第二話 生まれ故郷・ロシュアの町
食事を終え、父母は食後の紅茶、子供たちは山羊乳を飲んで一息ついていた。
親戚の伯母さんが育てている山羊から摂れる栄養満点の山羊乳は、俺の身体をここまで育ててくれたその一役を買っている。
「さて、それで今日はどうするんだ?」
「学校に顔を出そうと思ってる。先生に挨拶しておきたくて」
父の問いに答える。
この小さな町に一つだけ存在する小さな学校。俺はそこで働く唯一の教師、トラグニス先生に、非常にお世話になっていた。
今日やらねばならないということに関しても、先生は一つ噛んでいる。
「その後はマーティと狩りに行く約束。帰るのは夕方かな」
「そう。なら、それまでにたくさんのご馳走、作っておかなきゃね」
「うん、楽しみにしてる」
毎年、誕生日には母さんが腕によりをかけて豪華な食事を用意してくれる。今年はどんなご馳走が食べれるだろうか。それを考えると、一日のやる気が断然違う。
マーティというのは俺の新しい友人。この町に住んでいる狩り仲間だ。
いい奴なのだが……少々、欠点がある。
「僕も今日は少し早めに仕事を切り上げてくるよ」
父さんは染織を生業にしていた。森の方にはこの辺りでしか採れない草花があり、それを使うことで他には出せない色合いが出せるために、町の外にも売り出せるほどの一品になる。
このロシュアの名物だ。
一度部屋に戻り、外出着に着替えてまた降りてくる。狩りのための小道具や、得意の得物の剣も持っていく。剣自体は前世から使っているが、女の身体ではいろいろと勝手が違って大変だ。
「それじゃあ、そろそろ行ってくる」
「あ、俺も行かなきゃ」
学校には今、セロンが通っている。授業が始まる前に挨拶しようと思っているから、いっしょに迎えばちょうどいい。
セロンも着替え、勉強道具を持ってくる。それらを入れる鞄も、俺が狩ったイノシシの皮をなめしてもらって作ったものだ。
「いってきます」
「いってきまーす」
二人で学校までの道のりを歩いた。とはいえ小さな町だから、到着まで十分もかからない。
それでも、道を歩けば知り合いばかり。農家のおばさんに、牧場の作物を届けに来たおじさん。普段家では使わない獣の皮を引き取ってくれる町役場のおじいさん。
狭い町でお互いのことを知り尽くしているから、みんな俺の誕生日を祝ってくれる。
快晴の陽気も相まって、なんとも温かい朝だ。
学校に到着する。小さな木製の校舎で、教室は一つしかない。だが、俺も何年間も通った思い出の学び舎だ。
「先生」
その唯一の教室の教卓で書き物をしていたトラグニス先生を呼ぶ。すると、ふわっとした茶髪の男性教師が、俺を見つけて微笑んだ。
「ああ、クロームさん。よく来てくれました」
言った途端、すでに教室に集まっていた生徒たちが一斉に俺の方を向いた。そして、これまた一斉に目を輝かせ、俺の方へ集ってきた。
「クロームさん!」「クローム先輩!」「クロームさんだー!」
「うおぉぅ」
ちょくちょく顔を出すからか、生徒の子供たちには名前と顔を覚えられている。たまに勉強を教えてやったり、遊び相手をしてやったりしているから、どうやら人気もあるようだ。
まあ、この美貌もあるだろうがな。一部男子生徒からはなんとも熱い目線を送られたりもするが、残念ながらそういう趣味ではない。すまないが諦めてくれ。
「ほらほら、もう授業が始まりますよ。ちゃんと席に着いて」
トラグニス先生の言葉に、生徒たちはいやいやながら席に戻っていく。見た目はちょっと優男風だが、これでなかなか、剣の腕前も立つ。
それも当然、この人は今の俺の剣の師匠でもあった。
「じゃあ、先生はクロームさんとちょっと話をしてくるので、みなさん静かに待っているように」
「はーい」
お行儀よく挨拶して、子供たちは自主的にノートを広げ始めた。生徒の数は20人にも満たないが、だからこそみんな勉強熱心だ。
少し離れたところに移動し、俺と先生は二人で話を始める。
「ごめんなさい先生。忙しい時に」
「いえいえ。今日はあなたにとって大事な日ですからね。構いませんよ」
今日が俺の誕生日で、決断の日だということも先生は知っている。だからこそ、頼んでいることが一つあったのだ。
「どうですか? 例のことは」
「ええ。……昨日調査したばかりですが、やはり、森に“一匹”潜んでいるようです」
「……そうですか。やっぱり……」
少し前から森に住み着いた、ある一匹の動物――いや、生物。俺はそれがどうにも気になっていた。このまま放っておくには少々、いや、かなり危険だ。
「しかし……本当にやるつもりなんですか? 危険極まりないですよ?」
「危険だから、ですよ。このままだと、いずれ町に被害が出ます」
「ノーテリアから自治騎士団が派遣されているらしいので、彼らに任せるのも手だとは思いますが……」
ロシュアの町の北の方には、ここよりも大きく発展した小都市のノーテリアがある。王都ソルガリアに仕える騎士が一団、そこに駐在していて、そこからさらにここロシュアに向かっているという。
だが、それでは遠すぎる。あと何日かかるかわかったものではない。
「明日までにアイツを始末しておきたいんです。騎士連中を待っている時間はありません」
「……そうですか、わかりました。でも、くれぐれも無理はしないように。……あなたは私の、一番弟子なのですからね」
「はい、わかってます」
森に住み着いた異生物。俺は今日、そいつを狩りに行く算段を立てていた。
明日以降の予定を調整するのは難しい。倒しに行くには、今日しかないのだ。
「それと、もう一つの方は?」
「ええ、そちらは大丈夫です。今日の午後には用意していますので、授業が終わる頃にもう一度来てください」
「わかりました。……それじゃあ、私はこの辺で」
トラグニス先生に頼んでいたことはもう一つあった。そちらも、俺の今後の人生に大きく関わるものだ。
授業の始まりも近い。俺はそろそろお暇することにした。
「お気をつけて」
「はい」
最後に一礼し、俺は学校を出て行った。