友人
西の都市にきて、リョウの日常がようやく安定してきた。
朝起きて部屋の掃除をざっくりする。
身支度を終える頃には外が明るくなってきて、窓の外から井戸のところでお喋りをしている賑やかな女たちの声が聞こえてくる。
それはなんとも穏やかで、今までの生活とは随分かけ離れていた。
以前いた東の都市は……全体的に暗かった。
と思うのは自己本意な感想だろうか、とも思う。
都市の中にある騎士のために用意された住居に住んでいたから、こういう雑音はあまり聞かなかったというのもある。
騎士の生活は一般の人たちに比べて若干不規則だったりするのでその便宜上、一般の人たちの生活を乱さないように、またはこちらが煩わしい思いをしないように居住区域が分かれていた。
そのせいか、同僚たちの視線にさらされることが多く……さらにはその居住区の端に住んでいたリョウは同僚からの扱いを度々目にする一般の人からもあまり好意的な目で見られることはなかった。
店に食料の買い出しに行っても「……ああ、あの女騎士ね」なんていう目をよく向けられて、店主から商品を高値で売り付けられることもあったくらいだ。
「……まぁ、ここはまだ私のことも知らない人たちばっかりだしね」
リョウがちょっと前のことを忘れようとでもしているかのように、小さく首を振りながら玄関の扉を開ける。
ここの生活は面倒なことに外との関わりなしでは成り立たない。
台所は狭くて料理をするのはちょっと面倒で、外に出れば色んな店があって必要な食べ物は大抵買える。
今まで必要な物は買い溜めて家の中で料理も食事もして、必要最低限 他者との関わりを避けてきていたリョウにはちょっと馴染みにくい生活だ。
「おっはよー! 相変わらず早いわねぇ!」
「……ザイラ……」
ちょうど外に出たところで満面の笑みを浮かべたザイラに迎えられ、リョウが小さく呟いた。心の中で軽くギョッとしているのは表に出さないように気を付けて。
「もー、朝ごはん一緒に食べにいくから待っててって言ったのに、やーっぱり先に出かけるつもりだったわね?」
「あ……いや、その……」
あっけらかんと言い放つザイラにリョウは言葉を失った。
実は、確かにその通りで。
リョウがこの都市に慣れるまで自分が面倒を見るんだ! と意気込むザイラは朝昼夜と、外での食事にまで付き合ってくれているのだ。
確かにリョウはまだ、どこにどんな店があるのかよくわかっていないのでそれはとてもありがたいことだ。さらには彼女、一緒にいてとても居心地がいいので嫌な気は全くしないのだが。
……申し訳なくて仕方ない。
というのが本音。
どう見ても、食堂で一緒に食事をするにあたって楽しそうにしているのはザイラ一人だ。時々クリストフも一緒になるのだが、二人が楽しそうに会話していてたまにリョウの方に話を振ってくるとはいえ……どうにも同じようなテンションで話に混ざることができずに変な空気にしてしまっているような気がする。
なので、今日は隙を見て近くの店でパンでも買ってきて部屋で朝食を済ませてしまおうと、いつもより早めに外に出たところだった。
「どこか行きたいところがあったの?」
リョウの腕に自分の腕をふわっと絡めながらザイラが顔を覗き込んでくる。
そのちょっと上目遣いの表情はなんとも可愛らしくて……リョウの口元がつい、ちょっとだけゆるんだ。
「う……ん……あの、食堂もいいんだけどね……美味しい焼きたてのパンを買って部屋でゆっくり食べるのもいいかな、と思って……」
……しまった。スルッと白状してしまった。
これじゃ、毎回食堂に誘ってくれているザイラが気を悪くするかもしれない。
なんて思いながらリョウが表情を改めた。
と。
「あ……そっか……」
ザイラがわずかに眉間にしわを寄せてからすっと視線を逸らした。
……ああやっぱり。
気を悪くさせてしまった。
でも……これで毎回誘ってくることもなくなって……申し訳ない思いもしなくて済むかもしれない。
どうせ一人でいることには慣れている。仲良くなる前に離れてもらった方がきっと無難。
なんてリョウが思い直したところで。
思いもよらず、リョウの腕に絡んでいたザイラの腕にギュッと力が入った。
「ね、リョウ。大勢がいる食堂って……やっぱり苦手だった?」
「え……」
思わぬ反応にリョウが怯んだところで。
「いや、ね。あたし東の都市の文化ってよく知らないんだけど! 前にああいう食堂で毎食食べるなんてここ独特の文化だって聞いたことあったなと思って。あたし、自分がいいなって思ったことはつい他の人にも勧めたくなっちゃうんだけど、慣れていない人にはいい迷惑よね。……ほんっとにゴメンね?」
思わぬ言葉に思わぬ反応。
ザイラの大きなパッチリした目はいつになく真剣な眼差しで、口元はきゅっと引き締められて謝罪の意が思いっきり表れており……。
