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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

人になった龍の子

作者: 村崎透

少女は駆けていた。雪下駄の中に雪が入り、袂に潜り込んだ雪がぐっしょりと袖を濡らすのも気にせず、少女は村の外れに向かっていた。


少女が目指しているのは、小さな小屋に閉じ込められた、痩せっぽちの少年が住まうあばら屋である。

「ソウタ、ソウタッ、あたしだよ、コウメだよ」

すっかり水浸しになった少女――コウメは、あばら屋の申し訳程度に作られた戸を小さく叩いた。


「うん、おはよう、今日は随分寒いね――大丈夫かい?」

少年――ソウタは戸を開ける事なく、扉越しにそう言うと、コウメはなんの遠慮もなく戸を開く。

ソウタは戸を開けなかったわけではない、開けられないのだ。


それもそのはずで、ソウタの目はボロ布に覆われ、手足は頑丈な縄で縛られ、身動き一つ出来ないソウタをコウメは常に気の毒に思っていた。

そもそも、ソウタがこうもひどい扱いを受けているのは、彼は赤子の頃に村の入口に捨てられていた孤児であるからだ。


村は貧しく、誰も彼を育てる事は敵わず、かといって打ち捨てるのも酷だろう、そういって村長が引き取ったものの、村長が流行病で亡くなると、途端にソウタの扱いはひどくなり、そればかりかソウタに濡れ衣を着せてこの小屋に閉じ込めたのである。


「ソウタ、今日は握り飯を作ってきたんだ、ホラ、山菜を入れてきたんだよ」

コウメはそう言うと、ソウタの口元に小振りの握り飯をそっと添え、ソウタがややあって咀嚼し始めると、綻ぶようにコウメは笑顔を浮かべた。


「美味しいよ、コウメ、ありがとう……でも、大丈夫なのかい、その……村で何か言われるんじゃ」

心配そうに眉間に皺を寄せるソウタに、困ったようにコウメは笑う。


コウメは、幼い頃からよく遊んでいたソウタを見捨てられなかった。ただでさえ年の近い子供がいない村では、たった一人の幼なじみのような存在だ、ソウタを庇う事で、確かに村でのコウメの扱いは悪くなってしまっている。


それでも、コウメはソウタを心配させたくなかった。

「ソウタが心配するような事は、何一つないわ、きっと大丈夫よ」

まるで自分に言い聞かせるように、コウメはソウタに寄り添った、雪はまだ止む気配はない。



◆◇◆◇


「ソウタ、あの伝説を覚えてる?」

コウメが冷えきった部屋を温める為に、囲炉裏に火をくべながらそう言った。ソウタは小さく首を傾げながら、「ああ」といった拍子で頷く。

「雪女の伝説の事かい?また随分昔のお話だね」


村には一つの伝説があった。かつて、この村をここまで繁栄させたのは、かの有名な雪女達だという。

そのため、村にはいくつも雪女を賛える社が建てられており、村の奥にひっそりと佇む雪山には、数多くの雪女達が住んでいると語られていた。


そのうえ、雪の多く降る年に雪山の頂上にある社に男女一組で訪れると、雪女の姫である雪姫様がその者達の幸せを約束され、願いをひとつ叶えてくれると古くから伝わっている、しかし、真冬の雪山は危険な為、実際に雪山に赴いた者達はいないだろう。


