何者か
地形図と今までに上がっている報告を合わせると、「傭兵」の軍は南の方角から少しずつ北上しながら周辺の村を食い潰していっている。
伝令を送ってきたのはこの先の山間にある町だ。
その町は山にぐるっと囲まれた地形で、ちょうどその山の岩肌が城壁のような役割をするのでささやかながら賑わっている。
この町は攻め上ってくる「傭兵」の軍の向かう先にあり、町にたどり着く前に阻止しようと、近隣の都市からも騎士隊が駆けつけていたらしいがほぼ壊滅状態で、食い止められずにいるという報告が上がってきていた。
町に入るためには山と山の間を通るしかなくそんなことができる場所は限られている。軍が入り込もうとしているのなら一番都合がいいのは町の東側。その部分は比較的大きく開けており軍隊で一気に攻め込むにはそこしか考えられない。山はかなり傾斜が激しい地形なのでそこで馬に乗って戦うのは無理だし、兵士を潜ませるにしても戦力に限りがある。
そんなわけで現時点で残っている部隊は町の内側からその東側を重点的に守ることに戦力を集中させている。
北から南下している私たちとしては町の北にある狭い入り口から入って守りを固めている騎士たちに合流するというのが今の計画らしい。
「うん、なるほど」
リョウが、ざっと指揮官の話を聞きながら渡された地形図を見て頭の中で復習する。
で。
「すみませんが、単独行動させてください」
「なんだと!」
「ええ?」
「無茶な!」
「なに考えてるんですか!」
リョウの思わぬ申し出に対して、順に、指揮官、ハヤト、クリストフ、レンブラント。
「だって、これ、東で待ち伏せした方が手っ取り早いです。町の中に入らせてしまったら被害が甚大ですよ」
「だからそういう机上の空論は駄目だって……!」
クリストフが肩を落とす。
「あ、いえ。そうではなくて」
分かっているのだ。恐らく平地で戦おうとしたら威力が拡散して圧倒的にこちらが不利。だから、あえて比較的狭いところを通って入ってくるであろう軍隊を、入ってくるそばから潰していく、という算段なのだろう。
でも、リョウとしてはその騎士たちの負担を減らしたい。なんといっても生身の人間なのだ。死を覚悟しているとはいえ一人一人に家族はいる。
対戦相手の事を考えると普通に戦ったら騎士隊は恐らくほぼ全滅するだろう。町の人々も無事でいられるとは限らない。というより、この感じだと戦ってくれる騎士隊を残して町を捨てて逃げるほうが生存の確率は高いかも知れない。そんな状況だ。
町に入り込むところを頭から潰す一方で、後方からも攻められれば効率はいいのだろうが、町の東側の外は何もない荒れ地だ。そんな所で騎士たちを戦わせたらそれこそあっという間に全滅してしまう。なので。
「大丈夫です。私、一人で全滅させるなんて言ってませんよ。皆さんの負担を少し減らして差し上げます。……だって私そのために呼ばれたんですよね?」
そしてたぶん、その方がリョウにとって都合がいいのだ。
「いやしかし……単独行動というのは……リョウ、いったい何人の騎士を引き連れていくつもりなのだ?」
「……は?」
リョウは指揮官の言葉に思わず聞き返してしまう。
私、今、単独って言ったんだけど。単独というのは一人の事を言うのではなかったかしら……?
「……僕が一緒に行きますよ。あと、クリストフ」
レンブラントが割って入る。
レンブラントとしてはリョウの意図が分かるような気がしていた。
勝算があるとは思えないが一人でどうにかするつもりなのだろう。もしかしたら命を落とすようなこともやりかねない。
ずっと気になってはいたが、彼女は生き方があまりにも身軽すぎるのだ。何かに執着する様子が見られない。命を捨てる大義名分があればあっさりと捨ててしまうのではないか、そんな気がしてならない。
普段から、たとえばクリスやザイラと仲良く喋っていても、どことなく一線引いているように思えた。まるで仲良くなりすぎないようにでもしているかのように。
人が嫌いなのかと思えば、ザイラのために我を忘れて戦ったり、折れた剣のために必死で謝罪したり……剣にまつわる話を聞く目は真剣で、およそ人に関心が無い者の目ではなかった。
そんなリョウを見ていると、実は根はお人好しで、何か訳があって人と関わらないようにしているのではないかと思えてしまう。その「訳」というのが何かは分からないが、もしかしたらそのせいで生きることに執着できないでいるのかもしれない。危なっかしい、とかそういうレベルではない。どうにかして捕まえていないといけないような、そんな気がしてならないのだ。
