第九話 大好きな家族
自分の部屋に戻ると、置きっぱなしにしていた剣が目に入った。
……しまった、何が準備万端だ。折れた剣がそのまんまじゃあないか。
……いや、しかしある程度ならこれでもなんとかなる。ノーテリアには武器屋があるから、そこで新しいものを買おう。
そう決めて、俺は早々に灯を消してベッドに寝そべった。明日の早朝には出発だ。
外では月が青く照っている。おかげで、そこまで暗くはない。
このベッドで眠ることもしばらくなくなる。今夜は少しでも、この柔らかさを味わって……。
――こんこん、と。
「……ん?」
ノックする音がして、すぐにドアが開けられた。月明かりに照らされ、そこに映ったのは、セロンだった。
「セロン……?」
ドアを閉めて、しかしセロンは何も言わなかった。
ただただ無言で、じっと俺の方を見つめている。
「あぁ……」
そういうことかと、俺は気が付いた。
さっきも言ったじゃないか。セロンは、素直になれないお年頃だ。
だから、こっちから誘ってやらないと。
「セロン」
呼びかけると、その身体が小さく震えるのが見えた。
ベッドの中で身体をずらし、布団を半分開けてやる。
「ほら、一緒に寝たいんだろ?」
「……!」
言うと、セロンはゆっくりとベッドに近付いてきて、開けてやったベッドにもぞもぞと潜り込んできた。
しかし、やっぱり一言も喋らない。
俺もまた寝転んで、ベッドの中で向かい合った。
「……怒ってるのか?」
「…………」
セロンは答えない。だが、代わりに俺の服を掴んで、額を押し当ててきた。
それだけで、すべてわかった。
父さんや母さんが言うように、やっぱりセロンはさびしかったんだ。
だから、謝罪の意味を込めて、その小さな身体を抱きしめてやった。
「……ごめんな、セロン。黙ってて」
「…………」
ぐ、と額を押し付ける強さが高まった。怒ってるというのも、間違ってはいないようだ。
「でも、それも父さんや母さんや……お前や、トリニアを守るためなんだ。許してくれよ」
セロンの頭がわずかに沈んだ。たぶん、頷いているんだろう。
こうしていると、数年前のことを思い出す。
セロンが6歳とか、7歳のころだ。
その頃はまだセロンは甘えたがりで、こうしてよくいっしょのベッドで眠っていた。
今とは違って「お姉ちゃん」だなんて言って、昼も夜もくっついてきていた。
それが一時期は、いっしょに外を歩くことすら嫌がるようになって……。
あの時は、複雑な少年心をわかっていながらもさびしくなった。
最近はそれなりに改善してきたと思っていたが……そんな時に、この別れだ。
本人も、余計に悲しんでくれているのかもしれない。
「なあ、セロン。一つ聞いてくれ」
頷く感覚。
髪に指を入れ、頭を優しく撫でながら、俺は話す。
「確かに私は家を出る。数年間は帰ってこないと思う」
服を掴む指の力が強くなった。……何年もいなくなるという事実に、驚いているんだろう。
「でも、絶対に帰ってくる。この町を守るために、騎士になって、絶対に。だからそれまで……お前が、この家を守ってくれ」
「……!」
身体がぴくんと震える。
俺の心を伝えるために、抱きしめる力を少し、強くした。
「父さんを、母さんを、トリニアを……。お前が、守るんだ」
「…………」
「いろんなことが起こると思う。私がいなくなったせいで、苦労することもたくさんあると思う。でも、お前だけは絶対に負けちゃいけない。負けないでくれ」
服を掴んでいた指が離れる。布団の中で、セロンの腕が俺の腰に巻かれるのを感じる。
「もし、一人でどうにもならないことが起きたら、トラグニス先生に言うんだ。きっと、あの人なら力になってくれる。ザンダナさんでもいい。あの人も、いい人だから」
俺がそうするように、セロンも俺を抱きしめ返してきた。
昔のように。あの時、甘えてくれていた日のように。
「頼んだぞ、セロン。……私が帰ってくる日まで、みんなを……護ってくれよ」
「…………。……うん」
小さく、そんな声が聞こえた。
それに満足して、俺はそのまま目を閉じた。
「……おやすみ」
胸に弟を抱いたまま、二人で寝息を重ねるようにして、眠りについた。
夢か、現か。意識が消える直前に、聞こえた言葉は。
「……大好きだよ、お姉ちゃん……」
……私もだよ、セロン。
× × ×
朝。
起きたときにはもう、セロンはいなくなっていた。
もともと向こうの方が早起きだ。当たり前と言えば当たり前か。
「……よし」
ベッドから降りると、早速着替えて階下に降りた。
「おはよう、クローム」
「おはよう父さん、母さん」
「はい、おはよう」
セロンとトリニアも自分の席に座っている。
隣に座って、俺はセロンに挨拶した
「おはよう、セロン」
「……おはよう」
昨日の夜のことがあるからか、セロンは俺とは目を合わせようとしなかった。
まあ、それもいいだろう。急に昔みたいな性格に戻っても、それはそれで怖い。
「おはよー、ねえちゃん」
「おはようトリニア」
末妹にも挨拶してから、みんなで一斉に朝食を摂った。
いつも通りの朝食。
きっと、しばらくは味わえないいつもの。
心なしか言葉少なに食べ終えると、俺は部屋に戻って、鎧と剣を装備し、準備していた荷物を持って再び降りた。
「行くのかい」
「……うん」
父さんに言われ、俺は頷いた。
マーティと町の北口で待ち合わせだ。そろそろ、行かなくてはならない。
「気をつけてね」
「うん」
母さんとも言葉をかわす。
「いってらっしゃい、おねえちゃん」
「行ってきます、トリニア」
頭を撫でてやって、にこやかに笑う頬を指でつつく。
そして。
「…………」
「セロン」
じっと俺を見つめるセロンと、目線を合わせた。
口を真一文字に結んで、話してくれそうもない。
でも、その本心は知っている。その瞳が、ほんのわずかに潤んでいるのも。
だから俺も何も言わず、握りこぶしをセロンの胸に軽くぶつけた。
任せたぞ、と。
きっと通じてくれたんだろう。セロンはごく小さく、うんと小さく頷いた。
「それじゃあ、行ってきます」
最後に全員にそう言って、俺は家を出た。
あとは、振り返らなかった。
振り返ればきっと惜しくなる。だから、一度も。
きっとみんな、俺の背中を見送ってくれているだろう。
大丈夫。永遠に別れるわけじゃない。
また、必ず会える。
その時は、平和がいい。
俺が、勇者でなくなった時に。魔王のことなんて考えなくていい時代に。
俺が、私になれる時に。
また、会おう。




