東の森で
人に慣れないと言われた割に芦毛の馬は大人しくリョウを乗せて走ってくれた。
リョウが行きたいと思う方向に……急発進の全力疾走。
で、あっと言う間に森の中。そして急停止。
「……っ!」
まさか、嫌がらせしてるわけじゃないよね……。
リョウの口元が引きつった。
急停止したあとも更に歩き出すその様子は、まるで本能と理性のせめぎ合いとでも取れるかのような、言ってみれば不自然極まりない行動にも見える。
そして。
更に言ってしまえば。
こんなに嫌な気配が溢れているのに、迷わずここに突進してくるっていうことを考えると……この子もまた本能以上の意志の強さを持つ馬なんだろう、と思う。
……今のところは利害が一致しているから乗せてくれているってだけかな。
そして。
そもそもが。
こんな嫌な気配が濃い森は、初めてだ。
と、リョウが軽く息を飲む。
「……近いな」
周りに気を配りながらリョウはちょっと冷静になり。
……そうか。
こんな気配のする森にハナが自ら入って行ったってことは、それもまた本能以上の強い意志、だ。
まさか、ね。
ふと思い浮かんだ考えが自分でもバカバカしくてつい笑みが漏れる。
でも。
こんな状態の森に野生の動物が自らの意思で入っていくなんて、よほどの理由があるとしか考えられない。
さらには、ラウの言葉。
「馬たちの様子がおかしかった」というのはきっとこれを察知した馬たちが怯えていたということだろう。
自分だったら……囲いの中で動けなくなるほどに怯えているのが仲間なら、それを守りたくて、元凶を潰しに森に入っていくかもしれない。
……バカバカしい。
けれど、ハナは怪我をしていたこの子に付き添って、あえて捕獲されたような馬だ。
……バカバカしい、けど。
そういうことをする獣たちの伝説や神話は聞いたことがある、な。
なんて、ちょっと思った矢先。
「……!」
馬が急に落ち着きをなくし始めた。
で、前方に。
「うわ、いきなり四体……」
等間隔に並ぶ見知った黒い影。背丈は人の軽く二倍。身幅も人の倍以上ある。
そしてその正面に、完全に相手を威嚇しきった体勢のハナ。
咄嗟にリョウは馬から降りる。
うん、この子は使えない。こんなに怯えちゃってたら指示が出せそうにない。
「……いい子ね。大丈夫。私がなんとかするし、ハナも助けるからお前は逃げていいよ」
首を軽く抱いてひとなでしてから手を離す。
ここまで連れてきてくれただけありがたかった。ていうか、よくこんな状況のど真ん中まで連れてきてくれたわ。
リョウの言葉が通じたかのように、もしくは手が離れるのを待っていたかのように芦毛の馬は駆け出して行った。
……うん、よし。あの子はこれでいいとして。
リョウが一度息を整えるように深く吸って、吐く。
慣れた手つきで腰の剣を抜き。
「ハナ!」
駆け出しながら、ちょっとばかり声を張ってみる。
次の動作はほぼ一瞬。
声をかけたせいでハナがびくりと震え、その隙を狙うように正面の二体の黒い影がハナに飛びかかる。
本来動物を襲うことは滅多にないといわれているが、こんなふうにあからさまに喧嘩を売るような行動をとられたらそうばっかりでもない。
自然現象のようなものと捉えられている黒い体躯をもつそれは、発生の仕方や消滅の仕方は自然現象さながらではあるが、現れてしまえば獣のように荒々しく動き、後は対象を貪るのみだ。
見た目も野獣を彷彿とさせる、筋肉隆々の体つきに骨格は頑丈そうでしっかりしているように見える。倒してしまえば掻き消えてしまうので実際に解体することはできないから本当に筋肉や骨があるのかは分からない。もしかしたら、人の恐怖心のようなものが生み出す幻影なのかもしれないとも言われているが……仕留めてしまうまでは確かに実体を持ち、手応えのある相手なのだ。
つまり、現状としては。
言ってみれば巨大な野獣が四頭、馬と対峙して襲いかかろうとしているようなものだった。
そこにリョウが飛び込んできたので……馬の気がそれた。
本来ならそれは馬にとっては致命的だろう。
が。
ハナが一瞬動かないでいてくれたおかげでリョウがハナと敵の間に割り込む。
割り込んだ勢いで振り下ろされた腕を下から切り上げるようにして落とし、その勢いで相手を袈裟懸けに真っ二つに。左下まで切り裂いた勢いで体勢を整えがてら左側にいた一体の胴を横から真っ二つにした。
これで、ハナに飛びかかってきた最初の二体が片付いた。
「ハナ! 無事ね! 良かった!」
体勢を整えがてら、の、さらについでに視線をハナに流して馬の体に怪我がないことを確認。
……今のうちにお前も逃げなさい!