「そうそう、ねえ、ソウタには叶えたい願い事ってあるの?あたし、どうしても叶えたい願いがあるの……」

ソウタは見えない目ながらも、どこか期待を込めた目で自身を見ているだろうコウメの姿がなんとなく想像できた。

それどころか、ソウタはコウメが次に何と言うのかすらも薄々感付いており、やれやれといった様子で小さく息を漏らす。


「僕は特にないけど……、それでも、コウメが行きたいのならば、僕は付いていけるよ。でも、村の人たちがコウメを心配するだろう」


ソウタの言葉にコウメはちらりと村人達を想像し、やがて自分を女手一つで育ててくれた亡き母を思い浮かべ、首を振る。


「大丈夫よ」

「……そっか、僕が此処を出たのがバレないようにしないとね」

コウメの震えた声にわざとソウタは聞こえない振りをして、おどけたように笑った。


釣られるようにコウメも小さくはにかむと、「少し待ってて、雪山に行くための準備をしてくるから」と早口に捲し立てて小屋を後にした。

慌ただしく出て行ったコウメの足音に、ソウタは小さくため息を零すと、心中に墨を落としたような一抹の不安に気付かない振りをするように首を振った。



◆◇◆◇


それから半刻もしない内に、コウメは再びソウタの小屋に訪れた。

コウメは、真っ先にソウタの手足を縛る太い綱を小刀で断ち切ると、最後にその目を覆う布をそっと解く。


「なんだか久しぶりにソウタの顔を見た気がするよ」

ぽつりと漏らしたコウメの一言に「僕も久しぶりにコウメの顔を見たな」と微笑んだ、ソウタの目は村人にはいない、金色に光る瞳をしている。


その為か、ソウタが気味悪がられたり、妖怪扱いされる日々があったのをコウメはよく思っていなかった。

こんなに綺麗な目をしているのに、と何度も憤慨しては村人と取っ組み合いになり、ソウタに宥められた事だろう、ふと思い返してみるとなんだか遠い日のような気さえした。


――ソウタを、村の人達に認めてもらって、一緒に生きていたい。

コウメはソウタが閉じ込められたその日から、常々そう思い続けてきた、しかし、解決策は一向に見つからず、やはりこの伝説に掛けるしかないのだと確信した。


「行こう、ソウタ」

「あ、うん……」

すっと差し出されたコウメの手に戸惑いながら、ソウタはその手をぎゅっと握りしめる。ほんのりと温かい温度が心地よく、そしてその温度が随分久しぶりな気がしてじわりと視界が揺れた。


◆◇◆◇


それから、村の人間が滅多に使わない荒れた道をわざわざ通り、風花降り注ぐ宙を時折眺めながら、黙々と二人は歩いていた。

ほう、と息を漏らせば、真っ白い呼気が白景色に馴染む。久方振りの外だ、となんだか感心してきょろきょろとソウタは辺りを見渡すと、コウメがくすくすと笑い出した。


「ソウタ、なんだか嬉しそうね」

「うん、やっぱり寒いけど……でも、いつ見ても雪は美しいね」

一本の和傘を分け合うように二人で肩を並べていると、どうしても片方の肩に雪が積もってしまう。

ソウタの左肩に薄っすら乗った雪をコウメが振り落とすと、「でも今年はやけに雪が積もるわ」とぼやいた。


山の麓までたどり着くと、雪が一層降り注ぐ頂上を見遣る。

どことなく不安そうなコウメは意を決したように「行こう」と、再び告げて傾斜の激しい山道を登り始めた。

時折、雪でずるりと滑ると笑いながらお互い手を差し伸べ、山の中腹までやってきて、まだ遠くにある頂に溜息を零す。

寒さは、確実に二人の体力を奪い、雪は二人の足をじわりと痛みつけた。


「――少し、休憩しようか」

コウメの表情を伺っていたソウタが不意にそう言うと、元々は峠茶屋だったらしい小屋を指さした。

コウメはそれに黙って頷くと、やや朽ち果てた茶屋の中へ足を運ぶ、時折床が抜けていたり屋根に小さく穴が開いていたりするものの、思っていたよりは随分綺麗な方だ、とソウタは思い腰を下ろした。


