人との関わり
良い天気だった。
どうせ非番の月、ゆっくり体を休めるといい。との隊長直々のお言葉に都市の中をぶらぶらしたり城壁の外を散策したりしているうちにちょっといい場所を見つけたリョウは、ハナを近くに放して剣の手入れなんぞをしながらのんびり過ごす。
さっき済ませた昼食のせいで少し眠い。
午後には「一緒にお茶をしよう」なんて言っていたザイラがここを探し当てるかもしれない。
城壁の外の西側。ラウの仕事場の近くだ。
遠くに放牧用の柵が見えてもいい距離だが緩やかな起伏がある地形のせいで視界が遮られ、お陰で静かに自分の時間が楽しめる。一面に草が生えており寝転がっても気持ち良さそうだ。
誰かが昔植えたのか、自生していたのか大木がありリョウが座っている木陰の岩は人が三人は座れそうなサイズ。よく見れば草に埋もれたりしながらあちこちに大小様々な岩が転がっている。草が生えていなければただの荒れ地なのだろうが、東の森の方から流れている川が都市を回り込むようにこちらまで来ていて川と城壁の間に位置するこの辺りは特に潤っているようにも見える。
「……先客がいましたか」
不意に声がして振り返ると。
「うわ! 隊長?」
不覚!
人の気配に気付かないなんてリョウらしくない。
あまりに気持ち良くて、眠気も手伝ってぼんやりしていたのか……。
そんなことを思いながら突然現れたレンブラントに挨拶すべく反射的に飛び上がるような勢いで立ち上がる。
「そんなに堅苦しくしなくていいですよ」
そう言いながらレンブラントは面白そうに笑いだす。その笑いはどうやら本気らしく、ちょっと笑うなんてものではなく体を折り曲げてそれはそれは愉快そうに笑っている。なので、リョウの方がどうしたものかと戸惑ってしまう。
「……えーと、そんなに笑うところでしたか?」
「ああ、すみません……つい。……いや、君がいるのが見えて……こないだみたいに嫌な顔を……させるのも申し訳ないと思ったら……声をかけるのに勇気がいったものですから……」
笑う息の合間に、さもおかしそうにそんな答えが返ってくる。
「え!私、そんなに嫌な顔してましたかっ?」
リョウの声は思わず裏返っていた。
そう言われれば、なんだかこの人には会う度に失礼な態度を取っているかもしれない、と改めて自覚したもので。
相手が隊長であることを考えたら……どれをとっても相当失礼な態度だった。
しかも、この人、東の都市の面々とは根本的なところが異なっており……そういう態度を受けるいわれはない……。
そう思うと、リョウの顔がみるみる赤くなる。
そしてその反応はレンブラントの笑いのツボを更に刺激したらしい。
「……隊長、ここにはよく来るんですか?」
どうにかこの自分に向けられた笑いを止めたくてリョウが切り出す。
自分にとっていい場所を見つけた、なんて思っていたがこういう場所なら他の誰かの「お気に入りの場所」であってもおかしくなかったのだ。
「……ああ、そうですね」
ひとしきり笑ってから、それまでリョウが腰掛けていた岩の上に今度はレンブラントが腰掛け、リョウを見上げる。
「ここは静かでいい場所でしょう? 城壁から離れているのである程度腕に自信がなければ誰もふらっと一人で来たりはしませんし、気分転換にたまに来るんですよ」
なるほど。例え昼間であっても、絶対に「敵」が現れないというわけではない。何かに触発されて現れるかもしれないのだ。
ここ数日、リョウも森を警戒してはいたが本来「敵」は森に住んでいるわけではない。そもそも、あれはどこかに生活圏を持つ生き物の種族ではなく、いわゆる自然現象のひとつが実体化したようなものなのだ。なので、とどめをさせば跡形もなく消える。そしてそんな性質を持つゆえに、森に限らずいつどこで現れるかは予測不能。ただ、今までの傾向からして都市の中など人間がある程度密集している場所にいきなり現れることはなさそう、というものなのである。
「……じゃあ、私はこれで……」
隊長にとって、ここがそういう場所なら。ここは部下として譲らなくては。
リョウがそう思ってくるりと向きを変えると同時に。
「せっかくだからいてください。僕と話すのが嫌でなければ」
そんな声がかけられる。
「……あ、はい。……ではもう少し」
うーん……話の流れからして、ここで立ち去るというのはあまりに失礼な気がしてならない。
しかもこれ、今回こそはどうにか穏便に「お喋りを楽しむ」くらいのことをしないと、何かこちらに悪意があるとか思われるかもしれない。
