騎士隊入隊
「さて……と」
リョウが淹れたてのお茶を片手にすっかり暗くなった窓の外を見下ろしながら窓枠に腰かける。
窓枠といっても城壁を壁にして作られた部屋の窓だ。窓のために若干壁の厚みが削られているとはいえ窓枠部分だけでも人の肩幅以上の厚さはある。
城壁の外。身を乗り出して見下ろすとちょうど窓の下辺りに古い井戸がある。恐らく都市が建設される前からあるのだろう。都市の中にも勿論水場はあるのだがこの辺りに住んでいるなら近場で用事をすませられる便宜上、女たちは朝と昼にここに集まる。都市の中には水道が通っているのだが井戸の水は課税の対象外なので貧しい人にはありがたい場所なのだ。
井戸から少し離れた場所に道路ができており、それが都市の回りをぐるりと囲み、都市の東西南北に設けられた門につながるようになっている。さらには、東の森からのびている道もこの道に出るようになっている。
東の森。それ自体はひっそりと静まり返っており、特ににおどろおどろしいわけでもない。現にリョウもそこを通って来るときには気持ちの良い森だと感じた。本来森とはそういうものだ。
「敵」が現れるようになってから変わってしまったのだ。
森が、というより森に対する人のイメージが。「敵」は影を好む。岩影や森の影、薄暗い天気の日や夕刻以降の暗がり。何かのタイミングで人に遭遇して襲いかかる。だから森にはむやみには近付かない。というのが身を守りたい人間の常識になった。まぁ、その森のど真ん中に道があるので場合によっては決死の覚悟で通る者もいるのだが。
あれからハナのところに通い、ザイラとクリストフとは一緒に食事をする習慣ができ、明日には所属部隊が決められることになった。
「こうも楽しい日が続くことになるなんて、ね」
つい独り言をこぼしてしまう。
東の都市では……それはリョウの態度のせいもあったがさほど楽しい生活はしていなかった。こんなに心から笑って過ごすのはどれくらいぶりなんだろう。そう思うと少し怖くなる。この後に何かあるんじゃないか、なんて考えてしまうのだ。
何にしてもここでの生活はまだ始まったばかりで、まだこの都市のことだってすべてを知ったわけではない。気を引き締めていかなくては、と思ったその時。
「……?」
カップを窓枠に置き、目を凝らす。
ぞわり、と背中に悪寒が走る。
次の瞬間、リョウは脇に立て掛けてあった剣をつかんで窓枠を蹴っていた。
窓枠の下方には城壁の門。その出っ張った部分を中間地点にさらに下、地面に飛び降りる。そして剣を抜く。
と、ほぼ同時に門番が警笛を鳴らした。
「敵」が森から出てきたのだ。しかも間違いなくこちらに向かって二体、突進してくる。
なるほどね。
リョウが走りながらちらりと後方を見て納得する。警笛が鳴った門を中心に城壁の回りに等間隔で配置されていた兵士たちがこちらに駆け出している。人数も機敏さも東の都市より数段上だ。間違いなく「使える」人材が配置されている。さらに、警笛を聞いて窓から顔を出す人影が数人。あれは騎士なのだろう。これなら素早く対応できるのかもしれない。
とはいえ先に飛び出したリョウは必然的に一足早く「敵」に接触する。
息を乱すこともなく全力で走り、リョウは抜いた剣を構えると勢いをつけて切り込んだ。狙ったのは首の辺り。
確かに手応えがあったが。
「うわ」
もう一体が思わぬ方向から腕を伸ばしてくる。そして、首を落としたと思った初めの一体が物凄い奇声をあげる。
「!やば」
奇声が上がった瞬間、間近に迫った腕をかわして改めて奇声をあげている方にとどめをさす。
そして、一足遅れて追い付いた数人の兵士が、リョウがかわした方の「敵」を取り囲みじりじりと間合いをつめ始めるのを確認して。
「そっちは任せます!」
そういい残して、リョウは再び森の方へ駆け出す。
あの奇声。
切られたときの奇声は仲間を呼ぶ。そして案の定。
「げ。三体か!」
リョウの足は止まり、今度は息を整えて剣を正眼に構える。三体それぞれの動きを見据えて。
一番先に来る「敵」をまず、地面を蹴って飛び上がり重力に任せた勢いで袈裟懸けに切る。そして着地するまでの一瞬で剣を逆手に持ち変えて横を通りすぎるもう一体の脇腹辺りを引き切り、ほぼ真っ二つに。くるりと向きを変えた勢いで再び地面を蹴ってその後ろから来るラスト一体の首に背後から剣を突き立てる、筈だった。
「……!」
地面を蹴る、その瞬間、足が何かにすくわれた。
声を出すまもなく切り裂かれた二体目の腕が最期の一瞬、リョウの足元をなぎ払ったのだ。
「お……っと!」
軽く体勢を立て直して、改めて三体目に向かおうとした瞬間。
その三体目があっけなく倒れた。見れば胸と頭にかなり太い銀色の矢が刺さっている。
「……君、強いですね。一人で三体、ですか」
息を切らしながら声をかけてくる人がいる。
恐らく、銀の矢を射たその人だ。暗がりでうかがえる範囲とはいえ、兵士の装備ではないところを見ると、どうやら都市から出てきた騎士の一人がリョウに追い付いたようだ。片手に大きな弓を持っているのが見える。
リョウも息を整えながら剣を鞘に収め、相手の方に向き直る。とはいえ城壁の回りに焚かれていた篝火からは離れており、ほとんど明かりのない暗がりだ。多少目がなれてきているとはいえ自分より背の高い男、という程度にしか識別できない。
「ご無事ですか!隊長殿!」
兵士たちが集まってきた。さっきの一体は片付いたようだ。
……隊長?