「……そういえば、コウメはどうしても叶えたい願いがあるって言ってたよね」

「ああ……うん、そうだよ、それがどうかしたの?」

冷えきった身体を温めるように、二人は寄り添った。物音といえば二人のやや荒くなった呼吸音だけで、まるで二人だけ世界に取り残されたようだ、とコウメは思う。


「どんなお願いなのかな、って。僕で叶えられる願いならば、叶えてあげたいんだけど」

静かすぎる室内に溢れるソウタの言葉。

相反して、ソウタの心中はどこか穏やかではなく、コウメがこうまでして叶えたい願いとは一体何なのだろう、と疑問だけが募る。


「どうしても、あたしはまた前みたいにソウタと一緒に普通の生活をしたいんだ」

ふとソウタの記憶に蘇るのは、村長が存命だった頃の優しい記憶。

春には桜を二人で愛で、真夏の暑い日には川辺で水遊びをし、秋には村の子供達と落ち葉拾いをして焼き芋を頬張り、冬に、二人は出会った。

どれもこれも、小さくて大した事ではないにしろ、ささやかな幸せだった。


「それに、ソウタは言ってくれたじゃない、大きくなったら私をお嫁さんにもらってくれるって」

「……そういえば、そんな事言ったかも」

得意げに言うコウメに意地悪くソウタは言った。まさか、コウメが覚えているとは思わなかったのだ。


「あの時の言葉、守ってもらうんだからね、だから……また、一緒に生きよう」

ふわりと微笑む目の前の少女に、押し黙るようにソウタは微かに笑った。

確かに、ソウタにとってもその言葉を守りたい気持ちはあった。しかし、ソウタにはコウメにすら隠している事があったのだ。

それがきっと、二人の望む未来の枷になることも、ソウタはわかっている。


「ねえコウメ、雪姫様は二人で一つの願い事しか、叶えてくれないのだろうか」

「え?うぅん……どうだろう、今の村の人達で山に行った人はいないから、わからないや」

困ったように笑うコウメにソウタは「そっか」と小さく返事する。

「僕も、願いが決まったかもしれない」

「え!?本当に?」

驚嘆の声を上げてコウメはソウタを目を丸くして見つめる。


それもそのはずで、コウメが知る限り、ソウタという少年は我儘一つ言わず、妙に聞き分けの良い子として大人に気味悪がられている様を知っているからだ。

その彼が、叶えたい願いがあるという。


「わかった、じゃあ雪姫様に相談してみよう、それで一つだけなら、私、ソウタにお願いごとを譲るよ」

にこやかに笑うコウメに「ありがとう」と小さく笑みを浮かべて、ソウタは頭半分ほど小さいコウメの頭をやんわりと撫で付ける、再出発を告げるソウタの掌は、今度は震えていない。



◇◆◇◆


雪山を進む二人の足は、最初と比べて随分軽いものだった。

傘を傾けるソウタと、並んで嬉しそうに歩くコウメの姿に自然とソウタは口角が上がる。


「あぁっ、頂上だっ、頂上が見えてきたよ!」

コウメの視線の先に見える、鮮やかな赤の鳥居にソウタはほう、と感嘆の息を漏らした。

雪の中に堂々と佇む様は、まさしく神の住まう域に近い雰囲気を醸し出し、常人が安易に立ち入る事を臆するような空気が流れている。


思わず立ち竦みそうになるのをコウメが叱咤するように、「ほら、行こう」と手を引き、ソウタは慌ててそれに着いていった。


「なんの用か、童共」

「なんぞ人の子もおるぞ」

「畏み畏み、竜王の子もおるぞ」

頂上の広場にたどり着けば、四方八方と木霊する女達の声に、二人はびくりと肩を揺らした。

「な、何……?誰、どこにいるの?」

コウメが怯えるように小さくそう言う、ソウタはコウメを庇うように前に立ち塞がると、「無礼を承知で申し上げる、雪姫殿はいらっしゃるか」と、いつもの頼りない雰囲気がまるで嘘のように堂々とした立ち振舞で声高々に言い放った。