そう思ってリョウは答えてみたものの、さすがに隣に座るのはおこがましいし、と、自分の身の置き場所に一瞬悩む。で、レンブラントの足元、草の上に座ることにして岩に寄りかかってみる。
これなら顔を合わせなくても済みそうだし。
なんて思いながら。
「あの馬は、ハナ、でしたっけ?」
少し離れたところで草を食んでいるハナを眺めながらレンブラントが尋ねる。
「あ、はい。もうだいぶ馴れたので調教所から引き取ってきたんです。今日から駐屯所の厩舎にいれようと思いまして」
「……君は才能があるんですね」
少し間をおいて呟かれた言葉にリョウが目を見張る。
優しい、言葉だと思った。
別に大したことを言われたわけではないのだが、リョウはほんの少し胸のつまる思いがした。
たぶん、そんな風にすんなりと自分を認めてくれる言葉を聞きなれていないせいかもしれない。
「……ありがとうございます」
ハナの方に目をやったまま、ついそう答えてしまってから、しまったここは「そんなことありません」とか謙遜するところだった! と慌てて顔をあげると、どうやらその慌てぶりがお見通しだったようで、隣から今度は笑いを噛み殺そうとしている気配が伝わってくる。それで、リョウは思わず頭を抱えてしまう。
「これは……君のですか?」
そんなリョウを気遣ってかレンブラントが再び話題を切り替えた。
何のことだろう、とリョウが上半身をひねってそちらに体を向けるとレンブラントの手には先ほど手入れを終えて岩に立て掛けていたリョウの剣。
「あっ……それは……ええ、まぁ、私のですが……」
少々歯切れの悪い返事をしてしまう。
彼の登場にすっかり慌てふためいてしまって、片時も離さず持つべき剣をそこに置いていたことを忘れていたのだ。
「これは……なかなか見ない剣ですね」
そうなのだ。これはちょっと「いわくつき」の剣なので。
外から見てすぐ分かる特徴は鞘が少し湾曲していること。
剣の柄には赤い石がはめ込まれており鞘の部分と同じ金色の細工がある。
そもそも剣は、騎士にとっては自分の分身のような物。各自が鞘や柄の部分に紋章を彫り込んだり家に伝わる石をはめ込んだりして凝った装飾が施されていたりもするのだ。現に、レンブラントの腰にある剣の鞘にもシンプルではあるが銀色の細工が施され、柄の部分には青い石がはめ込まれている。
「東の果てにこんな剣を作る職人がいたという話を聞いたことがありますが……」
レンブラントは自分の部下の物だから遠慮なしなのか、もしくは純粋に剣に興味を引かれてつい、なのかそのまま鞘から剣を抜く。
片刃の剣。
普通、剣は真っ直ぐに伸びており両刃である。が、リョウの剣は少々違った。
湾曲していて刃は片側についている。しかも特殊な金属をこれまた特殊な技法で鍛えて仕立てているので見た目以上に重量がある。
そして刃がついていない側には複雑でありながらも美しい彫り込みがしてあり装飾性も兼ね備えており……とはいえ削りすぎれば強度は失われるわけで、そのバランスが奇跡的といえるほどに極められた剣である。
更には、金属の細工が被せてあって見た目には分からないが、鞘本体は木製なので金属の鞘よりも軽く仕上がっている。
「そうですね……あ、ほら、私東の出身ですし」
あからさまにはぐらかすような物言い。
リョウにとってこの話は「ちょっと面倒」なのだ。話し始めたら長くなるし決して軽い話ではない。しかもどこからどこまで話すべきかもよくわからない。
そんなリョウの思惑を知ってか知らずかレンブラントは首をかしげる。
「……でもその話はもう昔話や伝説の類だと思っていましたが……」
そう呟きながら滑らかな動きで剣を鞘に戻す。
さてどうしよう。
説明しなきゃいけないのか、すっとぼけて切り抜けられるのか。
リョウがそんなことを考えだした矢先。
「……!」
二人が同時に顔を上げる。
そして同時にハナがリョウに駆け寄ってきた。
警笛が聞こえたのだ。方向としてはラウの仕事場の方。
そしてそれに続いて悲鳴が。
悲鳴は、ザイラの声のように聞こえた。
「それ! 返していただきます!」
言うと同時にリョウはレンブラントから剣をひったくり、ハナに飛び乗る。
響く警笛の音に途切れる様子はない。
鼓動が早い。
ハナに飛び乗ったリョウは今までになく冷静さを失いそうな自分に気付く。
あの悲鳴。
明らかに「敵」に遭遇したと思われる悲鳴だった。その後に例の奇声は聞こえていない。
昼間の城壁の警備にあたっている兵士の腕は決して悪くないが、上級騎士でもなければ奇声をあげさせずに一発でしとめるなんて不可能だろう。
ということは、「敵」はまだ生きている。
……お願い! 無事でいて!