リョウの疑問は声にならなかったが、隊長と呼ばれた男が集まってきた兵士やそれに混ざる騎士を見回して答える。
「大丈夫ですよ。この人がおおかた片付けてくれましたから。……今度新しく配属される騎士、というのがあなたですね? クリスから聞いていましたよ……えーと」
……「クリス」……クリストフのことだろうか?
そんなことを考えながら、ふと、自分の名前を問われていることに気付いたリョウが改めて挨拶する。
「あ、はじめまして。リョウ、といいます」
ざわ。
まさにそんな感じ。集まった兵士たちが意表を突かれたのだ。
「……女?」
そんな声がちらっと聞こえる。
……そうよね。
リョウはちょっと苦笑い。
今、声を聞いてはじめて気づいたのだろう。暗がりだし。……さっき「そっちは任せます」って声に出して言ったけど、みんな必死だったから、今になって初めて先頭にいたのが女だと気が付いた、という感じだ。
そりゃ、驚くかも、ね。女がここまで強かったら。
「リョウ、僕はレンブラント。今夜はもう遅いですしひとまず部屋に戻って休んでください。また明日お目にかかりましょう」
ざわついた他の兵士や騎士たちの様子にはまるで気付かないかのようにレンブラント、と名乗ったその人、恐らくどこかの隊の隊長はリョウだけでなく他の皆にも都市に戻るように促し、兵士たちを持ち場に戻らせたのだった。
翌日。
クリストフに連れられてリョウは最寄りである第三駐屯所に来ていた。彼の話によれば騎士隊は都市の中の四ヵ所に設けられた駐屯所にそれぞれ三つの部隊が割り当てられ所属しているらしい。
「二級騎士と聞いているんだが……」
指揮官室にて。
三つの部隊を束ねる指揮官が、机の向こうでリョウの移動書類を片手に怪訝な顔をしている。
「ええ。その通りですが」
リョウの明快な答え。
「……昨晩の活躍を聞く限りでは軽く一級の腕があるのではないかと思うんだがな……」
大柄な、いかにも戦士、といった厳つい指揮官は眉間にシワを寄せて顎髭の辺りをさすっている。どうやら早速、報告が上がったらしい。
こういう個人の働きに関する連絡の早さは東にはないことだ。そこには少し驚かされるものの。
「それは……ありがとうございます」
感情のこもらない平淡なリョウの返事。
「ふむ……」
指揮官が少し間を置いてからおもむろにリョウの背後に目を向ける。
「二級騎士ならクリストフの隊に、と思ったが……腕があるならむしろ……」
「うちにまわしていただけますか?」
知った声にリョウが思わず振り返る。
部屋の入り口の脇には、リョウを連れてきたクリストフの他に二人の男。恐らく、ここに所属しているという第七から第九部隊までの隊長、ということだろう。リョウが入室する際には軽く会釈した程度で特にまだ改まって挨拶はしていないのだ。
「そうだな、レンブラントのところは一級騎士が少なかったな」
ああ、やっぱり。
クリストフと意味ありげに目配せしている男が夕べ「隊長」と呼ばれた男なんだな、とリョウも納得する。
暗がりで、背が高いなというくらいしか認識できなかったが。そう、確かに、三人の中でも背が高いのはレンブラントと呼ばれた隊長だ。
明るいブラウンの癖のある髪を後ろで束ねて同じ色の優しそうな目をしている。恐らく、三人の中で一番年上だろう。
もう一人はクリストフと同じくらいの年齢の青年。身長はほぼ同じでも若干体格が良く、鍛えられているのがわかる。そして戦士としての訓練をうかがわせる姿勢の良さ。黒に近い茶色の髪はやはり後ろで束ねられている。これも騎士としての仕事をする者の特徴なのだ。
髪の長さに規則があるわけではないが、クリストフのように邪魔にならないように短くするか、束ねて見苦しくないようにする。戦う際の便宜と身だしなみの礼節から来る規則なのだ。ただどうしても戦に出たり、勤務に当たったりしている期間は床屋に通う余裕がなくなるので中途半端な長さでいるよりは、と、ある程度の長さにしてしまう者の方が多い。
