功績の行方
「嘘だろ……なんでそれで二級のままなんだよ……」
クリストフが食堂のテーブルで頭を抱えている。
ザイラが言った通り、人が少なくなった時間帯の食堂で。しかもご丁寧にいつも陣取っていた真ん中あたりのテーブルではなく端の方のテーブルで三人で食事をしながら、話題は先日のリョウの立ち回りの話になっており。
その場に居合わせたわけではないクリストフは結局自分の隊に入ったわけではないリョウの功績はあまり詳しく聞いていなかったらしい。
食事をしながら「で、三体倒したって聞いたけどホントのところどうなの?」なんて聞いてきてリョウがそれを肯定したものだから驚愕した。
「だいたいさー、上級騎士だって一気に二体倒せたらいい方だよ? そもそもそんな危ない戦い方する騎士なんかいないだろ」
脱力したようにテーブルについた肘で頭を支えながらクリストフがこぼす。下がった目尻のせいで表情は穏やかに見えるが声の調子にはわずかながら苛立ちが見え隠れしているような気がしてならない。
ザイラはもう目を丸くしたまま夫とリョウの顔を見比べているだけだ。
「……いや、だって。あとから来た三体は私がミスって呼んじゃったようなものだったし、責任取らなきゃと思って」
何か答えないとまずそうな雰囲気にリョウがかろうじて言い訳っぽい返答をすると。
「そんな責任取らなくていいんだよ……どんな教育受けたんだ……。って、あれ……じゃあ、もしかして残りの三体が声を上げずに消滅したのって、リョウが仕留めたから、だったりするわけ?」
あー……しまった。
そうかそこまで知られていなかったのか。
なんて思いながらリョウが小さく頷くと。
「信じられない……声も上げさせずに複数体消滅させられる女騎士って何者だよ……しかも二級……」
「あ、いえ……でも、一体はしくじりましたよ? それに最後のはレンブラント隊長が仕留めましたし」
リョウが小さく答えると。
「最後のって、リョウには実質四体目だろ? そんな話聞いたことないから! あのな、リョウ! あいつらを仕留めるときには二級以下の騎士は少なくとも数人でチームを組むのが決まりだろ。単独でかかって行くこと自体あり得ないんだからな」
今度こそはっきりと苛々したようにクリストフが声を上げた。
言わんとしていることはわかる。
騎士の決まり事であり、その試験を受ける際にも学ぶ基礎だ。
敵に対峙する際にはまず、奇声を上げさせることを阻止する。奇声は仲間を呼ぶのでこれによって騎士自身が自分の首を締めるようなことになるからだ。
なので数人のチームで敵を囲んで注意を引き、隙を見て一気に仕留める。
それが正式な戦い方だ。
だけど、そうは言っても。
そんな理屈、実戦ではそう役に立たない。
敵だって模擬試験通りに動くわけじゃないし、放たれる殺気といい、人ならざるものの気配は尋常ではないので実際に対峙する騎士は大抵二の足を踏む。冷静に注意を逸らすとか狙いを定めて一気に仕留めるとかそんなことができるのは実戦経験を積んで腕を上げた上級騎士くらいだ。
この場合、上級騎士とは一級か隊長クラスを指す。
「……そんなこと言ってたら騎士も兵士も無駄死にします」
リョウの口からぼそっと微かな声が漏れた。
視線は逸らしたまま、誰かに訴えるほどはっきりした声でもなく、それはまるで独り言のように。
でも、比較的静かな食堂で、至近距離で座っているザイラとクリストフの耳にはその言葉はしっかり届いてしまったようで。
「……リョウ……」
眉を寄せたザイラが小さく声を上げ、クリストフが無言で目を丸くした。
そういう決まりをバカみたいに守ろうとして命を落とす騎士をたくさん見てきた。
本当に、馬鹿馬鹿しいと思ったのだ。
戦場でそんな決まりを守ってなんになる、と。
でも決まりを守らない者は疎まれる。その場で命を落とせばまだましだが、都市に帰還してから隊の規則違反として罰せられることさえあった。
東の都市では。
軍の大きさを誇示したいがために三級騎士を増やして、経験のない者たちを戦いに出かけさせるから規則を守ることによって生存率をあげようなんていう、現場を知らないお偉いさん方が決めた規則。