という視線だったのだが。
「え……?」
残りの敵は二体ともじりじりと間合いを詰めるように近寄ってくるのでそれに合わせて剣を構え直したところでリョウが意表をつかれた。
「え、ちょっと、ハナ……なに、乗って、いいの?」
視線は敵に向けたまま一向に引く気配のないハナにリョウがそろりと声をかける。
……どんだけ肝が座ってるの、この子!
一瞬「乗れ!」と言われたような気がしてリョウがハナに飛び乗った。
それによって視線がぐっと高くなり、敵に対峙するのにちょうどいい位置関係になる。
で、その動きに合わせるようにまずは右の一体が突進してきた。
ハナがその動きを咄嗟にかわしてくれて。
……あれ……なんだこれ?
最初の一撃をうまくかわしてくれたハナの背で、リョウが一瞬眉をしかめる。
さっきから何かおかしい、と、違和感を感じてはいたんだけど……。
「……っと!」
突進してくる際に二足歩行から獰猛な獣のように四つん這いになっていた一体がかわされたと同時にこちらに振り向き勢いよく立ち上がったのを目視した途端、もう一体が上から飛びかかってきた。
こうなるともう、あれこれ考えている暇はない。
ハナの上で上体を捻った若干不自然な体勢ではあるがそのまま剣を逆手に持ちかえて飛びかかってきた敵の腹に突き立てる。後は落下してくる敵の勢いに逆らうように上に向けて剣を押し上げ……肩のあたりでその刃先が抜けて敵の体は縦二つに裂けた。
消滅していく際の黒い霧が重力と勢いの関係上リョウとハナに降りかかるが……跡形もなく消えてしまうものなのでそこは気にしない方向で。
「ラスト!」
たった今突進してきて方向をこちらに向け直した一体が改めてこちらに突進し直すのに向き合うようにハナの体勢を整えながら声を上げる。
それはハナに声をかけるような感じで。
もう、この子、私の言葉も考えも理解しているとしか思えない!
先程かわされたのを学習したのか黒い体はハナの少し手前で、地面を蹴ると片腕を振り上げた。
横からハナごと殴り飛ばすつもりだ。
「跳んで!」
リョウが確信を込めて指示を出す。
ハナの脚力なら勢いなんかつけなくてもあの高さくらい飛び越えられる、と、なぜか咄嗟に思った。
で。
「おお!」
指示を出したリョウの方が驚く。
まさにその場でハナが力強く地面を蹴ったので。
……うわ、まじか。ていうか……そうしてくれなかったら私たち完全に弾き飛ばされてるんだけど、ほんとに……跳んだ!
跳んだハナはそのままこちらに突進してきていた敵の背中を蹴りつける勢いで踏み込み、黒い体がべしゃりと地面に叩きつけられた。
なので、リョウがそのままハナの背中から黒い体の上に飛び移り剣をずぶりと突き立てて首を落とす。
と、お約束のように黒い体は霧のようになって掻き消えていき。
「……あ、危なかった。声上げられちゃったらまた面倒なことになるところだった……」
リョウが独り言のように呟いて立ち上がったところで。
「なにを、やってるんですか!」
「うわ!」
背後からいきなり怒鳴られてリョウが飛び上がらんばかりに驚き、その勢いで振り向くと。
「……た、隊長……!」
目の前には栗毛の馬に跨ってこちらを見下ろして……というより睨み付けている、レンブラント。その手には、抜身の剣。
戦うことに専念しすぎて、そしてハナが無事でいてくれることに注意を集中しすぎて……第三者が近くまで来ていることにほとんど気づかなかったリョウは目を丸くしたまま口元を引きつらせ、そのまま後ずさる。
そんなリョウを見たレンブラントは剣を鞘に収めると馬から降りてリョウの方に大股で近寄ってくる、ので。
「……逃げるな」
咄嗟に同じペースで後ずさったリョウは低い声でそう言われて肩がびくりと跳ね上がった。
「……いや、だって……」
いつも、基本的に穏やかで優しそうな表情を絶やさないというイメージのレンブラントが結構な勢いで睨み付けて迫ってくる様子は……迫力が半端ない。
ある意味、さっきまで対峙していた敵に匹敵する殺気というか、怒気を感じるのは気のせいだろうか……。と、思いながらリョウは緊張のあまり口元に変な笑いまで浮かべてしまっている。
「笑い事じゃ、ありません」
ゆっくり脅しつけるような声音にリョウはもうビクビクするしかなく。
だって、なんだって隊長がこんなところにいるんだ。
ここ、たまたま通りかかるようなところじゃないよね?
それになんで、こんなに怒ってるんだ? さっきまで剣を抜いてたよね?
私、そこまで怒られるような……言ってみればこの場で切り捨てられるような、なんか悪いことしたっけ?