「じゃあ、俺は戻っていいのかな」
もう一人の、つまり三人目の隊長が声をあげる。
「ああ、ハヤト。仕事中にすまなかったな。一応顔だけは覚えておいてもらわんといかん。今後、第八部隊に所属するリョウ、だ」
改めて紹介され、リョウはくるりと向きを変えて頭を下げる。
「よろしくお願いします」
「ああ、どうも。よろしくね。俺はハヤト。第七部隊隊長。悪いけど今、訓練生の稽古を見ている最中だったんでこれで失礼するよ」
ハヤト、と名乗った男はそう言うとゆっくり部屋から出ていった。
「……一級の試験は受けないんですか?」
駐屯所の中を一通り案内したレンブラントがおもむろに尋ねる。
今月は第七部隊が駐屯所の仕事に当たるのでレンブラントやクリストフはいってみれば非番なのだ。愛妻家で名が通っているらしいクリストフは妻のもとへ早々に引き上げ、レンブラントはリョウを案内するために駐屯所に残った。
「興味がないんです」
そっけなくリョウが答える。
そう。興味がないのだ。
「ずいぶんと嫌われているんですね」
やんわりと。そんな返事が返ってきたのでリョウが、はっと我に返りレンブラントの顔を見る。
……しまった!
つい今までの癖で、上司に対して機械的な返事ばかりしていたということに気付く。
そういえば駐屯所内を案内しながら隊長はかなり気を遣ってくれていた、気がする。
そもそも、騎士の中で女はさほど多くない。新人というだけでも好奇の目にさらされるのに女であればなおのことである。訓練生や行き交う騎士たちになんだかんだと声をかけられるのをレンブラントはうまくかわしてくれていた。
「すみません。そういう訳ではないんです」
ちょっと慌てて付け足す感じになるが、なるべく丁寧に説明しなければ。そんな気になってしまう。
「私の場合、身を守るために身に付けた剣術をたまたま見込まれて、都市で生きていくために試験を受けさせられたら二級にパスした、というだけの話で。はじめから騎士を目指していたわけではないんです」
これは本当の話。
「なるほど」
リョウが丁寧に答える様子を見たレンブラントが安心したように、ふっと表情を和らげた。
その表情を見て。
ああ、この人、綺麗な人なんだな、とリョウは今更ながら思った。明るいブラウンの柔らかそうな髪は彼の表情を柔らかく見せ、髪と同色の瞳は彼の笑顔を引き立てている。これはそこそこモテるだろう。そして、モテるということは女からこんなに素っ気なくされるのには、なれていなかったかもしれない……。
そんなことを考えているリョウに。
「ということは誰かに付いて学んだ、ということですね」
と、レンブラントはリョウの話し始めた過去に関心を持ち始めたようだ。
「あ……ええ、まぁ……」
そこで、リョウは返事につまる。
どこまで話したらいいのか。
リョウの場合、騎士を目指す訓練生だった時期はない。騎士の試験は実力があれば学歴がなくても受けられるのだ。ただし一級だけは、二級に受かる前にダイレクトに受けることが出来ない。
まぁ、最初からそんなに腕のある人なんか想定されていないのでそういうルートがないというだけのことなのだが。とりあえず騎士になってしまえば三級だろうが二級だろうが住む場所も給料も確保されて、ある程度の生活が都市の中で保証される。「ある人」が世話を焼いてくれたお陰でリョウは社会の中の歯車のひとつになったようなものだった。
都市の生まれではない田舎出身者にはそういう者がいる。そして田舎であればあるほど自分の身を守ることは必須で、退役軍人に弟子入りする者や、まれにレンジャーと呼ばれるどこの組織にも属さない流れ者の戦士に教えを請う者もいる。とはいえレンジャーは基本的に平和的でないことが多く、かなりのリスクを負うので後者は滅多にいないのだが。
「僕も、ですよ」
「……!」
意外な言葉に一瞬リョウの思考が止まる。
レンブラントは柔らかく微笑んだままリョウの目をまっすぐに見て、それから少し遠い目をする。
「僕は『風の民』の出身でね」
