第二十六話 バラン・シュナイゼル
「ぐっ!」
尻を蹴られて、俺は牢屋の中へと転がされた。
手錠は外されたが、鉄格子の隙間は狭く、向こう側に手出しはできない。
「うっ……」
まだ幼いミリアルドも容赦なく、同じ牢へとぶち込まれた。こちらも手錠は外されたようだが、首輪の方はまだ取り付けられたままだ。
「しばらく待っていろ。今から、お前たちの処遇を協議するからな」
俺たちをここに連れてきたリハルトは、虫を見るような目つきで俺たちに告げる。
「ま、待て! 貴様っ!」
抵抗しても無駄だとわかっていても、俺は格子に飛びついた。
当然、びくともしない。だが、そうしなくては気持ちは収まらない。
「返せ……! マーティを、返せ!」
去り行くリハルトは、下らんと蔑むだけの視線を一瞬俺に向け、口元を嘲笑で歪めて牢獄から出ていった。
もはや誰もいない空間。
それでも俺は、叫ぶしかなかった。
この、悲痛を。
「マーティを、返せよぉぉぉお……!」
くずおれる。俺の瞳から自然流れる涙が、床に染みを作った。
「く、クロームさん……」
ミリアルドの声に振り向く。
神霊術を多量に使った後だからか、顔面には未だ疲労が残っているようにも見える。
「……ごめんなさい、僕のせいで……」
「……ミリアルド様が悪いんじゃありません。悪いのは……あいつらだ……っ!」
涙を拭い、俺は牢の奥の壁に背をもたれて座った。
抵抗は無意味だ。
脱出するチャンスがあるかはわからない。だが、少なくとも今ではない。
だったら、今は少しでも休息するべきだ。
「疲れてるようなら、ミリアルド様も休んだ方がいいですよ。あれだけのことをした後ですし」
飛空艇を防護するのに、どれだけの精神力をそそぎ込んだのかもわからない。
ただ、まともな状態ではないのだけは確かだろう。
俺の言うとおり、ミリアルドも俺の隣に腰を下ろした。
その状態で彼は口を開いた。
「この牢ですが……万全の状態ならば、破れたかもしれません」
「……本当ですか?」
それならば、回復次第脱出が可能だ。
だが……なぜ、過去形なのだ。
それに、ミリアルドのことを知り尽くしているだろうリハルトが、破れるかもしれない牢に入れるだろうか。
「はい。……ただ……」
言いながら、ミリアルドは首の輪っかに指で触れた。
金か真鍮で出来ているようで、表面には色とりどりの宝石がはめられている。
一見すれば豪華なチョーカーにも見える代物だ。
「これは封輪と言いまして……装着した人間の魔力や神霊力を制限する効力があるのです」
「……なるほど……」
おおかたそんなものだろうとは思っていた。
つまり、いくら回復しようと、牢を打ち破るほどの神霊術は使えないと言うことだ。
くそ忌々しい。
「解除することは不可能ではありませんが……一朝一夕では……」
「どれくらいかかりますか」
「……早くて、三ヶ月でしょうか」
あいつらがそれまで、俺たちを生かしてくれるとは思えない。
脱出は難しい。
「……なぜこんなことになったか、わかりますか」
「バランの策略でしょう。しかし……まさか捕らわれるとまでは……」
魔王の撃滅及び魔物の消滅に反対する神官、バラン・シュナイゼル。
そいつに黙って飛空艇を使い、魔王城に向かおうとしたことがバレた結果が今だ。
だが……確かに勝手なことをしたとは言え、ミリアルドの行動は世界の平和のためには間違ったことではない。
叱責することはあっても、投獄されるほどのことではないだろう。
例え教団が軍隊並に規律が厳しかろうと、これでは懲罰以上の所作だ。いくらなんでも理不尽すぎる。
「……嫌な予感がします」
「あなたが言うと洒落になりませんね」
「……ごめんなさい」
「ああ、いえ。……こちらこそ」
違う。責め立てるつもりはなかった。
……ダメだ、苛立ちが募ってしまっている。
口を開けば荒々しい言葉を吐いてしまいそうになる。
大人しくしている他はない、か。
口をつぐみ、少しでも落ち着こうと心を静めていると、牢獄の扉が開く音がした。
「いやいや、これは驚きましたなあ。ひっひっひっ」
部下の騎士を連れ、下卑た声と笑いで歩いてきたのは、豚のようにぶくぶくと太った、体を無駄に金で装飾した男だった。
いや……豚に失礼だな。こいつは、魔物のオークスにそっくりだ。
脂ぎった顔面に、脂肪が貯まった腹。おまけに、強すぎる香水に鼻が曲がりそうだ。
「バラン・シュナイゼル……!」
ミリアルドが言う。やはり、この男がそうか。
にやついた目が気持ち悪い。
「無様ですなあ、神子殿」
バランが言う。息が臭い。喋ってほしくない。
……神子、とはなんだ。
「何の用ですか、バランさん」
俺の疑問を差し込む余地はなく、ミリアルドが答える。
「ひひひ……。初めから我が輩の言うことを聞いていればと思いましてね」
「あなたの考えは、民衆をないがしろにする愚考です! 間違いだとは言いませんが、賛同は出来ません!」
人々を襲う魔物を放置することで、あえて教団への入信を助長する――それがバランの考えだとは聞いていた。
「ないがしろになどしていませんよ。我らが神聖騎士たちを各所に駐在させる手筈です。とは言え彼らも万能ではない。多少なりとも、犠牲は出るでしょうがね」
「魔王を滅せば、魔物による被害はなくなります!」
「しかし、それでは入信者が減ってしまう。世知辛い話ですが、教団も金がなくば運営できないのですよ」
大量の団員を管理するのも、各地に教会を建てるのにも金がいる。それはわからない話ではない。
だが……バランの意向は、ティムレリア教が掲げる恒久平和とは真逆の体制だ。
「子供の理想では、膨れ上がった教団は支えきれないのですよ、神子殿」
「……っ」
美しすぎる幼稚な理想は、いつだって醜い大人の現実に蹴破られる。
それは……この世の悲しい条理だ。
「そういうことですので。では、我が輩はこれからあなたがたの処遇を決める協議があるので」
最後の最後まで悪臭を残しながら、バランは牢獄を去る。
「……くっ」
「気休めでしょうが……私は、ミリアルド様の言うことの方が正しいと確信しています。きっと……教団の中でもそう思っている人々は多いはずです。気を落とさないで」
「……はい。ありがとうございます、クロームさん」
そうだ。協議をするというのなら、少なくとももう一人、三神官最後の一人がいるはずだ。
そいつが正しい心を持っているのなら……悪い結果にはならないはずだ。
そう信じ、俺たちは鉄格子の内側で黙々と、時間が過ぎるのを待った。
首筋に感じる悪寒に、気付かない振りをしながら。