それは騎士としての教育の過程で学ぶ、複数人でチームを組まなければならないなんていう初歩の戦術をいつの間にか規則にして出来上がった考え方。
命を賭けた戦いでそんな規則が通用するもんか、と、楯突いてみたが結局リョウの言い分は通らなかった。
通るどころか、いつの間にか所属する隊の中で、隊に馴染まない和を乱す者という評判が定着してしまった。
その後はあれよあれよと様々な言いがかりをつけられて……面倒なことは責任転嫁され、偏見の目で見られ、邪魔者扱いされ……そういう上司や隊の都合の悪い時に利用される都合のいい対象に仕立て上げられた。
「それだけ腕があるのになんで昇級しないんだ?」
ポツリとクリストフがこぼした。
「……は?」
リョウがふと、目をあげる。
そういう方向に話が行くとは思っていなかった。
リョウとしては隊を乱すなとか、規則に従うことが組織に属する者の義務だとか、そういうお説教が始まるのだろうと思っていた矢先、投げかけられた一言。
恐らくその一言は問いただすような質のものではなく、なんなら答えを期待してすらいない独り言の類だったのかもしれないのだが……リョウはうっかり聞き返してしまい。
「いやさ、だって、そういう事をしれっと言えるってことはそれなりの腕があるってことだろ。で、それも証明済み。となるとさ、なんで一級にならないのかって話だよな。試験なんか受けなくたってそれだけの功績があれば隊長なり指揮官なりの口添えがあって正式に昇級できるだろうに」
そんな、至極当然なクリストフの考えを言葉に出させてしまった。
で。
そんな、騎士にとっては当たり前の組織上の疑問も、騎士ではないゆえに知らなかったザイラがそうこぼす夫の言葉に事態を認識してしまって。
「そうよね! っていうか、そうなのね! やだ、リョウ、一級になった方が断然色々優遇してもらえるのになんで二級のままだったの!」
なんてリョウにとってはあまりありがたくない方向に話が向いてしまった。
「……え、リョウ?」
ただでさえ決して楽しそうな顔なんかしていなかったリョウの顔色が一気に沈んで、ザイラがちょっと慌てる。
そんな彼女を見てリョウがはたと我に返った。
……ああ、こんな風に気を遣わせてはいけない。
そう思い至り。
「あー、えーと、ですね。……正式な功績として記録が残らない場合、口添えの材料にはなりません」
えへ。
なんて無理矢理笑って見せたりして。
「……は?」
クリストフが口元を引きつらせながら聞き返してきた。
あー……だめか。はぐらかせないか。そうよね、そりゃそうだ。
リョウが小さくため息を吐いて。
「えーと、私が戦場で何体敵を倒したとしても、それって記録にはなってないはずなんです。何人かで組んで戦うなんてことまどろっこしくて、大体いつも私が単独で動いていたのでその間に危なくなるとみんなさっさと引き上げちゃってましたから。……誰も見ていなければ報告も上がりませんし、報告にないことは記録にも残りません。私の移動の書類にそういう功績に関する記載って無かったと思うんですけど」
「……なんなんだ、東の都市……!」
リョウの言葉にクリストフが改めて絶句して。
「ちょっと、クリス! 騎士隊ってそんな薄情なの? ここでリョウにそんなことしたらあたしが許さないからね!」
ザイラの何かに火がついた。
「珍しいですね、こんな時間に」
そんな矢先、聞き慣れた声がかけられて三人の視線がそちらに向く。
「あ、レンか」
クリストフが声を上げ、リョウが勢いで姿勢を正して「お疲れ様です」と頭を下げる。
レン、と愛称で呼ばれたレンブラントは「こんな時間」と言いながら自らも昼食と思われる食事を乗せたトレイを持ってクリストフの向かい側、リョウの隣に腰を下ろした。
「レンもこれから食事なの?」
リョウの向かいの席のザイラもレンブラントを愛称で呼ぶところを見るとどうやらもともと仲がいい間柄のようだ。
「ええ、午前中の見回りと雑用が今片付いたところなので」
そう言うとリョウの方にも軽い会釈で挨拶を返してきた。
非番の月、というのは特に二級以下の騎士に割り当てられる駐屯所での雑務に関してだ。
一級騎士や隊長ともなれば何かしらの仕事には追われている。さらにいえば先日のような不測の事態に関しては無条件で関係する騎士が自主的にとはいえ駆り出されるのは当然の任務。
