プロローグ 勇者、死す! そして、生まれ変わる!
「おおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉッ!」
俺はあらん限りの声で叫んだ。
手に持つ剣に雷鳴が走り、刃が閃光を放つ。
「ガアアアアアァァァァァァァッ!」
対峙する魔王ディオソールが、己の右腕に邪気を纏わせ振るった。
俺と魔王、二人の攻撃は同時に、お互いの胸を切り裂いた。
「ぐはっ」
「ウガアッ」
俺の赤い血が魔王を汚し、魔王の青い血が俺を染める。
致命傷だ。
「グフフ……! あ、相討ちだな……!」
魔王が言う。
だが、俺はにやりと笑った。相討ちなどでは決してない、と。
「あ、相討ちなものか……。貴様は死ぬだろう、だが……! 人間は生き残る……っ!」
魔王を斃せば、この世を覆った魔物たちはすべて消え去る。それはすなわち、人間たちの勝利。そして、人間を守る勇者たるこの俺の――勝利だ。
「フ、フフフ……! だから、相討ちだと言うのだよ……!」
しかし、魔王は不敵な笑みを絶やさなかった。おびただしい血を流し、足をふらつかせて膝をつき、今にも命尽きようというのに。
「ど、どういう意味だ……!」
俺も、朦朧とする意識の中、剣を杖代わりにようやくと言った風に立っている。そう長くは持たないだろう。
「に、20年だ……! 20年の年月を経て、我は蘇る……!」
「な、なんだと……!?」
「いくら人間が生き残ろうと、いずれは再び、我が討ち滅ぼしてくれよう……! だがその時、果たして人間を守る勇者は存在するかな……? ッグファ!」
魔王が血を吐いた。しかし、それでもくつくつと笑い続ける。人間を、嗤い続ける。
だから、それに対抗するように俺も――笑った。
「心配はない……。た、例え俺が死のうとも……いずれ、次の勇者がまた現れる。い、いくら貴様が……蘇ろうとな……っ!」
景色が霞む。もはやまともに目を開けてはいられなかった。
手も足も、指先一つ動かせない。もはや俺の意志を汲みとってはくれないようだ。
だが、それでもいい。
俺は希望を作った。世界を救う希望を。
俺の命はここで終わる。だが、世界は続くだろう。
また次の世代が、俺の守った世界を守る。
魔王の野望は永遠に果たされることはないだろう。
人間たちの中にある、清い心がある限り――……
俺は、人々への未来の希望を胸にして。
死を、受け入れた――……。
× × ×
……――ここは、どこだ。
目を開けると、知らない天井が映っていた。それに、柔らかい布地の感触……ベッドの中か?
だが、なぜだ。俺はあの時、魔王との決戦で死んだはずだ。……実は死んでいなかったのか?
俺には数人の仲間がいた。魔王との決戦のために俺を送り出してくれて、あの場にはいなかったが……。彼らが俺を救い出し、ここに連れて来てくれたのだろうか。
だとすれば感謝の限りだ。こうして目覚めたのならば、早く皆に礼を言わなければ。
……。
……なんだ、身体が……持ち上がらないぞ。
腕や足もかすかにしか動かない。……頭も、回らない。なんだこれは。
そうか、怪我の後遺症かもしれないな。死ぬかどうかという瀬戸際だったんだ、さもありなんだな。
にしても、腹が減った。何日眠っていたのだろう。何か食いたい。
うーむ、しかし、目が覚めたことをどうして伝えたものか。身体が動かせないのなら知らせることも出来んぞ。
と、扉の開く音が聞こえた。誰かが入ってきたようだ。よし、これで俺が目覚めたと伝えられる。
――しかし。
目の前に現れたのは、俺をはるかに見下ろす、巨人の女だった。
――なっ、なんだと!? なんだこいつは!
俺は仲間に救われたのではないのか? ここはまさか、伝承に聞く巨人の国、ヨトゥンヘイムか!
……いや、待て。何かおかしいぞ。確か、ヨトゥンヘイムの巨人は醜悪な見た目をしていると記憶している。だがこの巨人は……俺と同じ人間とそっくり――いや、そのものだ。
巨人は俺の身体を両手で掲げ、持ち上げた。そしてニッコリと、微笑みかけた。まるで、愛する我が子にするように。
――そう、まさか、これは。
ここが巨人の国というわけではなく――俺が、小さくなっているのか!
そして、より厳密に言えば――
「どうしたの? お腹が空いたのかしら」
言いながら、彼女は服を脱いで乳房を晒した。――そう、彼女は、母。
そして俺は、その手によって育てられる子――本能的にその乳首へとむしゃぶりつく、赤ん坊になっているのか!。
意識の外で母乳を吸いながら、俺はこの現象を分析する。なぜ、こんな状況になっているというのか。
俺は確かにあの時命を落とした。しかし、その魂が転生し、この母親の子として生まれ変わった。
それはわかる。だが、なぜ俺は“俺”としての記憶を持っている。――まさか、女神の差し金か。
俺に勇者の力を与えた女神が、死して生まれ変わっても尚、俺に戦えと言っているのか。
ふん、いいだろう。魔王には次代の勇者がと啖呵を切ったが、俺自身が再び奴に引導を渡してくれる。
そのためにも、辛いだろうがこの母親に、俺は勇者であると伝えねば。
ちょうど腹も膨れた。今がいい機会だ。
「ぁう、だぁ、あう」
――しまった! 赤ん坊だから言葉が話せん!
「もうお腹いっぱいみたいね」
母親は背中をとんとんと叩き、げっぷを促してくれる。そしてゆっくりと俺を下ろし、腹の上に毛布をかけてくれた。
ぬう、なんということだ。まさか赤ん坊というのがこんなに不便なものだとは。……しかし。
母親は俺の顔を見て、にこやかに微笑んでくれている。
……こんな光景、初めてだ。
当然、前世の俺にも赤ん坊時代はあっただろうが、その頃の記憶はない。だが、それ以前に俺には、母親というものの記憶が無い。
母だけではなく、父もだ。物心着いた時から俺は、祖父の元で育てられた。祖父は祖父で俺を愛してくれていたが……やはり、父母の愛情が欲しかった。
ならば、いいのではないか? もう少し、この愛情を素直に受け止めていても。
魔王は20年後に復活するという。ならば、そう急ぐこともあるまい。もうしばらくの間は、勇者としての使命を忘れ、ただ一人の子供としてくらいしていてもいいだろう。
そう自分に言い聞かせ、俺は瞼を下ろした。赤ん坊だからだろうか、腹が膨れたらすぐに眠たくなった。
「おやすみなさい、クローム」
母の声に不思議な心地よさを味わいながら俺は――幸せな夢の中へと、旅だった。