ。
魔術は大きく上中下級に分けられるものだが、俺が今使える魔術はせいぜい下級。
勇者時代なら中級までは使えたんだが……今の体では、とても不可能だ。
「私の魔術は、使えなくはない、という程度だと思っていてほしい。期待されても、応えることは出来ない」
「……となると、やはりクロームさんの剣は、出来る限り早く手に入れた方がよさそうですね」
とはいえこの道中では不可能だろう。
早くとも、港町スールカで、だな。
「……そういえば、クロームさん」
ミリアルドが問う。
「なんだ?」
肉を毟り、奥歯で噛みしめながら聞き返した。
「テンペストと出会ったとき、ずいぶん詳しそうでしたね」
それは当然、一度戦った相手だから……とは言えるわけもない。
しかし、こういう場合の言い訳もちゃんと用意していた。
「勇者戦紀が好きなんだ。だから、勇者が戦ったことのある魔物ならだいたいわかる」
「そうなんですか! 僕も勇者戦紀大好きなんです!」
その名前を出した途端、ミリアルドの顔がぱっと明るくなった。
年相応、無邪気な子供のような笑顔に、なんだか心がす清らかになる。
「教育時代は厳しくて、外にも出られなかったんですけど……寝室に置いてあった勇者戦紀を寝る前に読むのが、僕の唯一の楽しみだったんです」
「そうか。だからミリアルドも魔物に詳しいんだな」
教団の教えの中にあるのだろうと思っていたが、そういうわけではないらしい。
……そういえば確かに、リハルトはあいつについて知らなかったな。
「世界中の街や風景、出会った人々、それに魔物……僕の知識欲を、勇者戦紀は満たしてくれました」
「ああ。私もこの世界の地理はあれで覚えたよ」
と、言うことにしている。
実際は世界各地を足で回ったからだが。
もともと俺は、本よりも実際に味わう方が物を覚えられる質だ。
「いずれは勇者クロードのように、ソルガリア大陸以外にも各地を巡るのが夢だったんですが……当分、叶えられそうにありませんね」
「なら、早く夢を叶えられるよう、一刻も早くバランをどうにかしないとな」
「……そうですね。僕、諦めません!」
夢の力は原動力だ。
あれがしたい、これがしたい。そう思うことが、人間を強く突き動かす力になる。
当然、悪い意味でも、だが。
最後の肉片を口に入れ、唾液で柔らかくしながら噛む。
噛む回数が多いからか、あまり多いとは言えない干し肉でも、とりあえず空腹を誤魔化すことはできた。
スールカにたどり着くまでは保つだろう。
そんなことを考えながら歩いていると、隣を歩いていたミリアルドが、突如、膝を着いた。