「ザイラが慌てて走ってくるから訳を聞けば、君が馬を探しに一人で森に入ろうとしているなんて言うから慌てて来てみれば……どうしてもう少し待てなかったんですか」
「え……?」
あれ? たまたま通りかかったんじゃなくて、わざわざ追いかけて来てくれた……ってこと? 何のために?
リョウが思いっきりキョトンとした顔になってレンブラントを見返していると。
「え、じゃないでしょう! 僕が城壁の見回りで比較的近くにいたからまだマシでしたが……ああ、いや……結局一人で敵を片付けるなんて無謀なことをしたってことは変わらないのか……なんだって一人で向かっていくんですか! 危ないでしょう! 何かあったらどうするつもりだったんですか……」
セリフの最後の方はレンブラント、もはやリョウに向けていた視線を落として片手で顔を覆い、思い切り脱力している。
「いや、あの……とても個人的な理由でしたし……急を要する事態でも……ありましたので……」
「へぇ?」
辿々しく答えるリョウに触発されるように顔を上げたレンブラントの目が再び不穏な光を宿した。
……やだもう。なんか怒りを煽ってしまったみたいだけど! 今ってなんて答えるのが正解だったの……?
そう思いながらリョウがぐっと息を飲んだ瞬間。
「……え! わぁ! 隊長っ? なにすんですかっ!」
レンブラントが勢いよく動き……リョウを砂袋か何かのように自分の肩に担ぎ上げ、そのまま馬に乗った。
「個人的で急を要した事情があるんですよね? こんなところで事情聴取するのもなんですから隊長室でゆっくり聞きます。大人しくしていないと落ちますよ」
「えええええ! ちょっと! 降ろしてください! 危ないじゃないですかっ!」
そのまま馬を走らせ始めるレンブラントにリョウが慌てる。
こ、この体勢……すごく怖いけどっ!
力を抜くと揺れる馬の上でレンブラントの背中にぶつかるので、腕で自分の体を支えながらリョウができるだけ身を起こした状態で体勢を固定してなるべくレンブラントの方に顔を向けて精一杯の抵抗をしてみるのだが、何やら本気で怒っているような隊長からはこの状況を和らげてやろうという気配は全く感じられず。
一回ちょっと諦めかけてから……いやいや、このまままさか駐屯所まで行く気か? それはさすがに恥ずかしすぎる! と。
「隊長! あの! 私の馬、いますから!」
と主張してみる。
「諦めが悪いですよ。馬具もつけていない馬に乗せられるわけがないでしょう。このまま逃亡されても面倒です」
その反応は至って素っ気なく。
……ハナ……そのままでも乗せてくれるのになぁ……。
なんて、後から心なしか楽しそうについてくるハナにリョウが恨めしそうな目を向けていると。
「……あ」
リョウが視線の先でハナの走り方が変わったことに気づいて声を上げ、ついでレンブラントの馬が何かに驚いたように止まった。
「うお……っと!」
「っと! リョウっ?」
唐突な馬の動きに対応すべく腕の力が緩んだレンブラントに、リョウがそのタイミングを予想していたかのように体を支えていた腕に力を入れてそこからすり抜け、くるりと一回転して地面に着地した。
で、着地すると同時に腰の剣を抜く。
「ハナ! 避けて!」
ハナの向こう側を睨みつけたままそう声を上げるとリョウがそちらに駆け出し……。
「リョウ! 待ちなさい!」
後ろにレンブラントの声を聞きながらもそれは完全無視で、突進してくる黒い影に向かう。
「もう! 今日これで何体目よ!」
例によって例の如く突如出現した敵は、少し離れた位置からこちらに気づいたようで四つん這いになって突進して来たのだ。
うん、これならたいして手間取ることもないな。
と、一瞬で相手の動きを見定めたリョウは突進してくる敵の直前で体勢を低くして、そのまま剣を勢いよく振り上げながら首を落とした。
低くした体勢のおかげでリョウの体は、うまいこと敵の両足の間に入り込み、すれすれで無傷。
消えていく際の黒い霧は至近距離にいたレンブラントとその馬に覆い被さったが……実害はない。
大きく息を吐いて剣を鞘に戻したリョウにレンブラントがほっと息をつきながら。
「……リョウ、君……」
「ああ、はいはい。隊長室ですよね? 行きますよちゃんと」
ハナの方に視線を送ると先ほどの指示に従って少し離れたところへと距離を取ってくれていたハナはリョウの方に嬉しそうに近寄って来て大人しくリョウを乗せてくれたので。
「こっちの方が断然安全なんで」
と言い残して都市の方向に走り出す。
……あの状態で人目につくところまで行くのだけは、絶対に、お断り!
そんなリョウを眺めながら、反射的に抜いていた剣をゆっくり鞘に収めたレンブラントは。
「……まったくもって出番なし、ですか。……一体どれだけ強いんだか……いや、それ以上に無鉄砲すぎる……」
苦虫を噛み潰したような顔をしてため息混じりにそう呟くと、リョウの後を追うように都市に戻った。