西の都市へ
「リョウさん、まだ歩きますか?」
いかにも旅人、といった二人連れの、先を行く若い男が振り向きもせずにそう尋ねる。
ちなみに彼、決してぶっきらぼうという訳ではない。
彼らが歩いているのは巨大な森。
この森に入ってから二日経つ。
そして、どうやら木々の密集度合いが変わってきたところを見ると出口が近づいているように思える。とはいえ、いつどこから「敵」が現れるかわからない場所なのだ。後ろに人がいるということは後方よりも前方や左右を警戒する必要がある。
これはもはやこういう土地を歩くときの最低限度の常識だ。
「そうね。この日の高さなら今日中に西の都市の門には着く筈だから先を急いだ方がいいんじゃない?」
リョウ、と呼ばれたのはどうやら女。マントで身を包み、フードを被っているせいで声を聞かないと女と判らない。
「ですよね。でも森の中で『敵』に遭わなくてよかったですね。こんなに木が茂ってたらこっちが断然不利ですよ」
「カイ、それ、騎士として言っちゃいけない台詞よ?」
「そりゃ、まぁそうですけど……」
カイ、と呼ばれた男は子供っぽく、実に子供っぽく口を尖らせる。何しろリョウと同じような格好をしていて顔はよく見えないが、背丈や体つきからして明らかに「少年」ではないのだ。
ホントに最近の若者は……。
口には出さずにリョウがこっそり溜め息をつく。
ここ二十年くらいだろうか。都市の民は「敵」と戦うことに専念するあまり子供を作ることが少なくなった。そしてそのせいか若者を甘やかす傾向は強まった。
昔なら十代後半にもなれば立派な騎士としての資格を満たし、騎士の昇級試験にパスする為に日夜稽古や勉学に励む若者たちは切磋琢磨してより強くなっていったものだ。
それが、親の世代に保護されることに慣れたこの世代は「騎士になりたい」と言えばちやほやされ、実質の伴わないまま三級騎士になれてしまうのだ。
それでも戦場には出ていかなくてはならない。そうなると彼ら最も下級の騎士は、部隊の最後尾か、上級騎士の間に配置され「安全に」戦う。一番責任のない、それでいて「騎士」という肩書きだけはある、という立場。
それでも。
リョウがもう一度溜め息をついた。
そのお子ちゃまに「護衛」されて西の都市に「護送」されているんだわ。私ったら。
いうなれば、上層部との付き合いがうまくできなかった為に飛ばされる。そんな立場。
まぁ、東の都市にたいした思い入れもなかったから構わないんだけど。
そんなことを思いながら前方に目をやる。もう一息、といった距離だ。
荷物を積んでいた馬は森で夜を明かす際、リョウが目を離した隙に、カイが「うっかり」逃がしてしまってそのあとは自分達で荷物を背負って歩いているのでだいぶ疲れてきている。
「……!」
リョウがふと、背後に嫌な気配を感じた。背中がぞわっと逆毛立つような。
「カイ」
何も気にせず黙々と歩くカイに声をかける。
「うわっ!」
呼ばれて振り向いたカイの目に入ったものは人の丈の軽く二倍はある「敵」。黒くて細部までは見えないものの息を荒げてリョウめがけて右腕が降り下ろされる。と、同時に。
ざっ、と音を立ててリョウが地面を蹴った。
そして飛び上がる勢いで剣を振り上げ、降り下ろされる右腕を切り落として、その剣をそのまま袈裟懸けに降り下ろしたので「敵」が真っ二つに、なる。
耳に刺さるような独特の奇声はあげられる間もなく、地面に崩れ落ちるなり黒い霧のようになって消えていく。
「ふう。……だから油断しちゃいけないって言ってるのに」
ぱちん。と、剣を鞘におさめてリョウが振り返る。
で、苦笑。これはこっそりではなく、あからさまに。
「立てる?」
差し出した手の先には、へなっと座り込んだカイ。この護送は明らかにただのしきたりだ。女を送るのに一人で歩かせてはいけない、という。
この分だと彼の動揺がおさまるまで休んでから歩き出すとして…都市の門をくぐるのは夕方になるかしら…? なんてのんびり考えてみる。
「まだ門は開きますか?」
すっかり落ち着きを取り戻したカイが都市の入り口で門番にそんな声をかけるのは、言うまでもなくすっかり夕方になってしまったから。都市は大抵夕方になると門を閉鎖する。それは民の安全のため。でも、門番の答えは意外だった。
「よその都市の方ですね。ここはいつでも開いていますよ。夜間の警備は徹底してますから。……どちらからですか?」
カイだけではない。これにはリョウも唖然とした。
なんだこの対応。この危なっかしい時代に、訪問者に警戒心を持たないこの門番。普通なら真っ先に許可証だの任印付きの書状だの事務的な手続きを要求されるはずなのにこんな、ようこそ、いらっしゃいませ、的な門番ってありなのか?
