事後処理
隊長室。
さすがにあの流れで逃げるわけにはいかず……リョウはおとなしく駐屯所に直行した。
……東の都市ではこういう時は、形式上だけの聴取で処分内容なんて先に決まってるもんだったからめんどくさくてすっぽかしたこともあったけど……ここでそれをやるにはちょっと早いよね。
などと自分に言い聞かせて。
「で、何体倒したんですか?」
そこそこ広い部屋には三つ机が並んでおり、書棚には書類がぎっしり詰まっていて、その他にも簡単な応接用のソファとテーブルが一角にある。
そのうちの一つの机で片肘をついたレンブラントはその先の手を軽く握ってその緩いこぶしに顎を乗せ、机を挟んだ向かい側に立っているリョウを視線だけで見上げている。
ちなみに隣の机で書類と向かい合って仕事中だったハヤトがこちらにチラチラと視線を送ってくるのは……たぶん好奇心ゆえ。
「ええと……二、三体くらい?」
真っ先にそんなことを聞かれるとは思っていなかったのでリョウが思わず視線を逸らしながらそう答える。
一人で森に入った理由を聞かれるのかと思ったんだけど、な。
なんて思いながら。
「ほう、二、三体……ねぇ」
まだ白紙の紙の上をトントンと指先で叩く仕草からは疑わしく思っている心境が垣間見られる。
「戦い方の基礎について、いまさらとやかく言う気はありませんが……一応念のため、二級以下の騎士が戦うときの基礎は知ってますよね?」
「あー、はい」
もう返事は投げやり。
「で、危険も承知で単身で森に入った、と」
「……」
こんな質問、どうせ形式だと思うからリョウの視線は目の前の隊長から逸れて眉間にしわがよる。
「ザイラが人を呼びに行くから一人で行かないようにと君を止めてあると言っていましたし、ラウも止めたって言ってましたが……あの二人は僕に嘘でもついたんですかね」
軽くため息をつきながらレンブラントが呟く。
「……え?」
なんでそうなった?
「だって、君は騎士の常識も危険も承知だったわけですよね。それなら援護が来るのを待つでしょう? 待てなかったということは、それを知らなかったってことなんじゃないですか?」
「いや、違います! 私が勝手に動いたんです! 二人にはなんの関係もありません! 実際、森に入ったらハナが四体の敵に襲われそうになっててあと少し遅れたらあの子、殺されてました!」
変な方向に飛び火しそうになってリョウが慌てて声を上げると隣の机のハヤトがピタリと動きを止めた。
「……なるほど。じゃあ、その馬を助けるのに援護を待つ間もなく飛び込んだことが功を奏した、と?」
「ええ! もう少し遅かったら完全に襲われてましたから!」
「……困りましたね……」
焦って声を上げ続けるリョウに今度はレンブラントが思わせぶりにため息をついて見せる。
ああそうか。こうなるとどうにかして私になんらかの処分が下らないといけない、ってことよね。一応、規則違反。しかも関わったのが隊長ともなると下手したら隊長の指示に意図的に従わなかったということになる。
でもそれなりの成果を収めているとなると、処分通達には面倒な手続きでも発生するとかいうことだろうか。
なんて思い当たったリョウが。
「あの……処分内容なんて何でもいいですよ? 馬を助けたとはいえ、まだ正式に騎士の馬として調教済みでもない馬ですし、都市の財産としての価値は確定していない子です。私が単に規則違反したってだけで十分ですけど」
もうめんどくさい。
そんな気がしてリョウが肩を落としながらそう言うと。
「いや、そうじゃなくて……計算が合わないんですよ」
「……はい?」
何の計算してるんだこの人?
リョウの目が点になった。
「君は僕の目の前で一体、確実に仕留めている。で、馬を助けるのに四体を片付けたんですよね?」
「……!」
ちらりとこちらに視線を向けるレンブラントは少々意地悪な笑みすら浮かべており。
隣で微かにくすりと笑う声がしてリョウが慌ててそちらに目を向けると、ハヤトが急いで手元の書類の束をめくり始めた。
「二、三体というのは確かですか?」
「……五体です」
ガックリと項垂れるようにリョウが答える。
だって。
めんどくさいんだもん。
二級の女騎士が一度に五体の敵を倒したなんてこと、自ら報告するなんて。
こんなの東の都市で言い出したら「それをどうやって証明するんだ」とか「手柄を独り占めするための嘘だろう」とか「昇級して待遇を良くするための姑息なハッタリだろう」とか、もうそれはいろいろ言われるに決まってる。そもそも誰も見ていなかったんだから適当にごまかしてそれ相応の数で報告しちゃえばいいや、と思った。
「よくできました」
場違いな言葉と口調にリョウが目をそろりと目の前に座る隊長に向けると、そこにはにっこりとキレイに微笑むレンブラント。
で。
「一応、隊長である僕には正直になんでも報告してくださいね。隊の統括を取るのに正確な情報は不可欠なんです。それが一女騎士の心情であってもです」
「え……」
リョウがレンブラントの言葉を一度頭の中で反芻してから眉をしかめてつい小さく聞き返した。
……心情? それって必要?
生じた出来事に関する詳細は、そりゃ必要かもしれない。……まぁ、それを誤魔化そうとしておいてこんなこと言うのもなんだけども。
でも、心情は……関係ないよね? しかも今、隊長は「一女騎士の」って言った。一騎士、でもあまりあり得ない発言だと思うけど……女騎士。一般の男性の騎士より働きが評価されにくい女騎士個人の心情も考慮する、と言ったようなものだ。
……本気?