今、この状況で、生きることを優先しろ言うのは騎士として不謹慎であることも分かっている。それでも、客観的に見てどう考えても女一人で行かせるのは無茶の極みだ。それでも、二人で行きます、と言うのはあまりにも少なすぎる。かといって何も知らない騎士たちを連れていくには忍びない。本来ならうちの隊の一級騎士全員を連れていきたいくらいだが。
なので三人目、クリス。隊長クラスの者が二人つけば格好がつく。それにクリスも一人で戦わせると何かあったときにザイラとラウに合わせる顔がなくなる。
そんな事を考えて名乗りをあげたレンブラントに指揮官は、深い溜め息をついて。
「そうか……三人か……。そもそもが正気の沙汰じゃない戦いだからな。せいぜい注意を引き付けて奴等が町に入り込むペースを落とさせてくれ。……それに」
じっ、と三人に視線を注ぐ。レンブラント、クリストフ、そしてリョウに。
「頼むから、死に急ぐなよ」
ハヤトが小さく「いいの?」とクリストフにささやくのが聞こえた。
「ハナ……おまえ、ホントにいい子ね」
もう一休みしてから夜明けと同時に一足早く三人だけで出発する、ということでひとまず解散してきたリョウは、テントの近くでハナを見つける。リョウを追いかけてきて出てくるのを待っていたのだろう。
状況を理解しているかのように、ハナはリョウを見るとそっと寄り添ってきた。
「……おまえ、もしかして」
リョウが、ハナの首をさすりながら以前から気になっていたひとつの、とはいっても限りなくゼロに近い可能性を頭の片隅から引っ張り出す。
「聖獣の血をひいてる……?」
ほとんど伝説ではあるが、一角獣とか有翼獣。純血の種はとうの昔に滅んだはず。でも、混血なら。
そう考えるといくつか思い当たる。というより、そう考えないとおかしいのだ。野生の馬がああも簡単になつくはずはない。聖獣は乗り手を選ぶ。そしてハナは驚くほどすんなりと、リョウの思考や感じていることを理解する。そしてこれが一番の証拠でもあるのだが、動きが普通の馬を軽くしのぐことがあるのだ。たぶん、リョウの扱いによっては更に能力を発揮すると思われる。
ハナが、まるで肯定するかのように頭をすり付けてくる。
「心強いな……」
リョウがそっと、でも、確信を込めてそうささやいた時、背後で人の気配がした。
「……隊長?」
振り返ると、さっき別れたはずのレンブラントがいる。
リョウに声をかけられてもただ立ち尽くしている。暗がりで表情はよく見えないが何かをためらっているようにも見える。
「休まなくていいんですか? 明日はちょっと、ハードですよ」
リョウから話しかけてみる。
「……それはあなたも同じでしょう」
ほっ。
レンブラントの声の調子がいつもと変わらなかったのでちょっと安心。
内心、無茶なことを言い出したと叱られるのではないかと思っていたのだ。
この人に突っかかられたら、正直、やりにくいのよね……。
「……リョウ、あなたには本当に申し訳ない事をしました。みんなに話すつもりはなかったのですが」
立ち尽くしていた場所から数歩、目の前まで歩み寄り、そう言うレンブラントの表情は月明かりのお陰で今度はリョウにもよく見えた。
「ああ、そんなこと気になさらないでください。……隊長のご親切には感謝しているんです。それに……妙に勘のいい人がいると隠し事なんてできないですよね」
あのハヤト隊長、じゃないかな。
なんとなくリョウは察しをつけていた。
レンブラントがリョウの事を隠すつもりでいても、彼が何かある、と感づいて問いただしたのかもしれない。状況が状況だ。そうなればみんなの前で話さざるを得ないのは仕方の無いこと。
あの場で、指揮官を差し置いてズバズバものを言っていた事や、リョウを呼びに来たのがレンブラントではなくハヤトだった事を考えてもそういう流れがあってのことと予想できる。
「いえ。あなたを巻き込むのを止められなかったのは僕の責任ですよ。本当に悪かったと思っています」
ああもう、この人は。
私は感謝こそすれ、恨んだりなんかしないのに。
「巻き込んだのは私の方ですよ。私が……むしろ私がここに来てしまったから……こんな厄介者の身で、騎士隊になんか入隊しちゃったせいで、隊長にはご迷惑をお掛けしました」
そう。考えてみたら、こういう社会の中で生きていくこと自体、向いていなかったのかもしれない。
あの時、カイをまいて都市での生活から離れてしまっても良かったのに……。
あ、もしかしたら。
ふと、今まで気付かなかった可能性に思い当たってリョウの口元に薄い笑いが浮かぶ。
もしかしたら、東からの「形式的な護送」には、本当に、そんな意図があったのかも知れなかった。
リョウを送るためにつけられたのは護衛役もまともにできない三級騎士。組織の中でうまくやっていけないリョウに見切りをつけた東の都市は、厄介者が旅の途中で「行方不明」にでもなってくれたら責任を一切負わずに済む。
