ぬいぐるみと彼女の思い出
思えば奇妙な構図だったと思う。
学生服の僕と健康優良児然の明日香、客観的にいって“この場”にいるのに似合っているか微妙な2人。
向かい合う僕達の周囲に置かれているのは、色とりどり・造形も多岐に渡った人形、ぬいぐるみの類、あるいはその製作キット。
簡単にいえば、ここは『あら雲』の店内で手作り人形やぬいぐるみの素材を売っている一角なのだ。
そんな場所で思わぬ接触をした幼馴染を前に、僕はどう口を開いたものか迷っていた。それは明日香も同じようで、あちらから声をかけてきた割にそれ以上の言葉は続かない。
不可思議な硬直を過ごすこと数秒。
「……明日香、ぬいぐるみ、まだ作ってるんだ?」
「あ、うん。たまに」
遭遇場所を考えるに穏当な質問形式で沈黙を破った。
「最初は強要された作業だったのに、今だと気晴らしになってるんだからおかしいよね」
「強要って言い方はひどいな」
陰湿さの無い、どこか苦笑の気配がある表現に僕に困った笑いで返す。
強要、やりたくないのにやらされたという言い方はなんだか理不尽な理由で習い事をさせられたかのように聞こえるけど、それがまったくの事実無根である事を僕は知っていたから。
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僕の幼馴染、久我山明日香は子供の頃から活発な少女だった。
今でも健康的なスポーツ少女然とした佇まいで実際そういう子なのだが、幼少期はそれに輪をかけて元気の塊だったのだ。
どちらかといえば活発ではないグループに属していた僕は、ただ家がお向かいであるという理由だけで、ガキ大将じみた行動力を持て余した彼女にあちこち連れまわされたものである。
そんな同年代の女の子にはとてもついていけない動的存在だった彼女だが、完全に少女趣味と無縁だったというわけではなく。
『わあ、かわいい』
妹の千里がすやすやと眠る枕元に置かれていた、うさぎのぬいぐるみ。
『迷い兎ラビリンス』と名づけられたシリーズ物のぬいぐるみには心惹かれたようで、活気に満ちたの風の子が白黒のうさぎを膝に乗せてご満悦だった事を今でもよく覚えている。
台風のような少女に見出された一条の光、とは大袈裟だろうけど、明日香のお母さんは娘がぬいぐるみに向けた関心を上手く導いた。
『明日香、そのぬいぐるみが気に入ったのなら、自分で作ってみる?』
完成品を買ってあげようか、ではなく『可愛いうさぎを自分で作れるのよ、それって凄いと思わない?』。
この持っていき方が今から思えば実に心憎かった。
かくして暴れん坊少女は母親の策に嵌る。
最初は子供用、手のひらサイズのちびうさぎキットから作り始めたものの、流石の明日香も動き回りながら縫い物を行う事は不可能であり、可愛いぬいぐるみのためには足を止め、代わりに手を動かさなければならなくなったのだ。
『この縫い目がグラグラしちゃってうさぎさんの頭が尖っちゃう……』
それまでは疾風のように僕を外へと連れ出していた明日香が、縫いかけのうさぎを片手に僕の部屋で手と口を動かす事になっていたのだから効果覿面。
『あすかー、そんなに難しいの?』
『難しいよ、まさき君もやってみなよ』
一日中、鬼ごっこを遊んでいた時よりも疲れた様子の明日香。そんな彼女の様子にこそ興味の引かれた僕は縫いかけのうさぎと糸針を借りて、
『……ぬ、ぬぬぬ、ぬ……??』
『ね、難しいでしょ』
難しかった。キットの説明書きでは簡素に、ここをこう縫ってください的に書かれていたのだけど、実際にやってみるとそうそう簡単に行かなかった事を覚えている。
そして、
『も、もうちょっと、もうちょっと!』
『ダメ、返して』
解きかけのパズルを取り上げられた、それに近い未練を残す。
『もうちょっと、あすか、もうちょっと』
『ダーメ。まさき君、わたしより下手そうなんだもん』
『そ、そんな事ないよ! 慣れればあすかより上手に作れるよ!』
『言ったなー? じゃあ、一緒に作ってみる?』
僕がぬいぐるみ作り、果ては縫い物技術を磨く事になった理由は子供らしい対抗心から始まったのだった。
それからは子供用のぬいぐるみキットを作る日々を過ごした。
『ふふーん、どうだいあすか、僕の方が上手だろ?』
『なに言ってるの? わたしの方が上手く出来てるよ! ね、千里ちゃん』
『ばぶ?』
小学校の高学年になった頃、明日香は有り余る元気をソフトボールに傾けるようになり、僕が振り回される事は随分減ったのだけど、ぬいぐるみ作りの習慣だけはその後も続けられた。
自分の手で何かを作り上げる、そんな芸術的楽しみもあったし、仲のいい幼馴染と競い合う関係も楽しかったからだ。
ただし中学生に上がってもそれを続けていたのは、なんだか隣にいるとむず痒い明日香と一緒に居る口実になっていたのは否定できない──明日香にとってはソフトボールを繰る指先の器用さを磨くためだったのかもしれないけれど。
『ほら千里、今度のはピンクの羽つきだぞ』
『わー、おにーちゃん、ありがとー!』
そうやって色んな理由により作り続けたぬいぐるみの数々、僕の部屋に飾るわけにもいかないので残らず妹にプレゼントしたところ、今の良好な兄妹関係を築く一端になっているのは余談だろう。
この習慣は今でも時々リクエストされており、今日『あら雲』を訪れた理由のひとつだった。むしろこれがあったから部活で使う布を引き取る役を引き受けた、というのは部活の仲間たちにも説明しなかった真実の欠片であるが。
この場でぬいぐるみを作りあった彼女と顔を合わすとは、僕はまるで思いもしなかったのだ。