「おお、竜王の子がしゃべったぞ」

「おお、怖や怖や」

面白可笑しく笑い声を上げる女達の声に、痺れを切らしたようにソウタはコウメの手を引いて鳥居を潜った。


すると、やかましく笑い声をあげていた女達の声が途端に水を打ったように静まり返り、辺りに雪がどさりと沈む音だけが反響した。

どこか様子のおかしい雰囲気に、ソウタは無遠慮に進めていた足を止める。

「竜王の子、して何用ぞ」

からん、と音を立てて社の戸が開いた。

鈴のように軽やかな声音で尋ねる一人の女は、先程まで騒がしかった女達とはまるで格が違う、とどこかソウタは思いきゅっと唇を真一文字に結ぶ。


握りしめたコウメの手が畏怖で震えているのに気が付いてはいたものの、どうすることも出来ないソウタは、自分が腹正しかった。

「――どうか、願いを叶えていただきたく思い、馳せ存じた所論」

「ほぉ、竜王の子よ、人の群れに混じっていたと思えば――何も知らない小娘を率いて何をしにここへ参った、願いを掛けるなどと、お前は私よりも格は上であろう」

畏まったソウタに、ふむ、と和紙のように白い頬に手を添えて、雪姫は微笑む、その笑みに悪意はなかった。


「え、どういう……こと?ねえ、ソウタ」

今までだんまりを決め込んでいたコウメが咄嗟に声を上げた。不安そうにソウタを見上げる目にソウタはぐっと握りしめた手に力が篭もる。

「――ごめん、コウメ、僕、黙っていたけど……人じゃ、ないんだ」

ぽつりとソウタがそう言うと、戸惑ったようにコウメが身動ぎをした。コウメ自身、何と返せばよかったのかわからなかった。

「竜王の子よ、そなた、天へ還らずとも良いのか」

「竜王の子、弱り切っておる」

「同胞同胞、人の群れになどいるからだ」

雪姫が尋ねた言葉に、口火を切ったように他の雪女達が口を開いた。やかましく木霊する女の声に、コウメは得体の知れない恐怖を感じ、繋がった手がゆっくり解けていく。


「雪姫、僕は人になりたいんだ」

ざわざわと騒がしかった雪原に、再び静寂の帳が落ちる。それと同時に、離れかけたコウメの手を再びしっかりと握りしめ、ソウタは真っ直ぐ雪姫を見据える。


「ほぅ、人になりたいとな?」

雪姫が可笑しそうに喉で笑う。

「僕はこれまで人として生きた、だからこれからも人として生きて、コウメと共に生きていきたい」

照れたようにコウメが口をきゅっと結んだ。それもそのはずで、ソウタにこんな風に言ってもらったのは初めての事だからだ。


彼が人ではないことは勿論、知らなかったし、例えソウタが龍であってもコウメにとって大切な存在であることに何ら変わりはない。

それでも、ソウタにとってはきっと違うのだろう、とコウメは納得するように、曖昧にソウタに笑いかける。

「竜王の子よ、そなた、天へ還らずとも良いのか」

「竜王の子、弱り切っておる」

「同胞同胞、人の群れになどいるからだ」

雪姫が尋ねた言葉に、口火を切ったように他の雪女達が口を開いた。やかましく木霊する女の声に、コウメは得体の知れない恐怖を感じ、繋がった手がゆっくり解けていく。


「人の命を授けた所で、お前はその小娘より長くは生きられぬぞ?」

雪姫は迷いのないソウタの目に、渋々といった様子で諭す。

吹雪の吹き荒れる中コウメはやはり辛いのか、ぶるりと肩を震わせながらソウタを見ている。


「――構いません」

意を決したようにソウタがそう言えば、コウメは慌ててソウタの袖を掴んだ。

「何言ってるの、ソウタ!長生き出来なくなっちゃうんだよっ、それに――、あたしはソウタがなんであれ、一緒に居られればそれで――」

「例え龍のままお前の傍に居た所で、時期に竜王の子は死んでしまうだろう」

早口に捲し立てるコウメを遮るように雪姫がぴしゃりと言い捨てた。


どうして、とコウメが雪姫を見遣ると、雪姫はコウメを一切見ないまま、凪いだ目でソウタをちらりと一瞥し、やがて小さく溜息を零した。

「どうしても、というのならば一度お前の真の姿を見せてみよ」

「何故……ですか」

ソウタの疑惑の目を嘲笑うように雪姫は「どうしても、だ」と有無を言わさない様子で佇む、やがて諦めたようにソウタがコウメを振り返って口を開いた。


「いいかい、コウメ、手で目を隠して暫く見ないでおくれ、何があっても絶対に見ないと、約束してくれないか」

「あ……うん、わかった、でも、どうして?」


コウメは不思議そうにソウタの顔を見ても、ソウタは何も言わずただ、困ったように笑うだけだ。その表情はどこか大人びていて、そればかりか少し疲れているような気さえした。