あの段階で、私は見捨てられていたのかもしれない。人間社会という枠組みから。
うっかり目の前を行く三級騎士が危なっかしいから最後までついていってしまったけど……考えてみたら東の都市を出てすぐにでもまいてしまっていれば彼も安全に帰ることができたのだ。
嫌だなぁ……あの時どうしてそれに気付かなかったんだろう。
「リョウ! それは違う!」
思わぬ反応にリョウの肩がびくっと震える。
なぜなら。
レンブラントの両手がリョウの両肩を力強く掴んだから。
「それは、違いますよ、リョウ。あなたがいたから何人もの人が救われているんす。あなたが騎士隊にいなかったら、ザイラはあの時死んでいたでしょう。僕だって死んでいたはずです。そしてザイラが死んでいたらクリスやラウは今ごろどうなっていたか分かりません。それにあなたが、あれだけ迅速に動ける人でなかったら、兵士の被害も大変なものだったはずです。だから、あなたはここにいるべき人だ」
一気に捲し立てられ、リョウは少し戸惑う。
この人は。この期に及んでこの私に、ここにいて良いと言う気なんだろうか。私が何者か知らないくせに。
「……怖くないんですか?」
やばい。泣きそうかも。
視界がゆらりと揺れるのに気付き、リョウが慌てて下を向く。
「……え?」
一瞬、力の抜けたレンブラントの手を、そっと押しのけて。
「隊長は、この得体の知れない私が、怖くないんですか? ……見ていない、とは言わせませんよ」
「どうして怖れるんですか。優秀な部下ですよ」
くすり。
リョウはつい笑みをこぼした。
でも、リョウには自分の笑いの意味が自分でも分からなかった。レンブラントの言葉を白々しいと思ったからなのか、もしくは自嘲なのか。そして、その笑いで今出かかった涙が引っ込んだ。
「竜族の伝説を、ご存知ですか?」
意外にも、冷静な声が出たのでリョウは少し驚く。そしてそのお陰で更に冷静になる。
「え……竜族……? ……ああ、子供の頃よく聞かされましたよ。有名な、昔話ですよね」
レンブラントがいぶかしげに首をかしげる。話の向かう場所が分からないといったところ。
「昔話や伝説というものは往々にして作り話です。でも、大元は実際にあった事柄に関する人の記憶で、それが姿を変えて語り継がれているということの方が多いんですよ」
「だってリョウ、竜族の伝説……って、竜はいつしか人と交わるようになって消えていったっていうあれでしょう? あれはどう考えても……」
確かに。竜が人と交わるなどとは考えられないことだろう。そもそもがあり得ない話だ。この伝説自体、語られる地方によっては竜は人の姿になる力を持っている、とか、竜は人の娘をさらって妻にするとか、いろんなバリエーションがあったりもする。
「人間というものは、恐怖の対象と認識したものを排除したがるものなんですよ。そして関わりを持たなくて済むように禁忌とする。いずれその正確な正体が分からなくなれば伝説が生まれるんです」
リョウの話し方には、どことなく他人事のような、無機質さが滲んでおり。
それでもそれは彼女自身が子供の頃聞かされた言葉でもあったのだ。
まだ幼かった彼女にとって、世界は酷く不公平だった。
誰からも愛されず、誰からも相手にされない。
少なくとも彼女の目にはそう映っていた。
「かわいそうに、母親はあの子が産まれたせいで死んだらしいよ」
「さぞかしショックだったんだろうね……あんな子が産まれてくるなんてね」
「そりゃ、自分の子があんなだったら誰だって……ねぇ……」
「先代も亡くなった後じゃあ心の支えも無いからなぁ……かわいそうだったねぇ」
「おや、先代はあんな子を産んだ自分の妻を自ら手にかけたんじゃなかったか?」
「まぁ、どっちにしてもあれが災いの元なんだよ」
「あの髪の色を見たかい? いや、驚いたね! あんなに真っ赤に生まれつくもんなんだね!」
「髪なんてまだいいさ。あの目の赤いことといったら! あんな目で見られたら背筋が凍るよ! あれはまさに化け物だね」
そんな言葉が、閉じ込められた部屋の中まで聞こえる。
誰も信用できなかった。
物心がつく頃には、世話をしに来てくれる数人の大人とさえ打ち解けることはできないことを悟った。
そして12歳。
それまでつけられていなかった名前をもらった。「火の竜」という名前。
いつしか髪は黒くなり、瞳の色も濃くなって他の人の中にいてもさほど目立たないような色へと変わり、人前に出ることが許された。
そして知る。
山の奥深くに閉ざされた村。そこには代々こういう子供が一人産まれる。そしてその子は炎を操る力を持つ者となる。