ハナの頭越しにリョウは目を凝らす。
少し走ると起伏のある地形のせいですぐには見えなかったものが見えてくる。
……たいへん、だ!
リョウは息を呑み、咄嗟に剣の柄にかけた手に無意識に力をこめた。
ラウの仕事場辺りで数体の「敵」が暴れているのだ。
既にかなりの数の兵士が対応しており、都市の方から馬に乗った騎士も出てきている。だからそっちは問題ないが。
都市の南側に回り込もうとしている黒い大きな影とそれが引きずっている小さなもの。
「ザイラ!」
兵士たちの間をすり抜けながらリョウが叫ぶ。
あの引きずられて行くのは、ザイラだ!
「リョウ!」
聞きなれた声に一瞬目をそらし、理解する。
クリストフ。
どうやら一緒にいたらしい。馬がいないところを見ると、ザイラと一緒にラウの所にでも来ていたのだろう。で、そのラウが半狂乱になってクリストフに羽交い締めにされている。
馬は目の前に何頭もいるのだ。父親として、連れ去られる娘を黙って見ているわけにはいかず、それに乗って追いかけようとしているのだろう。でも乗ることはできても戦うことはできない。ラウは戦士ではないのだ。
むしろ追いかけたいのはクリストフの方。でも自分の馬がいない。調教中の馬に乗るなんてことはそうそうできることではない。ただでさえ周囲の出来事に馬はパニックになっているのだ。
そんな状況を一目で理解したリョウはハナを加速させる。
そのまま真っ直ぐに行けば森の方から流れている川にぶつかる。追い込めるかもしれない。
ザイラ、どうか生きていて!
強い、思い。
もう久しく感じることのなかった熱いものが込み上げてくる感覚。
彼女を死なせるなんて、できない。
もうずっと、誰かと関わるなんてことないだろうと思っていたのに、彼女はしつこいくらいに関わってきた。部屋に一人でいればなんだかんだと理由をつけてやってくる。一人で出掛けようとすれば、やはり理由をつけてついてくる。しかも、それはリョウにとって心地よかった。おそらく、気の遣い方が上手なのだ。
あんないい子を死なせちゃいけない。ああいう子はこれからもずっといろんな人の役に立っていくべきなんだ。
目の奥が熱くなる。
鞘から抜いた剣がわずかに熱を持つのが分かる。
ハナの足は想像以上に速い。川に差し掛かる前に「敵」に追い付いた。
そして。
「……ザイラを、離せぇぇぇっ!!」
叫ぶとと同時に切り込む。
まずはザイラを引きずっている腕。そして間髪いれずにその勢いで首を落とす。
ほんの一瞬だった。
ザイラは全く動かなかった。
地面に横たわるボロボロになった彼女に駆け寄るべくハナの向きを変えようとした時、意外にもハナがそれを拒んだ。
「ハナ?」
ハナの視線の先。今、切り捨てた「敵」が向かっていた先に目をやってリョウが一瞬固まる。
あれは。
「敵」ではない。少なくとも今まで戦ってきた従来の「敵」ではない。そんなものとは格が違う「何か」。
今まで相対してきた「敵」には知性は感じられなかった。それは、いうなれば獣のようなもの。本能のまま人をむさぼり食うために動き回る、といった存在だった。
が、そこにいる「それ」は、そんなものではない。明らかに知性を感じる。そして、あからさまな敵意。更に悪いことにリョウは相手の発する今までにない強い力を感じていた。
それが、あろうことかこちらに向かってくるのだ。
「……うわっ!」
「それ」の動きは今までの敵の比ではなかった。
リョウの頭の上を風圧が通りすぎる。
ハナが注意を喚起してくれたお陰で身構えることはできたが、そこにいると確認した一瞬のうちに間合いは詰められていた。サイズとしては今までの「敵」より一回りは大きい。体つきの特徴を観察させる暇もなく腕がハナの頭上、リョウの頭の辺りをなぎはらったのだ。
身構えることが辛うじてできたリョウはその腕をギリギリでかわすも、腕の先に付いていた鉤爪が後ろで束ねた髪の一部を切り落とすのを感じる。
とはいえ。
実のところ先ほどからリョウは本気モードにスイッチが入りかけていたところだ。
腕をかわしながら強敵を認識して、にやり、と口元が動いたりしている。そして。
握った剣の柄に改めて力をいれると、剣の刃がうっすらと光り出す。この段階でリョウの瞳は紅い色に変わっており、髪の色も赤く変化している。
決して人には見せられない姿ではあるが。
ザイラの姿を見た時からそんなことにはもう構っていられないくらいリョウは「本気」になってしまっているのだ。
ハナがリョウの意思を読んだかのように地面を蹴る。
なぎはらった腕が一瞬、空中にとどまるその間にその腕に馬ごと飛び乗り、そのまま一息に肩までかけ上がる。振り払おうと腕が襲いかかってくる前に首の後ろに剣を突き立て、その柄を握ったまま地面に飛び降りる。突き立てた剣は、物理的にはあり得ないほどの鋭さでその体を切り裂き、背中に大きな裂け目を作った。
そして奇声が上がる。
この奇声は今まで聞いたことのないものだった。今まで聞いてきた奇声は甲高く遠くまで響くようなものだったのに対し、これはもっとくぐもった低いもの。
これで仲間を呼ぶわけではなさそうだ、とリョウが直感的に思いながら、着地と同時に向きを変え、致命傷を与えた相手からの万が一の攻撃に備えて構え直したその時。
ぶんっ!
