第百四十五話 意外な弱点
そして、午後。
ミリアルドが言った通り、飛空艇の調整は完璧に終わっていた。
格納庫に収められた飛空艇を見て、なんだか随分と懐かしい気分になった。
時間の経過としては、まだ半年も経っていないというのに。
「これが飛空艇か……」
「思っていたより小さいのですね」
初見のローガとサトリナがそれぞれに言う。今まで空の移動に頼っていたイルガと比べると、飛空艇の大きさは三分の一程度だ。
しかも見た目もせいぜい魚か何か――普段から大空を舞う鳥とはまったく違う形をしている。羽ばたくための翼は頑丈すぎて、知らなければ決してこれが飛ぶとは思えないだろう。
「みなさん、ありがとうございました」
整備をしてくれていた人たちへ、ミリアルドが頭を下げる。皆疲弊しているようだが、どこか満足げに口元を緩めていた。
自分たちの仕事が、世界を救うための力になった――そう思ってくれているのなら、幸いだ。
そう、蘇りつつある魔王を退け、世界を再び平和に戻したとしても、英雄は俺たちだけじゃない。
ここまで俺たちを助けてくれた人々。どんな些細なことでも、俺たちの支えとなったみんな。みんなが……この世界を救った英雄なのだ。
「では、早速出発です」
「ああ」
ミリアルドが先導し、飛空艇に乗り込む。内装は変わっていなかった。
横に並んだ複数のイス、全面には操縦用のなんらかの機器。――そこに設置された座席に、ミリアルドが座った。
「起動します。みなさんは席に着いて、身体を固定してください」
ミリアルドが飛空艇を操作する。そこかしこで何かが点灯し、内部がわずかに明るくなっていく。
俺たちも言われたとおりに席に座り、ベルトで身体をイスに固定した。
「なんか、ワクワクするね」
隣に座るマーティがにこにこと笑いながら言う。自身が死にかけた要因だと言うのに、やはり怖がってはいないようだ。
「本当に大丈夫なのか?」
「うん。一回乗って、平気だったんだから。それに、お父さんやお母さんが作ろうとしたものだもん。いつまでも嫌がってたら、なんだか悪いもんね」
マーティの両親は、この飛空艇の――正確には、これよりも更に古い機体の開発に関わって、そして、事故で亡くなっている。
いわばこの飛空艇は、マーティの父母が遺した人類の希望だ。それをいつまでも怖い怖いと嫌がっていては――確かに、ちょっとかわいそうだ。
「準備完了です。みなさん、大丈夫ですか?」
ミリアルドが告げる。
「ああ」
「うん!」
「おう!」
「いつでも構いませんわ!」
「…………」
みなが返事をする中で――一人だけ、返事がないものがいた。不審がって、全員がそちらを向く。
「……イルガさん?」
「……な、なんだ?」
ミリアルドの呼びかけに答える。その顔は……酷く、青ざめていた。
「どうしました? 具合が悪いのならば……」
「何でもない。己れに構うな、さっさと発信しろ。さあ、早く」
明らかに様子がおかしい。腕組みをして目を伏せてはいるが、閉じたまぶたがひくひくと震えていた。
「あ、もしかしてイルガちゃん……怖いの?」
マーティが言った。――怖い? イルガが……飛空艇を?
……だが、確かにイルガの様子はそんな感じだ。隠している風ではあるが……何にせよ、様子がおかしいのは明らかだ。
「怖くなどない。まったく怖くない。怖くなどあるものか、さあ飛べ、早く!」
言われて焦るあたり、図星なようだ。
他のみんなもなんとなく察してしまっていて、微妙な空気が漂っている。
イルガは勇敢な戦士だ。実力も高く、何より竜に変身するという伝説の力を持っている。
そんなイルガが、まさか今更飛空艇を怖がろうなどとは思ってもみなかった。
「確かに、ティガ族の方は魔機を苦手とする人が多いとは聞きますが……まさか、イルガさんもなのですか?」
サトリナが考えながら言う。思ってみれば、イルガと出会ってからは魔機を利用してはいないから、そういうことなら……いや、待て。
「この間ドランガロで魔機戦車ぶっ壊してただろ? あっちのほうがよっぽど怖いはずだ」
あれと比べれば、飛空艇など攻撃能力もないし、そもそも乗り込んでいるのだ。何を今更怖がることがあろうというのだ。
「だから怖くないと言っている!」
なんとしてでも認めないようだ。が、何にせよ平常ではない。
「強情張るなって。正直に答えれ」
ローガが言う。イルガは鋭い目線でそれをきっと睨むが……正直、今のイルガには威圧感も何もない。
「イルガさん。お願いです、教えてください」
ミリアルドが頼むと、イルガはしばらく悩むようにしてから、ようやく重い口を開いた。
「……言いたくなかったが……己れは……高所恐怖症なんだ」
「高所……」
「恐怖症……?」
つまるところ、高いところが怖いと。
……いやいや。
「今まで散々空を飛んでただろ? 何を言っているんだ」
言うと、イルガはかっとなって反論してくる。
「あれは飛竜となっているからだ! それに、ちょっとした高さなら平気なんだ。自分の翼で飛べるような高さならなんてこともない。だが……」
何かを想像したのか、またイルガの顔が青ざめていく。……どうやら、余程のことのようだ。
「この飛空艇は遥か空高くを飛ぶのだろう? それを考えると……足が竦む」
飛竜の戦士イルガの予想だにしない弱点、ということだ。
普段飛竜になって空を飛んでいる時は、本人は巨大化しているから、空を飛んでいても相対的には大した高さではないという。
が、この飛空艇では人の大きさのまま、飛竜時よりも高いところを飛ぶことになる。それを恐れているようだ。
「大丈夫ですよ。外から襲われでもしない限り、墜落したりしませんから」
「墜落するのが怖いんじゃない。なんというか……本能的な恐怖なんだ」
ミリアルドがなだめようとするが、イルガは強弁した。
生理的にムリ、というやつだろう。……意外だ。本当に。
完璧な人間などいないというが、なぜだかイルガが妙に愛らしく見えてきた。
親近感があるというか……とにかく、距離感がここに来てぐっと近付いた気がする。
「魔王城に行くにはこれしかないというのはわかっている。だから、己れは我慢するから早く飛べ! 一刻も早く、出来る限り、迅速に!」
ここから魔王城までは何時間かかかるが……まあ、本人が言うのだからいいのだろう。
それに飛んでみたら案外なんてことないとわかって平気になるかもしれない。
望みどおり、一刻も早く飛ぶべきだろう。