その力は計り知れないほど大きく、大人になるまでの間にその子はその力の使い方を習得させられる。間違った使い方は災いとなるので。
その習得のさせ方は、ほとんど拷問に近いものだった。
子供の教育というレベルのものではない。
失敗する度に打ち叩かれたりするのは日常茶飯事。ある時などはうっかり大人の手に火傷を負わせそうになって剣で背中を切りつけられた。
どういうわけか、この村の人々は傷の治りが早く、「火の竜」の名を受け継ぐ者の治癒力は更に高かった。そのせいか大人たちから受ける「躾」は尋常なものではなかった。
そうやって大人への「恐怖」を植え付けられた彼女は歯向かうことなど考えもせずただ言われた通りに過ごすことだけを考えていたのだ。
そんな頃、一人の娘が村をこっそり抜け出した。
迷い込んだ旅人と恋に落ち、駆け落ちをしたらしい。
村の「秘密」を知っている者が出ていったのだ。それは許されることではなく、娘を取り戻すべく村人が麓に向かった時、山の麓からはこの村のことを知って恐れを抱いた麓の人々が夜襲をかけるべく山を上ってきており、大混乱に陥る。
そして「火の竜」は、村を焼き払ったのだ。
もう、全てを終わりにしたいと思った。
自分自身をも、終わりにするつもりだった。
ただそう強く思っただけだったが、気付けば村が火の海になっていた。
焼け焦げた村人たちの死体の中でただ独り、無傷で生き残った「火の竜」は山をおりても行くあてなど無く……そして「ある人」に拾われた。
その人と行動を共にしていた間に「火の竜」は更に多くを学ぶ。
例えば、己の持つ力は普通の人間には無いものであり、人前でその力を見せれば人々から怖れられること。
例えば、自分たちの村が世間では「竜の種族の住む場所」と、恐れられていたこと。
「レンジャーだったんですよね、今思えば。でも彼は優しかったんです。私に新しい名前をつけてくれましたし。この剣も彼が」
リョウの口調が無機質なものから、わずかに温かみを帯びたものになる。
「もう、あれがどこの村だったか忘れましたけど、小さな村で。あの人、鍛冶屋の職人さんと知り合いで私がずっと持っていたこの石を持っていって、石をはめ込んだ剣に仕立てて来てくれたんです。……これ、私が振るうのでなければ本来の力を発揮することはないんですよ」
「……その話を、信じろと言うんですか……」
呆然とした様子でレンブラントが呟いた。
まるで、お伽噺だ。
リョウの話し方にはまるっきり感情がこもっておらず、ただ淡々と昔話を読み上げる語り手のような薄っぺらささえ感じられた。
「じゃあ、実証しましょうか?」
そういうと、リョウはにっこり笑って右手を軽く握ったままレンブラントの目の前に出し、そっと広げる。
「……」
「種も仕掛けもありません」
絶句するレンブラントににこやかにリョウが告げる。
その手のひらの上には、握りこぶしくらいの大きさの炎が静かに燃えている。
「……そのレンジャーは今どこに?」
深くため息をついてからレンブラントが訊ねる。
リョウは炎を消し、ちょっと間を置いてから。
「……彼は……もういません」
リョウの表情が今までになく暗くなったのでレンブラントはその意味を悟る。「その人」は死んだのだ。
「……そんなわけですから」
気を取り直すように背筋を伸ばすリョウに、レンブラントがはっと、目を上げる。
「私の心配なんかしなくていいんです。私、いざとなればどうとでもやっていけますし。それに、あーあ……」
レンブラントの思考をストップさせるように、リョウが今度は心なしかおどけた口調になって。
「夜が明けそうですね。これは出発しないと。休む時間無くなっちゃいました!」
そう言うが早いか、リョウはハナにまたがる。
そして、お先に、なんて声をかけてハナを歩き出させてしまう。
リョウはレンブラントが慌てて馬を取りに行く気配を後ろで感じながら。
たぶん、騎士隊の一員としての私の役目はこれが最後だろう。
なんて考える。
隊長は今のところ、初めて知ったことで頭が一杯のはずだ。しかもこれからの戦いのこともある。
あとで落ち着いて考える余裕ができたなら。
こんな私を「優秀な部下」などと言ったことを後悔するに決まってる。
それに、これからの戦いだって私は本気を出すつもりでいたりするのだ。その力を間近で見たりしようものなら、常識的に考えてこんな存在を、あの平和な都市に入れるはずがない。入れちゃいけないのだ。
そんなことをしたら、今度こそ軍関係者だけじゃない、都市全体も巻き込むようなおおごとになる。
これだけ世話になった人に、そんな風に迷惑をかけるのだけは嫌だ。
なので。
「ハナ。力を貸してね。やるなら徹底的にやるからね」
そんな声をかけてみる。
ハナの反応はなんだか微妙だった。