「あ……あ……えーと、いいの! 確かに慣れてないんだけど……その……ああ、ほら、ここにいる以上はいつかは慣れなきゃいけないと思うし!」
こんな風に申し訳なさそうにされることには全く免疫がなくて、リョウはつい心にもないことを口走った。
……慣れなきゃいけない、なんて思ってないくせに。
心のどこかでそんな声がする。
当たり障りなく生活できさえすればそれでいいのだ。
誰とも深く関わらずに、心を乱されることもなく。
「うーん……でもやっぱりあたしって押し付けがましいとこあるからね。クリスにもよく言われるのよ。それに、無理に慣れなきゃいけないってこともないわよ? この都市って結構いろんなとこから来てる人がいるから他と違うことしてても変な目で見られることはあんまりないし、嫌なら違う方法で楽しめばいいのよ」
考え込むようにそう言うザイラはなんだかとても素直で、見ていて微笑ましい。
……傷つけるようなことを言ってしまっただろうか、と、改めてリョウが視線を逸らしたところで。
「ね! お詫びに美味しいパン屋さん教えるわ! そこサンドイッチも具沢山で美味しいのよ。一緒に行かない?」
かくして。
リョウは一人で部屋で食事をしようという計画を断念する羽目になり、思いもよらず、ザイラいわく「ここは知る人ぞ知るパン屋さん!」という店まで教えてもらって美味しいサンドイッチを部屋で二人で食べることになった。
そして。
それがきっかけだったのか、ザイラとリョウはなんとなく打ち解け始めた。
「もー、リョウは遠慮深すぎるのよ!」
そう言いながらザイラがリョウの買い物についてくる。
小さな台所とはいえ簡単な物なら作れそうなので多少の買い出しはしようと思ったところでザイラがそれに勘付いた。
「いくら人がいい都市とはいってもね、扱う商品が良い店と良くない店くらいあるのよ。店主がいい人な所もあるし無愛想で客の足元見るような人もいるの。ちゃんと教えてあげるからもう少し大人しく世話されなさい!」
両手を腰に当ててリョウの前に立ちはだかるザイラにリョウは観念するしかなく。
「いや……別に遠慮してるわけじゃなくて……」
「ほほう? じゃあ、このザイラ様に言ってみなさい。どこに行こうとしてるの? 教えて欲しいことあるでしょー?」
「……うう。新鮮な食材を安く買えるお店、教えてください」
「よろしい!」
また別の日には。
「ね、ザイラ。いっつも私にくっついてたら飽きない? 嫌にならない? つまらなくない?」
「んーん、別にー?」
道を歩きながら隣を歩くザイラに思い切ってリョウが話しかけたところで、楽しそうなザイラの答え。
なんなら鼻歌まで歌ってる。
「えーと、今日はこないだ教えてもらった店に行くだけだから大丈夫なんだけど」
「あ、そう? 偶然ねー。あたしもあの店に用事があるの! 折角だから一緒に行きましょう!」
「……絶対、今思いついたよね、それ」
リョウがカクンと肩を落とすと。
「あ、そうだ。クリスがね、あたしがいつもリョウと一緒にいるって言ったらやきもち妬くのよー! だからさ、やっぱりクリスも仲間に入れてあげなきゃいけないのよね。いつも行ってた食堂なんだけど、満員の時間帯は鬱陶しいからちょっと避けて人が少ない時間帯に行って三人でご飯食べるのってどうかな?」
ザイラがこちらの顔を覗き込むようにして聞いてくる。
「……別に、そこまでして私に合わせてくれなくてもいいんだけど」
リョウがつい眉をしかめてボソリと呟いた。
「人が少ない時間帯」なんていうのは、もはやリョウに合わせているとしか思えない発言だ。いつも大勢で賑わっている時間帯に三人で食堂に行っていた。
「いやぁー、これがさぁ、リョウと一緒に二人でのご飯とか食べるようになったらなんだかあたしも感化されちゃって。最近人でごった返してるところでわいわいしながら食べるのって疲れるなって思えてならないのよねー。お喋りするのにも声張らないといけないじゃない? 少人数で静かに食べる方が色々話もできて楽しいということに今更ながら気付いたわけよ」
そんなことを言いながら照れたように笑うザイラを見て。
リョウはこっそり目を丸くした。
きっと、彼女は彼女なりに自分に合わせようとしてくれているのだ。
気遣ってくれている。
私が気まずくならないように。独りにならないように。
でもそれが、当て付けがましくない。
なんだか心地良く思える。
こんなのは初めての感覚だ、と思えて……それを楽しもうとしている自分にちょっと驚いてみたりして。
こんな風に新しいやり方を、人との関わりを、もう一度味わうのも……悪くないのかもしれない。
なんて思う。
前から入れたいと思っていた話を追加しました。
このシリーズを始めたばかりの頃、ザイラちゃんをとても気に入ってくれたあるお方と、この拙い話を繰り返し読んでくださっているという奇特な読者様への感謝を込めて。