覚悟
夜明けと共に出発して半日の道のり。
「……あの空、なんかヤバイな……」
クリストフがこぼす。
馬を休ませるために休憩を取りながらも三人の視線はほぼ終始、目指す町の方向の空にある。
「敵」は日差しの中では積極的に動き回ることはあまりない。勿論、不可能ではなく何かに触発されたように出現し襲い掛かることも観察されてはいるので元々油断はできないのが現状だったのだが、この度の情報通り「傭兵」として組織されているのだとすれば昼日中に本格的な攻撃があることも可能性として、考えられていた。
ところが、どうやら町の方角の空がおかしいのだ。
雨雲が広がっている……ようには見えない。なのに暗い。まるで闇という名の垂れ幕がかかっているように、その方角だけ暗いのだ。
「ああいう状態なら『傭兵』の動きは夜間と同じ、ということでしょうかね」
レンブラントが眉間にしわを寄せたまま呟く。
そうかも知れない。
そして、それが人為的になされているのだとしたら。そんなことのできる者がいるのだとしたら。
リョウは言葉には出さないが、その事の重大さに体が震える。
これは、もしかしたら、なにか大きな異変の時を迎えようとしている、ということになるのではないだろうか。
「……リョウ、大丈夫?」
心配そうなクリストフの声に、リョウが我に返ると目の前の二人の隊長の視線がいつの間にか前方の空から自分に注がれていることに気づく。
「っと、あ。大丈夫です。ちょっと考え事してて」
私、よほど深刻な顔していたんだろうな。などとちょっと反省する。この状況でさらに不安をあおるようなことをしてはいけない。
「それより」
リョウが、はぐらかすようにクリストフを見据えて話を切り替える。
「良かったんですか?隊を離れちゃって」
そう。ずっと気になっていた。
出掛けにハヤト隊長が「大丈夫なの?」と声をかけていたのもたぶんこういうことだろう。
つまり、妻帯者。
しかも妻は大怪我をして動けない状態のさなか。
こんな時に、無事に生還できる可能性が最も低そうに見える行動を取るなんて。
勿論、リョウはクリストフを死なせるつもりはないが彼自身はリョウの力も意図も知らないのだ。
「あのなぁ……。一応、僕、騎士隊の隊長なんだけど。ハヤトといいリョウいい、なんか感じ悪いぞ」
憮然、とクリストフが言い放つ。
リョウは一瞬眉を寄せる。
「クリス、仕方がないでしょう。これが普通ですよ。それにリョウはザイラとも仲が良いんですから」
たしなめるようにレンブラントが口を挟み、どうどう、とでも言いたげにクリストフの肩を叩く。
「ああ、まぁ、そうか……」
クリストフがちょっと間を置いて気持ちを落ち着けてからリョウの方に向き直る。
「あのね、騎士としての僕があってはじめてザイラの夫たる僕がいるの。……分かるかなぁ、これ。ザイラは僕が命懸けで戦う身であることを承知の上で『騎士の妻』でいてくれているんだよ。彼女が惚れてくれたのがこんな男なの。だからこの戦いに関しても手を抜くようなことをしたら僕は自分を許さないだろうし、彼女も僕にがっかりすると思うよ。だから僕は自分の分を全うする事に何のためらいもないんだ。自分が役に立つなら喜んでこの身を差し出すつもりでいるんだよ」
まるで、当然だろ? とでも言いたげな口調。
それを見ているレンブラントの目には少し複雑な色が浮かんでおり、リョウは理解する。
そうか。クリストフって思っていた以上に芯の強い人なんだ。
考えてみたら、この若さで、隠居するつもりもなく、最前線で戦う身でありながら妻帯者って……よほどの馬鹿か、よほどの強い意思の持ち主だ。こんな時代なのだ。
彼は、隊員の誰かを犠牲にしてまで自分が生き残ろうとは思わない、むしろ誰かを助けるために進んで命を差し出す覚悟でいるのだ。本来騎士とはそういうものだ。守るべき民のため、仲間のために命を懸ける。それを甘えることなく本気で自分の生き方にしている。
ザイラはそんな彼の生き方が好きなのだろう。だからこそ妻として支えたいと思っているのだろう。彼女なりの全力で。
そして、それを友として支えるレンブラント隊長は。
きっとその身を犠牲にしてでも彼を守るつもりでいるに違いない。だからむしろ行動を共にできるようにこちら側に引き入れたのだ。隊の方に残してきたら本当に命を懸けてしまうから。
人が人を思う気持ちのなんと強いことか。
リョウはふとそんなことを思う。
こんな風に繋がっていられるなんて、なんて美しいものなんだろう。こんなにも弱くて儚いくせに、こんなにも強い。
こんなに美しいものを、なくしてはいけない。
そうであるなら。
リョウはさらに気持ちを引き締める。
絶対に、この人たちを死なせてはいけない。