それから、コウメは言われたとおり、握りしめた手を優しく解くと、目を瞑って手で顔を隠した。

黙ってそれらを見届けていたソウタもまた、神妙な面差で雪姫達を真っ直ぐに見据えてすぅ、と小さく深呼吸する。


ソウタははたと考えた。

思えば、龍の姿に戻るのはいつ以来の事だろう。

彼は龍の子だ、親から逸れ、雪山に迷い込んだソウタを拾い上げた村長は、ソウタが龍の化身であることを知っていた、人の姿を真似るように言ったのも村長だ。

村長と出会った当初は、龍の姿をしたソウタに驚いたものの、「親が探しに来るまでお好きなだけ我が家に居てください」と快くソウタの面倒を見る事を喜んでくれたものだ。


例え村長は彼が龍ではなくても、きっと面倒を見たことだろう。

そう思い出せば滲み出るように溢れかえる、村長やコウメとの思い出があまりに優しくて、ソウタはじわりと心が温まる。

そのまま、大きく宙を仰ぐと真っ白な銀景色の中に、ソウタの輪郭は徐々に溶け込み、やがてその形は人ではなくなった。


びし、ぱき、と歪な音を立ててソウタの本来の姿の翼が歪んでいるのを雪姫は暫く眺めている。

「――随分ひどい有様だな」

そう雪姫がぽつりと零すと、裸足のままソウタに歩み寄った。

さく、さくと雪が潰れる音にコウメは身動ぎするが、言われたとおりじっと身を固くしている。

「――、」

「お前の身体の有り様では、とてもではないが人間になったとしても、長生きは出来まい」

哀れむような口調で雪姫が言った。


ソウタはひび割れ、朽ちかけている翼をやんわり閉じた、龍というにはまだ幼く、小さな龍だ。

「どうか、お頼み申す……、どうか、どうか僕を人にしてくれないか、僕はコウメと同じ時間を生きて、同じように死にたいのだ」


「あいわかった、ならばいたし方あるまいて、その代わり――代償をいただこう」

ソウタの吐露した悲願の言葉に、諦めたように雪姫は朽ちた翼に触れ、吐き捨てるようにそう言い放った。

脆くなった翼は雪姫の手に触れると、ぱらぱらと崩れて雪の中に溶けていく、その有り様に哀れむように雪姫は目を閉じた。


「――どちらにせよ、お前は岐路に立ったに違いないだろう、遅かれ早かれ、こうなる運命だった」

「うっ……ぐぅう…」

雪姫は、傷んだ翼をえぐるように指先を差し入れると、耐え切れずソウタは苦悶の声を上げた。

しかし、それでも辞めず雪姫は傷口の中を漁るように手をゆらゆらと差し込み、「我慢しろ」とソウタにぴしゃりと言い捨てた。

「っ、ソウタッ……!!」

はくはくと息も絶え絶えに、ソウタが小さく悲鳴を上げれば、とうとう我慢ならなかったのかコウメも悲嘆に声を上げ、咄嗟に見てしまった。


ちらりと覗いた雪景色の向こうに、折れたボロボロの小さな羽を持つ龍と、痩せこけた美貌の女――雪姫がいた。

龍は荒い息で座り込み、雪姫の好きなように翼を触らせ、痛みに声を上げている、これが――ソウタなのだ、コウメはそう確信し、呆然とその状況に僅かに震えた。


「――見るなッ」

「でも、」

「ううぅ、ぐ、」

コウメはそれでも尚、意地を張るソウタが悲しかった。唇を噛み締め、悲鳴がさんざめく雪原に、一人取り残されたような気さえした。

雪の中に随分長くいたせいか、手足などすでに感覚はなく、気を抜けばがくりと崩れ落ち兼ねない。


「――穢れは幾ばくかは払えた、さあ覚悟せよ、お前の人になりたい願いだけを捧げよ」

