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関わる心

 駐屯所の医務室。


 ザイラはまずそこに運び込まれた。

 都市の中に医療を受けられる場所がないわけではない。でも一番腕の良い医師は騎士たちのために各駐屯所にいる。そしてザイラはその隊長の妻だ。一般市民が運び込まれるのとは訳が違う。

 戦の際の負傷者を受け入れるために広く設けられている医務室の一角に、ザイラは寝かされており彼女の治療は終わったばかりだ。意識は失ったままだが命に別状はない、と告げられ皆が安堵した。

 どうやら、引きずり回されただけで済んだようだった。「敵」が人を襲う時には食らうのが目的なので大抵は運良く命を取りとめても体の一部を失っていたり精神部分を食い尽くされていたりするのだが今回の場合、本当に連れ去ることが目的だったらしい。

 それにしても、あれだけ大きな体のもの、あれだけ力の強いものに引きずられていったのだ。かすり傷なんていうレベルでないのは明らか。現にリョウが抱き起こした時、ザイラの右腕は不自然に曲がっていたし、腹部にはかなりの出血が見られた。

「……僕がついていながら……申し訳ありません……」

 ザイラの横たわるベッドに顔をうずめて先ほどから声もなく泣いているラウに、クリストフがこれまたようやく聞き取れるほどの絞り出すような声で話しかける。

 ザイラはラウの一人娘なのだ。

 しかもラウは最愛の妻を「敵」に食い殺されていた。この時代、そんな風に家族を失うことは珍しくない。

「……気にしないでください。こんな時代です。誰も恨んだりできませんよ」

 ベッドを挟んだリョウの向かい側で顔もあげずにラウが答える。

 やり場のない悔しさと憤り、それに伴うやるせなさが伝わってくるようで、あまりの切なさにリョウはここにいてはいけない気がしてくる。かといって退室しようと身動きして場の空気を変えることもためらわれる。


「……リョウ、ちょっといいですか?」

 不意に、遠慮がちに声をかけられてリョウが振り向くと、いつの間にか医務室のドアが少し開かれており、そこにレンブラントの姿がある。

 その声に反応するようにラウが顔を上げたので、リョウは思わずラウと目を合わせる。

 その目はリョウが想像していたのとは違い温かい色をたたえていた。

「あなたには、感謝しています。……この子を、助けてくれてありがとう」

 そんな言葉を口にするラウに向けられる、なんともいえないクリストフの表情にリョウは今度こそいたたまれなくなり、軽く頭を下げるとそのままドアの方に向かった。



「ラウはね、当初結婚に反対していたんですよ」

 廊下を歩きながらレンブラントがゆっくり、静かに話し出す。

「騎士を家族にするということは騎士としての仕事を見るにつけ嫌でも奥さんのことを思い出させられるわけですから。でも、クリスのことは気に入っていてね。複雑な心境だったのでしょうね。最終的に、騎士の妻になれば娘は安全なのかもしれない、なんて言って自分を納得させていましたよ。馬の調教の仕事もそんな騎士を支えるためにと、当時後任がいなくて困っていたこの都市の状況を見て始めてくれたんです。……奥さんを亡くしてからそういうことには一切関わらなくなっていたんですが」

「……そうなんですか」

 その辺の事情ははじめて聞く。クリストフのあの顔、あの声にはそんな背景があったのか。

 リョウはそう思うといたたまれなかった。

 娘の安全を願い、自分を納得させた父親。

 その気持ちに応えるつもりでいながら大怪我をさせてしまった、しかも下手をすれば死なせていたかもしれない、と自責の念にかられる娘婿。更にクリストフの場合、義父に対する思いだけではなく、愛する者を守りきれなかったという思いにも押し潰されそうになっているに違いなかった。

 そんな想像がリョウを無口にさせる。

「奥さんを亡くして自暴自棄になっていたラウをずっと支えていたのがザイラの明るさでしたから、クリスもそれに惹かれたんでしょうね。二人が結婚してラウもずいぶん人が丸くなりました。三人ともいろんな意味で順調そうでしたから……」

 そこまで言ってレンブラントの言葉が途切れる。

「今回の件で三人の関係が崩れるのが心配……ですか?」

 その先を予想したリョウの言葉にレンブラントが肯定の深い溜め息をつく。

「……大丈夫ですよ。きっと」

 形式的な言葉としてではなく、リョウは自然と、心からそう言っていた。

 だって、あの三人だ。そして、あのザイラなのだ。

「だって、もうすぐザイラの意識だって戻るだろうし。あの子だったら怪我をしていたって絶対あの調子でみんなを笑わせますよ。不思議な力を持った子だと思うんです」

 リョウは意識的に声のトーンを上げていた。

「そう、ですね……」

 廊下から外に出た所でレンブラントが立ち止まる。

 外はすっかり暗くなって月が出ていた。

「不思議な力、といえば」

 立ち止まると同時にそう言いながら振り返るレンブラント。

 リョウは内心、しまった! と思う。

 ザイラの容態のことで頭が一杯だったせいで忘れていたけど、そういえば私ってば、この隊長の前で相当なことをやらかした気がする……! っていうかどこまで見られたんだろうか。

 ほとんど無我夢中だったし、ザイラを追いかけていたのは自分一人だったから最初は気にもしていなかったのだ。

 隊長の剣が飛んでくるまでは。いや、厳密には「あれ」にとどめを刺して隣に隊長がいることを認識するまでは、だ。視覚でとらえて識別していた情報を、頭で理解するのに時間がかかっていた、という感じだった。

「あれは、何だったのでしょうね」

 うわわわわわ!