そんなことを思い巡らしていると。
「なので、これもきちんと聞いておきたいのですが。もし少しでも時間的なゆとりがあったら、ちゃんと援護を待つ気はあったんですか?」
柔らかい口調で問われる。
でも、視線は真っ直ぐこちらに向かっており。
……なんだか、もう、適当なことを言って誤魔化すことの方がめんどくさくなってきたな……。
と、リョウが観念して。
「すみません。待ったところで無駄だと思ったんです。いなくなった馬を探しに行くといってもまだ調教途中の馬ですし、森に嫌な気配を感じるという気がしましたがそれを証明できるわけでもありませんでした。そんな状況で誰かが一緒に来てくれることを期待しても無駄だと思いましたし……それなら自分一人で行って片を付けるなり様子を見るなりした方がいいかと思ったんです」
取り敢えず、正直に話してみる。
「なるほどね……でもそれで自分の身に何かあったらどうするつもりだったんですか?」
妙に鋭い視線になったレンブラントが静かに問う。
でもリョウの表情は変わらぬまま。
「別に。誰かに責任を問うとかいう馬鹿なことなんかしませんよ? それに女騎士が一人使い物にならなくなるとか、いなくなるとかしたところで、この都市は痛くも痒くもないでしょう? 私、家族もいませんから誰も困りませんし。そもそもここではまだ新参者です、誰も気になんかしないでしょう?」
しれっと言い放つリョウに今度はレンブラントが改めて息を飲んだ。
と。
カタン、と控えめな音がして隣の机で作業をしていたハヤトが書類の束をトントン、と机の上で揃えながら立ち上がり。
「……ずいぶん使い勝手のいい騎士が入ったね、レンブラント隊長。……お疲れさま」
ニヤリと笑って書類を片手にそう言うと、そのままゆっくり部屋のドアに向かい出て行く。
あー、うん。ああいう反応が普通なんじゃないかな。そこそこ強くても自分の手柄は主張せず、万が一失敗しても誰にも責任を問わないなんて、こんなに使い勝手のいい騎士は滅多にいないと思うし?
なんてリョウも思いながら、ハヤトの背中を見送ると。
「はああああああっ」
大袈裟なため息がつかれて視線が元の位置に引き戻される。
元の……レンブラント隊長。
彼は、思いっきり脱力した様子で視線だけこちらに向けて……絶句しており。
「……取り敢えず、今日のことは記録には留めますが……上への報告の対象にはしないことにします」
しばらくの沈黙の後レンブラントがそう言うのでリョウがちょっと目を見張る。
「それだけ腕があるのなら、自分の腕を知った上で他人を無駄に巻き込まないための冷静な判断、ともいえるでしょう。……上級騎士なら必要な資質でもあります」
リョウの視線の意味を理解したのか丁寧にそう付け足して。
「え、いいんですか?」
何か処分の対象になるのではないかと思っていたリョウは肩透かしを食らった気分だ。
「ただし」
リョウの気の抜けた顔を眺めたあと、レンブラントが口元を一旦きゅっと引き締めてそう付け加えるので、リョウは「そらきた!」とばかりに背筋を伸ばす。
と。
「……君はもう少し、自分を大切にしなさい」
ふい、と、視線を逸らしながらレンブラントが呟いた。
その視線には「もう返事は結構」という意志が表れているようでリョウは出かかった言葉を飲み込んだ。
そうよね。
なんか、堂々巡りになりそうだし。
ようやくリョウが解放されたのは夕方になる頃。
駐屯所を出るとザイラとクリストフが待っていて一緒に食堂に向かうことになった。
少し早めの夕食ではあるが、おかげで食堂は混み合ってもおらずゆったりとした雰囲気で。
「で、また大手柄だったって?」
くくくっと笑いを噛みしめながらクリストフがリョウの方に身を乗り出す。
「もう! クリスってば。そんなに食い気味で聞いたらリョウが食事できないでしょ!」
ザイラがたしなめると乗り出した身を引っ込めながら「ああごめんごめん」なんて言い……それでも視線には好奇心がありありと浮かぶ。
「……情報早くないですか?」
具沢山のスープをスプーンでくるりとかき混ぜながらリョウが上目遣いで呟くと。
「ああ、いい情報網を持ってるんだ。リョウとレンの話って隣で聞いてた奴がいただろ?」
ニヤニヤと笑いながら報告するクリストフに。
……ハヤト隊長か!
と、リョウが思い当たる。
いかにも「話を聞かせろ」という視線をこちらに送ってくるクリストフには結局、今日の出来事を話さざるを得なくなり。
まぁ、その流れでザイラはその後の馬たちの様子も教えてくれたから、それはそれでよかったのだが。
結局、芦毛の若い馬はそのままどこかに行ってしまったらしい。
それについてはザイラもラウもそれでよかったと話しているとか。
下手に人の世話に慣れさせてしまった上、騎士の馬として使えないとなると今度は野生に戻すのが難しくなり処分することもあるのだとか。それなら自分の意思で出ていけるうちに出て行くほうがまだ馬にとっては幸せだろうということだった。
そしてハナは、駐屯所までリョウを乗せて行ったあと駐屯所の厩舎の世話係に大人しく従ってラウのところにも戻ってきたらしい。
この段階でもう、リョウの馬として決定したようなものだとザイラが言う。
それはリョウにとって、ここにきて一番の朗報でもあった。