「あーそっか。レンは今日はなんの仕事? 城壁の外?」
頬杖をついてクリストフが尋ねる。
「午前中はね」なんて答えるレンブラントに「一級騎士が少ないと隊長自ら見回りもするのかー」なんて返す。
そういえばそうだ。と、リョウも目を丸くした。
元々兵士たちが見張りをしている城壁を見回るというのは、騎士がする雑務の一つだ。
東の都市では一級騎士が緩慢な態度で見回りをするので兵士たちの評判は悪かった。緩慢でありながらも自分たちより立場の低い兵士を見回るという仕事上、態度は悪くてさらに評判を悪くしていた。
リョウは自分がこの都市に入るときに、愛想よく親切にしてくれた門衛たちもそんな見回りを受けているのかと思ってなんとも言えない気分になりながらも、当たり障りのない目を自分の隊長に向ける。
「ま、隊長直々に見回りなんかするとなれば兵士たちの士気も上がるしな。ここの兵士たちが雰囲気いいのってレンのおかげなんじゃない?」
なんてクリストフが言うので。
「別に僕のおかげとかじゃないですよ。強いて言えばみんな最善を尽くしているんだからそのおかげです。隊長自らいろんな仕事をするのも隅々まで目が行き届きますし良い勉強ですよ」
なんてレンブラントはなんでもないことのように答えながら食事を始めた。
そんな様子を眺めながらリョウは。
……うん。前言撤回。
この人、緩慢な態度で仕事をするタイプじゃないわ。
そういえばこないだも敵の攻撃に対する反応はかなり早かったし、追いかけてきた兵士たちも建前とか形式じゃなく心から隊長の無事を真っ先に気遣っていたような気がする。
そう思いつつ、ちらりと隣で静かに食事をしているレンブラントを見やり、手元のカップからお茶を飲む。
「……だからね! リョウのことしっかり頼んだわよ、レン。ちゃんと聞いてる?」
「はいはい、聞いてますよ。……ご馳走さま、っと」
一気に捲し立てるザイラの話を聞いているのかいないのか、淡々と食事を済ませたレンブラントが空になったスープの皿にスプーンを置いてお茶が入っているカップを取り上げながらおざなりに答える。
ザイラはちょっと前までのリョウとクリストフのやり取りについてレンブラントに熱く語り始めており、その熱は冷めそうにない。
「……ザイラ、そんな大した事じゃないんだから大丈夫よ……」
これ、何度目だろう? という言葉をリョウは口にしながらもう視線は遠くに飛ばしたままだ。
なにしろ……気まずいったらない。
何だって自分の隊の隊長にこんな「自分できますけど」アピールしなきゃいけないんだ。できる事ならこれ以上目立ちたくないっていうのに。なんなら、なんでこんな目立つメンバーで食堂にいなきゃいけないのかさえよく分からないくらいだ。隊長二人と隊長の妻なんて。……人が少ない時間帯で、本当に良かった。
「ああ、じゃ、僕たちそろそろ行くね。僕もこの後ちょっと雑用入ってるんだ」
残ったお茶を勢いよく飲み干してクリストフが立ち上がるとザイラもつられるように立ち上がる。
それを見たリョウが、ふと肩の荷が降りたような顔になって腰を浮かせる。
……よし。これで解放してもらえる。早く部屋に帰ろう。
そう思ったところで腕を軽く引かれた。
ふと見ると右手でカップを口に運んでいるレンブラントが左手でリョウの右腕を掴んでいる。
「君は特に用事はないでしょう?」
……げ。
リョウが露骨に顔をしかめ……それでも隊長にそう言われるとなると従わざるを得ないので渋々腰を下ろし直すと。
「あら、良かったじゃないリョウ! 折角だからいろいろ話を聞いてもらいなさいよ」
なんてザイラが満面の笑みで言い残して手を振りながらクリストフと仲良さそうに店を出ていく。
そんなザイラと今にも笑い出しそうな微妙な表情のクリストフを、リョウが焦点の定まらない目をして見送っていると隣でため息を吐く気配がして。
「……そんなに僕と話すの嫌でしたか?」
なんていう声がかかる。
ついギョッとしてそちらに目を向けるとレンブラントが気まずそうな目をこちらに向けているのと目が合った。
「え! いや、そんなことはありません!」
……これ、なんかの取り調べでも始まるような雰囲気!