 月明かりを背にしたレンブラントの表情ははっきりとは読み取れない。というよりこの時点でリョウは目が上げられなくなっている。

 レンブラントが月明かりを背にしているということは、彼の位置からはリョウの表情は月明かりに照らされてまる分かり、ということだ。

 その辺も察したリョウには、もはや今の彼の声の調子に、情況を若干ながら楽しんでいるような含みがあることに気付く余裕もない。

「ああいうものを見てしまった以上は」

 ええ、そうでしょうとも。上に報告しなきゃいけないでしょうね。

「僕たちとしても何らかの対応を迫られるわけです」

 対応。

 そりゃそうだ。騎士隊とはいえ人間の組織。異質なものは排除したいだろう。

 こんな時代だ。理解不能な力を持つ、しかも自分達の力で制することができないようなものを近くに置いておくなんて考えられないことであるはず。

「ですから、この際、君にも意見を聞かなければならないわけです」

 そう、ですよね。まず、自分が何者か、説明しなきゃいけないでしょうね。

「……で、君は初めて見たんですか?」

「……へ?」

 思わず顔を上げる。

「僕は、実物は初めて見ました。でも君の戦いぶりからして、初めてとは思えなかったものですから。何か情報を持っているなら是非とも提供してもらいたい」

 ……何の、話をしているんだ?

 ここに来て、ようやくリョウはまじまじとレンブラントの顔を見る。

 その表情はリョウが想像していたものとは違っていた。

 リョウが想像していたもの。

 今までの経験に基づく予想。

 たいていは、異質なものを見る目。

 異質なものは人の本能からして排除したいと思うものだ。関わり合わないようにしようという決意が目に表れるものだ。それが、ない。

「最近、「敵」の出現が頻度を増していることは軍としても気にしているところではありました。他の都市とも情報をやり取りしていますがこの辺だけのことではないようです。そして近隣の田舎の地帯で最近、今まで僕たちが認識していた「敵」とは様子の違うものについての報告が上がり始めているんです」

 リョウの混乱を少々気の毒に感じ始めたのか、レンブラントが淡々と説明しだす。

「とはいえ、報告があるのは今まで小さな田舎の集落でしたし、たいていはその集落ごと壊滅状態になるというような報告で何者による被害なのかがはっきりしなかったんです。それが、あれによる被害だと考えれば納得がいきます。あれに遭遇した者の中に生存者なんてまずいないでしょう。戦力もろくに持てない集落ならなおさらです」

 ここまで来ると、リョウもさすがに話の論点が分かってきた。

 隊長は、私の異質な力について話しているのではない。遭遇した新しい敵について話している。

 肩の力が抜けるのが分かる。

「……あ、えーっと。私も見たのは初めてですよ」

「そう、ですか」

 レンブラントの口元がわずかに緩むのを、リョウは今度は見逃さなかった。それは明らかに、リョウがあわてふためく様子と、ようやく話の本筋に気づいて更に慌てる様子を楽しんでいるものだった。

 ……やりにくいな、この人。

 なんだか全てを見透かされている気がしてならない。今までにない感覚だ。今までにない……いや、二度目かな。

 そんなことをふと考えながら、自分に向けられている視線をちょっとだけ心地よく、そして懐かしく思っている自分にリョウは戸惑いを感じた。

「では皆の前で報告していただけますか?実際にあれと戦って倒した経験を持つのは今のところ君だけです。我々としては出来るだけ詳しい情報を共有したい」

「ああ……そうですね」

 話の流れで、うっかりはっきりそう答えてしまってから、リョウは少し後悔する。

 条件反射のように返してしまった返事と同時に歩き始めたレンブラントに今さら「やっぱりやめます」とはさすがに言えず、リョウは渋々ついていくしかなくなってしまったのだが。

 歩を進める度に後悔の念が更につのる。

 本当は、この都市に来てからは面倒を避けてなるべく静かに大人しく生活していこうと思っていたのだ。

 あれだけのことをやってからこんなこと言っても始まらないのだけど。

 目立たず地味に、極力他の人とも関わらずにいようと思っていた。なのに。

 どうしてここには、こんなにも、積極的に絡んでくる人が多いんだ……。

 別に私が報告なんてしなくても、隊長である人がその場に居合わせたんだから自分で話せば良いじゃないの。

 そして。

 そこまで考えてみてふと気付く。

 もしかして。

 今、会議室を目指して自分の前をいくこの人は、それをしたくなくて私に話せと言っているのだろうか。

 隊長として自分が見たものを報告するとなると私がしたこと全ても報告の対象になるだろう。

 人知を越える力を目の当たりにしたのだ。軍の者としてもその報告は避けては通れない。

 とはいえ。この勘の良い隊長殿は私が今日一日で、自分に関することを話したがらずにいることを察したのかもしれない。そして意地の悪いやり方ではあったけど今しがたの話の持って行き方でそれを再確認している。