「風の民……」
リョウにも聞いたことがある呼び名だった。
昔、まだ世界が比較的平和だった頃、どこにも定住することなく旅をしながら芸を売り、生計を立てていた部族がそんな風に呼ばれていた筈だ。
芸を売る、といってもそれは誇り高い部族で歌も踊りも一流、占いや医術にも長けておりその訪れは一般的に待ち望まれていた。
しかし、時代は変わったのだ。城壁の外で暮らすことがどれだけ危険かなんて考えなくてもわかる。旅なんかしていたらなおさらだ。
それで、風の民はレンジャーを用心棒に雇うか、さらには「敵」とある種の契約を結ぶということで知られている。レンジャーを雇うのはそもそも平和的なことではない。彼らは法外な金銭を要求するか人を食い物にすることで知られている。雇い主の家族やその部族に女がいれば確実に要求の対象だろう。
さらに「敵」との契約。そんなものをどうやって結ぶかは知られていないが、自分たちが襲われないために定期的に自分たちの子供を供物として差し出すといわれているのだ。
それゆえに。「風の民」という言葉はかつての意味合いを失い、今では恐ろしい非人道的な部族、という蔑まれた意味合いを持つ言葉でもあるのだ。
「危うく供物にされるところを拾われたんですよ。運良く武術の習得も早かったのでここまで生きながらえました」
「……運良く……ですか」
半分は、嘘だろうな。
リョウは内心そう思う。
きっと死ぬ気で習得してここまで上り詰めたのだろう。
夕べの矢。あれは特殊なものだ。一般的に使われるものより大きくて全体が銀色の特殊な金属でできている。「敵」を一発で仕留める為のもの。あれを扱うのは簡単なことではない。それを彼は外すことなく的を正確に一瞬で射ていた。しかも二本だ。運良く身に付くような技術ではない。
「ああ、僕が風の民の出身であるというのは別に秘密でも何でもありません。みんなが知っていることなので気にしないでくださいね。いずれ誰かから聞くことになると思いましたので先に知らせたまでのことです。自分の部隊の隊長が出生の秘密を持っていると思ったら居ずらいでしょうから」
「……!」
リョウはちょっと息を呑む。
そして、同時にいくつかの事実を推測できた。
まず、これが周知の事実なら。「居ずらい」なんてもんじゃない。誇り高い騎士を目指してきた者なら他の隊に移動したいと申請を出すだろうし、その申請はあっさり通るだろう。だから「一級騎士が少ない」と指揮官は言ったのだ。さすがにそういう発言権があるのは一級まで上り詰めた者だろう。
それなのにこうも穏やかで、品が良いくらいの物腰のレンブラント隊長という人物にリョウは驚嘆する。よくぞここまで真っ直ぐに成長できたものだ! きっと何か強い意志に支えられてのことだろう、とも推察できる。
普通ならもっとやさぐれてもいいはずなのに。
さらに。恐らく、この都市はそういう都市でもあるのだ。いろんな背景の人間を受け入れる。少なくとも都市の司や元老院、軍の上層部といった人たちは偏見なく人を見る、そんな都市なのだ。
「勘の良い人は嫌いじゃないですよ。入隊早々面倒をお掛けしますが、そういう訳ですからもし隊の移動を考えるなら一級試験を受けてくださいね」
「……隊の移動を勧めてどうするんですか」
隊長の自虐的な発言にリョウはちょっと眉を寄せてあからさまな口答えをする。
「いえ、僕は構わないんですよ。本当に。そういう目的でも腕の良い騎士が育つならひいては都市の力になるでしょう? 都市の戦力が上がれば都市の司殿の名声も上がりますし、この都市のやり方の正しさも実証されるわけですからね」
もしかして。
隊長を「拾ってくれた」恩人というのは、ここの都市の司殿なのかもしれない。
レンブラントの口調と表情にふと、そんな考えがリョウの頭をよぎる。で。
「先ほども申し上げましたが私、そういうことに興味がないんです」
口元に笑みを浮かべて。でも、目は真っ直ぐレンブラントを見てそう言い放つ。
こういう人の下で働くのは、そう悪くない。