そんな気がしてならないリョウはとりあえず覚悟を決めて、引きつる口元で無理矢理笑顔を作ってみる。
そんなリョウを見てレンブラントはちょっと目を見張り、それから何かを諦めたように小さくため息を吐いて。
「まぁ……僕もね、少し気になってはいたんですよ。あれだけの腕があるのに君の移動の書類にはそれらしい功績の類は一切記載がなかった。大っぴらには言えませんがそれどころか……」
そこでちょっと言葉を濁す。
あ、さすがに本人を前にしては言いにくい……っていうか言っちゃいけない類のことか。
なんて察したリョウが。
「非順応者で、社会不適合者でしたから私」
背筋を伸ばしてそう答える。
と。
「……いや、そこまでは言いませんけど」
あからさまに、しまった、という顔になったレンブラントが片手で自分の顔を覆った。
……ま、予想はしてたけど。そんなようなことが書類には書いてあったのだろう。
リョウが視線を外してふっと息を吐く。
そして、ふと。
ああ、そうだ。この人は別に何も悪くない。
むしろ自分にできる精一杯を誠意を込めてやるような人だ。
そんな人を困らせるのは……良くないな。
なんて思い直して。
「別に戦うことが嫌ってわけでもないですし。ああほら、私、家族とかもいないし背負ってるものは何もないですから身軽なんですよ」
と、軽い笑みを浮かべて、困ったような顔をしたままの隊長の方を向く。
で、話の方向が分からないらしく訝しげな視線を向けてきたレンブラントに。
「なので、隊長もいいように使えばいいんです、使えるものはなんでも。大丈夫ですよ。私、捨て駒覚悟で生きてますから」
リョウが笑みを浮かべたまま言葉を足してみる。
途端にレンブラントのブラウンの瞳に影がさした。
「それは違う」
静かに、でもきっぱりと。
「騎士は、騎士である前に一人の人間です。使い捨てにしていい命なんかない。だから君も……」
「命を大切に、とかきれいごとで感動を誘うつもりですか?」
レンブラントのセリフをリョウが途中で遮った。
息を飲んで次の句を失ったレンブラントに。
「戦いの場でそういうきれいごとは通用しません。そういうの、いやってほどご存知なんじゃないですか? 私、ただの二級騎士ですよ? 名声も肩書きもないただの駒です。どうせなら名声はちゃんと活かせる人が使えばいいんです。それこそ上を目指す人ならこういうのをうまく利用すればいいじゃないですか」
そう言い切るリョウの目はどこまでも無表情で、なんの感情も映さないようにさえ見える。
そんな目に、レンブラントはつい言葉に詰まり。
ああ、もしかして、この子は。
もしかして……そうやって前の都市では利用されてきたのかもしれない。
なんて思い当たる。
先日、一度見ただけとはいえ、彼女の戦いっぷりは凄まじかった。
あんな風に次々と敵を斬り倒す勢いは、隊長クラスでもそうはいない。
しかもほとんど息も乱さずあっという間に片付けたのだ。
手慣れているなんてもんじゃない。
こんな騎士がいたら、その部隊の功績はかなりのものになるだろう。そして本人が手柄を主張しないのならその手柄は必然的にその上司のものになる。……となると、彼女のいた隊の隊長はあっという間に色んなものを得たかもしれない。
そして、利用するだけ利用して、切り捨てたのだろう。他の者がまた利用する前に。そんなことになれば自分がやったことが他の者にも知られることになる。その前に、排除した、ということなのかもしれない。
そして……自分を「使い捨ての駒」と言う彼女はそれを知っていたのかもしれなくて。
ふ、と。
なんの計算でもなく笑みが漏れた。
それを見てリョウが眉をしかめる。
どうにも場違いなレンブラントの柔らかい笑みに。
「……そういうところがザイラも気に入ったんでしょうね」
「……は?」
唐突に無関係な名前が出てきてリョウが面食らう。
レンブラントも、我ながら驚いていた。
今の思考の流れで唐突に浮かんだザイラの表情。
彼女は時々びっくりするくらい感覚が鋭い。本能的に人の性質を見抜く力があるのかもしれない、とも思っているのだが。
そして、咄嗟に「そういうところが」なんて言ったものの実はレンブラント自身、具体的に言葉にできるほどにはその考えが頭の中で整理できてもいなくて。
「……普通あれだけの功績を挙げられたらもう少し嬉しそうにするものですよ。そんな心底嫌そうな顔をする人なんかいないでしょう。そういうところを、きっとザイラは気に入ってるんだと思いますよ。……放って置けないんでしょうね」
なんていう言葉で収めてしまう。
相変わらず腑に落ちない、という顔をしたリョウは「なんですかそれ……」なんて口の中で呟いて、それ以上食い下がるのは諦めたようだった。