 それで、私本人に話させて、自分で都合の悪いところには口をつぐんでおけるようにさせてやろう、という配慮。

 そこまで親切にしてもらう義理はないんだけどな。

 なんとなく察しをつけたリョウはこっそり苦笑いする。

 でも。

 そういうのに弱いのだ。

 ザイラのピンチにもつい本気になってしまったが、結局のところ、何かしらの恩を感じてしまうとそれに応えずにはいられなくなる。そんな自分をリョウはよく知っている。

 だから面倒はごめん、なのだ。

 いらないことに首を突っ込んでしまうから。そんな自分を止められないから。

「どうぞ」

 というレンブラントの声と同時に開かれるドアの向こうには何人かの知った顔を含めて十数人の男たち。その好奇の視線が一気に集まるのを見て、リョウはちょっとばかり意を決する。



「まったく、君って人は……」

 隊長の溜め息交じりの言葉に、リョウがそ知らぬ顔をする。

 会議が終了して家に向かう道で。

 考えてみたらレンブラントとリョウはかなりのご近所さんだったのだ。初めて会った時、自分の部屋から飛び出してきたレンブラントはリョウのすぐ後ろにいたわけだし。なので帰宅の方向は必然的に一緒になる。

「あら、だって、隊長が自分で話せとおっしゃいましたから」

「それにしたって……」

「隊長にご迷惑はかかっていないと思いますが?」

 すましたリョウの返事に、はあああああっ、とレンブラントが深い溜め息をつく。

 つまりこういうことなのだ。

 会議室に呼ばれたリョウは、案の定、新しい強敵について情報を求められた。

 で、リョウは「出来る限りの」情報を提供した。

 つまり、自分も「あれ」は初めて見たということ。最初は友達を助けたくて無我夢中で従来の「敵」を追いかけ、それは「どうにか」倒すことができた。そこに訳のわからない強敵が現れ、その強さに「てこずっていた」ところ、調教中の馬で駆け付けた隊長が手持ちの剣を投げ付けてくれた。「まるで射られた矢のように投げつけられた剣によって敵は致命傷を受け」倒れました。と。

 その場にいたのは都市の騎士隊の隊長全員と各指揮官たち、都市の軍総司令官に都市の司。ただ、妻に付き添っていたクリストフだけが不在という形だった。そしてそのメンバーならレンブラントが銀の矢の使い手であることは知っているし、一級騎士の少ない隊を率いていながら戦闘の成績が良い、つまり隊長の腕がいい、ということも知られている。

 となると、レンブラントの手柄を強調するリョウの話は疑う根拠が一切無くなるのだ。そして、その話を自分で話さずに部下が話している辺りでレンブラントの好感度は上がったりする。その話をするリョウを見て、素で慌てるレンブラントは更に皆の高評価を集めた。

 後に残った残骸がなぜ炭のようになっていたかなんて、そもそもあれの普通の死に方さえ誰も知らないわけだから説明する必要はなかったし、なぜレンブラントの剣が真っ二つになっていたかについても、あれの戦闘能力を熟知した者がいないわけだからやはり説明する必要がなかった。

 これによって今回の一件はリョウの力に関しては一切触れず、レンブラントの手柄としての報告、となったのだ。


「……僕は、君に礼を言った方がいいのでしょうね……」

 しばらくの沈黙の後にレンブラントがぽつりと言う。

「どうでしょうか。今後あれが現れたらきっと皆から期待されるでしょうしねぇ」

 ここまで来ると、リョウにとっては今日一日分のささやかな仕返しになってくる。

「そうですね。君には是非、僕の右腕になってもらわないといけませんね……。かくなるうえは一級試験に……」

「そういうの、興味ないですから」

 隊長の言葉を遮るように。でもにやっと笑う表情に余裕を浮かべながら。

「そうですか。残念ですねぇ……。でも……もし話す気になったらその理由も聞かせてくださいね。いつか……あなたの話をゆっくり聞けたら嬉しいのですが」

 そう言い残すと、レンブラントは自分の部屋の方に向かって歩き出す。

 なんだかリョウは気分が良かった。

 その一因には、こんな時間まで動き通しだった上、必要以上に気を張り詰めていたせいで徹夜明けの妙なテンションになっている、というのもあるのかもしれないが。

 疲れきった頭で考え付いた策がどうやら成功し、ずっと向こうの調子に乗せられっぱなしだった隊長の慌てる顔も見れたし。

 なのでレンブラントがいつになく微妙な面持ちでリョウのことを「あなた」と呼んだことには気付かなかった。


 空はうっすら明るくなり始めていた。





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