第百六十五話 邂逅
足取りを速め、俺たちは森の奥の神聖樹を目指した。
森のそこかしこにいたはずの動物たちの姿が一切目に入らない。まるで、空っぽの森だ。
何かが起きようとしているのだ。だから動物たちは一足早く、どこかへ逃げたのだろう。
静かすぎる森。ざわめき一つなく。
俺たちは――静寂の中で、辿り着く。
奴の元へ。
「――バラン!」
遙か高くそびえる巨木。緑生い茂るその巨樹の麓で、何かを呼び込むかのように両手を大きく広げる白衣の男。
俺はその名を鋭く呼んだ。
男は広げた手を下ろすと、わざとらしく肩をすくめて首を振るった。
「やれやれ……無粋だな、下郎ども」
ゆったりと振り向く。脂ぎった不細工な顔面を見せつけて、にたりと笑う。
バラン・シュナイゼル……!
「この早さ……リハルトはやはり裏切った、か」
わかっていたことのように、バランは笑みを絶やさずに言う。
リハルトの無念を怪我されたようで、俺は胸の内に熱いものを感じた。
「今まで付き従った実の息子にまで見限られた。もう、お前に味方する者は誰一人いない!」
だが――それでもバランは余裕そうだった。
何が可笑しいのか、鼻で笑う。
「実の息子?……もしや、リハルトのことを言っているのか?」
にたり顔がさらに歪んでいく。まるで、すべてを嘲笑うかのように。
まさか、と嫌な予感がよぎる。
「あいつは、お前が捨てた女性の一人が産んだ、お前の息子だ……! 知らなかったのか?」
あり得る話だ。リハルトも嫌うバランのことを父とは呼ばないだろうし、母親もバランからすれば、数いる女の一人だったはずだ。
そうであってくれ。でなければ。
しかし、バランは下卑た笑いを見せながら、言う。
「グフフ……。馬鹿を言うんじゃあないよ。あやつは、我が子などではない」
「……っ!」
「奴の母の事は覚えている。美しい紅い髪をしていて、病気だったというので薬を施してやったのよ。そうしたら、我が輩のことを崇拝するようになってなあ……!」
わざとらしく、懐かしむような表情を作ってみせる。だが、その裏が透けて見えて、気色悪い。
「面白いから、薬と金を送り続けてな。……そう、あれは確か、満月の美しい夜のことだった。そやつを教団の我が寝所に呼び出したら、それはそれは嬉しそうに服を脱ぎだしたものだ……! だが、我が輩はそもそもあれを抱く気などなかったからの、手近な男どもを呼びつけて――」
「――それ以上、喋るなッ……!」
思わず剣を抜いた。
聞きたくない。リハルトはバランの息子だ。それでいい。
しかし、バランは告げる。残酷な真実を。
「――好きにしていいと、襲わせたのよ。それ以来、我が輩は顔も合わせてはおらんよ……!」
「――ッ! ふざけるなぁッ!」
駆けだした。
だとすれば、リハルトの父親は、誰だ。名も顔も知らぬ下郎な男だとでも言うのか。
ならば、母の願いを聞き届けて、好きでもない父を助け続けたリハルトは、その人生は何だったというのだ。
怒りが身体を突き破る。魔力を剣に注ぎ込む。
「おおぉぉッ!」
雷閃を振るう。紫電の刃がバランの身体を今袈裟に切り裂いた。
「――なっ……!」
手応えがない。どころか――バランは、身体を切り裂かれたまま、俺に濁った視線を注いでいた。
「馬鹿者が……!」
口が動く。なぜだ。
切り裂かれて、なぜ死なない。血すら一滴も出ない。
そんなはずは――。
「クロームさん! 逃げて!」
ミリアルドの声。――そこで、ようやく気がついた。
バランは――幻影を作り出せるのだと。
急いで後退しようと、地を蹴った。刹那、二つに裂けたバランの姿が黒々とふくれあがり、爆発した。
「づっ……!」
剣を前に構え、爆裂した魔力の奔流を防ぐ。それでも衝撃までは受け止めきれず、俺は無様に地面を転がった。
「大丈夫ですか!?」
「あ、ああ。なんとか……」
危なかった。ミリアルドの声が聞こえていなかったら、あの爆発に巻き込まれていた。
だが……。
「ローガ、臭いは?」
「いや、まったくだ。今までのとは違ったのか……?」
幻影は悪臭がすると判明している。ローガが気付かなかったとなると、また別の術なのだろう。
「本物の人間そのものの匂いだったぜ。偽物だなんて、全然気がつかなかった」
「では、本物のバランは一体……?」
サトリナが周囲を見渡した。イルガやマーティも周囲を鋭く警戒し始める。
「どこを見ている? 我が輩はここだ」
背後からの声。俺たちは振り向いた。――だが。
「……な……!?」
そこにバランはいなかった。いや――バラン、なのか……?
そこにいたのは、巨大な――以前に戦ったタウラスオーガと比肩できる大きさの――鉄製の、巨人だった。