雪姫の言葉に、慌ててコウメは目を閉じた。コウメもまた、ソウタと同じように願うべきだと考えたからである。


やがて、コウメには全くわからない言葉で、雪姫の言葉に合わせて雪女達も唱え始めた。

すると、コウメはどこか意識が朦朧とするような、眠いような不思議な感覚が芽生え始める。

くらり、と目眩のような、はたまた脳が痺れるような、不思議な感覚がコウメを支配していく。

気が付くとコウメは雪の中に座り込んでおり、慌てて立ち上がろうとするも、力が入らない。

どうして、なんでとコウメは憔悴しきった面差で手を使って立ち上がろうとしたが、焦れば焦る程、力は抜けて、がくりと項垂れた。


「コウメッ」

「案ずるな、お前はこちらに集中せよ」

「雪姫殿ッコウメに何をした!」

「時期にわかる、今は眠ってもらうだけよ、なあに、ここは神聖な場所、死人は出ない」

遠くで聞こえる会話を最後に、コウメは身を任せるように目を閉じた。



◆◇◆◇


「昔むかし、まじないごとが得意な集落がありました」

母の声に爛々と目を輝かせた少年が、続きを催促するように頷いた。

「そこには昔から、雪女達が村を守っておりました。あるとき、村に一匹の龍が迷い込み、集落の長がとても大切に育てました」

「雪女……?龍?本当に?」

母のゆっくりと穏やかな声音に、少年は驚嘆の声を上げると母は嬉しそうに頷いた。

「しかし、ある時、長が流行病で亡くなると、臆病な龍の少年は村八分にされてしまいます。そこで、幼なじみの少女が、一緒に雪女にお願いごとを掛けることにしました」

「お願い事……?」

「その村にはね、昔から雪山の頂上に、無事に辿り着いた人のお願い事が叶うと言われていたのよ」

不思議そうに尋ねる我が子の頭を撫でながら母は言う。それから、子供は納得したように頷いて続きを促した。

「寒さに耐えながら、やっとの思いでたどり着いた二人は、雪女のお姫様にひとつのお願いをしました」

「どんなお願いをしたの?」

「龍の少年は、人間になりたいと願ったの……それで、少女の方は――」

洗濯物を片付け終えた母は、はたと口を開きかけたのを止めて玄関口を見た。釣られるように少年も見遣ると、嬉しそうに声を上げた。

「父さん!おかえり」

「あぁ、ただいま、留守は大丈夫だったかな?」

自らを嬉しそうに迎える息子に口角が上がった父は、息子の頭をやんわりと撫で付けた。

それから、ややあって妻をちらりと一瞥すると、「それで、少女は何を願ったのかな?」と続きをねだる。

「――ずぅっと、少年と一緒に居られるようにお願いしたそうよ、それからずっと二人は幸せに暮らしたの」

幸せそうに微笑む母と、照れたように笑う父の姿に、少年は不思議そうに首を傾げつつも、真冬の洗礼を受けた父の背中の雪をそっと払い落とした。




―了―

2015冬の童話祭りに参加表明し忘れた供養です。

結果、とてもgdgdになりました。

辛口コメントから応援までなんでも感想いただければ嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 文章がとても読みやすく、すらすらと読めるのにきちんとその光景が目に浮かびました。物語の結びも個人的にすごく好きでした。 [一言] はじめまして、雨間みゆと申します。「人になった龍の子」を読…
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