音を立てて何かが飛んできて、奇声が止まった。
リョウは「それ」の真後ろにいるせいで何が飛んできたかまではその瞬間視覚で捉えることはできなかったが、飛んできた何かは「それ」の顔面辺りに命中したのだろう。
そして、苦痛に身をひねった「それ」により事態が把握できる。顔面に一本の剣が刺さっていたのだ。
柄の部分に青い石がはめ込まれている剣。
そしてリョウが来た方向から鞍のない馬に乗った剣の持ち主が突進してくるのが見える。
ラウの所から調教中の馬を失敬してきたのか。
そんなことを考えている間にもリョウは次の行動に移っていた。
なぜならば。目の前の強敵はなんともしぶとく、背中に大きな裂け目を作りながらも顔面に刺さった剣を自ら抜き、リョウめがけて投げつけてきたから。
リョウが光を放つ剣でそれを弾き返すと、青い石がついた剣はすっぱりと真っ二つになって地面に落ちた。
そしてそれを確認する間もなくハナが再び地面を蹴る。リョウは今度こそ正面から「それ」の頭に剣を突き立てる。そして。
ハナは乗り手を上方に残したまま着地して向き直る。
リョウは、深々と突き刺した剣の柄を両手でつかんだままその手に力を込め。
改めて奇声が上がった。
が、今度のは一瞬。なぜなら「それ」がその一瞬で「燃え尽きた」から。
決して派手に燃え上がったわけではないが、軽い爆発に似た燃え方をした「それ」は、もろい炭の塊のようになり周囲に散らばる。
リョウが光をなくした剣を片手に着地するのとほぼ同時にハナの隣に、騎士を乗せたもう一頭の馬がたどり着く。
それが誰であるか、リョウは確認するまでもなかった。さっき弾き飛ばした剣は明らかについさっきまで一緒にいたレンブラントの物だったから。
「……リョウ、今のは……」
そりゃあ、聞きたいことは色々あるだろう。
普通、どんなに強い騎士でも従来の「敵」でさえ一人で一度に何体も倒せるほど素早く的確に動けたりはしない。
しかも今遭遇していたのはその従来の「敵」を遥かにしのぐものだった。
遠目にもそれは感じられた筈なのだ。
しかも剣をふるっていた、目の前にいる女はそもそもが尋常じゃなかった。
レンブラントが近くまで来て確認しようにも、今となっては先ほどまで一緒にいた自分の部下その人で、今しがた遠目に見た時とは様子が違っているように思える。
先ほどの立ち回りの様子からは人間以上の何かを感じさせる殺気が感じられたし、自分の剣を弾き飛ばした彼女の剣は光っていたようにも見えた。
それに意識的にこちらと目を合わせないようにしているのか伏せたままのその瞳は急激に元の色に戻りつつあるが普段より数段明るい色をしている。剣を持って着地した時には紅い色にさえ見えた。そして、髪の色もまた今はよく知っている一般的な黒髪の彼女だが、先程までは明らかにもっと……明るいブラウン……いや、それを通り越して赤くはなかっただろうか?
そんな彼の混乱をよそにリョウは倒れている体に駆け寄った。
「ザイラ……!」
抱き起こしたリョウの目に安堵の色が浮かんだ。
息がある……!
「すぐ運びましょう」
自分の中に次々と浮かび上がる疑問に、今は答えを求めている時ではないことを思い出し、レンブラントが乗ってきた馬にザイラを乗せた。