これって、もしかして何か別の魂胆でもあるのかな……と、リョウが一人静かに混乱に陥っている間、カイはというと。
「……」
これもリョウ、唖然とする。
まぁ、知ってますけどね。
子供の頃からちやほやされて育った世代。人を疑うことを知りません。なので、あっという間にその流れに乗り、「はい、東の都市から来ました」「これが移動の書状と、通行許可証です」「いやーさっき、『敵』に出くわしましてねー。あっ、ちゃんと片付けましたんでご心配なくー」なんて仲良さげに雑談まで始めているのだ。
そしてどうやらリョウの勘繰りは本当に無用だったらしく、その後、全く何の妨げもなく二人はあっさり中に入ることが出来た。そしてこの門番、ご丁寧にも二人のうち一人がカイの雑談中に中から案内役の役人まで連れてきてくれた。
「……賑やか、ですね」
先を歩く役人にリョウが話しかける。
夕方、薄暗くなってきた時間帯だというのに都市の中は比較的賑やかだった。
さすがに真昼のように子供たちが走り回っているわけではないが、仕事帰りの若者たちが雑談していたり、居酒屋が賑わっていたり、物売りの女が商売していたりする。
本来なら都市の中というのはそういう場所だ。とはいえ、ここ十数年「敵」の襲撃が以前にましてひどくなってきており、大抵は暗くなり始めたら人々はあっという間に家に引きこもるのだ。……少なくとも、東の都市ではそうだった。
「え? ああ、そうですか? そういえば最近はどこの都市も夕方にはひっそりしているんですよね。行商人がよくビックリしていますねぇ。……まぁ、ここはかなり安全なんだと思いますよ。元老院が若いやり手揃いなんですよ。騎士隊の育成にもきちんと向き合ってくれますし、お陰で軍もしっかりしているんです。だから行商人も商売しやすいらしくて都市も潤うんですよ」
「……ふうん」
なるほど、とリョウは納得する。それであの対応だったのか。
それにしても。
そんな都市が、いや、そんな考え方を実行する元老院が今どき実在するのね……。
そんなことを考えながら役人の後について暫く歩き、建物の中に入り、とある部屋の前で待たされる。
「あ、中へどうぞ」
一旦中に入っていた役人が、ほんの少し他のドアより装飾の多いドアを開けて中から出てくる。
リョウとカイが中に入ると、机の向こうに男が一人。おそらく、都市の司。つまりこの都市における全責任を一任されている人。
おそらく、というのは。
若いのだ。といっても初老に差し掛かるかどうか。でも、基本的にいってこういう役職に就いているのは老人であるのが一般的だ。年長者の知恵を重んじる人間の慣わしがしきたりとなっている筈なので。
「リョウと……そちらが護衛役のカイ、ですね。長旅ご苦労様」
「……どうも」
緊張のあまり声がでなくなっているカイをちらりと見やってからリョウが軽く会釈する。
なんとなく、苦手だな、この雰囲気。
自分が歓迎されている筈の無い状況で、ゆったり微笑む上位の人物を前にする、というのは。
書状を一通り読んだのなら、私が東で優遇されていたわけではないことは分かるだろう。まぁ、それはいいんだけど。
ちょっとした開き直りもある。
都市を守るための騎士隊。民の命を守るための仕事。
それに本気で取り組まなければ自分の命だって落としかねない時代なのだ。
それなのに上層部は中途半端な建前で三級騎士を増やし、上級騎士の負担を増やす。そんなやり方にいちいち突っかかっていたら、飛ばされちゃったのよねぇ……。
「何はともあれ、歓迎しますよ。うちは腕のいい騎士は基本的に歓迎なんです」
その言葉にリョウはちょっと驚いた。
言葉に、というよりはその人の持つ雰囲気に、だろうか。全く嫌みがない。本当に歓迎されているかのような錯覚に陥りそうになる。
「お疲れでしょうし、今日のところは休んでいただいて結構ですよ。部屋もちょうど空きがあるので手配してあります。多少散らかっているかとは思いますがひとまず休める状態にはなっているはずです。……カイ、の方は東への出立は急ぎますか?」
「え? 僕、一人で帰るんですか?」
あいた……!
リョウは思わず横を向いて顔をしかめる。
……だからお前は騎士だろう! そして男だろう! 一人で帰らなくてどうするんだ!
「では……数日後に東の都市に伝令を送る用事がありますから一緒に行くよう伝えておきましょう」
うわぁ……。
司殿。あなたは本当に出来たお人だわ。よくぞこの突拍子のない子にうろたえることなく接することができますね……。
リョウは、目の前の落ち着き払って書状を整理しながら的確に、淡々と指示を出す男に拍手を送りたい気持ちだった。
いや、まさか……ここでもこのやり取りは普通なんだろうか……。
若干、複雑な思いを胸にリョウは部屋に入って来た別の役人に案内されてこれから住むことになる場所に向かう。
多分、もう会うことはないと思われるカイは宿泊先も決まったらしく嬉しそうにリョウを見送ってくれた。